主と一緒(私たち)

 

 

孤独ではない完全恐れるな

 

 

 

 

1.聖書

2.主と一緒

3.私たち

4.敵は害することができない

5.主が心に住まわれる

6.主が導かれる・・・同行二人

7.徳が高いことは私を覚えていることになるのです

8.私の心以外のどこにも休息を求めないように

9.「私たち」というこれらの言葉を用いて 自らを訓練するように

10.わたしから離れてはならない

11.デボラ

12.サンダー・シング

 

 

 

 

1.聖書 

 

 

ヨシュア1・9

 

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。

 

 

 

詩篇23

 

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを青草の原に休ませ

憩いの水のほとりに伴い

魂を生き返らせてくださる。

 

主は御名にふさわしく

わたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときも

わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖

それがわたしを力づける。

 

わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

わたしの頭に香油を注ぎ

わたしの杯を溢れさせてくださる。

 

命のある限り

恵みと慈しみはいつもわたしを追う。

主の家にわたしは帰り

生涯、そこにとどまるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P77

 

「みんな、今まで私に親切にしてくださいました・・・ずっと前から。それを忘れません。みんなのために祈ります。みんなも、子供を主に送ってください。主と一緒にいることほど、ありがたいことはありません・・・主は生命なのですから、では、さようなら」

エノンを過ぎ、ヨルダン川の方へ、ヨルダンの谷の方へ、まだ見たことのない出来事の方へと少年は向かう。彼は振り返りもせず、一言も口をきかない。考えもしない。溜息もつかない・・・ただ微笑んでいる。真の牧者について行く羊のようである。

皆の先頭を歩いているイエズスにだけ、目を向けている。自分のような者でも、救われて羊の群れに加えられたと・・・そして突然、ありったけの声を張り上げて歌い始める。(中略)

イエズスは、いつもの光りにあふれる微笑を浮かべて後ろを振り返り、ベンヤミンを呼ぶ。

「ここにおいで、ベンヤミン、神の子羊。あなたに美しい歌を教えよう」

 そして“主は私の牧者、私には乏しいことがない”という詩篇第23篇を歌い始め、一同それに音頭を取る。

 

 

 

 

2.主と一緒

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々/1巻P313

 

老ヨハネ(マリア・ワルトルタのそばにいた神父様のこと)に、たくさんの平和と豊漁とを与えると伝えなさい。あなたには漁がない。私が与える糸で網を作るという女性的な業だけをあなたに与える。働きなさい、働きなさい・・・他のことができないという考えを捨てなさい。この仕事にはすべてがある。そしてまた“あなたに平和”と言いに来ないからと言って気にするな。人にあいさつをするのは、到着したときと出発するときであって、いつも一緒にいるときにはしない。一緒にいることは、もはや平和である。そして、あなたは私の客ではない。あなたはすっかり私の腕の中にいて、片時もあなたから離れたりしない。この世にいたときの私について、言いたいことがたくさんある! しかし、きょうはあなたを喜ばせたいので“あなたに平和”と言おう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P202

 

「おお! 主よ、私をあなたなくしてこの世に残さないでください。私はあなたの誕生から死に至るまで、そして死から復活に至るまで、いつも・・・。

それなのにもうあなたが私たちと一緒にいないと知ったら何と悲しい。あなたはエリゼオの父の願いを聞かれた。多くの人々の願いを聞かれました。主よ、私の願いも聞いてください」

 イザクはひざまずいて手を差し伸べて頼む。

「あなたは、私の宣教を、それに私のために殉教するのを今、恐れているのか?」

「主よ! 私の光栄はあなたに従いたいという事だけです。私は貧しく、愚かな者です。けれども私は、私をあなたにささげた。すべて善意をもってささげた。今、これだけを望んでいます。あなたについて行く事。そしてあなたのみ旨どおりになりますように、今も、いつも」

 イエズスは、イザクの頭の上に手を置き、撫で続けながら皆に向かって言う。

「私に質問したい事はないか? これは最後の訓戒である。あなたたちの先生に話しなさい。・・・この小さな子が私に対してどんなに信頼しているか見なさい」

 今日もマルジアムは、イエズスの体に自分の頭をもたげている。イザクも自分の望みを話すのに躊躇しなかった。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・8

 

[1]イエズスがいっしょにいてくだされば、万事うまく行って、何事も困難とは思われない。しかしイエズスがいっしょにいてくださらないとすべてが困難である。

 イエズスが私たちの内心に語りたまわぬ時は、どんな慰めも効力がない。けれどもイエズスがただ一言でもお語りになると、大きい慰めを感ずるのである。

 

[2]イエズスがおいでにならなければ、この世はあなたに何を与えることができよう?

