シスター・ヨゼファ・メネンデス

1890−1923

 

 

1.『愛の招き』 世界に宛てた聖心のメッセ―ジ(全599頁)

 

2.改訂版『愛の招き』 21世紀へのメッセ―ジ(抄訳全139頁)

 

 

1.従順

2.主は助けていて下さる

3.みじめ、小さな者

4.無用な全く価値のないものだからわたしが選んだ

5.へり下り

6.委託

7.悪魔に近づくな

8.願えよ、さらば与えられるであろう

9.世界が主を知る

10.主が愛されることを望む

11.小さなことも愛をもって行えば

12.もし知っていたなら

13.自分自身を知れば知るほど、わたしが何者であるかを知るようになる

14.常に微笑んでいることを望む

15.救霊

16.主をお喜ばせする

17.機首を上げよ

18.卑しい器

19.主の聖心をどのように罪人に知らせたらよいか・・・赦したい

20.とるにもたりないみじめなおまえを使いたい

21.主を知る

22.主が求めるものは愛

23.欠点、弱さ

24.贖い・犠牲(情欲を抑える)

25.主の聖心のうちにだけしか幸福は見出せない

26.心の食物

27.人々に教える

28.永遠の地獄

29.苦しみ

30.主との一致

31.傲慢と謙遜

32.無駄にはならない

33.主の最大の苦しみ

34.主は忘れてくださる

35.洗足の理由

36.聖体訪問、待ちわびる主

37.過失

38.聖母から教えられた祈り

39.シレネのシモン・・・報酬、雇われ人

40.感謝

41.父と呼んでくれるのが好きだ

42.公に身を捧げる

43.父なる主が求められる愛のしるし

44.カルワリオ山で、イエズス様は私に人々を私の子供としてお与えになりました

45.何か他の道で奉仕する方が、神に光栄のためであると思い込むようになる

 

 

 

 

1.従順

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P59

 

み主には私に明らかにご自分を一番喜ばせるものは何であるか、それはすなわち従順によってなされる小さな行いである、ということをおわからせになりました。これこそ私が全力をつくさなければならないことで、これによって、私は何についても自己犠牲を学ぶことが出来ます。たとえその行いがどんなに小さくても、イエズスのみ心をお喜ばせすることができます。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P60

 

私はどんな些細なことにも従順で、つまらないことにも惜しみなくつくすよう努力いたします。完徳とはこういうことでにあって、またこれがみ主に真直ぐに行きつくその道ですから。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P460

 

“すべてを脱ぎ棄てよ、おまえの望みも、好みも判断も、何もとっておかず、そうして愛する者の、み旨に全く服せよ。おまえが望むようにではなく、わたしが欲するままにおまえを取り扱い、わたしの意志がおまえの意志ともなるところまで達しなければならない。その意味は全く服従で、わたしが望むまま、わたしが欲するままに、おまえが全く自分の望みを一致させることなのだ。おまえは従順の誓いによってすべての権利をわたしにくれた。ああ、もし人々がこのように全く己れを渡す時ほど自由な時はなく、またわたしのみ旨を実行する時ほど、わたしがかれらの望みを実現してやりたいと切望する時はないということを悟ったなら! わたしにおまえを結ぶこの絆を胸に押しあて、行っておまえの誓願を新たにせよ。それはおまえをわたしの足、わたしの手に釘付け、わたしの聖心に入らせるのだ”

 

 

 

 

2.主は助けていて下さる

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P59

 

今まで一人ぼっちで、しかも忠実でないという考えは、私にとってどんなにこわいことでしたでしょう。でも今は、たとえ私が気がつかなくても、み主が私を助けていて下さるということがわかってきたのです。さて私はどんなにみ主をお愛ししたいかということは、簡単にいいあらわすことはできません。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P344

 

霊魂が力を求めてわたしのところへ来る時、一人ぽっちにしてはおかない、わたしはその者を支えもし、弱さに負けて倒れればおこしてやるのだ。

 

 

 

 

3.みじめ、小さな者

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P106

 

“きょうは非常な慰めを受けた。それはおまえがわたしを決して離れなかったことと、それにおまえの小ささがわたしを喜ばせた。このように、おまえは常にわたしと一緒にいなければならない。おまえが自分自身をみじめで小さいと思うほど、わたしがおまえについて満足していると思いなさい”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P198

 

