見えない

 

 

宇宙間の諸地球

 

 

 

 1.霊らが天使たちがいる天界へ昇る時、彼らはたれ一人をも見はしない

 

 

 

 

 

1.霊らが天使たちがいる天界へ昇る時、彼らはたれ一人をも見はしない

 

 

主の聖言―経験から―(静思社『仁慈の教義』に併録)

P106

 

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彼らは以下のことをつけ加えた、即ち、たれ一人自然神学からは霊的な神学へ入ることは出来ないのであり、凡ゆる者は霊的な神学から自然神学へ入ることが出来るのである、それは後の入り方は神の秩序に叶ってはいるが、前のものは神の秩序に反しているためである、なぜなら自然的なものは粗悪で、不純であるに反し、霊的なものは精妙で、純粋であるからである。粗悪で不純なものから精妙で純粋なものへ入ることは与えられてはいないのである。しかし、逆に天使たちはその者たちの下を見下ろして、そこに在る物を凡て認めることが出来るに反し、たれ一人下からは諸天界に在る物を見ることは出来ないのである。実に、天使はその天使自身からは粗雑な霊は認めることは出来るが、しかしその霊はその霊自身からは純粋なその天使を認めることは出来ないのである。それで、しばしば起ることではあるが、このような霊らが天使たちがいる天界へ昇る時、彼らはたれ一人をも見はしないし、また彼らの家さえも見もしないで、そのためその所は人気が無くて砂漠である、と言って、立ち去ってしまうのである。

 

 

 

天界と地獄35

 

この区別のため、一つの天界の天使は他の天界の天使たちの間に来ることは出来ない。即ち、たれも低い天界から昇ることは出来ず、またたれも高い天界から降ることも出来ない。たれでも低い天界から昇る者は不安におそわれて、苦しみさえもし、その近づいて行く者たちを見ることは出来ず、ましてその者たちと話すことは出来ない。またたれでも高い天界から降る者はその知恵を奪われ、言葉がもつれ、絶望してしまう。天界は天使たちの内部にあることを未だ教えられていないで、高い天使たちの天界へ入りさえするならば、高い天界の幸福の中へ入るであろうと信じていたところの最低の天界から来ている若干の者が彼らの間に入ることを許された。しかしそのとき彼らは、いかほど探してみても、非常に多くの者が[彼らのまわりに]いたにも拘らず、その誰一人も見なかったのである。なぜならその外来者たちの内部はそこにいる天使たちの内部と同じ度に開かれておらず、従って彼らの視覚も開かれていなかったからである。まもなく彼らは自分たちは生きているのか、いないのか、殆ど分からないほどの心の苦悶に襲われた。それでも彼らは大急ぎでその後にしてきた天界へ、自分たちに似た者たちの間へ再び来たことを喜び、自分たちの生命に和合した物以上の物を自分たちは今後決して求めはしないと約束したのである。私はまた若干の者が高い天界から降ろされて、その知恵を奪われ、遂には自分自身の天界のいかようなものであるかが分らなくなってしまったのを見たのである。しばしば行なわれることではあるが、主が低い天界から天使たちを引き上げられて、高い天界へ入れられ、これにそこの栄光を見させられるときは、こうしたことは起こらない。なぜならそのときは彼らは先ず準備をして、中間の天使たちにつきそわれ、その天使たちを通して、その仲間となる者たちと連なるからである。これらの事からその三つの天界は相互に極めて明確に区別されていることが明らかである。

 

 

 

天界と地獄209

 

低い諸天界から高い諸天界へ流入することは出来ないが―なぜならこれは秩序に反しているから―高い諸天界から低い諸天界へ流入することは出来るのである。高い天界の天使たちの知恵はまた低い天界の天使たちの知恵に、万が一にまさるようにもまさっている。これがまた低い天界の天使たちは高い天界の天使たちと話すことが出来ない理由であり、彼らは彼らの方を眺めても、彼らを見ず、その天界は頭上に雲のように現れている。しかし高い天界の天使たちは低い天界の天使たちを見ることは出来るが、彼らと話をかわすことは許されておらず、前に述べたように、話をかわせば、必ずその知恵を失うのである。

 

 

 

天界と地獄210

 

 最も内なる天界の天使たちの思考と情愛は、またその言葉は、真中の天界では決して認めるられない、なぜならそれらはそこに在るものをはるかに超越しているからである。しかし主が良しとされるときは、彼らのもとから低い諸天界に焔のような物が現れ、真中の天界に在る思考は最低の天界では光のようなものとして、時には色々な色彩をもった輝いた雲として現れる。その雲、その雲の上昇、下降、形から、彼らの話していることが多少また知られている。

 

 

 

 

神の愛と知恵179

 

 愛と知恵においては第三の天界の天使は第二の天界の天使に遥かにまさり、第二の天界の天使は最低の天界の天使に遥かに勝っているため、彼らは共にいることは出来ない。愛と知恵の度が彼らを区別し、分離しているのである。低い天界の天使は高い天界の天使の許へ昇ることは出来ず、あるいはもし彼らが昇ることを許されるにしても、その高い天使を見ないし、またはその周囲にある如何なる物も見ないことはそこから生まれている。高い天使の愛と知恵は高い度に属して、低い天使には認識されることは出来ないため、彼らは彼らを見ないのである。何故なら天使各々はその者自身の愛とその者自身の知恵であり、そして愛自体、知恵自体である神は人間であられるため、知恵と結合した愛の形は人間であるからである。第三の天界の天使の許へ昇った最低の天界の天使を私は時折見ることを許されたが、彼らはそこにつくと、自分たちには誰一人見えないと呟くのを聞いたのである、しかも、彼らはその間、その高い天使たちの真中にいたのである。後になって彼らは、その天使たちの愛と知恵とは彼らには認識できないものであったため、その天使たちは彼らには見えなかったのであり、愛と知恵が天使を人間として現すものであることを教えられたのである。