結婚愛

 

結婚

 

 

 

 

1.天的な社会はことごとく婚姻愛[結婚愛]に基礎づけられており、その愛から善良な愛と情愛とが凡て発生しており、かくて彼らは無垢に基礎づけられている

2.凡ゆる用の中でも最大のものであるため、それはその中にそれが天界の幸福そのものとなっているほどの歓喜を持っている

結婚愛は善と真理との神的な結婚から発し、かくて主御自身から発している

3.結婚愛は決して分割されることはできない

4.結婚愛は善と真理との神的な結婚から発し、かくて主御自身から発している

5.天界の祝福と幸福とはその愛の中にあり

 

 

 

 

 

1.天的な社会はことごとく婚姻愛[結婚愛]に基礎づけられており、その愛から善良な愛と情愛とが凡て発生しており、かくて彼らは無垢に基礎づけられている

 

霊界日記2705

「これらの者らについて私はその際霊たちと話し合い、以下のことを知らされた、即ち、こうした者らは他の霊たちの間では容赦はされないで、彼らの社会から糞尿のように斥けられてしまい、そのこともまた自然的なものと霊的なものと天的なものとの秩序の法則から確認されて流れ出ており、そのことについて彼らはまた私と話したのである、なぜなら天的な社会はことごとく婚姻愛[結婚愛]に基礎づけられており、その愛から善良な愛と情愛とが凡て発生しており、かくて彼らは無垢に基礎づけられているのである。こうした輩はその欲念をもって無垢の原理のみでなく、愛の原理をも破壊しようと躍起になるのである、なぜならこれらの者は婚姻愛の凡てに全く対立して、これを憎悪するのみでなく、また無垢にも対立して、それを殺すほどに害うからであり、更に彼らは婚姻愛に浸透することが出来る無垢な者たちを後には娼婦として生きるようにしむけてしまい、かくて彼らは内的な性質の殺人者である、なぜなら愛の最初の花は処女を婚姻愛へ導き入れて、夫と妻の心を連結させるものであるからである。霊たちはこうした事柄について私と話したのである。」

 

 

 

霊界日記2706

「さらに私は以下のことを話された、即ち、こうした欲情とこうした欲情を実際にやってのけることは聖霊に対する罪により理解されるものである、なぜなら天使たちの聖さは、すでに言ったように、婚姻愛に、また無垢に基礎づけられており、婚姻愛と無垢とは凡ゆる霊的な、また天的な愛と善の情愛との原理であり、こうした欲念[色情]は聖さの原理に反しているため、それでこうしたものが聖霊に対する罪により主として理解されるものである。」

 

 

 

2.凡ゆる用の中でも最大のものであるため、それはその中にそれが天界の幸福そのものとなっているほどの歓喜を持っている

 

天界の秘義997〔2〕

 

 快楽の凡ても同様であり―その用が高貴なものであるに応じ、その歓喜も更に大きくなっている。例えば、結婚愛の歓喜(について考えてみよう)。この愛は人間社会の苗床であり、またそのことにより諸天界における主の王国の苗床であり、それは凡ゆる用の中でも最大のものであるため、それはその中にそれが天界の幸福そのものとなっているほどの歓喜を持っている

 

 

 

3.結婚愛は決して分割されることはできない

 

天界の秘義1907

 

 結婚愛は決して分割されることはできない。数人の者の間に分割された愛は結婚愛ではなくて、淫欲[好色]の愛である、この主題については、主の神的慈悲の下に後に述べよう。

 

 

 

4.結婚愛は善と真理との神的な結婚から発し、かくて主御自身から発している

 

 

天界の秘義2727−2759

 

結婚について、それが天界でいかように認められているかについて、また姦淫について

 

 

 

天界の秘義2727

 

 純粋は結婚愛はいかようなものであるか、それはどこから発しているかを、今日では僅かな者しかその中にいないという理由から、僅かな者しか知っていない。殆どすべての者はそれは生来具わっており、それで、それは、彼らが言っているところでは、一種の自然的な本能から流れ出てくると信じていて、しかもそれは動物の間にもまた結婚のようなものが存在しているため、更に甚だしくなっているものの、人間の間の結婚愛と動物の間の結婚に属しているものとの間の相違は人間の状態と獣の状態との間の相違に似ているのである。

