サタン

霊との交流

 

1.聖書

2.如何なるサタンも聖言から真理を聞くに堪えず、実にイエスの御名をすら聞くに堪え得ない

3.サタンは憎しみ

 

 

 

 

 

1.聖書

 

マタイ16・23

 

イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

 

 

2.如何なるサタンも聖言から真理を聞くに堪えず、実にイエスの御名をすら聞くに堪え得ない

 

真の基督教380

 

不義なる似非信仰は主を神として認めず、単に人間として認める者たちによって抱かれている。これは二つの邪悪な異端アリウス派およびソツイヌス主義によって極めて明瞭である。彼らは主の神性を否定し、他の途より攀じ登る故、基督教教会から呪詛され、追放されたのである。しかし、私はその憎むべきものが現今教会の多くの会員たちの思考の中に潜んでいることを恐れている。人が自らを学問と判断力とにおいて他に勝っていると考えるに従い、主は人間であって神ではないとの考えをとらえ、これを採用し勝ちになることは注意すべきことである。しかしかかる考えを採用する者は凡て、霊界では地獄にあるアリウス派およびソツヌス派との交わりに入って行く。これらの考えは現今では普通の考えであるのは、各人間にこれに付き添っている霊が在るからであり、もしそうでなければ、人は分析的に、合理的に、霊的に考えることが不可能となり、人間ではなく、獣となり、しかし、人間はすべて己が意志の情とそこから生まれる思考に類似した霊を自らに惹き寄せるからである。聖言から発する真理とこれに従う生活によって確認された善い諸情は、天界から天使を惹き寄せ、虚偽と悪しき生活によって確認された悪い諸情は地獄から霊を惹き寄せる。かくして悪い人間は益々悪魔との交わりに入り、それ故聖言の真理に抗う虚偽を、主に抗うアリウスの、またソツヌスの憎むべきものを益々確認するのである。これは如何なるサタンも聖言から真理を聞くに堪えず、実にイエスの御名をすら聞くに堪え得ないからである。もし、これを聞くならば、彼らは狂暴になり、彼方此方と駈け廻って、涜言を吐き散らし、そのとき、もし、天界から光が射し入るならば、彼らは暗い洞穴に飛び込み、そこで地下室で鼠を狩り立てる猫、あるいは梟の光によって見るのである。かくの如きが情と智とをもって主の神性と聖言の聖さとを否定するすべての者たちの死後の運命である。またこれが彼らの外なる人が如何に偽善を行い、基督教徒らしく佯り装うとも、その内なる人の状態である。私はこれを見、かつ聞いている故、それが真理であることを知っている。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P225

 

3.野生の獣、雷、風、光、その他の自然界の力を操り利用することは大したことではないが、世とサタンと自己に打ち勝つことは、真実、もっとも偉大な業である。祈りの生活を送る者たちにのみ、わたしは敵の力のすべてに勝利する力を与える。このようにして、彼らは現界に生きながらもわが内に留まる。またサタンは下におり彼らは上にいるので、サタンは彼らに手出しができず、彼らは一抹の恐怖心もなく、安全にわが内にいつまでも生きるのである。

 人は今や自然界の力を操るに至っているが、宇宙を超えて旅することはできないでいる。だが、サタンと自我を克服した祈りの人は、永遠の天界に自在に達することができる。

 

 

 

 

3.サタンは憎しみ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/2卷P507/126・7

 

わたしはどのように襲ったか?

常軌を逸するまで怒り狂い、その後衝撃の最初の引き金を引いたのか? 時として人は自分の感情を抑えられません。なぜならサタンは、石投げ兵のように、悪の中に人を投げ込むからです。しかし、一つの石が目標に達した後、もう一度投げられ、襲うために、石投げ兵の手に自ら戻って来るとしたら、その石についてあなたたちは何と言うでしょうか? 『魔法にかけられた地獄のような力に囚われている』と言うでしょう。第一撃の後、その残忍さは衰えもせず、第二、第三、第十番目の打撃を与える人はそうなのです。怒りは収まるから、最初の弾みのすぐ後、尤もな理由から弾みがまたあるとしても、理性がその後釜に座ります。ところが一方、真の殺人者、すなわちサタンは憎しみですから、兄弟への憐れみなど無いし、ありえないサタンの中では襲われた犠牲者に対する残忍さは弥(いや)増します。