イエズスなしにいるのはひどい地獄である。しかしイエズスとごいっしょにいるのはたのしい楽園である。

イエズスがあなたといっしょにおいでになれば、どんな敵もあなたを害することはできない。

イエズスを見出す者は、よい宝、しかり、あらゆるよいものにまさる善いものを見出すのである。

 またイエズスを失う者は、その失うところきわめて大きく、全世界を失うよりもひどい損をするのである。

 イエズスなしに暮らす者は最も貧しい人で、イエズスと親しい者はもっとも富める人である。

 

[3]イエズスとの交わり方を知っているのは大した技術(うで)で、イエズスをお引き留めしておく方法(みち)を知っているのは大した知恵である。

 謙遜で温和(おとな)しくせよ、そうすればイエズスはあなたとともにおいでになるだろう。

 信仰に熱心で静かにせよ、そうすればイエズスはあなたの所にお留まりになるだろう。もし外部(そと)のものに心を傾けると、あなたはすぐにイエズスを去らせ、その恩恵を失ってしまうことがあろう。

 そしてかれを去らせかれを失ったならば、あなたはだれの所へ逃れ、だれを自分の友としようとするのか。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・16・2

 

すべて人から来る慰めは、むなしくて、長続きしない。

けれども真理ご自身から受ける内心(こころ)の慰めは、楽しくかつ真実である。

信心深い人は、どこにいても慰め主のイエズスとごいっしょで、これに向ってこう申し上げるのである。

「主イエズスよ、どこでも、いつでも、私とともにおいでください。」

 

 

妙好人 浅原才市

 

「わしらちや 如来さんとおるが いっちええ

お寺いまいるときには つれてまいてもろをて

もどるときには わしについて もどりなさるし

しごとをするときにも はなしをして しごとするし

ありがたいよ」

 

 

石井藤吉『天国への死刑囚』P148

 

第五に、「憂うるに似たれども常に喜び」であります。このおことばは私の今日の境遇を人の目から見れば、彼は死刑の宣告を受けておる身であるから、定めて日々に憂い心でおることであろうとおぼしめすなれども、私は決して憂い心もなく、煩悶苦痛もいたしませぬ。身は獄屋の一間九尺の1室に閉じ込められていても、かえって社会にいて神ということを知らなくて、日々罪を犯して日送りをいたしておった時よりも喜びはあふるるばかりであります。これは日々夜々一分時も絶え間なく、主イエス・キリストとお話しいたしておるからであります。

 

3.私たち

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1P148

 

四番目として、これから先あなたとわたしの間ではもう、あの“あなた”とか“わたし”ということがないように望みます。ですからもう“あなたがする”“わたしがするでしょう”などとは言わずに、“わたしたち”を使いましょう。あなたのもの、わたしのもの、ということもなくならねばならず、全てのことに“わたしたちのもの”と言いましょう。なぜならあなたはわたしの忠実な花嫁として共通の所有者となり、世界の運命をも導くでしょうから。わたしの血によって救われた全ての者は、わたしの子供、兄弟となってわたしのものであるように、彼らはまたあなたの子供たち、兄弟たちとなるでしょう。彼らは子供としてあなたから本当の母親のように愛されるでしょう。しかし彼らの大部分は非常に自堕落な者、迷子のようになってしまい、その多くはまた我がままなので、わたしたちは相当の苦しみの代価を払わなくてはならないでしょう。けれどもあなたはわたしのように彼らに値する苦しみを自分の上に負い、より苦しい犠牲を払ってでも、彼らをわたしの聖心に導くように努めて下さい。あなたが忍んだ苦しみの功績に包まれ、わたしとあなたの血をふりかけることによって、彼らを救うことができるように努めてほしいのです。それを見れば、わたしの天の父は彼らにたいして憐れみと許しをお用いになるでしょう。さらにもし彼らが完全に痛悔したなら、彼らはあのようい天国泥棒のように間もなく、またはすぐにでも天国を永遠に獲得するでしょう。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻xxvi

