死んだ者

 

 

生きた者永遠の死

 

 

 

イザヤ66・24

 

外に出る人々は、わたしに背いた者らの死体を見る。蛆は絶えず、彼らを焼く火は消えることがない。

 

 

 

マタイ4・16

 

暗闇に住む民は大きな光を見、

死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。

 

 

 

マタイ24・28

 

死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。

 

 

 

ヨハネ8・21

 

そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」

 

 

 

ヨハネ8・24

 

だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。

 

 

 

天界の秘義290

 

それは生命そのものであられる主に対する信仰を持っている結果、『凡ての生きたものの母』と呼ばれたことも既に示された所から明らかである。凡てのものの生命の根源である一つの生命以上の生命は有り得ない、またかれから発しなくては、従ってかれがその中におられない限り、中に生命を宿した信仰は有り得ないのである。こうした理由から聖言では主のみが『生きた方』と呼ばれ、『生きるエホバ』(エレミヤ5・2、12・16、16・14、15、23・7、エゼキエル5・11)、『永遠に生きる者』(ダニエル4・34、黙示録4・10、5・14、10・6)、『生命の泉』(詩篇36・9)、生きる水の泉(エレミヤ7・13)と名付けられている。(かれによりまたはかれから生きる)天界は『生きた者の地』(イザヤ38・11、53・7、エゼキエル26・20、32・23−27、32、詩篇27・13、52・5、142・5)と呼ばれている。そして主に対する信仰の中にいる者は『生きた者』と呼ばれている、例えばダビデの書に、生きた者の間に私たちの魂をおく(詩篇66・9)と言われ、信仰を持つ者は『諸々の生命の書の中に』在リ(詩篇69・28)また『生命の書の中に』(黙示録13・8、17・8、20・15)在ると言われている。それで主に対する信仰を受ける者もまた『生きたものにされる』と言われている(ホゼヤ6・2、詩篇85・6)。一方信仰にいない者は『死んだ者』と呼ばれている、例えばイザヤ書に―

 

死んだ者は生きはしない。レパイムは甦らない。あなたが彼らに叛いて、彼らを滅ぼされたからである(イザヤ26・14)。

 

 これは自己愛に膨れ上がっている者を意味し、『甦る』は生命に入ることを意味している。彼らはまた『刺し貫かれる』と言われている(エゼキエル32・23−26、28−31)。彼らはまた主により『死んだ者』と呼ばれている(マタイ4・16、ヨハネ5・15、8・21、24、51、52)。地獄もまた『死』と呼ばれている(イザヤ25・8、28・15)。