日々の悔改め

 

悔い改め

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.トマス・ア・ケンピス

3.ヴァッスーラ

4.メジュゴリエの聖母

5.マリア・ワルトルタ

6.アグレダのマリア

7.浅原才市

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義8391(仁慈の教義)

 

信仰の生活を送る者は日々悔改めている。なぜなら彼は己が中にある悪を反省し、それを承認し、それに対して自分自身を警戒し、主に助けを懇願するからである。なぜなら人間は自分自身からは絶えず落ちているが、主により絶えず引き挙げられているからである。彼は悪いことを欲望をもって考えるときは、自分自身から落ちるのであるが、悪に抵抗し、従ってそれを為さないときは、主から引き挙げられているのである。善の中にいる凡ゆる者の状態はこのようなものであるが、しかし悪の中にいる者らは絶えず落ちており、また絶えず主により引き挙げられている、しかしそれは彼らを凡ゆる地獄の中でも最も悲惨な地獄に落とされないためであり―彼らは彼ら自身からではその全力を尽くしてそこに落ち込むのであるが―かくて実に彼らをさらに和やかな地獄へ引き挙げられるためである。

 

 

 

新しいエルサレムの教義163

 

仁慈と信仰との生活を送る者は日々悔改めの業を行っている。彼は自分のもとにある悪を反省し、それを承認し、それを警戒し、主の御助けを祈願する。なぜなら人間は自分自身では絶えず罪に陥るが、しかし絶えず主により引き挙げられて、善に導かれるからである。それが善にいる者たちの状態である。しかし悪にいる者は絶えず罪に陥り、また絶えず主により引き挙げられてはいるが、ただ最も甚だしい悪へ陥ることから引き出されているにすぎないのであり、その最も甚だしい悪へは彼ら自身ではその凡ゆる努力を傾けて進んでいるのである。

 

 

 

啓示による黙示録解説224

 

一年に一、二回自分自身を点検することに、

 

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・11・2

 

 私たちはわずかひとつの悪にすら、みごとに打ち勝ったことなどめったにないし、日毎に進歩しようという熱心もない。それゆえいつまでも冷淡で生ぬるいままなのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・19・4

 

 たといたえずわが身を反省することができずとも、せめて時々、少なくとも毎日一回、朝あるいは夕方にそうするがよい。

 すなわち朝には決心を立て、夕方にはその日したことを、言葉、行ない、思いについて糾明せよ。おそらくあなたはこれらをもって神や隣人に対し、しばしば罪を犯したことだろう。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・3・5

 

わたしは二通りの方法でわたしの選み出した者を訪(おとな)うのを常とする。それは試みと慰めとである。

またわたしは毎日かれらに二通りの教え方をする。一つはかれらの悪いところをとがめること、一つはかれらの善徳の進歩をはげますこと、これである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて4・7・1

 

 一生けんめいあなたの良心を糾明し、真に痛悔し謙遜に告白して、力のかぎりこれを洗い清めるがよい、これはあなたを呵責しあなたがはばかることなくわたしに近づくのを妨げるような重罪が一つもないようにするためである。

 あなたのすべての罪を全般にわたって痛悔し、毎日の罪過(つみとが)を特別に嘆き悲しめ。そしてもし余裕(ひま)があったら、あなたの邪欲から生じたあさましいことを、心の底で神にすっかり告白するがよい。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/天使館/天使のたより4号/P12

 

 悔い改めが、魂を暗闇から光へと導く入り口です。したがって、今日に至ってもまだ私たちが分裂し、ばらばらである現状を考えますと、私たちが光の中を歩んでいるとは言えません。私たちは皆、神の子供ですから、神の前で皆平等なのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/天使館/天使のたより4号/P13

 

それぞれの教会は、自ら進んでエゴと頑なさに死ぬべきであり、そして感情に流されないこのような死を通して、キリストの現存が教会の中に生命を持つようになるでしょう。それぞれの教会は絶えまない悔い改めを通らなければならず、それによって過去と現在の失敗をぬぐい去るキリストの人類への神聖な愛に結びつくことができるでしょう。この謙った行いによって、一致が実現されるでしょう。聖書はこうおっしゃっています。「主のみ前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。」(ヤコブ4・10)

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P229

‘02・6・1

 

なんと、私が気づかれないまま通り過ぎると 思っていた者がいるのか? そして報復せずに主人は あなたのそばを通り過ぎると いまだに信じているのか? そこで、日々悔い改めるのは 良いこと。

 

 

 

 

4.メジュゴリエの聖母

 

 

シスター・エマヌエル/メジュゴリエの証言者たち/P206

1993年2月25日

 

(聖母)

愛する子どもたち!