 

V 書くだけでなく、お声を聞いて、主と対話するために集中することができます。内的にイエスが見えますから。そして、車掌さんが来た時、「切符を一枚お願いします」と言うのを主はお止めになりません。主は、「私たち」という言い方をするようにと、教えられました。「私たちは出かけます。私たちはコーヒーを一杯入れます。」いつも、「私たち」なのです。

 

Lどうして?

 

Vそれは私が主のことを決して忘れないように。バスに乗っていて車掌さんに、「切符一枚」と言った時もです。私は笑ってイエスに申しました。「私たちはこんなに運がよいのですよ。切符を一枚しか買っていないのに、二人いるのですよね。」主は答えられました。「私たちは一つです。ただ一人だけなのです。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P61

‘88・10・31

 

街に出るためにロードスでバスに乗りました。車掌が来ましたので、私は「一枚お願いします」と言い、乗車券を一枚もらいました。イエスが傍に座っておられ、私は一人で笑いながら、振り向いて言いました。「一枚でしたけど、本当は二人だとは、車掌さんも想像が及ばなかったでしょうね。」 イエスは「おや」というお顔で振り向き、こう言われます。

 

♡ 何を言うのです! 私たちは結ばれて 一つとなっているのではないか? ・・・ 来なさい ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P96

 

我が子よ、私を歓びで満たし そして こうした言い方を学びなさい 「『私たち』は行って 仕事をしましょう、『私たち』でこれをしましょう、あれをしましょう」と、

『私たち』 という言葉を使うように、私たちは一つなのです

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P102

 

 我が現存を忘れないように、覚えていてほしい、いつでも『私たち』と。

 

覚えておきます。そう努力します、主よ。

 

ともに行こう

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P220

 

さあ、忘れないように! 分かち合おう! 「私たち」!

 

はい 主よ「私たち」。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P303

 

‘87・8・23

 

♡ 私です、愛している、疑わないように! あなたは一人でない、私 イエス、私 イエスがともにいる、花よ あなたをいつも気が狂うほどに愛してきた、教えられたようにして薫りを放ちなさい、私の庭園を飾り、悦ばせてほしい、来なさい。 そう ヴァッスーラ、あなたには私が分かってきた ♡ 今や正当な理由であなたを皆から引き離した、愛する者よ、♡ あなたには私が何をしているか はっきりと気づいていなかった ♡ あなたの肩に腕をおいて皆から引き離そうとし、同時に我が心の望みを耳元に囁いているのを感じたであろう? 今や頭を持ちあげ、私のほかは誰も周りにいないことに突然気がついた ♡ 何とあなたを愛していることか! 本当に幸せな気持ちだ! 私とだけいて 孤独でいることに慣れるように、そう、私たち二人だけ、私とあなた、あなたと私だけ、ああ ヴァッスーラ! 顔を向けなさい、あなたの神 私に顔を向けなさい ヴァッスーラ ♡ 今後は私がいて 私だけがいることであろう ♡ 私はあなたの神、聖なる伴侶、救い主、あなたの花婿です、あなたに必要なすべてを整える 愛する者よ、助けが必要か? あなたのもとにとんで来る、勇気か? そうしたら我が力を与えよう ♡ 慰めか? 私の腕に依りかかりなさい ♡ 我が心の中にとどまっているように、私を讃美しなさい ヴァッスーラ! 讃えなさい 娘よ! 来て私の誉れとなりなさい! 我が誉れとなり、足元に打ち伏すように! 私を礼拝しなさい! 私のものとなりなさい、ああ ヴァッスーラ、あなたを愛するように あなたも愛してほしい! あなたを祝福しているように あなたにも祝福してほしい。私の薫りであなたを覆っているように あなたの薫りで私を覆ってほしい、あなたの救い主 私が! あなたの前に立っている、私を礼拝しなさい ♡ この時 この時間に我が心を感じるように ♡ 間もなく夜がやってくる、あなたのランプの油を 私から補給してくれるか。 決して日が暮れてしまうまで待たないように ♡♡ 燭台の油をいっぱいにさせなさい ♡ 来て私から引き出してほしい ♡ 私と二人だけになってくれるように、私のために生きなさい、私たちだけでいることを悦んでいる! ♡ 嫉妬せんばかりに愛している! あなたを愛するあまり 皆からあなたを引き離した、理解してもらえるだろうか? あなたとだけになることを切に望んでいた。 我が愛が燃え上がっている そしてその愛の炎が燃え盛っている時は、欲するままに行うことを自分に許す ♡ もうあなたは私のもの あなたには私を愛の花輪で飾ってほしい、あなたの子どもっぽい言葉で夢中にさせてくれるように、今は私の欲するままに愛させてほしい。 あなたは自ら進んで 望むように用いる自由を与えてくれなかったか?

