大気
神の愛と知恵296
熱と光とは霊界の太陽から発している、即ち、熱は主の神的愛から、光はその神的知恵から、光はその神的知恵から発することは前に見ることが出来よう(89−92、99−102、146−150)。今やその太陽から発する第三のものは熱と光の容器であるところの大気であり、これは用と呼ばれる主の神的なものから発していることが示されるであろう。
神の愛と知恵299
さて、この三つの、愛、知恵、用は主の中にあって、主であるため、また
主は何処にもおられるゆえ―なぜなら彼は遍在されているから―また主は御自身をそのあるがままに、御自身の太陽の中にあるがままに、如何なる天使にもまたは人間にも示されることが出来ないゆえ、受け入れることの出来るものにより御自身を示されている、即ち、御自身を、愛については、熱により、知恵については、光により、用については大気
により示されている。用は愛と知恵の容器であるように、大気は熱と光の容器であるゆえ、主は用の方面では御自身を大気により示されている。なぜなら神的な太陽から発している光と熱は無の中に、即ち、空所(ヴァキュアム)の中に発することは出来ず、主体である容器の中に発しなくてはならぬから。この容器は大気と呼ばれ、太陽を囲み、太陽をその胸の中に受け、天使の存在する天界にそれを運び、次に人間の存在する世界に運び、かくて主が何処にもおられるようにしている。
神の愛と知恵302
霊界と自然界には、三つの大気が在り、それらは縦の度に応じて互いに区別され、低い物に進むと、横の度に応じて[活動が]減退することは第三部(173−176)に示された。そして大気は低い物に進むと[活動]が減退するため、それは絶えず圧縮されて、不活発になり、遂には最も外なるものにおいては、もはや大気でないほどに圧縮されて、不活発なものとなり、静止した原質になり、自然界では地に在って物質と呼ばれるもののように固定するようになることが生まれている。これが原質と物質との起源であるため、第一に、これらの原質と物質もまた三つの度を持つこと、第二に、それらはそれらを取り巻いている大気により互いに関連していること、第三に、それらは凡ての用をその形をもって生み出すのに適していることが生まれてくる。