 

 

 

天界の秘義2728

 

 そしてすでに言ったように、現今では僅かな者しか純粋な結婚愛とは何であるかを知っていないため、それを私に明らかにされたことから記してみよう。結婚愛は善と真理との神的な結婚から発し、かくて主御自身から発しているのである。結婚愛はそこから発していることは感覚には明らかではなくまた明らかに把握されもしないが、それでもそれは聖言のみでなく、流入からも、また相応からも認めることが出来よう。流入からは、天界は主から流れ入っている善と真理との結合から結婚に譬えられて、結婚と呼ばれているためであり、相応からは、真理に結合した善が低いスフィア[領域]の中へ流れ入る時、それは心の結合を形作り、さらに低いスフィア[領域]の中へ流れ入る時、結婚を形作り、それで主から真理に結合した善から心が結合することは結婚愛そのものであるためである。

 

 

 

 

5.天界の祝福と幸福とはその愛の中にあり

 

 

天界の秘義2729

 

 純粋な結婚愛はそこから発していることは、以下の事実から認めることが出来よう。即ち、たれ一人主から真理の善と善の真理との中にいない限り、その結婚愛の中にいることは出来ないのであり、またそのことは以下の事実からも認めることが出来よう。即ち、天界の祝福と幸福とはその愛の中にあり、そしてその愛の中にいる者たちはことごとく天界の中へ、また天界の結婚の中へ入ってくるのである。またそれは以下の事実からも認めることが出来よう。即ち、天使たちが善と真理との結合について話し合っていると、その時低いスフィア[領域]の中にいる善良な霊たちの間には結婚を表象するものが示されるが、しかし悪霊の間には姦淫を表象するものが示されるのである。ここから聖言には善と真理との結合は『結婚』と呼ばれているが、しかし善の不善化と真理の誤謬化とは『姦淫』と『淫行』と呼ばれているのである(2466番参照)。

 

 

 

天界の秘義2730

 

 この地球の上ではとりわけ最古代教会の人々は純粋な結婚愛の中に生きたのである、なぜなら彼らは天的なものであり、善から真理の中におり、天使たちとともに主の王国の中におり、その愛の中に天界を持っていたからである。しかし彼らの子孫のもとでは教会は衰えてしまって、彼らはその子供を愛しはしたが、その配偶者を愛しなくなり始めたのである。なぜなら子供は悪い者によっても愛せられることは出来るが、配偶者はただ善良な者によってのみ愛されることが出来るからである。

 

 

 

天界の秘義2732

 

 私はこの相互性と交互性との性質について天使たちと語ったが、彼らは以下のように言ったのである。即ち、一方の者の像とその一方のものの形に似た形とが他方の者の心の中にもあり、かくては彼らは単に個々のものの中のみでなく、また生命の最も内なるものの中でも共になって住んでおり、このような一つのものの中へ主の愛と慈悲とが祝福と幸福とをもって流れ入ることが出来るのである。彼らはまた以下のように言った。即ち、身体の生命の中でこのような結婚愛の中に生きた者たちは天界では天使として、ときとしてはまたその子供たちとも一緒になって、共になり、また共に住んでいるが、しかし天的なものであった最古代教会から来ている者はすべてそのように生き、また霊的なものである古代教会から来ている多くの者もそのように生きてはいるものの、現今の基督教国から来ている者はその極めて僅かな者しかそのようには暮らしてはいないのである。しかし結婚愛ではなくて、好色愛により結ばれて、結婚生活をした者たちは、好色は些かも天界では容認されないため、他生では引き離されてしまうのである、ましてや、互いにうとんじあって生活した者は引き離されてしまい、さらにまして互いに憎み合って生活した者は引き離されてしまうのである。二人の者が先ず他生に来ると、その大半は再び会うが、しかし非常な苦しみの後で引き離されてしまうのである。

 

 

 

天界の秘義2734

 

