ルシファー

 

 

人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ(創世記8・21)

だれも、二人の主人に仕えることはできない。(マタイ6・24)

自己愛悪魔悪霊サタン

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

イザヤ14・12−15

 

ああ、お前は天から落ちた

明けの明星、曙の子よ。

お前は地に投げ落とされた

もろもろの国を倒した者よ。

かつて、お前は心に思った。

「わたしは天に上り

王座を神の星よりも高く据え

神々の集う北の果ての山に座し

雲の頂に登って

いと高き者のようになろう」と。

しかし、お前は陰府に落とされた

墓穴の底に。

 

 

エゼキエル28・1−10

 

主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。お前はダニエルよりも賢く、いかなる奥義もお前には隠されていない。お前は知恵と悟りによって富を積み、金銀を宝庫に蓄えた。お前は取り引きに知恵を大いに働かせて富を増し加え、お前の心は富のゆえに高慢になった。

 

それゆえ、主なる神はこう言われる。お前は自分の心が神の心のようだと思い込んでいる。それゆえ、わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。彼らはお前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、お前の栄華を汚し、お前を陰府に突き落とす。お前は海の真ん中で切り倒されて死ぬ。お前は自分を殺す者の前でもなお、『わたしは神だ』と言い張るのか。お前は人であって、神ではなく、切り倒す者の手にある。お前は割礼のない者として、外国人の手にかかって死ぬ。まことにわたしがこのことを語った」と主なる神は言われる。

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義254

 

『蛇の裔』により不誠実[不信仰]そのものが意味されていることは『蛇』の意義が悪そのものであることから明白である、『裔[種、精]』は生み出し、生み出されたもの、または生み、生まされたものであり、ここでは教会が語られているため、これは不誠実[不信仰]である。イザヤ書には、ユダヤ教会の歪められた状態に言及し、それは『悪を行う者の裔』『不義の[姦淫の]』『虚偽の裔』と呼ばれている―

 

  禍いなるかな、罪に満ちた国民、不法を負うた民、悪を行う者の裔、破り害う息子ら。彼らはエホバをすて去った、彼らはイスラエルの聖者を怒らせた、彼らは自らを引きはなして、後へ退いた(1・4)。

 

 さらに―

 

 女魔法使いの子らよ、姦淫を行う者の裔よ、ここへ近よりなさい、おまえらは咎を行う子ら、虚偽の裔ではないか(57・3,4)。

 

 さらにそこにはルシファと呼ばれている『蛇』または竜が語られている―

 

 おまえはおまえの地を腐敗させ、おまえの民を殺してしまったため、忌みきらわれる枝のようにおまえの墓の外に投げすてられた、悪を行う者の裔はとこしえに呼ばれはしない(14・19、20)。

 

 

天界と地獄544

 

地獄を支配している一人の悪魔がいて、彼は光の天使として創造されたが、叛いた後、その一味とともに地獄に投げこまれたと世に信じられている。こうした信念が一般に広まっているのは、聖言に悪魔や魔鬼のことが、またルシファ[魔王]のことが記されていて、その記事では聖言が文字の意義に応じて理解されてきたためであるが、しかしこの悪魔と魔鬼とにより地獄が意味されているのである、すなわち、悪魔(デビル)により、背後に在って悪い魔鬼と呼ばれている最悪の者の住んでいる地獄が意味され、悪鬼により、前面に在って、そこに住んでいる者らは悪い魔鬼ほど邪悪ではなくて、悪い霊と呼ばれている地獄が意味され、ルシファにより、バベルまたはバビロンに属していて、己が支配を天界にまでも延ばしている者らが意味されているのである。諸々の地獄を服従させている一人の悪魔は決していないこともまた以下により明らかである。すなわち地獄にいる者はすべて、天界にいる凡ての者のように、人類から来ており(311−317)、そこにいる者らは、創造の始めから現在まで、巨億の数に達しており、その中の各々は世で神的なものに反抗した度に応じて悪魔となっているのである(このことについては前を参照されよ、311−312)。

 

 

天界の秘義4738[2]

 

