荒れ野の女性
1.聖書
2.聖母から司祭へ
3.マリア・ワルトルタ
4.デボラ
5.ヴァッスーラ
6.グリニョン・ド・モンフォール
7.スウェーデンボルグ
1.聖書
雅歌3・6
荒れ野から上ってくるおとめは誰か。
煙の柱が近づいて来るかのよう。
それは隊商のもたらすさまざまな香料
ミルラや乳香をたく煙。
雅歌・8・5
荒れ野から上ってくるおとめは誰か
恋人の腕によりかかって。
黙示録12・5−6
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
黙示録12・13−14
竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。
2.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1980.8.8
いよいよ、私の“とき”が来ました。まもなく、私は、今いる砂漠から出ようとしています。私の戦いの決定的な段階に入ろうとしているからです。それで、わたしには、あなたがた自身と、あなたがたの聖い司祭的愛の力強い武器が必要です。わたしの汚れなき心と同じ次元に、あなたがたの心を開きなさい。そうすれば、私たちは、光に輝く大きな道をつくることになります。私の、迷ったあわれな子らが、やがて、この道につれ戻され、救われるでしょう。
聖母から司祭へ/1989.5.6
それから、わたしは「荒野に逃れた」のです(黙示録12・6)。
わたしが自分のかり住いを定めたこの荒野とは、わたしを歓迎し、わたしのことばに耳をかし、完全にわたしに信頼し、わたしの汚れなき心に自分を奉献するすべての子らの心と魂のことです。
3.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P155
しかし恐れてはならない。ゼカリヤの預言は鎖の一つの環が次の環につながるようにヨハネの預言につながっている。地獄的勢力に苦しめられる痛ましいこの時期の後に、教会はヨハネの語る神秘的な女のように、生きのびるためにより良い人たちの中に逃げ、その神秘的な(わたしは神秘的な、と言う)逃避行のさ中に、ふさわしくない四肢を振り落とし、教会を最後の時代に先立つ時へと彼女を導くように定められた聖なる人々を産むだろう。
キリストの集会を準備するために、十字架のまわりに諸種族を集めねばならない者たちを父の手と王の手は掌握するであろう。その最良の子らと連れだって、この集会に欠席する種族は一つもないだろう。
そのときわたしは来て、わたしの地上のエルサレム ―戦う教会― に対するサタンのあらゆる計略と狡猾さ、陰謀と犯罪に立ち向かい、わたしの防衛力を発動するだろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P213
迫りつつある時代は戦争の時代であるが、それは物質的な戦争であるだけではなく、とりわけ有形なものと霊魂との戦争である。反キリストは、理性を具備した被造物を獣のような生活の泥濘に引きずりこもうとするだろう。キリストは、新しい地平と霊的な光に照らされた道を開き、誰であれ、彼を公然と拒否しないように、そのうちに霊の力強い目覚め、キリストだけでなく神の母のこの新しい福音宣教者たちに助けられた目覚めを奮起させて、諸宗教のみならず理性に対するこの放棄を阻止すべく努めるだろう。マリアの幟りは高く翻るだろう。人びとをマリアに導くだろう。そして、間接的にではあるが、すでに一度、人間の贖いのための常に強力な原因であり源泉であったマリアは、またそうなるだろう。なぜなら彼女は、不実な敵対者の、聖なる敵対者であり、彼女のうちに住まいをつくった知恵のように、霊魂たちと知性を堕落させる異端に勝つべく、その踵は地獄の竜を永遠に踏み砕くよう定められているからである。
4.デボラ
デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻上P147
娘よ、世界に言ってください。私はあの『荒れ野の女性』です。今がその時なのです。成長した人々は理解するでしょう。
5.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P362
ヴァッスーラ:イエス?
主:私です、
ヴァッスーラ:イエス、私は聖母に対して言われたすべての侮辱を贖いたいと思います。あなたの被造物たちから聖母に対してなされた侮辱の言葉を聞くに耐えないのです。特にあなたに仕える者たちからの。私は死んでも聖母をお守りしたいのです。
主:ヴァッスーラ 愛がそれらの侮辱を聞くに忍びず いかに苦しんでいるかを分らせてあげよう。
ヴァッスーラ 私 主は 御母を尊んでいることが知られるように、御母を侮辱する人たちは 御母が天の元后であり、私 主が御母の頭に、十二の星からなる冠をおいたことを知るように。 御母は治めておられる、愛する者よ そしてこれもみことばの中に書かれてあることです。 私は御母を尊んでいる そして私と同じようにあなた方も御母を尊ぶべきです。 愛している、御母も私もともに あなたを祝福する。
ヴァッスーラ:主よ、主任司祭は御母を私たちの聖なる母として否定したのです。そして私たちが御母を尊ぶべきだということを、それで、あなたがそれを十字架の上からおっしゃったとお伝えすると、この司祭は言いました。それはヨハネにたいしてだけおっしゃったので、聖書のどこにも御母は私たちの母親でもあることは書かれてないと。それに、私たちが御母の子どもだとも書いてないと言われます。
主:しかし もう一度言う 娘よ、私の母は本当にあなたの母でもある、あなた方は御母の子どもたち、それはみことばの中に書かれてあり 私はそれを知らない人たちのために繰り返し言う、聖書に書かれてある、
ヴァッスーラ:どこですか 主よ?
