一瞬の一瞬でさえ主は守られる

 

 

人間は自分自身からは絶えず落ちている

体は殺しても、魂を殺すことのできないどもを恐れるな(マタイ10・28)/

 

 

 

 

1.聖書

2.主は人間を各瞬間に、実に、各瞬間の最小部分の時さえも守られない限り、人間は、主に対する愛と信仰とに関わる物に対して霊たちの世界に拡まっている名状しがたい程に苛烈な燃える憎悪の結果、立ち所に死滅してしまう

3.マリア・ヴァルトルタ

4.聖母から司祭へ

 

 

 

 

1.聖書

 

マタイ10・28−31

 

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 

 

 

ルカ12・4−7

 

友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

 

 

 

 

2.主は人間を各瞬間に、実に、各瞬間の最小部分の時さえも守られない限り、人間は、主に対する愛と信仰とに関わる物に対して霊たちの世界に拡まっている名状しがたい程に苛烈な燃える憎悪の結果、立ち所に死滅してしまう

 

 

天界の秘義59[2]

 

 主は人間を各瞬間に、実に、各瞬間の最小部分の時さえも守られない限り、人間は、主に対する愛と信仰とに関わる物に対して霊たちの世界に拡まっている名状しがたい程に苛烈な燃える憎悪の結果、立ち所に死滅してしまうのである。私は(身体の中に止まっているにも拘らず)他生で幾多の霊と実にその最悪の者とさえも今や数年の間交わっているためこの事実の確かさを断言することが出来るのであり、そして私は時としては数千の霊に囲まれて、彼らはその毒気を吐き出し、凡ゆる手段を尽くして私を悩ますことを許されはしたものの、しかし私の頭の髪の毛の一本さえも害うことは出来なかったのであり、それ程安らかに私は主に守られたのである。私は霊たちの世界とその性質とについて、また再生しつつある者が永遠の生命の幸福に到達するために、堪えねばならない争闘について数年間の経験により充分に教えられたのである。しかしたれ一人全般的な叙述では、このような主題については、それを疑いを差し挟まない信仰をもって信じる程に教えられることは出来ないため、その詳細は主の神的慈悲の下に以下の頁に述べることにしよう。

 

 

 

 

3.マリア・ヴァルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P46

 

だが、わたしは休息を知らなかったし、今も知らない。なぜならはけっして休むことをしないし、のしわざを出来るだけ無効にするために、は常に活動していなければならないからだ。わたしたちが休息するのはが成り終わるときだ。今は倦むことなく、絶え間なく行動しなければならない。の取り入れのために、ゆるむことなく粉骨砕身しなければならない。どうか、わたしとの持続的な触れあいがあなたたちを聖化し、わたしの教えが絶えずあなたたちを強め、わたしの寵愛が、あらゆる障害に反対してあなたたちを忠実な者にするように。

 

 

 

 

4.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1978.2.11

 

 それで、私は、くりかえしいいます。決して恐れてはなりません、もうあなたがたは、私のものですから。悪魔は、手を触れることさえもできないでしょう。あなたがたが今いるのは、私の花園で、もうだれも、この汚れなき心からあなたがたをひき離すことはできません。・・・