祈りは聞かれる
1.聖書
2.祈りは聞かれる
3.主は『聞かれはしない』
4.マリア・ヴァルトルタ
1.聖書
ルカ18・6−8
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
ヨハネ9・31
神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。
2.祈りは聞かれる
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P77
‘88・11・21
♡ 祈りのうちに 私を訪れなさい、そこにいて 耳を傾けている!
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P171
‘89・5・12
イエスと私は扶けようとして いつもあなたの前にいます、ですから心を込めて話しかけて下さい そうしたら聞きましょう ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P15
‘89・10・10
♡ 来なさい、単純な心で来なさい、安心して父親のもとに近寄る子どものように、弱さを見せ 問題を話しに、私のもとにやって来なさい、天の御父に聞いていただきなさい ・・・
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P37
‘89・11・9
傍らにいるのは私 ナザレのイエス。 今日は私の「訪問する御像」を通してあなたのもとに来よう(*) 私に求める恵みは決して拒まない、祝されるように、助けを与える、祈りなさい、それは私に語ることです その時は耳を傾けている、 私も一緒です、小さな天使よ(**)、私たち ともに?
*聖心の巡回御像。各々の家に九日間留まっていらっしゃいます。
* *聖なるお母さまでした。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P86
‘90・1・9
♡ 愛が皆を愛している。 不思議なわざを行うのは私です そしてあなた方一人ひとりに耳を傾けている、小さな者であろうと偉大な人であろうと、正しい人であろうと不正な者であろうと、信心深い人であろうが異教徒であろうが、皆の祈りを聴いている、皆を祝福する ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P151
‘90・5・12
しかし私がそこにいて 心のうちで話すのを聴いている。 話しかけるように ・・・ さあ、これを聴きなさい: 会うのをたのしみに待っている友達を 訪ねて行くとする、友人に会った時、遠くに立ったままでいるだろうか? それとも近づいて 温かくキスして挨拶するだろうか? 次に、ともに腰掛けて話すであろう? それとも座ったまま黙っているだろうか? もちろん話すに決まっている! 我が家を訪ねて来る時は 私にもこうしてほしい。 会うたびに 心はずませているのを感じたい、心をもって話すのを聞かせてほしい、あなたの神、私に話すとは祈ることです。 そうするならあなたの口もとに 耳はぴったりと引き寄せられ 一言一言を蜜の雫のように 受け取るであろう。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P155
‘90・5・12
ふさわしい祈り方ができないとしても、我が霊があなたに代って祈る、分かったであろう? 決して見捨てない・・・私の大きな愛が分からない時でさえも、我が聖なる名ゆえに あなたを引き上げようとして 一層身を低く屈める、そして愛を込めた親切心から 罪を赦そう。 私を呼び求めて口を開いた瞬間、飛んで来て あなたの 口元に耳を当てる・・・そしてあなたが口にする一言一言は心を慰め 私を歓びで満たす。
心から立ち帰り 祈りを私のもとに 届かせなさい、それは:「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではなく、天におられる私の父のみ旨を行う者だけが入る(*)」からです、ですから愛を込めて話しかけなさい、そうしたら聞いていよう、愛を込めて与えなさい、そうするならあなたを認知しよう、愛を込めて祈りなさい、天の扉が開いてあなたを受け入れよう、愛をもって行いなさい、あなたに向ってこう言えるように: 「あなたは私のもの、私の種子、父のもとに来なさい!」 私は愛です そこで愛のうちに生きる人は誰であろうと 私のうちに生きている そして私もその人のうちに生きている ♡ 我が王国に入れるように 天の御父のみ旨を行いなさい。
いのちの木の根源は愛だと覚えておきなさい。 もっと心から祈るように 我が子たちよ そして私の耳があなたの口元近くにあると安心していなさい。 あなたを祝福し 一歩一歩に祝福を与える。 愛が愛している。 我が現存を覚えておきなさい。 額に愛の溜息を残してゆく。 一致するように
* マタイ福音書7・21
3.主は『聞かれはしない』
天界の秘義6852
「その追い使う者の前からその叫びを聞いた」。これは、彼らを強制して仕えさせようと欲した者らに反抗する慈悲の援助を意味していることは以下から明白である、即ち、『叫び声』の意義は懇願であり(6801番)、『聞くこと』の意義は服従し、注意することであるが(5017番)、しかしそれがエホバまたは主について言われる時は、慈悲の援助を懇願する者にそれを与え給うことを意味している。前に(6851番)見ることについて言われたことは聞くことにも言われるのである、即ち、主は凡ての者に聞かれ、かくて凡ての者に援助を与えられるが、しかしそれは必要なことに応じている。邪悪な者の常に行うことではあるが、叫んで、自分自身のためにのみ主に懇願し、かくて他の者に反抗する者ら、これらの者をもまた主は聞かれはするが、しかしこれらの者には援助を与えられはしないのである。そして宗教が援助を与えられはしない時は、主は『聞かれはしない』と言われている。『追い使う者』の意義は強制して仕えさせようとする者である。
4.マリア・ヴァルトルタ
自叙伝P110
ひとは純粋な意図と愛に駆り立てられて求めるとき、いつも善ならイエズスから、求めるものを受け取ります。時には、そう思えなくて、神は私たちのことなど気にかけていないように見えることがあります。でも、神はただ私たちを待たせておいでなのです。真心を込めた祈りと、本当に私たちのためになることへの祈りは、いつでも神に聞き届けられます。