被術者・被派遣者
天界の秘義5856
社会と他の社会との交流は、その社会が霊たちを送り出し、その霊たちを通して話すことにより行われるのである。これらの霊は被術者[被派遣者]と呼ばれている。
天界の秘義5983
人間は二人の霊と二人の天使とを通して地獄と天界に交流していることは、他生では一つの社会が他の社会とは、または何人とも、その社会から送り出されている霊たちによらなくては、交流することは出来ないという事実から認めることが出来よう。この派遣された霊は被術者と呼ばれている、なぜなら被術者としての彼らを通して社会は語るからである。被術者を他の社会に送り出し、そのことを通して交流を得ることは、他生ではありふれた事柄の一つであり、そのことは、被術者が幾度も私に派遣されて、彼ら無しではその社会は私に属した事柄は何一つ知ることは出来ず、またその社会自身に属した事も何一つ私に伝えることは出来なかったという事実から私に非常に良く知られているのである。このことは人間のもとにいる霊と魔鬼とは被術者以外の何ものでもなく、天的な霊的な天使も被術者であって、その被術者を通して人間は諸天界と交流していることを示している。
天界の秘義7111〔2〕
彼らは地獄から放出されているようなものをもって流れ入ってくるが、その霊、または人間はその流れ入ってくるものは自分自身の中にあるとしか、即ち、自分自身がそうしたものを考え、意図しているとしか認めないし、また考えもしないのである。この使いの者は『被派遣者〔被術者〕』と呼ばれているのである(彼らについては経験に基づいて前に示したことを参照されたい、4403、5856、5983−5989番)。
黙示録講解537イ(2)
『深遠』が聖言の中で意味していることは下に話そう。『深遠の坑を開くこと』はそうした地獄との交流と連結とを意味しているのは、地獄は悪霊が入って来る時を除いては開かれはしないためであり、そのことは彼らが霊たちの世界の中で彼らの時を完全に過ごした時に起るのである、なぜならいかような悪霊にも、その者が一度び地獄へ投げ込まれた時は、そこから外へ出ることは許されはしないからであり、もし外へ出るにしても直ぐにその中へ後退してしまうのである。しかし人間は各々委く(こまかく?)、霊たちの世界の中にいて、その人間自身が得ている性質と同じような者である霊と連結しており、従って聖言を生命の幾多の悪に、その悪を確認する誤謬に聖言を適用することにより聖言を誤謬化してしまう人間はその人間に同じような霊どもと連結し、その霊どもにより同じような誤謬の中にいる幾多の地獄と連結してしまうのである。人間は各々ことごとく死後は霊となり、その時すぐにも奈落の社会か、天界の社会か、その何れかに、世に送ったその生命[生活]に応じて、密着してしまうのであり、霊は凡て、地獄へ投げ込まれるか、または天界へ挙げられるかする前には、先ず霊たちの世界におり、その際世に生きている人間のもとにおり、悪霊は悪い者と共に、善い霊は善い者と共にいるのである。これらの者を通して人間は地獄か、それとも天界か、その何れかと交流し、連結するのである。このことが『地獄を開くこと』は地獄を開くことを意味しないで、地獄と交流し、交流により連結を持つことを意味していることを明らかにしている。地獄の凡ゆる者から悪の誤謬が大量に放出され、そうした誤謬の中に霊たちの世界の中にいる霊たちがおり、同時に私たちの世の中で同じような誤謬の中にいる人間がいるのである。霊または人間は一人としてその生命の愛が在る所以外の何処にもいることは出来ない、なぜなら人間はその愛するものを意志する[欲する]のであり、考えるのであり、呼吸するからである。(霊たちの世界とは何であるか、については「天界と地獄」、421−431番以下を参照されたい)。
天界と地獄255
天使たちと霊たちの人間との連結を明らかにするため、私は注目に価する事を若干述べよう、そのことによって、それは説明され、また推測することもできよう。天使と霊たちとは人間に彼ら自身を向けるときは、彼らは、その人間の言葉は彼ら自身のものであって、それ以外には自分たちは何の言葉も持っていないとしか考えていない。その理由は、彼らはそのときその人間の言葉の中にいて、彼ら自身の言葉の中におらず、その言葉を憶えてさえもいないが、しかしその人間から自身を背けるや否や、彼ら自身の天使的な、霊的な言葉の中にいて、人間の言葉をまた何ら知らないということである。私が天使たちと交わり、彼らと同じ状態にいたときも、そうしたことが私に起ったのである。そのときは私は彼らと彼らの言葉で話し、私自身の言葉を何一つまた知らず、それを記憶さえもしなかったが、彼らと交わらなくなるとすぐに、私自身の言葉の中にいたのである。天使たちと霊たちとは人間に彼ら自身を向けるときは、人間とはどれほど遠くからでも語ることが出来るのであり、彼らはまた私からはるかに離れていた時にも間近にいるように大きな声で私と話したということも記すに価しよう。しかし彼らが人間から身を背けて、互いに話し合う時は、その人間は彼らの言っていることを何一つ、たとえそれが自分の耳元で言われていても、聞かないのである。このことから、霊界の連結は凡て彼らが自分自身を向ける方向に応じていることが明らかになったのである。多くの者が共になって一人の人間と語り、またその人間がその多くの者と語ることが出来ることも記すに価しよう、なぜなら彼らはその語りたいと願う人間のもとへ彼ら自身から或る一人の霊を遣わすと、その遣わされた霊は自分自身をその人間の方へ向け、[彼を遣わした]他の霊たちはその[遣わされた]霊の方へ向いて、彼らの思いを集中すると、その霊は話すのである。その時その霊は自分は自分自身から話していているとしか考えず、彼らも自分たちが話しているとしか考えてない。このように多くの者が一人の者と連結することは、その多くの者がその一人の方へ向くことによって行われている(*4)。しかし被派遣者とも呼ばれているこの使いの霊と、その霊との連絡については、後に更に述べよう。
*4。霊たちの社会から他の社会へ遣わされた霊は被派遣者と呼ばれている、4403、5856。霊界の連なり[伝達]はこうした使いの霊により行われている、4403、5856、5983。霊は、遣わされて、被派遣者の役を果たす時は、その霊自身からは考えないで、その霊を遣わした者たちから考えている、5985−87。
天界と地獄600
人間は天界と地獄とに直接連結しているのではなく、霊たちの世界にいる霊たちを通して間接に連結していることを知らなくてはならない。これらの霊は人間と共にいるが、地獄そのものから、また天界そのものから来ている者は一人として人間と共にはいない。霊たちの世界にいる悪霊を通して人間は地獄に連結し、そこの善い霊たちを通して天界に連結しているのである。そのため、霊たちの世界は天界と地獄との真中に在って、その世界に均衡そのものが在る。霊たちの世界は天界と地獄との中間に在ることは霊たちの世界を扱った章に(421−431)、天界と地獄との間の均衡そのものはそこにあることは前章に見ることが出来よう(589−596)。これらの事から人間は何処から自由を得ているかが今や明白となるであろう。
天界と地獄601
さらに人間に接合している霊たちについて若干話しておかなくてはならない。一つの社会全体が他の社会に、また一個人に、その者がどこにいようと、その社会から派遣した一人の霊によって、その社会の意志、思考を伝えることが出来、その霊は多くの者の被派遣者と呼ばれている。霊たちの世界から人間に接合している霊によって、人間が天界の社会に、また地獄の社会に連結している場合も同じである。このことについてもまた「天界の秘義」を参照されよ。
被派遣者[被術者]、思考、言葉について
霊界日記4333