“おまえのみじめさについて悲しんではならない。わたしの聖心は憐れみの王座であり、この愛の淵に身を投じて来るならば、最もあわれな者こそ、最も好遇されるのだ。わたしはおまえが小さい哀れな者であるからこそ、おまえに目をとめた。わたしはおまえの力なのだ。さあ、これから他の霊魂を求めに行こう。だがその前に暫くわたしの聖心に寄り掛かって憩うがよい。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P335

 

(聖母)

私の娘よ、小さく惨めであることを知ってへりくだりなさい。でもみ主に信頼をおくのです。み主はあなたを愛し、決してお見捨てになりませんから。み主に光栄を帰し、深くお愛しして、沢山の霊魂をかちえることだけをあなたの野心としなさい。

 

 

 

 

4.無用な全く価値のないものだからわたしが選んだ

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P286

 

おまえがみじめだからといってわたしは、おまえを離れない。おまえを選んだのも、結局はそのみじめさのためなのだ。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P468

 

おまえはといえば、無用な全く価値のないものだからわたしが選んだので、語り、命じ、行うのはわたし自身である。

 

 

 

 

5.へり下り

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P151

 

私はみ主がとくにお好みになるようにへり下り、自分をお任せするにはどうしたらいいか、教えて下さるようにと切に願いました。み主はこの祈りがお気に召したと思われます。なぜなら、突然お現れになって、

“おまえはいろいろの方法でへり下ることができる。第一に、御憐れみをひろめるために、おまえにとって身分不相応であるにもかかわらず、おまえを用いようとする神のみ旨を礼拝することによって・・・。第二は、おまえは功徳もないのに、わたしの聖心の修道会に、おいていただけることを感謝することによって・・・。そのことについて、決して呟いてはならない。”

 み主はこの言葉を魂の底までしみ入るように仰せられたので、私は み主にあの忘恩を忘れて下さるようにお願いしました。そして神のみ心をお苦しませしたのなら、その償いをしたいという望みを、もう一度申し上げたほどでした。

“ヨゼファよ、おまえは『おお、神のみ心よ、わが天配のみ心よ、すべての心の中で、最もやさしく、最も感じやすきみ心よ、御身が不肖なる私をかえりみて、霊魂に神の仁慈を注ぐために、選びたもうたことを感謝し奉る。』という祈りを繰り返せば、わたしは慰められる。”

 み主はもう一度私をおみつめになって消えていかれました。

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P152

 

(聖母)

そしてもし自分自身に何か得意を感じるなら、すぐにそれを打ち明け、へり下るように。私はあなたにもっと単純であるように勧めます。これは悪魔の奸策から自分を守る唯一の方法なのですよ。

 

 

 

 

6.委託

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P153

 

4月13日、水曜日、私は妹からの手紙を受け取りました。妹がカルメル会に入会して、母が独りとりのこされるかも知れないという考えが、私を困惑させました。(中略)あの時、(上長のマザーが)特別に深く心にしみわたる一つのことをおっしゃって下さいました。『神のみ心は、あなたなどとても及ばない深い愛をもって、あなたのおかあさんを愛して下さるのですよ。』と。私はそのお言葉を黙想しました。そして全部を神にお任せすることに決心いたしました。

 翌日、感謝の祈りの間に、私の弱さをご存知の御者は、溢れるばかりのおやさしさでお現れになって、

“おまえがわたしにすべてを任せるなら、おまえはすべてを、わたしの心の中に見出すであろう。”と。

 

 

 

 

7.悪魔に近づくな

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P153

 

(聖母)

“私の娘よ、あなたに非常に大切なことを一つ教えたいと思います。悪魔はまるで怒り狂った犬なのです。でもそれはつながれています。これは、悪魔がある限られた自由しか持たないということを意味しています。だから悪魔に近づきさえしなければ、捕らえられたり、食い破られたりする心配はありません。そして、悪魔は獲物を捕えようとして常に奸策を廻らせて、羊に化けるのです。そのことに注意しない霊魂は次第に悪魔に近寄って行きます。そしてその奸計に気づいた時はあとの祭、既に捕えられているのです。ですからあなたは、悪魔がまだ遠くの方にいるのだと思える時でも、警戒を怠ってはなりません。悪魔は人の知らぬ間にこっそりやって来るのです。”

 

 

 

 

8.願えよ、さらば与えられるであろう

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P145

 

「み主よ、私は沢山のことを御身にお願いいたしとうございます。」と申し上げた。

“ヨゼファよ、おまえはわたしの福音書の中に書かれていることを知らないのか、願えよ、さらば与えられるであろう。”

