何かの使命を委託された私の下僕たちに、
世間でいわれる幸せな一生を与えたことはない
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.ベルナデッタ
4.サンダー・シング
5.トマス・ア・ケンピス
6.ヴァッスーラ
7.中山みき
8.デボラ
1.聖書
詩篇49・21
人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。
屠られる獣に等しい。
黙示録2・10
あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。
黙示録3・10
あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々・1/P11
何かの使命を委託された私の下僕たちに、世間でいわれる幸せな一生を与えたことはない。なぜかと言うと、このような使命は苦しみの中に苦しみによって行われるものだから。こういう人々は“人を贖うために苦しむ”という私に似た望みしか持っていないからである。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P334
私は、あなたに人間的慰めとか、贈物とかを約束はしません。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P335
ヨゼフは、―人間的に言えば―イエズスと一緒にいることによって、心配、苦労、虐げ飢えなどしか、与えられませんでした。しかし彼は、イエズスだけを目的にしていたので、そのすべての苦しみは、霊的な平和、超自然的喜びに変わりました。私は、あなたたち皆を、私の夫が言ったように“私たちはすべてを失っても、イエズスと一緒なら、すべてを持っている”と言えるまで到達させたいのです。
マリア・ワルトルタ/『聖母マリアの詩』下/P208
(主がケリオットのユダに)
ユダ! ユダ! 女は一人の人間をこの世に与えるために九ヶ月間の準備をします。おまえはこの世に神を知らせるのを、いま以上に早くしたいのですか。これは九ヶ月はおろか何千月もかかります。月齢のたびごとに月は生まれ、満ちると欠けた形で現れ、産まれたり死んだりすると同じように、この世のある限り宗教の満ち欠けが続きます。宗教は死んだように見えても、生きています。月がないときもあるように。宗教のために働いた人は多くの報いを得ます。この世には、忠実な霊魂たちの少数派しか残らないにしても。さあさあ! 勝利の時の単純な高揚、敗北の時の簡単な幻滅は、どちらも禁物です
マリア・ワルトルタ/『イエズス・たそがれの日々』/P7
(主がマリア・ワルトルタに)
おまえの苦労は終わった。今は愛と報いを味わうがよい。私の疲れを知らない声、おまえに平和と祝福あれ。ありがとう。おまえのイエズスが言う。『私は何時までも一緒にいよう。愛している人々とともにいることは私の喜びだからである。』
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P35
(主が羊飼いたちに)
私も虐げられていることに変わりはない。だが、おまえたちは決してしおれることのない花を咲かせる愛をもって、信仰と希望とをもって、私が探し求めているものを与えてくれる。おまえたちは何の疑いも抱かずに、私を信じて待っていてくれた。そして、私はここに来た。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P38
(主が羊飼いたちに)
おまえたちは、自分にできるだけのことをすれば良いのです。世間の人々におまえたちが信じてもらえるかどうかは約束できません。私自身、あざけられ打たれたことがあるので、おまえたちも同じような目に遭うと思います。しかし期待してこれまでの年月を正しく強く生きてきたのだから、私のものとなったこれからは、なお一層そうであってほしい。
マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P39
おまえたちは何だろう? どういうものになるべきか? おまえたちは地の塩である。塩は肉とか他の食物とかを腐敗から守る。しかし、塩自身、塩気がなければ塩漬けができるだろうか。私は、天の味を受けるように、おまえたちをもって、この世を塩漬けしたいのである。しかし、自分にあるべき味を失うならば、おまえたちは、どうして他人を塩漬けできるだろうか。
おまえたちにあるべき天の味を失わせるものは何か。“あまりにも人間的であると言うこと”である。真の海の水はあまり塩辛くて飲めない。それでも海の水のコップ一杯を甘い水(真水)の樽に注ぐならば、それを飲めるようになる。それはなぜかというと、海の水は薄められてその辛さを失ったからである。人間性は、おまえたちの天の辛さに混ざる甘い水のようである。そしてまた、海の水の一筋をこの湖の水に入れるとすれば、のちに塩辛い海の水の一筋を識別することができようか。いいや。これほどの甘い水の中にとけこんでしまうからである。おまえたちが、自分の人間性を自分に与えられる使命に入れる時に同じようなことが起る。おまえたちは、人間であるのを私はよく知っている。しかし私はだれか?私はすべての力を持っている者である。そして私はどうするか?