 身体の生命の中で純粋な結婚愛から結婚における幸福をもった者たちは他生にもまた幸福を得、かくて彼らのもとではその一方の生命の幸福は他方の生命の幸福へと続いて、そこでは心の結合となり、その結合の中に天界が存在するのである。私はそこから発してくる幾多の種類の天的な幸福と霊的な幸福は、単にその最も全般的なものですら、数えることも出来ないものであることを告げられたのである。

 

 

 

天界の秘義2735

 

 純粋な結婚愛は天界の映像であり、それが他生の中で表象される時は、それは決して目では見られることが出来ない、心でも考えつくことが出来ないほどにも美しいものにより行われるのである。それは輝いた雲に取り囲まれた、言うに言われぬほどにも美しい処女により表象され、それでそれは美そのものの本質と形であると言うことが出来よう。他生における美はことごとく結婚愛から発していると言われているのである。結婚愛の幾多の情愛と思考とは謂わばルビーと紅玉にきらめき輝いている金剛石のような大気により表象され、これらのものには心の最も内なる部分をも感動させる歓喜が伴っているが、しかし何か好色が入ってくるとすぐにも、それは消滅してしまうのである。

 

 

 

天界の秘義2736

 

 私は純粋な結婚愛は無垢それ自身であってそれは知恵の中に宿っていると告げられたのである。結婚愛に生きた者たちは天界では他の凡ての者にもまさって知恵の中にいるが、それでも彼らは他の者から観察される時、花と春の年頃の小さな子供のようにも見え、そのとき起ってくるものは何であれ彼らには楽しさと幸福である。彼らは無垢の天界と呼ばれている最も内なる天界にいるのである。この天界を通して主は結婚愛に流れ入られており、その天界から来ている天使たちはその愛の中にいる者たちのもとに現存しているのである。彼らはまた最も幼い年頃の小さな子供たちのもとにも現存しているのである。

 

 

 

天界の秘義2738

 

天界の中に在るような相互愛は結婚愛には似ていない。結婚愛はその一方の者の生命の中に一つのものとして在ることを欲することに在るのであるが、しかし相互愛は、子供に対する親の愛の場合のように、また自分自身のために善を行うことを愛するのでなく、それが自分に喜びであるために、善を行う愛の中に在る者たちの愛のように、自己よりも他の者に善かれと願うことに在るのである。このような天使的な愛は結婚愛から派生しており、子供が親から生まれるように、そこから生まれており、そうした理由からそれは子供たちに対し親のもとに存在している。この愛は、たとえ両親が結婚愛の中にいないにしても人類が死滅しないために、主により両親のもとに保存されているのである。

 

 

 

天界の秘義2742

 

 結婚愛に似たようなものが若干の者のもとに見出されているが、しかし彼らが善と真理とを求める愛の中にいない限り、それはその結婚愛ではない。それは結婚愛のように見える愛ではあるが、しかしそれは世または自己への愛のためであり、すなわち、家で仕えられるためであり、あるいは安全にまたは気楽にいるためであり、あるいは病んだ時また年老いた時仕えてもらうためであり、あるいはその愛する子供たちの世話をしてもらうためである。ある者のもとではこの愛のように見えるものは配偶者を恐れる心から、または自分の名声のために、または不幸を恐れる気持ちから生まれており、ある者のもとでは好色的な愛から生まれている。これは最初の期間は恰も結婚愛であるかのように見えるのである。なぜならその時は彼らは一寸無垢のようなものをもって振舞い、小さな子供のように戯れ、天界から来ているものを認めるように、喜びも認めもするからであるが、しかし時が進むにつれて、彼らは結婚愛の中にいる者のように、益々密接に接合するようにはならないで、分離して行くのである。結婚愛もまた配偶者たちのもとでは異なっていて、その片方の者のもとでは他方の者のもとよりも多くあり、または少なくなっており、他方の者のもとでは少ししかないか、または全然無くなっているのである。こうした相違のために一方の者には天界が在りうるが、しかし他方の者には地獄が在りうるのである。情愛と受容とがこれを決定するのである。

 

 

 

天界の秘義2745

 

