体のともしびは目である
マタイ6・22
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
1.聖書
マタイ6・22−23
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
天界の秘義9051[2]
この記事にも『目』により目は意味されてはいないで、信仰の真理の理解が意味されているのである。ここから目は『身体の光』と呼ばれ、『もしあなたの中に在る光が暗闇であるなら、その暗黒はいかに甚しいことであろう』と言われているのである、なぜなら『暗黒』はその霊的な意義では信仰の誤謬を意味しているからである(1839、1860、4418、4531、7688、7711番)。
天界の秘義9548[7]
『目』によりここでは信仰とそこから発した理知とが意味されているのである(これらの事柄が『目』によりその内意に意味されていることについては、4403−4421、4523−4534、9051番を参照されたい)。このことから『もし目が正しいなら全身は光に満ち、もし目が悪いなら全身が暗くなること』により意味されていることが明らかである。