そこでヨゼファは、いつでも真っ先に頭にうかぶ、愛する母や妹たちのことについてお話し申し上げた。ヨゼファはつねに忠実であることができるお恵みを願い、マザー方、シスターたち、その家族のために一つ一つ数えあげながらお願いした。

「私はみ主に、聖心会がフランスでもじきに、貧しい人々のための学校を再開されることができるようにとお願いしました。

 み主は、子供に甘いおとうさまのように、ほほえみながら聞いていらっしゃいました。私はだんだん遠慮がなくなりました。

 全世界を憐れんで下さり、み主のみ心の愛の火で燃やして下さるように一生けんめいお祈りしました。

“ああ世の人々がわが聖心を知りさえしたなら・・・。人々はわたしの慈悲と好意を知らないのだ。それがわたしの最大の悲しみなのだ。”と。

 

 

 

 

9.世界が主を知る

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P184

 

それからみ主は悲しそうにお続けになり“ああもし人々が、わたしがどこまで深くその者たちと親しくしたいと望んでいるかということを悟ったなら・・・。だがそれを悟るものは少ない・・・。そのためにわたしの聖心はどれほど傷つけられることだろう。”

 私はできる限りみ主をお慰めしました。そうしてしばらくみ心を悲しませる霊魂のことは忘れ、むしろみ心を慰め愛する人々のことをお考えになるようにと申し上げました。この言葉をお聞きになって気が軽くおなりになったのか、“わたしは霊魂にとって唯一の幸福なのだ、それなのに人々はどうしてわたしから遠ざかって行くのだろう。”と仰せられました。

『み主よ、みんなが遠ざかって行くのではございません・・・。私たちが倒れるとすれば、それは弱さからなのでございます。御身はそれをよくご存知でございます。』

“わたしにとって過失は大したことではない・・・。わたしは人々のみじめさを心得ている。わたしが望むのは人々がわたしの招きに耳を塞がず、さしのべる手を拒まないことなのだ。”

 

 

 

 

10.主が愛されることを望む

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P63

 

イエズス様、私はただ一つのこと以外は望みません。それは全世界が御身を知ること、とくに御身がみこころの浄配として選びたもうた霊魂が、御身のほめたもうべきみ心を知るようにということ。御身は唯一の善に在すからこのことを知れば、それらの霊魂は御身をお愛しする筈でございます。御身の愛で私を燃やして下さいませ。私はそれで充分でございます。すべての霊魂を燃やして下さいませ。それで充分でございます。愛は御身に走りゆく一番の近道でございます。私としては御身を愛し、日に日にもっと御身を、御身だけをお愛しする以外は何も望みません。他のことは皆、私にとっては御身へ向かう小道にしかすぎません。すべての人を、み心のかまどへ導くお役に立つなら私の命はいりません。

 イエズス様は、すべての人の愛を待ちこがれたもうその渇きを私にお与えになりましたが、私もすべてを捧げてみ主をお喜ばせし、人々の霊魂がみ主を知り、愛するようになるためには、自分にとって一番つらいことをお引受けするつもりです。

 私は聖なる従順の徳に従うことだけをするとみ主にお約束しました。そしてみ主をお喜ばせするには小さい子供のように、ごく質朴にあけひろげたままの心で、至聖なる御身に向かうのが一番いいのだと悟りました。

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P102

 

“おまえがこんなにもわたしの愛に餓えて、わたしが愛されるようにとの望みで焼きつくされていることは、それだけでわが聖心の慰めである。そうだ、霊魂のために祈りなさい。おまえに任せた七人のために。あと幾つかの犠牲だ。そうすればじきにわたしのところへ帰って来るにちがいない。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P191

 

おまえにとって、わたしが愛されるのを見たいとの望みしか持っていなくても、これはすでに大したことなのだ。わたしの聖心はこれで慰められる。・・・・この望みこそ愛なのだから。

 

 

 

 

11.小さなことも愛をもって行えば

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P59

 

み主には私に明らかにご自分を一番喜ばせるものは何であるか、それはすなわち従順によってなされる小さな行いである、ということをおわからせになりました。これこそ私が全力をつくさなければならないことで、これによって、私は何についても自己犠牲を学ぶことが出来ます。たとえその行いがどんなに小さくても、イエズスのみ心をお喜ばせすることができます。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P190