主:黙示録の中で、サタンが私の母を追うのに失敗したとき、非常に怒ってほかの彼女の子どもたちに対して戦いをいどんだと、すなわち、十戒を守り、私の証をする人たちすべてに対して。
ヴァッスーラ:ありがとうございます。主イエスよ、お助けくださって。
主:ヴァッスーラ 言ってあるが、あなたの前に私はいつもいる。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P88
‘00.4.24
そしてあなた自身の友達は、砂漠からやって来るあなたを見て 自問するでしょう、<純香の柱に頼って砂漠をやって来るのは 誰だろうか 私たちの上にも そよ風にもその薫りをただよわせて? > その時、清い愛に燃え立つ、あなたは 答えるでしょう、<私は聖霊によって、シナモンや葉あざみのように、香りを放ち、聖霊のうちに 聖霊を通して、選り抜かれたミルラのように、芳香の息を放っています。 わが創造主なる神の愛によって 変容したのです!>
6.グリニョン・ド・モンフォール
愛心館/山下房三郎訳/グレニョンド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/3
「マリアは、神に、できるだけ自分をかくしてくださるように、できるだけ自分を、
貧しく卑しくしてくださるようにと、熱心に祈っておられました。だから、
神も喜んでほとんど全ての人の目から、マリアをおかくしになったのです。(中略)
天使たちは天使たちで、マリアをつらつらながめては、しばしば
互いにささやき合ったものです。「あの女は、どんなかたですか」(雅歌3・6)
それほど神が、マリアを、全被造物の目から、おおいかくしておいでになったからです。
むろん、神はときたま、マリアのお姿を被造物に、ホンのすこしばかり、かいま見せる
こともありました。しかしそれとても、マリアを、ますますかくしたいご意向から、
そうなさったに過ぎないのです。」
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P158
教えてほしい、マリアのみ心のような心を持つ被造物が どこにあろうか? マリアのみ心のような 心はない。 始めから完全であって、生まれながらに汚れなく 恵みに満たされ、その恵みは天使たちの恵みにまさるもの。 それゆえ天使たちは群れなして互に尋ね合った:「ベールのかげにおられる、このお方はどなた?」「彼女が通られるとき、山々の峰が頭を低くたれて挨拶するのはどうして?」「お心に染み一つなく これほどまで神のお気に召すお方はどなた?」「彼女が通られるときは 神の被造界はあまねく眼差しを下げているのを見たでしょう?」「泉のように ご自分の恵みによって庭園を肥沃にし、生ける水の泉となられたお方はどなた?」「神の愛によって本当に清らかなお心で、昼も夜も、夜も昼も、神を慕い求め、至聖なるお方と全く一致しておられる この方はどなた?」「功徳と恵みをこれほどまで多く持っておられながら 謙遜で、至高なる神の眼差しを一身に集めておられるこの乙女はどなた?」我が天使たちの多くは感極まって、言葉も失い、黙していた・・・
7.スウェーデンボルグ
天界の秘義2708[6]
ここでは『荒野』は試練の中におかれている者がその中へ陥ってしまうような剥奪と荒廃を意味している。彼らが四十年の間荒野を旅し、さまようことにより、戦う教会の凡ゆる状態が記されているのである。ヨハネの書における『荒野』に逃れた女により教会の試練以外には何ごとも意味されてはいないのであって、それは以下のように記されている―
息子を、男の子供を生んだその女は荒野へ逃れた―そこに彼女は神から備えられた所をもっている―彼女はその荒野へ、彼女の場所へ逃れるために、大きな鷲の二つの翼を与えられた。蛇はその女の後から水を洪水のように口から吐き出して、彼女をその洪水により流れ去らせようとした。しかし地はその女を助けた、なぜなら地はその口を開いて、その竜がその口から吐き出した洪水を飲み込んでしまったからである(黙示録12・6、14−16)。