 

はい主よ、その通りです。

 

ではその自由を用いる。 私の指があなたの心にちょっと触れる その時は私に渡すまいとするものは何もないであろう ♡ やっぱり今は私たちの八月、祝いのさ中だと あなたに思い出させよう ♡♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P

‘88・3・16

 

あなたが欠けている者だから愛している 娘よ、あなたを担い手と名づけた そして死ぬまで担い手であり続ける、私だけのために生きてほしい ♡ あなたの周りにいる者とは私、あなたの神 私だけです、あなたを完全に包ませてもらいたい、よいか?

 

はい 問答無用でそうお願いします。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P304

 

‘87・8・24

 

♡ ヴァッスーラ 悔い改めなさい!(*)

 

    私は悔い改めました。

 

罪を赦す ♡ 今度は私を讃えてもらいたい!(*)

 

    ぴったりの言葉がみつからなくって躊躇していました。

 

ヴァッスーラ こう言いなさい、「全能の神に栄光」♡ 私が誰であるか分かるか?

 

あなたはアルファでありオメガ、すべての造り主です

 

♡ よく言った 我が子よ、今あなたにこう言う、我がメッセージを読み 私が書いているのを見ずに 私が書いたと信じる人は幸い、我がメッセージに聞き従う人は幸い、一つとなって平和と愛を提議する人は幸い。 私のメッセージを普及させなさい、我が平和をひろめ それがすべての心を治めるように、私の愛を決して疑わないでほしい ♡ 

 

どうやってひろめることをお望みですか? 私に何ができるでしょう? 私は無力です。

 

待っていなさい ヴァッスーラ 今に分かる ♡ あなたを助けよう ♡♡ さあ、「私たち」。

 

はい わが主よ。「私たち」。♡

 

4.敵は害することができない

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・8・2

 

イエズスがあなたといっしょにおいでになれば、どんな敵もあなたを害することはできない。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7P101

 

私のメッセージを持って前進するようにと 私は我が力を身につけさせ こうしてあなたは進んでいった、それゆえこれからもあなたの前からは 反対者を退けていこう。 誰かに害されたか? ああ! 知らないだろうが、私の光を見ただけで どれほど多くの悪魔が退散したか・・・

 

5.主が心に住まわれる

 

ヨハネ14・20

 

 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

 

 

ヨハネ14・23

 

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P139

 

 不滅の神殿が新しく建つ時、それは全世界に広まり、そして人々は私を捜し求めるでしょう。しかも、だれもが私を見つけるでしょう。私を愛する者があれば、その一人一人の心に私は住まうからです。

 

 

黙示録3・20

 

 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

 

 

6.主が導かれる

 

天界の秘義10184[4]

 

この凡てから『屋根』により愛の善が意味されていることもまた明白である、なぜならこれらの教令の各々には類似した事柄が含まれており、それは内意によらなくては明らかにされはしないからである。この意味は再生した人間の状態であるところの、善の中にいる者は、その者の先在的な状態である、すなわち、再生の間の状態である真理の状態へ帰ってはならないということである、なぜならその状態の中では人間は真理により善へ導かれ、かくて多少その者自身により導かれるが、しかし後の、または後在的な状態では、すなわち、かれが再生したときは、人間は善により、すなわち、主により善を通して導かれるからである。