 自分の夫を愛していないで、これを軽蔑し、遂にはこれを何ら顧みない女どもがいる。彼らの性質は、雄鶏、山猫、色の浅黒い虎により私に表象されたのである。このような者は初めはしゃべりまくるが、それから罵り、遂には虎の性質をつけると言われた。このような者でも以前自分の子供は愛していると言われたが、しかしこのような愛は人間的なものではなくて、それは同じように悪い者にも流れ入っており、いかような種類の動物であれ、その動物の中にすらも流れ入っていて、しかもそれがこれらのものもまた自分自身にも勝って自分の子供たちを愛している程にもなっていると答えられたのである。このような人物には結婚愛は些かも無いことが言い加えられたのである。

 

 

 

天界の秘義3246[]

 

アブラハムとヤコブの場合のみでなく、またその子孫の場合でも、例えばギデオン(士師記8・31)サウロ(サム後3・7)ダビデ(サム後5・13、15・16)、ソロモン(列王記前11・3)の場合のように、かの古代人は妻の他に妾を得たことは、表象のために、すなわち、妻により天的な教会を、妾により霊的な教会を表象するために、許されたのである、こうしたことが許されたのは彼らは何ら結婚愛を持っていない底のものであり、彼らには結婚も結婚ではなくて、単に子孫を得るために、肉の結合に過ぎなかったためである。こうした者はそれを許されても、それは結婚愛を、従って、その契約を害いはしないのであるが、しかし善と真理との中にいて、内なる人であり、または内なる人になることが出来る者たちにはそれは決して許されはしないのである、なぜなら人間は善と真理との中におり、内なるものの中にいるとすぐに、そのようなことは止んでしまうからである。そうした理由から基督教徒には妻とともに妾を得ることは、ユダヤ人に許されたようには、許されてはいないのである、なぜならこれは姦淫であるからである。霊的な者は主の神的な人間的なものにより子とされたことはその同じ主題について前に述べもし、また示しもしたことから認めることができよう(2661、2716、2833、2834番)。

 

 

 

天界の秘義3875[7]     レビ

 

結婚愛もまた『離れない[密着する]こと』により表現されていることが以下の記事から明らかである―

 

それで男はその父と母とを離れて、その妻に密着しなくてはならない、彼らは一つの肉とならなくてはならない(創世記2・24)。

あなたたちの心が頑なであるためにモーセはこの誡命を書いた、が、創造の初めから神は彼らを男と女とに創造られたのである、それで男はその父と母を離れて、その妻に密着しなくてはならない、彼ら二人は一つの肉とならなくてはならない、それで神が共に結合されたものを人は分離してはならない(マルコ10・5−9、マタイ19・5)。シケムの魂はヤコブの娘デナを離れなかった、[デナに密着した]彼はその乙女を愛し、その乙女の心に語った(創世記34・3)。ソロモンは多くの他国の女を愛した、ソロモンは愛の中に彼らを離れなかった[彼らに密着した](列王記上11・1,2)

 

 この凡てから今や『離れない[密着する]』ことは愛の言葉であり、古代教会により受け入れられて用いられたことが―その教会は表意的なものの中にいたのであるが―また内意ではそれは仁慈と愛であるところの霊的な連結以外の何ものをも意味していないことが明白である。

 

 

 

結婚愛37

 

愛はそれ自身において観察されるならば、連結を求める願いとそこから発してくる努力以外の何ものでもなく、結婚愛は連結して一つのものになろうと求める願いとそこから発してくる努力以外の何ものでもない。

 

 

 

天界の秘義3942

 

それで純粋な結婚愛は善と真理の中におり、かくて共に天界的結婚の中にいる者たちのもとにしか在りえないのである。

 

 

 

天界の秘義4145[3]

 

 また一例として結婚愛を考えてみられよ、先行して、浸透してくる善は美であり、または作法の快さであり、または一方が他方に対し外的に(自らを)適応させることであり、または境遇が等しいことであり、または好ましい境遇である。これらの善が婚姻愛の最初の媒介的な善である。その後で心の連結が生まれるのであり、その中では一方は他方のように意志し、他方を喜ばすことを行なうことの中に歓喜を認めるのである。これは第二の状態であり、その時は前のものは、依然現存はしているものの、もはや顧みられはしないのである。最後に以下の点で天的な善で霊的な真理との方面で一方の者は他方の者のように同じ善に感動するのである。こうした状態が来ると、両方の者は共に善と真理との結婚である天界的結婚の中にいるのであり―なぜなら結婚愛はそれ以外のものではないからである―主はその時その両方の者の情愛の中へ一つの情愛の中へ流れ入られるように流れ入られるのである。これが直接に流れ入ってくる善であるが、しかし前の善は間接的に流れ入ったのであり、それを導入する手段として仕えたのである。

