体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな

マタイ10・28

 

 

恐れるな

覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので

知られずに済むものはない(ルカ12・2)

 

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

 

 

 

1.聖書

 

マタイ10・28−31

 

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 

 

 

ルカ12・4−7

 

友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2826〔3〕

 

ルカ伝には―

(中略)

 

ここにもまた『神を恐れること』は何らかの恐怖から礼拝することを意味している、なぜなら前に言ったように、彼らは恐怖に駆られて、服従したからである。

 

 

 

 

天界の秘義7021〔2〕

 

 しかし霊的な意味では『魂』により信仰に属した真理と、仁慈に属した善の生命が意味され、全般的には人間自身の、死後生きる霊の方面が意味されており、以下の記事ではそうした意義で用いられているのである―

 

 身体を殺すことは出来るが、魂を殺すことが出来ない者らを恐れてはならない(マタイ10・28)。

 もし人間が全世界を得ても、その者自身の魂を失うなら、それはその者に何の利益があろう、または人はその魂を贖うに充分ないかほどの価を与えようか(マタイ16・26)。

 人の子は人々の魂を破壊するために来たのではなく、それを救うために来たのである(ルカ9・56)。

 あなたらはわたしの民の間でわたしを汚し、死んではならない魂を殺し、生きてはならない魂を生かしている(エゼキエル13・19)。

 

 これらの記事では『魂』は人間の霊的な生命を意味しており、その生命は死後の人間の霊の生命である。『魂を殺すこと』、『魂を破壊すること』は霊的に死ぬことを、即ち、地獄に堕ちることを意味しているのである。

 

 

 

天界の秘義9033

 

 霊的な真理を、即ち、教会の信仰の教義の真理を無力にしてしまうことが前の二つの節に取り扱われたが、それに続いている二つの節では、取り扱われている主題は聖言の文字の意義の真理である記憶の真理を無力なものにすることである。この真理は実際前の真理のように見えるが、それでもそれに似てはいないのである、それでそのことを明らかにするために以下の例を考えられたい。主は慈悲そのものであられるため、たれ一人をも罰しられはしないことは霊的な真理であり、または教会の信仰の教義の純粋な真理であり、それで主はその行われることをすべて慈悲から行われて、決して怒りから、また復讐からは行われはしないのであるが、それでも主はマタイ伝で(以下のように)言われているのである―

 

 身体を殺すことの出来る者らは恐れてはならない、むしろ身体と魂とをゲヘナで滅ぼすことの出来る方を恐れなさい(マタイ10・28)。

 

 ここには神について、神は『身体と魂をゲヘナで滅ぼすことが出来る』ため、『これを恐れなくてはならない』と言われている。が、それでそれは消滅されてはならないのであり、即ち、否定してはならないのである、なぜならもしそれが否定されるなら、聖言に対する信仰は死滅してしまい、もしそれが死滅するなら、人間は霊的に生きることは出来ないからである、なぜなら人間は聖言から信仰を通して霊的な生命を得るからである。

 

 

 

天界の秘義9033〔2〕

 

 この間の実情は以下の如くである。善はそれ自身の中にその報いを得、かくて天界を得ることは神的な秩序〔神の秩序〕の法則であり、悪がそれ自身の中にその刑罰を得、かくて地獄を得ることはそのことから起っているのである。前の法則は、主は凡ての者に善を欲しておられるため、主から発しているが、しかし後の法則は、主は何人にも悪を欲しておられないため、主から発してはいないのである。それでもそのことが行われているが、しかしそれは主から行われているのではなくて、悪の中にいるその人間から行われているのであり、従って地獄から行われているのである。それでもそのことは聖言の文字の意義では主に帰せられていることは、それがそのように見えるためである。それで、それは外観的な真理であるため、それを否定してはならないのであり、即ち、消滅させてはならないのである、なぜならそのことによって聖言に対する信仰は消滅してしまうからであり、そうした信仰は単純な者たちのために存在しているのである(2447、6071、6991、6997、7533、7632、7643、7679、7710、7877、7926、8197、8227、8228、8282、8483、8631、8632、9010番)。

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P171

‘92・11・10

 

あなたに平安 ♡ 今日の大地はすっかり汚染され 私以外は すべてがある。 この世にとって正しいと思えることも私の目にはおぞましく すでに私の裁きを受けている。 この世に憎まれるとしても それは私を愛しているがゆえ。 あなたの証しを私の目に妥当なものとさせなさい そして言っておく、救霊のためにすっかり身を捧げ 友達およびあなたが敵と呼ぶ者たちのために いのちを捨てて愛を示した時はじめて その証しは妥当となる、そして私の日が訪れても 恥じを感じないですむ。 私、自身が、我が力をもってあなたを養う、その間与えてある仕事をつづけながら 歓喜の叫びを上げなさい、私の力で彼らの壁を打ち壊し 覆われていたすべてを明るみにだすがゆえ 歓びなさい。 あなたの前にあらゆる動物やへびが這いまわっているのを 目の当たりにしよう、しかしからだを殺せる者たちは怖れなくてよい、霊魂は殺せないと言っておく、むしろ地獄でからだも霊魂も滅ぼせる者を 怖れなさい! 我が足跡をたどり 名誉も名声も求めないように。 世にペテン師と見なされても 自分は本物だと知りなさい、まずはじめに世は私をペテン師と見なした。 愛しなさい! そして許しなさい! 聖霊にたいして驚くべき企てをたくらむ者たちのために祈りなさい そして裁いてはならない 彼らにとって死に連なるものが、あなたにとっても致命的とならないように。 私が彼らを正すにまかせなさい。 あなたのなすすべては 愛に根づいたものであるように。 私があなたを養い 慰めで満たす。 最後には 私のからだの刺すべてが取り除かれよう。 愛が 勝利する。