おまえたちを選んだ以上、おまえたちの中に、この力を注ごうとする。しかし私が注ぐこの力をおまえたちは、あまりに人間的な感情、肉体的な邪欲の中に散らしてしまうならば何の役に立つだろうか。
おまえたちは、この世の光であって、そうであるべきである。人間の中の神の光である私は、おまえたちを選んだ。これは私が父のもとに戻ってからおまえたちが、この世を続けて照らすためである。しかし、おまえたちが、消えた、それとも煙ばかり出している灯りであるならば、光を与えることができるだろうか。否、消えつつある小さい灯が、その煙りでもってするように、おまえたちは人の心にまだ残っている、そのかすかな光さえも暗くするだろう。神を知ろうとして使徒たちを求め、そして光の代りに煙しか見つからない人々は何とあわれなことか。そこにはつまずきと死しかない。しかし、ふさわしくない使徒は呪いと罰に値する。おまえたちの使命は偉大である。しかし同時に偉大な恐るべき任務(つとめ)、責任でもある! 多く与えられた人は、多く与える務めがあるのをよくよく心得よ。おまえたちには、知識と賜との最高のものが与えられている。おまえたちは、神のみ言葉である私に教えられ、そして“弟子”すなわち、神の子の継続者であるという賜を神から受ける。
私はおまえたちに、自分の選択を絶えず黙想し自分自身を知るように自分の心の中を探ってもらいたい。そしてもしだれかが、自分はただ一人の信仰者としてはふさわしいものであるが、しかし自分の中に使徒の真髄を感じないならば、その人は退くべきである。世間はそれを好きな人にとって広く、美しく、いろどりで心を満たすかのように見える。世間は腹と感覚とにふさわしいすべての花と、すべての実をささげる。それに対して私は一つのことしか与えない。“聖徳”を。これはこの世で最も狭い、貧しい、けわしい、とげだらけの虐げられるものである。天では、その狭さは普遍性に変わり、その貧しさは富に、そのけわしさはゆるやかな楽な道に変わり、その荒いとげは花咲く絨毯、その虐げは平和と至福に変わる。しかし、この世では聖であることは英雄の苦労である。そして私はこれしか約束しない。
おまえたちは、私と一緒に残りたいか。それはできない、と感じるか。おお、驚きと苦しさで自分を省みるな。私の口から、今後もまた何回もこういうふうな質問を聞くだろう。そして、これを聞く度ごとにこの質問をする私の心が泣いていると考えよ。なぜなら召し出しに対してのおまえたちの鈍さに傷つけられているからである。その時に自分を調べよ。そして真実に正直に判断してどちらか決めよ。亡びるものとならないようにはっきりと決めよう。『先生、友だち、仲間たちよ、私はこの道を歩くのにふさわしいものではないと分かった。あなたたちに別れの挨拶を送り、私のために祈ってくれと頼む』と言え。裏切るよりもこの方がよい。・・・この方がよい。
マリア・ワルトルタ/手記/P37
そしてあなたたち諸々の民よ、真理と正義において強者であることを知りなさい。人間の哲学や人間の学説は、すべて金糞で汚染されている。現代のそれらは毒にあふれている。毒蛇を相手にたわむれてはならない。蛇はやがて魅惑から冷めると激しく噛み付き、致命傷を与える。みすみす毒牙にかかってはならない。
わたしに結ばれていなさい。わたしのうちには正義と平和と愛がある。ほかの教説を探し求めてはならない。福音を生きなさい。そうすればあなたたちは幸せになるだろう。わたしによって生き、わたしのうちに生きなさい。あなたたちは肉体的な大きなよろこびは味わわないだろう。わたしはそんなよろこびは与えない。真のよろこびを与える。それは単なる肉のよろこびであるだけでなく、わたしが授け、承認し、共有するのを拒まなかった霊魂のよろこび、誠実で祝福された、聖なるよろこびである。
家族、子供たち、清廉な裕福、穏やかに栄える祖国と、兄弟たちとの国々との好ましい調和。こういったものをわたしは聖なるものと呼び、祝福する。それらによってあなたたちは健康をも享受する。なぜなら誠実に生きられる家庭生活は肉体に健康を与えるからだ。それらによってあなたたちは心の平静を得る。なぜなら誠実に行われた取引や職業は良心の安らぎを与えるからだ。それらによってあなたたちは祖国と国々の平和と繁栄を得る。なぜなら同胞や隣国の人々と好ましい調和のうちに生きることによって、あなたたちは怨恨と戦争を避けるからだ。
3.ベルナデッタ
ベルナデッタ/ルネ・ローランタン著/ドン・ボスコ社/P318
(聖母)
私が約束するのは、あなたをこの世ではなく、あの世において幸せにすることです。
4.サンダー・シング
サンダー・シング/『聖なる導きインド永遠の書』P24
今日、チベットに旅立ちます。危険と困難は十分承知していますが、義務を果たすため最善のことをせねばなりません。神の御恵みの福音を証せよとの主イエスから命じられた使命を全うし、わが生涯を終える歓びに較べれば、わが命は何の価値もありません。6月末にはチベット人クリスチャンを従えて戻ることができればと思っております。 1929.4.18
サンダー・シング/『聖なる導きインド永遠の書』P237