今日、私はあなたたちを私の母としての祝福で祝福します。そして私はあなたたち皆を回心へと招きます。私はあなたたち一人ひとりが生活の改善のために決心すること、あなたの生活がイエスに対する喜びにあふれた証しであること、あなたたち一人ひとりが言葉によってではなく、模範によって教会においてもっと多く働くことを望んでいます。あなたは自分は回心したと言うことはできません。なぜなら、あなたの生活は日々、回心し続けなければならないからです。

 小さな子どもたち、あなたたちがなすべきことを理解するよう祈りなさい。そうすれば、神はあなたたちが具体的になすべきことを、そしてあなたたちが変わらなければならないところを示してくださるでしょう。私はあなたたちと共にいます。そしてあなたたちを皆を私のマントの下に置きます。

 私の呼びかけに応えてくれてありがとう。

 

 

 

 

5.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P44

‘44年8月5日

 

 イエズスは言われる。

 

「わたしは貴女がわたしの栄光について瞑想するように準備させた。教会は明日それを祝う。しかしわたしはわたしの小さなヨハネが、わたしの栄光の真の姿を見てそれをよりよく理解するように望む。わたしが貴女を選ぶのは、貴女のの悲しみと苦しみを知らせるためだけではない。苦しみにおいてわたしと共に在ることを知る者は、わたしのよろこびにも参与しなければならない。わたしは貴女が、貴女にあらわれる貴女のイエズスの前で、わたしの使徒たちと同じ心情と謙虚さと悔い改めの気持ちとを持つことを望んでいる。

 

 けっして傲慢になってはならない。そうなれば貴女は罰せられ、わたしを失うだろう。わたしがだれであり、貴女が何者であるかを絶えず思い起こすように。痛悔によって浄められた心を持つために、絶えず自分の至らなさとわたしの完全さとに思いを致すように。だがそれと同時に、『恐れるな。立ち上がりなさい。行きなさい。人々のあいだに行きなさい。なぜならわたしは彼らと共に在るために来たのだから。この来臨の時をよく憶えて、清らかに、剛く、忠実でありなさい』と言ったわたしに、大きな信頼を寄せなさい。わたしはこのことを貴女にだけではなく、人々のあいだからわたしが選んだすべての人たち、特別な形でわたしを所有している人々にも言うのだ。

 

 

 

 

6.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P206

元后の御言葉

 私の娘よ、人々が聖体拝領を度々頂くのを嫌がり、怠り、準備も、熱い信心もなく御聖体に近づくことは、主にとり、私にとり、諸聖人にとり、何という恐ろしい犯罪であるかを考えなさい。聖なる秘蹟にこもられる御子を頂くために、何年間も私は準備しました。私はそれを妨害する罪は全くなく、恩寵に満ちているにも関わらず、愛、謙遜と感謝の徳を熱心に積み、聖体拝領にあずかれる身にしようとしました。御子の人性のまします御聖体を頂くため、ふさわしくなれるように毎日、いつも自分の罪を批難しなさい。

 

 

 

7.浅原才市

 

 

わしのお礼は 慙愧と歓喜 させて頂くなむあみだぶつ

 

 

 

わたしやつみでもろくじのざんぎ(慙愧)

わたしやつみでもろくじのくわんぎ(歓喜)

なむわ、ざんぎで、あみだわ、くわんぎ、

ざんぎ、くわんぎの、なむあみだぶつ

 

 

 

こころも、じゃけん、みもじゃけん。つのをはやすが、これが、わたくし。

あさまし、あさましや。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

 

 

 

「妙好人」伝