眠る
詩篇13・4
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え
わたしの目に光を与えてください
死の眠りに就くことのないように
詩篇76・7
ヤコブの神よ、あなたが叱咤されると
戦車も馬も深い眠りに陥る。
イザヤ5・27
疲れる者も、よろめく者もない。まどろむことも、眠ることもしない。腰の帯は解かれることがなく/サンダルのひもは切れることがない。
エレミヤ51・39
わたしは、たけりたつ彼らに
宴を設けて酔わせる。
彼らは泥酔して、よろめき
いつまでも眠り続けて目を覚まさないと
主は言われる。
エレミヤ51・57
わたしはバビロンの高官、知者、総督、長官、勇士らを酔わせる。彼らはいつまでも眠り続けて目を覚ますことはない、とその御名を万軍の主という王が言われる。
マタイ13.・25
人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
マタイ25・5
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
マルコ4・26−27
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
マルコ13・36
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
天界の秘義959
私は夜中に眠りから目ざめて、周囲に霊どもの声を聞いたが、彼らは私を眠っている中に襲おう[罠にかけよう]と望んだのである。しかし間もなく私はまどろみ、悲しい夢を見た。しかし目覚めると、刑罰を加える霊たちが急に現れ―このことで私は驚いたのであるが―私を眠っている中に襲った[罠にかけた]霊どもをむごたらしいほどに罰したのである。彼らは彼らに身体のようなものを―目に見える身体のようなものを―また身体感覚をも生みつけ、かくて部分部分を彼方此方と荒々しくかち合わせて彼らを拷問にかけ、それに抵抗から苦痛も加わった。刑罰人らは出来ることなら彼らを殺しもしたであろう。それで彼らは最も極端な暴力さえも用いたのである。その犯罪者らの大半はサイレン[妖婦]どもであった(彼らについては831番参照)。(中略)
私は彼らがかくも痛烈に罰しられることに驚いたが、しかしその犯罪は人間が安全に眠ることが出来るという必要から途方もないものであり、その必要が無くては人類は死滅してしまうのであり、それでかくも大いなる刑罰の在ることが必要であることを認めたのである。私はその眠っている中に彼らから罠にかけられるように試みられる他の人々の周囲にも同じことが起きるが、その人々はそのことについては何ごとも知ってはいないことを認めたのである。なぜなら内的な感覚により霊たちと語りこれと共になることを許されていない者は、それと同じ事が凡ての者のもとに起っているけれど、そうした種類のことは何一つ聞くことは出来ないし、ましてやそれを見ることは出来ないからである。主は人間をその眠っている間に非常に特別な配慮を以て守っておられるのである。
天界の秘義1977[2]
楽園の光景の入口にいる天使的な霊たちは、こうした夢をもたらしてくる者たちであり、かれらにはある人々が眠っているとき、その者たちが悪霊に悩まされないように、その者たちを警護する任務をまた委ねられている。かれらはこの務めを最大の歓びをもって遂行し、そのため誰がそこに行くかについてかれらの間に競争が行われている。かれらはその人間の情愛と資質との中に認める楽しい歓ばしいものをもってその人間に感動を与えることを愛している。天使的な霊になっている者たちは、身体の生命の中では他の者の生活を、あらゆる方法をもって、またあらん限りの労苦をもって、歓ばしいものにすることを愛した者たちからきている。聴覚が充分に遠くまで開かれると、かれらから恰も歌声のような、美しい調子をもった音色が、遠くから聞こえてくるように聞こえてくる。かれらは自分たちは何処からこうしたものが、またかくも美しい、快い表象的なものが何処から一瞬にして自分たちに現われてくるのかを知らないと言ったが、しかしそれは天界からきているのであると言われたのである。かれらは小脳の領域にぞくしている、なぜなら、わたしが告げられたことではあるが、小脳は、大脳が眠っている睡眠時間でも目覚めているからである。
天界の秘義1983
悪霊らは人間が眠っているときかれにとりついて悩ませ攻撃しようと極めて烈しく望んで、燃え上がるが、しかし人間はそのときとくに主により守られるのである、なぜなら愛は眠らないからである。人間にとりついてこれを悩ませる霊どもは悲惨な刑罰を受ける。
黙示録講解1006
「目ざめている者は幸いである」は、主を注視している者たちの幸福な状態を意味している。このことは以下から明白である、即ち、『幸』の意義は幸な状態にいることであり、また『目ざめている』の意義は自分自身のために霊的生命を得ることであり(187番を参照)、このことは人間が主を注視することにより得られるのは、主は生命そのものであられ、主のみから永遠の生命が発するためである。人間が主から発する生命の中にいる時は、目ざめている状態の中にいるが、しかし人間が人間自身から発する生命の中にいるときは眠っているのであり、または、同じことではあるが、人間は霊的な生命の中にいる時は、目ざめているが、しかし霊的な生命から分離した自然的な生命の中にいる時は、眠っており、人間がそのとき見るものは、人間が夢の中に見るものに似ているのである。この生命に生きることは聖言の中では『眠ることとうたたねすること』によりまた意味されている(例えばマタイ13・25、25・5、6、マルコ4・26、27、13・36、イザヤ5・27、エレミヤ51・39、57、詩篇13・4、76・7、その他)。このことは『目ざめていること』により意味されていることを明らかにしている。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P340
‘87・9・23
♡ 配偶者よ、深く眠りこんだ人たちの声を聞いてはいけない、彼らは何も知らない、何も感じていない、何も見えていない、何も聞こえていない、この人たちは眠りこみ、完全に自覚が失せているので、当然です!
イエスは、この世について私に理解させなさいました。物質的で肉体的な世の中のことを。そして、もう一つの世界は目に見えなく、霊的なものなのです。
来なさい、私は、イエス・キリスト、神の愛する子。 もしそう望んだなら、もっと多くの証拠を与えることもできよう、しかし私なりの理由によってそれを差し控えている、あなたに見えないまま道を案内することを 私は喜んでいる、それは私に栄光を与える ♡ それに、知恵が眼を眩ませている人たちにとっても教訓になることを望んでいる あなたに無心、素朴で、あってもらいたい ♡ この特別な方法で道を案内しているのは 私、主が豊かに与えることを 我が宗教的な霊魂たちが理解するためです ♡ 娘よ、私の超自然的なわざは 信じ難くはないとこの人たちに伝えなさい、どうして、私は神であり霊ではないか? 子どものように 信じなさい ♡ あなたが子どもたちに私のわざを見せたなら、こうして書きながら道を案内しているのが私であることを疑うだろうか? 無心でありなさい!