 

 

天界の秘義9274[2]

 

再生しつつあり、また教会となりつつある人間のもとには二つの状態が在ることはこれまで知られていなかったことは、主として教会の人間は真理と善とを、引いては信仰と仁慈とを何ら明確に区別しなかったためであり、また理解と意志であるところの人間の二つの能力を何ら明確に認めなかったためであり、理解は真理と善とを認めるが、意志は真理と善とに感動して、それらを愛するのである。同じ理由からかれは以下のことも知ることができなかったのである。すなわち、再生しつつある人間の最初の状態は真理を学んで、それを認めることであり、第二の状態は真理を意志し[欲し]、愛することであり、人間が学んで、認めた事柄は、その人間がその事柄を意志し、愛さなくては、その人間のものとはならないのである、なぜなら意志はその人間そのものであって、理解はかれに仕えるものであるからである。もしこうした事柄が知られていたなら、再生しつつある人間は主から新しい理解のみでなく、新しい意志も与えられ、もしその二つとも与えられないなら、かれは新しい人間ではないことが知られもし、認められもしたであろう、なぜなら理解はその人間が意志し、愛する事柄を見ることにすぎないのであり、かくて、前に言ったように、仕える者にしかすぎないからである。従って再生しつつある人間の最初の状態は諸真理を通して善は導かれることであり、第二の状態は善により導かれることであり、かれがこの後の状態の中にいるときは、秩序[順序]は転倒するのであり、そのときはかれは主により導かれており、従ってかれはそのときは天界の中におり、そこから平安の静謐の中にいるのである。

 

 

 

天界と地獄192

 

*1 主と共に行くことは主と共に生きることである、10567。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P159

‘88・3・16

 

今日あなたは私の秘書であり 明日は担い手となり 彼らは道案内そして証人となる

 

主よ、私がもっと良くなる希望は本当にもうないのでしょうか、主が始めにそうだと仰った、全てのことを考えてみて?

 

♡ そうではない 私のヴァッスーラ、希望を失ってはいけない、あなたがする全ては無駄にはならないであろう、完全さに達するよう 私が教える、あなたが完全であってほしいと言わなかったか?

 

はい 主よ、けれど今日の自分を見ていて、主の御心が望まれる場所に到達するにはまだ道のりが長いように思えます。

 

私があなたの師ではないか?

 

はい 主よ、けれど私は余り良い生徒ではなさそうです。

 

あなたは弱い、しかし転んだ時は私の力で支える ♡ そこで ヴァッスーラ、あなたの霊的指導者として私以上の者がいようか? これ以上の好意を求め得ようか?

 

お与え下さる全てをありがとうございます、自分の功徳で得たものは全く何もありません。

 

ああ ヴァッスーラ! 私に背くつもりで、意図的に、こうしたことをするのでないことは分かっている、あなたの罪を私は忘れた、流れ去り乾いてしまった水のように、あなたの罪を見返さない また思い起こさせもしない、新に始めさせてあげよう、あなたを新しくする 愛する者よ、あなたに抱く私の愛を感じなさい、ありのままを受け入れる ♡ あなたの手の中に平和と愛の冠をおいた そしてあなたはその二つの冠を義の冠とともに持っていき 私自身の家の 愛するペトロの足もとに捧げるように ♡♡♡

 

はい 主よ、そこにお運び下さい、主よ。

 

来なさい、あなたの傍らにいる。 一緒に私の家を建て直そう ♡♡ 「私たち」?

 

はい 主よ!

 

♡ さあ ヴァッスーラ、ジェームズとディビッド、あなた方にとってのシンボルをこの聖なる言葉にしなさい ♡ 信仰 幼子の−ような信仰。

 

 

7.徳が高いことは私を覚えていることになるのです

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P105

‘87.3.8

 

私が朗らかな時は いつも朗らかでいなさい 後について来なさい。 私の現存を忘れるなら、深く悲しもう、我が現存を決して忘れないように、決して!

