安楽死

 

 

自殺

第5戒:なんじ、殺すなかれ

 

 

 

 

1.聖書

2.サンダー・シング

3.マリア・ワルトルタ

4.ルイザ・ピッカレータ

5.マザー・テレサ

6.聖母から司祭へ

7.公教要理

 

 

 

 

1.聖書

 

マタイ10・22

 

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

 

 

マタイ10・29−31

 

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 

 

 

マタイ6・25−34

 

だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 

 

 

黙示録講解550

 

「その日人々は死を求めるが、それを見出さないであろう」は、そのときかれらは真理を理解する能力を破壊しようと欲しはするが、それでもそのことは不可能であることを意味している。このことは以下から明白である、すなわち、『その日』の意義は、そのときであり、すなわち、教会の人間は内なるものから外なるものとなり、または合理的なものから感覚的なものとなる時であり、また『死を求めること』の意義は真理を理解する能力を破壊しようと欲することであり、(後略)。

 

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P99

 

体の死がこの自然の絆を断ち切るときまで、世を捨てられる人間は誰一人いないのです。事実、神ご自身がこの世の絆を断ち切ることを求めておられません。神は、われわれがその中に生き、動き、存在するがために、この世界をお造りになったのであり、そうでなければ、人間をこの世界に置かれるようなことはなさらなかったでありましょう。神の聖なる目的に従ってこの世のことがらを正しく使い、地上に生きている間に天上の故郷に対して準備することが、神の御心です。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P88

 

夫の打ちひしがれた声をきいた愛妻は、駆け寄って夫の涙をぬぐい、励ました。「あなた、どうかお泣きにならないで。心配なさらないでくださいまし。 神様だけを信じるのです。 神様は何事もわたしたちのためを思ってしてくださっているのです。これから何が起ころうと、すべてはわたしたちに良かれと思ってなし給うのですから。どうか落胆せず、男らしく」

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P279

 

 わたしたちは定められた目的地に辿り着く前に痛みと苦しみと誘惑を通らなければならない。このような段階はすべて、霊的生命の成長にとって、未来の幸せにとって必要である。わたしたちがそこを通るよう神が求められているのはそのためである。これが神の計画でなかったなら、神はわたしたちにそれを求めることもなかったであろう。だが、神が求めておられるのであれば、誰がそれに対抗できよう。わたしたちに降りかかる運命はみな喜んで受けとめ、どんな疑いも抱いてはならない。疑いは人と神との間に壁を作り、神の臨在と交わりを楽しむ力を奪ってしまうのである。この世にいる限り、わたしたちは痛みと苦しみに耐えなくてはならない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P365

 

わたしたち自身のためになる悲しみや苦しみから逃げることが、神の御心でないのなら、われわれはそこから逃れようとしてよいものだろうか。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P436

 

進化論を奉じる者は、冷たく無慈悲で倫理のかけらもない理論を人に押しつける。病人、弱者、不適応者は、助ければ数が増えるだけで社会にとってマイナスになるから、むしろ地上から抹殺した方がいい、と彼らは考える。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P40

 

それほどの、神のみ業の贈り物に対し人生は感謝して生きるに値する。また生きるものであることを感謝すべきである。世の終わりにならなければ、あがなわれなかったにしても、その感謝を表すべきであった。なぜならあなたたちの最初の人間から始まって、今に至るまで個々の人は違反者で、傲慢で、淫乱で人殺しであるにもかかわらず、神は宇宙の美しさ、宇宙の恵みで楽しむことを今でもゆるしてくれるばかりか、あなたたちがよい子供たちであるかのように、生活をより楽しくするために、すべてを与える。

 

 

 

 

4.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P59

 

悪魔が私を自殺へと誘惑した時、私は彼らに言いました。「おまえたちにも、私にも、自分の命を破壊する権利は与えられていません。おまえたちにはただ私にもっと利益を獲得させるために、私を苦しめることだけが許されました。でも私の存在を取り去る権能は与えられていません。」

 

 

 

 

5.マザー・テレサ

 

 

マザー・テレサ/日々のことば/女子パウロ会/P112

 

 私にとって、命は人類への神からの最も美しい贈り物です。ですから、中絶や安楽死によって命を破壊する人々や国家は最も貧しいと言えます。私は、合法か非合法かと言っているのではありません。命を奪うために人は手を上げるべきではないと思います。なぜなら、命は私たちの中にある神の命なのですから。たとえそれが、まだ生まれていない赤ちゃんであっても。

 

 

 

マザー・テレサ/愛と祈りのことば/PHP文庫/P127

 

 生命は神からの賜物です。胎児の中に、すでに生命が宿っています。

 人間の手で、生命を奪うことは許されません。

 出生以前に生命を絶たれた子どもたちの叫びは、神の耳に届いています。

 

 

 

 

6.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1989.6.3

 

「あなたは殺してはならない」という掟に対して、フリーメーソンは、どこの国においても堕胎を正当化し、安楽死を認めさせ、人命の価値に対して示すべき尊敬をほとんど全面的になくすることに成功したのです。

 

 

 

 

7.公教要理

 

 

カトリック中央協議会/カトリック教会のカテキズム要約P238

 

第五のおきて 殺してはならない

 

466.人間のいのちを尊重しなければならないのはなぜですか。

 

 人間のいのちは神聖だからです。いのちはその始めから神の創造のわざの結果であり、その唯一の目的である創造主と永久に特別な関係を保ち続けます。自らを守るすべをもたない人間のいのちを直接的に破壊することは何人にも許されません。それは人格の尊厳と創造主の聖性に背く重大な行為だからです。「罪なき人、正しい人を殺してはならない」(出エジプト記23・7)。

 

 

 

470.第五のおきては何を禁じていますか。

 

 第五のおきては道徳法に反する重大なこととして、次のことを禁じています。

 直接的かつ意図的な殺人およびその共犯。

目的または手段として意図された直接的な妊娠中絶、さらにはその共犯。これは破門制裁に値します。人間のいのちは受精のときから、全体として絶対に尊重され、保護されなければならないからです。

 直接的な安楽死。これは障害者や病人あるいは瀕死の状態にある人のいのちを、作為によってあるいは取るべき処置を取らないことによって死に至らせることです。

 自殺と意図的なその幇助。これは神と自分自身、そして隣人への正しい愛に対する重大な侮辱だからです。その責任については、つまずきを生むことでより重大なものとなりえますし、特異な精神的混乱や極度の怖れがある場合には軽減されることもありえます。