 

 

 

天界の秘義4992

 

色情のみから妻と連結することは、霊的なものでない自然的なものであるが、しかし婚姻愛から妻と連結することは霊的な自然的なものであり、夫がその後色情のみから連結する時は、彼は、淫猥なことを為す者のように自分は罪を犯していると信じるのであり、それゆえ彼はそのことが仮にも彼のものとされることを最早願いはしないのである。

 

 

 

霊界日記6051(12)

 

 それで結婚した配偶者を愛することは、主の眼前で善を行うことである、なぜならそれはかくて、貞潔から、主を愛することであるからである。そのことは諸天界と交流し、天使たちの霊魂を、信じることも出来ないほどにも、歓ばせるのである。

 

 

 

霊界日記6051(13)

 

 一種の性交もまた在り、それは貞潔から発出している時は、かの愛の結果であるからには、天界を最高度に歓ばせるのである。それに反し、それが姦淫から発しているに応じ、彼らを苦しめるのである。

 

 

 

霊界日記6055

 

 婚姻愛の中にいる人間たちは、その欲する度毎にその妻との性交を楽しむことが出来るという状態におり、その身体の凡ゆる部分はその愛の中に在るからには、その能力は決して衰えはしないのであり、性交の後では、彼らは楽しさを覚えて、決して気落ちすることは無く、そのことにより元気づけられはするが、しかしその反対のことが、姦淫を犯している者らのもとに起るのである。

 

 

 

霊界日記6055(2)

 

 夫の愛は妻の愛に依存しており、妻がそうしたことを愛するに応じて、その夫も愛するのである。婚姻的なものでない愛の中にはその逆のことが行われる。その理由は前の者は一人であって、内部の方面では連結しているためであり、そのことが彼らは二人ではなくて、一人の肉〔者〕であることにより意味されている。

 

 

 

霊界日記6055(4)

 

たれ一人、霊的な者でなくては、また主を承認しなくては、婚姻愛の中にいることは出来ない、なぜなら婚姻愛の究極の原因は主が天界とまた教会と結婚されていることから発しているからである。このことがその神的な霊的な起原である。

 

 

 

霊界日記6055(7)

 

 婚姻愛の中には好色は全く何一つ存在しない、それは外部では類似してはいるものの、内部では類似してはいない。

 

 

 

 

天界と地獄386

 

 結婚愛の楽しさは天界へ進み、姦淫の楽しさは地獄へ進むことも私に示された。天界に向って結婚愛の楽しさが進むのは絶えず益々祝福と幸福との状態へ入って行くことであり、その楽しさは遂には無数の言語を絶したものとなり、遂には最も内なる天界の、または無垢の天界の祝福と幸福との状態そのものへすら進み、しかもそれが最も完全な自由を通して行われたのである。なぜなら自由は凡て愛から発し、かくて最も完全な自由は、天界の愛そのものである結婚愛から発しているからである。しかし姦淫は地獄に向って進み、徐々に、凄惨な戦慄すべきもの以外には何物もない最低の地獄にさえ進んだのである。こうした運命が姦通者をその世の生命の後に待っている。姦通者により姦通の中に楽しさを認めて、結婚に何ら楽しさを認めない者が意味されている。

 

 

 

 

霊界日記5830

 

 或る一つの地獄から来ている者らが、そこから他の地獄へ移されるために、数百の数に至るまでも送り出され、その際その性質に従って行動することが彼らに許された。たちまし、彼らは、幻想により、高い所へ登り、そこから見下ろし、何処であれ、結婚愛が在る所で、その結婚愛を消滅させようと躍起になり、そのことをまた彼らは高い所で躍起になることから案出し、後に悪をやってのけようと試みた。