 

でも主よ、それは難しいのです。時々、車を運転しなければならないし、その時は道路に集中していないと。あるいは、友達とつまらないことを喋っているかもしれませんし、息子の宿題を手伝ったりもします。ですから、どうして、あなたの現存をいつまでも思い続けることができるでしょう。もう殆ど不可能です!

 

ヴァッスーラ、私の花よ、そのような時は 徳を思っていればいいのです、謙遜でいることによって、熱心で、優しく、品が良く、真実で、愛深く、そうです、徳が高いことは私を覚えていることになるのです。

 

 

8.私の心以外のどこにも休息を求めないように

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P11

‘87・10・19 スイス

 

♡ もうお休み ♡ いつも私から補充するように、愛している

 

イエス いとしく思います 愛すべきお方。

 

私の平和を受け取りなさい 娘よ、なに一つ欠けるものがないように 見届ける ♡♡♡ 私の心以外のどこにも休息を求めないように ♡

 

 

9.「私たち」というこれらの言葉を用いて 自らを訓練するように

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P151

‘88・3・8

 

そう、あなたの聖なる仲間、私に向ってこのように唱えなさい、あなたの日々を私と分かち合いなさい、直ぐそばにいると 子どもたちが気づいてくれさえしたら、私は現存し 直ぐ横にいる、どこにいても、どんな時にも、このことに気づいたなら、もっと転ばないであろう、罪も犯さないであろう。 伝えなさい、親密になってほしいと ♡ 来なさい、愛している、あなたの師も愛しなさい ♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P40

 

私に絶え間なく祈っていなさい。絶え間なく祈るとはあなたの前にいる私の現存に気づいていること。私の現存に気づいているとは目覚めていること。目覚めているとは光のうちにいて健全であることです。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P60

‘88・10・24

 

はい、わが主よ。

 

では あなたがそう言うのを聞きたい、私を忘れないでいてほしい! わが現存を思い出すように。 我が現存をこのような仕方で黙想するのを どれほど望んでいるか分かるか? 非常に重要な奥義である。 我が現存を あなた方の殆どが 忘れているかに見える 我が現存を黙想しなさい。 永遠の愛をもって愛する、子どもたちよ、私が実際現存しているのを思い出して 喜ばせてほしい、私たち、あなたと私、私とあなた、「私たち」というこれらの言葉を用いて 自らを訓練するように。 あなた方の活動、話し合いや思いの中に 加えてほしい、私が聖なる者であるのを 忘れることなく 我が現存を尊ぶように。 私が(I Am)ともにいるのが分かっていて それを思い出すなら 罪も犯さなくなっていこう。 私、ナザレ人のイエス・キリストが、あなた方皆を祝福する ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P188

‘89・6・12

 

我が現存を覚えていてくれるか? 行い、考えと言葉を自覚しておくために 私を思いの中に留めておきなさい、我が平和を受けるように ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P262

‘89・9.22

(聖母のメッセージ)

 

愛された娘よ、アッバは皆を愛しておられます ♡

 

主に讃美。

 

子どもたちにこう伝えて下さい: あなた方に平和。 我が娘 息子たちよ、心開くのを自分たちにお許しなさい イエスが入って来られ 癒されますように。 今日のメッセージを通して イエスがどなたであるかを思い出させましょう、イエスは崇高な愛の源、この世の光でいらっしゃいます、あなた方を救うために十字架を耐え忍ばれました、その恥辱を意に留めないで、イエスは柔和 謙遜でいらっしゃいます、来てあなたの神として認めて下さい、イエスを認めることこそ、完全な徳だからです。イエスを感じ、その聖なる現存を感じるように、あなた方の一人と見なし、「私たち」と言うのを学んで下さい、祈っていない時にイエスを忘れてしまわないように、絶え間なく心に思い浮かべ、心にお入れしたら 鍵を締めておいて下さい ♡ 私たちのメッセージを脅しとは受け取らないように、私たちのメッセージは、神の無限の慈しみによる、愛と平和のメッセージです、何かを口に出す前はよく考えて 神をお悦ばせなさい、口に出した言葉で責めを受けないように、口に上る言葉はすべて あなたが聖性、従順と清さの霊を持った 神の子どもたちであるのを証すものとなりますように、熱心に正しい目的のためにお仕えなさい。 今日はこう尋ねましょう:「自分のように隣人を愛していますか?」 これを覚えていてほしいのですが あなたが弱い者でも もし主に道を案内していただくなら完徳に到達できるでしょう、日々主に自らを明け渡しなさい、怖れずにあなたの意志をお捧げするように、あなたの能力を主はご存じですから 害になることは何もお願いにならないでしょう ♡

