貧しい者

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグより

3.トマス・ア・ケンピスより

4.ヴァッスーラより

 

 

 

1.聖書

 

 

詩篇25・9

 

裁きをして貧しい人を導き

主の道を貧しい人に教えてくださいます。

 

 

 

マタイ5・3

 

心の貧しい人々は、幸いである、

天の国はその人たちのものである。

 

 

 

ルカ6・20

 

さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

「貧しい人々は幸いである、

神の国はあなたがたのものである。」

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義5008

 

 自分自身を貧しいと呼ぶ者の凡てが貧しいというわけではない。貧しい者の間には最も邪悪な生活をして、神も人間も恐れず、恐怖により抑制されないかぎり、凡ゆる無法にも突入する者もいるのである。さらに聖言の「貧しい者」によっては、精神的に貧しくて、自分は自分自身からは善と真理とを何一つ持っておらず、凡ゆる物は無代価の賜物により自分に与えられていることを心で知り、告白する者たちが意味されているのである。

 

 

天界の秘義9209(4)

 

 聖言を持っておらず、かくて主については何ごとも知ってはいないものの、教えられようと渇望している者たち。

 

 

天界の秘義9209(4)

 

 あなたたちは行って、ヨハネにあなたたちの見聞きしたことを告げなさい。目しいは見、足なえは歩き、らい病人は清められ、耳しいは聞き、貧しい者には福音が説かれている、と。(ルカ7・20−22)

 

これらの言葉は外なる人のために話されたと同時に、内なる人のためにも話されたのであり、すなわち、外なる人のためにはこうした奇跡が行われていると話され、内なる人のためには、霊的な意義で目しいであり、足なえであり、らい病人であり、耳しいであり、貧しい者たちである者たちの間に、かくて善と真理には無知ではあるものの、それを渇望している異邦人の間に教会が建設されつつあると話されたのである。なぜなら真理には無知な者たちは「目しい」と呼ばれ(6990)、善の中にはいるが、真理を知らないため、純粋な善の中にはいない者たちは「足なえ」と呼ばれ(4302)、不潔ではあるものの、清められようと渇望している者たちは「らい病人」と呼ばれ、信仰の真理を認識していないため、その中にいない者たちは「耳しい」と呼ばれ、聖言をもっておらず、かくて主については何ごとも知ってはいないものの、教えられようと渇望している者たちは「貧しい者」と呼ばれるからである。従って「これらの者に福音を宣べ伝えなくてはならない」と言われているのである。

 

 

天界の秘義9209(5)

 

「貧しい者と乏しい者」により、内意では、教会の外にいて、聖言を持っていないため、真理には無知であるものの、教えられることを切望しており、その知っている真理により僅かな善の中にいる者たちが意味され、また教会の内にいるが、色々な原因のために真理を知ってはいないが、それでも若干の善のために真理を渇望している者たちが意味されている記事から明白である。例えばダビデの書には、

 

わたしは貧しく乏しい。ああ神よ、いそいでください、ああ、エホバよ、わたしの助けよ、わたしを解放される方よ。(詩篇70・5)

 

これらの言葉は、貧しくも乏しくもなかったダビデにより話されたのであり、そこから霊的な貧しさと困窮とが意味されていることが明白である。

 

僅かな善の中にしかいないで、悪と誤謬にとりつかれて悩まされている者たち。

 

 

天界の秘義9209(2)

 

 貧しい者と乏しい者とに益を与えなくてはならないと聖言に再三言われている。外なる真理の中にいて、未だ内なる真理へ入れられていない者たちは、何らかの種類の助けを必要としている者には凡て、とくに自分自身を他の者より貧しいと呼んでいる乞食に益を与えなくてはならないと信じている。このことを、そのように命じられているため、服従から行う者らの行為は正しいのである。なぜならこの外なるものによりかれらは仁慈と慈悲の内なるものを徐々に教えこまれるからである。仁慈と慈悲との内なるものは、益をあたえられねばならない者らはたれであり、またいかような性格をもっているかを、またいかように各々の者にそれを与えなくてはならないかを明らかに見分けることに在るのである。徐々についに仁慈と慈悲の内なるものを教えこまれる者たちは以下のことを知るのである。 すなわち、この内なるものそのものは内なる人に善かれと欲し、また善かれと行動し、かくて霊的な生命に貢献するものをもってそのように行動はするものの、それでもその外なる人が益を受けるとき、同時に内なる人もまた益を受けるようにとの慎重さをもって行動することに在るのである。なぜなら外なる人には良く行動はするものの、内なる人には悪く行動する者は仁慈を行いはしないのであり、それで一方が行われるときは、他方のこともまた顧慮しなくてはならないからである。

 

 

霊界日記4583小

 

貧しい者とは善と真理とを求めて飢え、渇き、自分たちには、もし善と真理とがあるにしても、それは極めて乏しいものであることを知っている者たちであり、かれらはまた金と銀とを望みもしないで、それらは自分たちには過ぎたものであると考え、銅と鉄とを望むが、そうしたものもまたかれらに与えられるのである。

 

 

3・トマス・ア・ケンピス

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・7・2(P202)

 

自分の住居(すまい)を天にこしらえた者は、この世では貧しく、みじめな境遇のうちに捨ておかれた。これはかれらが卑しい貧しい者とされ、自分の翼で飛ぼうとせず、信頼をもってわたしの翼の下に隠れることを学ぶためであった。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・7・3(P203)

 

 経験者の言葉を信じないで、自分の意見ばかりに従い、あくまで自説を捨てようとしないならば、その結果ははなはだ危険である。

 自分を賢いと心得ている人が、謙遜に他人の指図を受けるなどということはめったにない。

 あまり学問がなく、理解力に乏しくても、謙遜であれば、知識の宝を多く有してうぬぼれている人よりもずっとよい。

 誇ることのできるものは、たくさん持つより少なく持つ方が、あなたのためによい。自分がもと霊的に貧しい者であったことを忘れ、こうむった恩恵を失うことを恐れる、主に対する清い敬畏の念を打ち捨てて、まったく快楽に溺れるのは、分別のある者のすることではない。

 

 

4.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P149

 

私のわざが表に現われるためには途方もない心の貧しさが必要です。

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P232

 

‘99・1・1

 

主よ、私の意志を そして

み名にいっそうの栄光となるすべてをお捧げします。

あなたは 私の王的な宴。

 

貧しい者たちのもとに 食物を運び与えるのを 私どもは悦んでいる。我が心のそば近くにいてその鼓動に聞き入りなさい・・・・ic

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P241

‘02・8・7

 

最も貧しい者たちが私の言葉に歓喜し、身分の低い者たちが引き上げられよう。 あなたの救いは 回心と平静さのうちにある。 私のもとに戻って来なさい、あなたを慈しもうと 私はひたすら待っている・・・