原質

 

 

大気

物質恒久的なもの

 

 

 

神の愛と知恵302

 

 霊界と自然界には、三つの大気が在り、それらは縦の度に応じて互いに区別され、低い物に進むと、横の度に応じて[活動が]減退することは第三部(173−176)に示された。そして大気は低い物に進むと[活動]が減退するため、それは絶えず圧縮されて、不活発になり、遂には最も外なるものにおいては、もはや大気でないほどに圧縮されて、不活発なものとなり、静止した原質になり、自然界では地に在って物質と呼ばれるもののように固定するようになることが生まれている。これが原質と物質との起源であるため、第一に、これらの原質と物質もまた三つの度を持つこと、第二に、それらはそれらを取り巻いている大気により互いに関連していること、第三に、それらは凡ての用をその形をもって生み出すのに適していることが生まれてくる。

 

 

 

神の愛と知恵304

 

霊的な太陽は凡ての物を存在させている唯一の原質であるため、凡ての中で最小の中にすら両種類の度が存在しているのである。

 

 

 

神の摂理5

 

神的なものは創造された凡ての物の中に存在している、なぜなら永遠から存在される主である創造者なる神は、御自身により霊界の太陽を生み出し、その太陽により、宇宙の一切の物を生み出し、従って、主から発して、主がその中に住んでおられるかの太陽は、凡ての物を生み出す最初の原質であるのみだなく、また唯一の原質であり、それが唯一の原質であるゆえ、それは凡て造られた物の中に存在しているが、しかし意図された用に応じて無限の変化をもって存在しているからである。

 

 

 

神の摂理6

 

唯一の原質が在り、それはまた最初の原質であり、そこから凡てのものが由来していることは多くの者に認められているが、その原質の性質は理解されていない。それはそれ以上単純なものはありえないほど単純なものであり、何ら容積を持たない一点に譬えることが出来、こうした無数の点から場所を持った諸々の形が生まれたと信じられている。しかしこれは場所にかかわる我々の観念から生まれた誤りである、それはこの観念はこのような点の存在を支持するように見えるからである。しかし如何ような物であっても、それが単純に、純粋になるに従い、益々充実し、益々完全になるということが真理である。この理由から凡ゆる物を内的に点検するに応じ、その中に見られるものは益々驚嘆すべき、完全な、美しいものとなっている。それ故最初の原質の中には凡ての物の中で最も驚嘆すべき、完全な、美しいものが存在しているのである。これは真理である。なぜなら最初の原質は霊的な太陽から生まれ、その太陽は、上述したように、主から発し、主の住居であるから。かくてその太陽はそれ自身唯一の原質であり、空間の中に存在しないで、凡てにおける凡てであり、創造された宇宙の最大のものの中にも最小のものの中にも存在している。この太陽は最初の唯一の原質であり、これにより凡ての物が存在するゆえ、そこから生まれて第二次的な原質と呼ばれ、その究極の形では物質と呼ばれている諸原質の内に見ることの出来る物よりも無限に多くの物がその中に存在していることが推論される。そうした物はその諸原質の中には見ることは出来ない。なぜならその諸原質はその太陽から二種類の度を経て下降し、その度に応じて完全さは凡て減退しているからである。それ故上述したように、如何ようなものであれ、それを内的に点検するに応じ、その中に見られる物は益々驚嘆すべき、完全な、美しいものとなっている。以上記したのは、凡て創造された物の中には神的なものに類似したものがあるが、それは種々の度を経て下降するに応じ、益々明確でなくなり、低い度が高い度に対して閉じられて、その高い度から分離され、物質で包まれるときは、更に明確でなくなることを示すためである。しかしこれらの事は「神の愛と知恵」を取扱った著作の中の霊的太陽(83−172)、度(173−281)、宇宙の創造(282−357)を取扱った部分が読まれ、理解されない限り、判然としないに違いない。