人間は生来小規模の地獄

 

人間は凡てその霊の方面では霊界の或る共同体にいる

 

 

 

 

真の基督教612

 

 人間は生来凡ゆる種類の悪と欲念とに傾いており、可能な時は、これに惑溺する。何故なら、生来彼は他の者を支配し、その財産を所有することを貪り求めるからである。この二つの欲念は隣人への愛を破壊し、そのため彼は己れに反抗する者を見て憎悪し、これに復讐することを、例えそれが殺人を意味するにしても切望する。同じ理由から、彼は姦淫、詐欺、或は秘かな窃盗、涜神、或は偽証を軽んずる。何人でもこれを軽んずる者はその心においては無神論者である。かくの如きが生来の人間であり、それ故、人間は生来小規模の地獄である。さて人間は動物とは異なり、その内なる心の方面では、霊的に生まれ、天界に対して生まれている。しかし彼の自然的な即ち外なる人は、今述べたように、小規模の地獄であり、天界がその場所を占める以前に、地獄が除去されねばならないことが推論される。

 

 

 

真の基督教613

 

如何にして天界と地獄とは互いに相反し、分離しているかを知る者は凡て如何にして人間は再生するかを、また人間の性質は再生した時如何なるものであるかを知ることが出来よう。天界の凡ての者は主を見上げ、地獄の凡ての者は主から目を反らす故、何人かが天界から地獄を見る時、悪魔の背以外の何ものをも見ず、彼らは足で歩き、凡ゆる方向を眺めているけれども、時としてはその頭を下にして立っているように見えるのである。私が自分で眺めたこの異常な現象を生むものは、彼らの内なる心の反対の指向である。

 私がかくして再生は天界から地獄を除去し、分離することに相応していることを悟ったのである。何故なら、今述べたように人間は生来小規模の地獄であり、第二の誕生によって小規模の天界となるからである。かくして、諸々の悪は、地獄が天界から分離されるように、人間から分離され、除去され、次に、天界が彼の心に植えつけられ、彼が新しい人間となるにつれ、諸々の悪は主から目をそらし、徐々に覆される。人間の内なる悪は各々地獄の霊たちの類似の悪と交わり、同様に人間の善は各々天使たちの類似の善と交わっていることを注意せられよ。。

 

 

 

 

天界の秘義1049

 

「そしてわたしはわたしとあなたとの間にある契約を覚えよう」。

 

これが再生した者と再生することのできる者に特に注がれる主の慈悲を意味していることもまた生まれてくる、なぜなら主にあっては『記憶する[覚える]』ことは慈悲を持つことであるから。記憶する[憶える]ことは主について述べることはできない。なぜなら永遠から主は凡ゆる物を全般的にもまた個別的にも知られているからである、しかし慈悲を持つことは主について述べられるのである、なぜなら主はそのようなものが人間の性格であることを知られているからである、すなわち、前に言ったように、人間自身のものは奈落的なものであり、それが彼の地獄そのものであることを知られているからである。なぜなら人間はその意志の人間自身のものにより、地獄と交流し[連なり]、この人間自身のものは地獄からは、またその人間のものそのものからは、そのもの自身を地獄に向って投げ込むほどに甚だしくまた強く何ごとも欲してはおらず、またそれはそのことにも満足しないで、宇宙の凡ゆるものを投げ込もうとさえ欲しているからである。人間は人間自身ではこのような悪魔であって、主はこのことを知られているからには、主が契約を憶えられることは人間に慈悲を抱かれて神的な手段により彼を再生させ、彼がそのことを可能にするようなものである限り、彼を強力な力により天界へ引かれるということ以外には何ごとも意味していないことが生まれてくる。