神仏集合

 

唯一の神

教会の一致・刷新

 

 

 

1.パラマハンサ・ヨガナンダ

2.スウェーデンボルグ

 

 

 

 

1.パラマハンサ・ヨガナンダ

 

 

パラマハンサ・ヨガナンダ講話集/人間の永遠の探求/P307

 

もはやアメリカ人も、インド人も、すべての国の人々が互いに習慣や信条の違いをぶつけ合うことをやめて、唯一の父をもつ同じ神の子どうしとして振る舞うべきです。キリスト教徒も、ヒンズー教徒も、単なる呼び名にすぎません。

 

 

 

パラマハンサ・ヨガナンダ講話集/人間の永遠の探求/P11

 

われわれを神に目覚めさせるものは、教義の解釈ではなく、魂の自覚です。おのおのの宗教の根底に横たわる共通の真理を会得すれば、教義の違いは問題ではなくなります。私にとってはユダヤ教徒も、キリスト教徒も、ヒンズー教徒もありません。みな同じ兄弟です。私はどの寺院ででも礼拝します。なぜなら、それはみな私の父のために建てられたものだからです。

 

 

 

パラマハンサ・ヨガナンダ講話集/人間の永遠の探求/P397

 

政治家には世界は救えません。世界を救うものは、神に対する理解です。神は、人生の目標です。それがなかったら、人が生きてゆく意味もないでしょう。神を愛する者は、あらゆる宗教を通して人々を導いておられる唯一の神を礼拝すべきです。

神はギーターの中でこう言っておられます―

「わたしを信じ求める者がいかなる道を取ろうとも、わたしはその程度に応じてわたしを現す。人がたどる道は信仰形式のいかんにかわらず、すべてわたしに通じている」(バガヴァッド・ギーター4・11)

ですから他人の信仰を批判してはなりません。信仰を持つ人に対しては、だれに対しても心からの愛と尊敬を表わすべきです。寺院や教会を見たら、そこに宿りたまう神に、心の中で礼拝しなさい。

 

 

 

 

2.この神が主であることを知ってはいない

 

 

天界の秘義3778[]

 

それでこのことが、ナホル、その息子のベトエル、ベトエルの息子のラバンにより根幹が共通した傍系的な善が表象され、すなわち、異邦人たちの間の主の教会に属している者たちがその中にいるところの善が表象されている理由である。この善は直線的に下降している根幹の共通した善とは以下の点で異なっているのである、即ち、彼らの善に連結しているその諸真理は純粋なものではなく、その大半は感覚の迷妄[妄想]と呼ばれている外なる外観である、なぜならこれらの異邦人は彼らが明るくされる手段となる聖言を持ってはいないからである。善は実にその本質では唯一つのものではあるが、しかしそれはその中に植え付けられる諸真理からその性質を受けて、そのことによって多様なものとなっているのである。異邦人たちに真理として現れている真理は全般的には、彼らは何らかの神を拝しなければならないということであり―この神から彼らは彼らの善を求め、またこの神にその善を帰しているが、彼らは世に生きている限り、この神が主であることを知ってはいないのである―また彼らは彼らの神を彼らが聖いものとして考えている像の下に崇めなくてはならないということであり、その他さらに多くのものがある。にもかかわらず、これらのものは、彼らがその神に対する愛と隣人に対する愛の中に生きさえするなら、彼らも基督教徒と等しく救われることに対して妨害とはならないのである、なぜなら彼らはこのように生きることによって他生で内的な諸真理を受ける能力を得るからである(932、1032、1059、2049、2051、2284、2589−2604、2861、2863、3263番)。