さらにこの真理については古代教会はそれを承認し、また原始基督教会もそれを承認したことを知らなくてはならない、しかしイザヤ書にバビロンの王について、『おまえは心の中で、わたしは天に昇り、わたしの王座を天の星の上にも上げ、集会の山に坐り、雲の高い所の上にも昇り、至高者のようにもなろうと言った』と言われているように、法皇権が全人類の霊魂を治める主権にさえ至るまでも昂進して、それ自身を高めてしまった後では、主の人間的なものからは神的なものは取り去られてしまったのであり、すなわち、主の神的なものと主の人間的なものとが区別されたのである。

 

 

天界の秘義7375

 

 この二つの愛は、それがほしいままにされるに応じ、またその人間がその愛の中へ拉し去られるに応じて増大し、遂には法外に増長して、自分自身の国の一切の物のみでなく、その外に在る物をも、実に地の端までも支配しようと欲し、否、この愛は、拘束されない時は、宇宙の神のもとへさえも昇るのであり、即ち、この愛に取りつかれた者は神の玉座までも登って、神御自身に代って拝されようと欲するほどの高さにまで昇るのである、このことはルシファについてイザヤ書に記されており、ルシファとはこうした愛の中にいる者らのことであって、『バベル』と呼ばれているのである―

 

 おまえはその心の中で言った、私は諸天へ昇ろう、私は神の諸々の星の上までも私の王座を上げよう、私は北の側の、集会の山に坐ろう、私は雲の高根の上にも昇って、至高者のようにもなろう、と。が、おまえは地獄へ投げ落とされるであろう(イザヤ書4・13−15)。

 

 

3.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7P160

 

 ああ・・・ヴァッスーラ、どれほどこの時代を深くうれいているか。 荒野にいる彼らに手を伸ばし、そのしおれた霊魂を生き返らせようと やって来た、だが私の救いの手が 全く見えないようだ・・・来なさい、心やさしい娘よ、私の名によって預言し 新しい契約について私の民に伝えなさい、私ども二つの心が槍でつらぬかれる日が再び来ると。 敵は我が聖所、祭壇と聖櫃を荒らし 彼らの死にいたる忌むべきものを打ち立てよう。 国ぐにが存在しはじめて以来 比類ないほど大きな悲嘆の時代が来る。 彼らは力と陰謀によって我が家を襲う。 反逆はすでに進行しているが、おもて立ってはいない、そして反逆者が おおやけに我が聖所を冒涜するには、それを抑えている人をまず取り除くしかない。 ああ 反逆者のおだてに乗って なんと多くの人が倒れよう!しかし私自身の者たちは足場をゆずらず、むしろ、私のためにいのちを投げ出す。目に涙して、言っておく:「あなた方は、我が民よ、火によってこの侵入者に試されよう・・・」彼の包囲網はすでに世界を包囲しかかっている。

 

 ライオンはねぐらを離れた・・・このたびは聴いて理解しなさい:侵入者は学者、この学者たちは野獣につき従い 私の神性、復活と我が伝統を否定する。 彼らは聖書でこう言われている者たち:「お前の心は高慢になり、そして言った。<私は神だ。私は海のまん中にある神々の住み家に住まう>と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ自分が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ・・・」(エゼキエル書28・1−2)今日、娘よ、私は封印されていたこれらの秘密を 書きおろすことのできる心、二心ない心を見いだした、その秘密は今や必ず成就するがゆえ。

 

 

4.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P37

 

 呪われたものたちよ、わたしが恐ろしい死の雷であなたたちを打つ前に台座から降りて来なさい。せめて、獲物に飽き、死ぬために巣穴に戻る獣のように果てるがよい。わたしが、あなたたちの霊魂ではなく、あなたたちの野獣の体を罪滅ぼしのために引き渡し、また大勢の人々の嘲笑と、あなたたちが今、虐待している人々の虐待の中で死なせるのを、地獄の神々のためのあなたたちの台座の上で待っていてはならない。わたしの憐れみにも限界がある。これを憶えておくがよい。神を猿真似する者、ルシフェルのようになる者にかける情けはないのだ。