 

 

マリア・ワルトルタ108・4

 

どんな仕事も、誠実になされるなら永遠の主の祝福に値するからです。しかし、わたしがそう言ったのは、神から祝福を得るための最初の力は、すべての行動において誠実であるということです。

 

 今、皆さんと一緒に、行動はいつどのように誠実であるかを考えてみましょう。労働が誠実であるのは、永遠の神が心に現存されるのを知りつつそれを遂行する時です。『神はわたしをごらんになっている。神はその眼差しをわたしとわたしの行動に注ぎ、一部始終を見てどんな些細な挙動も見落とされることはない』と言う者は、罪を犯すことが出来るでしょうか? いいえ、出来ません。なぜなら神に対する思惟は、為になる思惟であり、人間のどんな威嚇よりも罪を犯すことを人に断念させるからです。

 

 

天界の秘義5949[4]

 

 この凡てから神を絶えず眼前に仰がなくてはならないということは如何ように理解されなくてはならないかが明白である。すなわち、それは神を絶えず考えなくてはならないということではなくて、神に対する恐れ、または愛が遍く支配しなくてはならぬということであり、そうした場合神は凡ゆる細々とした事柄の中においても眼前に仰がれているのである。こうした場合、その人間は神に反抗し、神の心を痛めることを考えはしないし、語りはしないし、行いはしないのであり、もしそうしたことを行なうなら、遍く支配して、内に隠れているものが、現れてきて、彼をいましめるのである。

 

 

黙示録講解107(4)

 

宗教から考えはしない者らは良心をもってはいない、なぜならかれらは霊的なものではなく、従って、彼らの外なる拘束するものが―それは法律と名声に対する恐怖であるが、それが―彼らのもとで弛められるなら、彼らは凡ゆる邪悪へ突入するからであるが、これに反し他方では、もし法律と世評にかかわる恐怖であるところの、外なる拘束するものが、宗教から考える者たちから仮にも取り去られるにしても、彼らは依然誠実に、公正に、善良に行動するのである、なぜなら彼らは神を恐れ、主から―その主に彼らは連結しているため、その主から―天界を通して服従と仁慈との生命[生活]の中に留めおかれているからである。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P195

‘90・7・28 ロードス島

 

では時々私のほうを見なさい、そのくらいはしてもよかろう? 聴きなさい ヴァッスーラ、知っているように 私は自らで充足している。 何回か私が全能であると伝えた しかし弱さを愛している 我が力がその中で最大に発揮されるからです。 小さな者よ、私はあなたと人生の毎日、毎時間そして毎瞬 ともにいる。 常にあなた方のさ中にいる・・・覚えておきなさい、御母とともにいる、

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P173

‘92・11・19

 

あなたの人生を 毎分ごと! 人生を一分ごとに、私と過ごしなさい!

 

 

シルワンの手記/P30

 

 主が常にあなたをごらんになっていると自覚しなさい。隣人を批判したり、傷つけたりしてはならない。自分の顔つきで隣人を悲しませてはならない。これを守るなら、聖霊はあなたを愛し、すべてにおいて助けてくださる。

 

 

10.わたしから離れてはならない

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P39

 

 わたしから離れてはならない。おお! あなたたちがわたしの部分であり続けるなら、わたしはあなたたちをに導くだろうし、また―あなたたちはみな『天』ではないし、いつもあなたたちのなかにはいささかの泥の一部が残っているから―今、わたしはあなたたちにそれを約束もする。の祝福はこのあなたたちの泥の上にさえもきっと欠けることはないだろうと。なぜならにはそのを祝福することしかできず、わたしのはこんなにもあなたたちを覆っているのだから―もしあなたたちがわたしのうちにとどまり、もしわたしと共に、わたしが教えた『主の祈り』をとなえて祈るなら―祈りの一部で願われているように、はあなたたちに天の国を与え、第二部で願われているように、日ごとの糧と罪の赦しを賜るであろう。

