梯子

 

知識

マーリン・キャロザース

 

 

 

真の基督教24(5)

 

「古代と現代における複数の神を信ずる信仰は、神的存在が理解されなかったために起った。」

神の単一性は、神から人間の霊魂に向かって流れ入る凡てのものの最中に在る故、それは各人の心の最内部に刻み込まれていることは上述(8番)に示された。しかし、それは人間が由って以って神に向かって上昇しなければならない知識が欠けていたために、そこから人間の理解へ降らなかったのである。何故なら、人は各々神に向って即ち彼を受容するために、道を備えねばならず、而してこれは知識に由るからである。

 

 

真の基督教24(9)

 

 かかる知識は今まで欠けていた。しかもそれは人間が由って以って昇り、神的存在を知ることの出来る手段である。我々は人間は昇ると言うか、しかしそれは彼は神によって挙げられることを意味する。何故なら、人は各々その自由意志によって知識を得ることが出来、而して彼が理解によって聖言からその知識を得る時、神は降って彼を引き上げ給う道を備えるからである。人間の理解が由って以って以って昇り、神が人間の手を取って導き給う知識の項目はヤコブの梯子の段に譬えられ得るであろう。それは地上に立てられ、その頂きは天に達し、これにより神の天使達は昇りまた降り、エホバはその上に立ち給うた。(創世記8・12,13)しかし、その知識が欠けている時、あるいは人間がそれを軽蔑する時、その理解の高さは、人間の部屋がある壮麗な宮殿の第一階の窓へ地面から掛けられてはいるが、霊の居る第二階の窓へは掛けられておらず、まして天使の居る第三階の窓へは掛けられていない梯子に譬えることが出来よう。

 

 

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

マリア、わたしたちは常に、人びとが神に向かって登る階段になることができなければなりません。人びとに踏まれても少しも構わないのです。ただ彼らが十字架に向かって行くことができさえすれば。十字架は、善と悪の知識の果実が実る新しい木です。