真の奉仕と義務の遂行のためには、わたしの下僕たちは命そのものさえ捧げる用意がなくてはならない。それは、雪の降りしきる厳寒の中で、凍りついて死ぬまで持ち場を離れず、他の見張りたちが暖をとるために持ち場を離れても、まるで銅像のように立ち尽くしたあの忠実な兵士にも似ている。王が来て死ぬまで忠実に立っていたこの兵士をみたとき、王は自分の冠を脱いで兵士の頭にかぶせ、こういった。『このような忠実な兵と下僕こそわが冠の名誉と栄光に相応しい。彼が生きていれば、わが王国の頭に抜擢したろうに』。わたしから託された奉仕においても、わが忠実な下僕たちは同じようにしなければならない。このような信仰と勇気をもって仕事を果たした者たちに、わたしは朽ちることなき不滅の王冠を授ける。
5.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・24・6
見よ、この世では楽しみを味わい、のちの世ではキリストとともに王となるというゆうふうに二重に喜びを得ることは決してできないのである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・7
[2]自分の住居(すまい)を天にこしらえた者は、この世では貧しく、みじめな境遇のうちに捨ておかれた。これはかれらが卑しい貧しい者とされ、自分の翼で飛ぼうとせず、信頼をもってわたしの翼の下に隠れることを学ぶためであった。
[3]誇ることのできるものは、たくさん持つより少なく持つ方が、あなたのためによい。
キリストに倣いて/3・30・6
『父のわたしを愛したもうたように、わたしもまたあなたがたを愛した。』(ヨハネ15・9)とは、わたしが愛する弟子たちに告げたところである。しかしわたしがかれらを遣わしたのは、この世の楽しみを受けさせるためではなくて大いなる戦闘(たたかい)をさせるためであり、名誉を得させるためではなくて侮辱をこうむらせるためであり、怠けさせるためではなくて働かせるためであり、休ませるためではなくて忍耐により多くの果を結ばせるためであった。わたしの子よ、これらの言葉を忘れぬようにせよ。
6.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P72
‘88・11・16
♡ あなたのために食卓を整え、自らの手で、あなたの口に私の食物を運んだ。 あなたの神 私はどれほどあなたを愛するか!!嫉妬せんばかりに愛している!それからあなたに油を注ぎ 私のものとした、あなたを伴侶とし 主人となった、私は恵みであなたを覆い 我が宝石で富ませた、我が十字架、釘と茨の冠を与えたであろう? 伴侶がその愛する者へ これ以上の尊い宝を与えることができようか?
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P130
‘00・10・16
書きなさい、我が言葉に心開くどの心にも、言ってきたように、私は 我が王国を打ち立てる。 死すべき人間が あなたを攻撃するのに用いる暴言を 恐れないように、迫害者たちの激怒を恐れないように。 我が言葉であなたの心を封印し 唇からはミルラの雫を滴らせている 優美に開いて平和を予告し 我が息子娘たちの心に 一致をもたらすように、と。 私ゆえに迫害される者たちに 私の霊が与える、その不屈の精神に 傲慢な者たちを驚嘆させなさい、そして今 そうしているように(*7)、あなたの会うのを避けさせるがよい。 私の日には、今度は、私が彼らを避ける。 彼らがひそかにあなたを窺い あなたを厳しく扱おうと、その厳しさを 謙虚に威厳をもって耐えなさい、こうした尊大な人たちを通し 天国で報われよう・・・・あなたはその苦しみを通し 霊魂たちを眠りから覚まし あるいはこの世に心奪われた霊魂たちを引き上げている。
*7ある司教さま方は、私との面会を求められると、名前を聞くだけで すっかり逆上してしまわれます。
7.中山みき
中山みき
『あんた、苦労したればこそ、神様が分かったやないか。
神が分かれば、これから、どれだけ大きくなるや分からんで、
神のご用に使おうと思うなればこそ、苦労艱難させたのやで』
『出会いに包まれて』藤井明男著、善本社、P209
「天理教の初期の先生の中に、加見平四郎という人がある。兵四郎は、小さい時、母に捨てられ、父に捨てられて、たばこ製造屋へ丁稚奉公に出され、人生の苦労をイヤというほどなめて来た。
明治六年、兵四郎は、妻の難産から天理教に入信し、教祖中山みきに会い、
『神様は、陽気ぐらしをさせるために、人間をおつくりになったと聞かして頂きますが、兵四郎の今日までの生活は、苦労の連続でした。どうして、こんなにいじめ倒されたのでしょうか』と尋ねた。
その時、教祖は
『あんた、苦労したればこそ、神様が分かったやないか。神が分かれば、これから、どれだけ大きくなるや分からんで、神のご用に使おうと思うなればこそ、苦労艱難させたのやで』と仰せられた。
兵四郎は、それ以後、熱心に布教し、たくさんの人を助けた立派な信仰者になった。」
8.デボラ
デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P63
誰も、全てのカリスマを同時に所有することはない。各自に(まことに私の者である人々に)一つの使命が与えられ、各自が自分の悲惨を保ちつつ私の教会の完成のために招かれるのである!
デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻下P162
あなたのために私が選んだ仕事はあなたに好まれるものとなってはならず、非常な喜びをあなたに与えてもいけない。私はそこからも、あなたの苦しみを獲得したいからである。