 

 

 

 

11.デボラ

 

世のひかり社/デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P147

 

イエズス:「さあ、では私のうちに憩いなさい、娘よ。あなたの痛みと心配のすべてを私に与えなさい。そして特に次のようにいつも言うことによって、あなたの生活に私を参加させて欲しい。『私たちはお腹が空きました、私たちは眠いです、祈りに行きましょう等々・・・』と。私たち二人は共におり、私はあなたに命を与えているのであるから! 勝利の王であるに従う者は、彼も勝利の使者となるだろう!

 

 

 

 

12.サンダー・シング

 

 

徳間書店/林陽編訳/サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P141

 

1922年1月29日に、サンダー・シングはポンペイからエジプトに旅立った。エジプトでは、アスワン・ハイ・ダムの建設者として世界的に名を知られたウィリアム・ウィルコックス卿が彼に仕え、パレスチナにおけるキリストゆかりの地をすべて車で案内する役を買って出た。エルサレムでは、国教会カテドラルで教えを説いた。エマオ、ベタニヤ、エリコ、死海、ヨルダン河、ベツレヘム、ヘブロン、ナザレ、カペナウム、ガリラヤ湖等を巡る中、キリストの臨在を今まで以上にリアルに感じた。「主は、わたしがどこに行ってもご一緒してくださる。いつも、わたしの右方についてお歩きになる」。彼の霊魂は歓喜に溢れ、自然と感謝の涙が両頬を伝った。テンプル・マウント(神殿山)に立ったとき、「わたしは、あなた方が生命を持つため、生命をいっそう豊かに持つために来ている」とのキリストの御声をきいた。ゲッセマネの庭園で跪き祈っていたときには「わが平和をあなたに与える。御父がわたしをお遣わしになったように、今、わたしはあなたを遣わそう」との御声をきいた。このとき、キリストが今も生きておられること、その生命の中にしか平和を見出せないというメッセージを伝えることが、これからの第二回欧州遊説の目的であると実感した。

 

 

 

徳間書店/林陽編訳/サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P181

 

わたしがどのような状況におかれていようとも、主の臨在は、あらゆる理解を超越した平和をわたしに与えてくれる。迫害の最中にあっても、わたしは平和と歓喜、幸福を見る。わが救い主から得たものは、誰にも奪うことはできない。家に入れば、主はそこにいる。獄舎に入っても、主はそこにいる。主によって、牢獄は天と化し、十字架は祝福の本源となった。主に従い十字架を負うことは、あまりに甘美で尊いがため、天に行って負う十字架がなければ、わたしは必要とあらば地獄にでも、使節として送られることを主にお願いする。少なくとも、十字架を負う機会がそこで見つかるように。主の臨在は、地獄さえも天に変えしめる。ものいえぬ人が蜜の甘みを言葉に表せないように、救われた罪人も、心に感じる主の臨在の甘美さを表現することはできない。この天的平和を十分に表現できるのは、天上の言語のみである。この世の危険、誘惑、罪、悲しみの真只中にいても、生命を与えてくださった主を通してわたしたちは救われる。海は塩分に満ちているが、魚はその中でも元気に生きている。彼らは塩化しない。それは、生命を持っているからである。そのように、われわれが主から生命を受けていれば、この世にあってもこの世のものではない。この世ばかりか、天においてもわれわれは主の中に自分を見る。

今のわたしは、富も地位も名誉も望まない。いや、天国さえも望まない。ただ、自分の心を天に変えしめた主のみを必要とする。主の無限の御愛は、それ以外のすべてのものに向けられる愛を一掃した。クリスチャンと呼ばれる人々の中に、主の尊い、生命を与える臨在感を実感できない人々が多いのは、キリストが彼らの頭や聖書の中に生きているだけで、心の中に生きていないからである。人は、心(ハート)を明け渡すときのみ主を見出す。心(ハート)はキリストの王座である。王たるキリストの支配する心(ハート)こそ、天の都である。