 

“ある霊魂がつらい行為をしたとしても、愛からではなく、興味や楽しみによるものであるなら少しの功徳しか積めない。反対に、非常に小さなことであっても、大きな愛をもって捧げたなら、わたしの聖心を慰め、わたしをその心の方へかがみ寄らせ、そのみじめさのすべてを忘れさせるに至らせるのだ。

 そうだ、わたしの熱烈な望みは愛されることなのだ。もし霊魂が、わたしの愛の烈しさを知っていたなら・・・。わたしはそのためにこそかれらを求め、走り廻り、霊魂がわたしに戻って来るように、どんなことも辞さないのである。“

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P292

 

“行為はかまわない。それをする意向をわたしは見るのだ。ほんのささいなことでも愛をもってする時、それは大きい価値を得てわたしをほんとうに慰めてくれる。わたしが探し求めるのは、愛のみだ。”

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P297

 

“他の人々が悪に陥るのを防ぐために、苦しみを捧げる人々がいる。あの二人が、もし昨日、罪を犯したのであったら永久に失われるところだった。しかしおまえがした多くの小さな行為が、誘いに抵抗する勇気をかれらに与えたのだ。”

 ヨゼファは、そればかりの僅かなことが、そんなに大きな結果をもたらすことに驚くと、“それはほんとうなのだ。わたしの聖心は、小さな捧げものにも、とうとい値うちをつける。わたしが望むのを愛で、わたしはそれだけしか望まないのだから。”と。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P315

 

“日々の生活をわたしの生活と、絶えず一致させることを知る者は、わたしの光栄となり、救霊のために偉大な働きをする。たとえ、それ自身何の価値もないことをしても、それをわたしの血に浸し、また、わたし自身が地上で行った業に併せれば、救霊のためにどれほどのみのりをもたらすかわからない。それは全世界をめぐって説教する以上の収穫となる。学ぶにせよ、話すにせよ、書くにせよ、または針仕事をしても、掃除をしても、休息するにしても同じ効果がある。それらの業が、命ぜられたことであるとか、義務であるとかであって、ただ、気ままにするのでないならば、次にわたしの血に浸して、清い意向をもってわたしと緊密に一致して行うならば、どんな事業でも偉大な価値があるものとなる。

 この事実を、多くの者が理解するよう切に望む。行為それ自体に何か価値があるのではなく、それを行なう動機と、わたしとの一致が大切なのである。わたしがナザレットの仕事場で掃除をしたり働いたりした時、後に公生活中に説教したと同じように天のおん父に光栄を帰し奉ったのである・・・。世間に出て立派な仕事をして、重要な地位についている人が、わたしの聖心に大いなる光栄を与えていることも事実であるが、卑しい働きに、世の眼から隠れた多くの人々も、わたしの葡萄畑にまことに有用な働き手である。彼らこそ愛に動かされて働き、その最小の行為さえも、わたしの血を浴びて、超自然的黄金とかえることを知っていたからである。

 朝まだきよりわたしと深く一致して、その一日をわが聖心が人々の救霊に役立てるようにと熱願し、愛をもって、その義務を一瞬一瞬果すならば、一日にどれほどの宝を積むことができるであろう!“

 わたしの愛をもっともっと彼らに現わそう。わたしの愛はつきることがなく、愛する者にとっては、愛に導かれるままにするほど容易なことはない“と。

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P318

 

“ほんとにわたしこそ霊魂をやさしく愛するイエズスなのだ。人々を呼び、保護し、世話するこの聖心を視よ、人々から愛されることを、特にわたしの選んだ者たちから、愛されたいとの念願に燃えている聖心を視よ。”

 

“さあ、もっとその人々のために記せ。”

 

“わたしの聖心は単に愛の深淵であるばかりでなく、更に慈悲の深淵である。神からいとも愛される霊魂さえも、人間の惨めさをもっていることを知って、わたしはかれらがいかほどささいな行為でも、世の救済のため、わたしによって無限の価値を帯びるようにと望んでいる。だれもかれもが皆説教をすることはできない。また、遠く未開地へ福音をのべ伝えることもできないが、皆ほんとにだれでもわたしの聖心を知らせ、愛させることができる・・・。だれでも互いに助けあいながら、選ばれる人々の数を増やすことができる。つまり多くの霊魂が失われるのを防ぐことができる。・・・そうしてこれは、わたしの聖心の愛と哀隣の結果からである。もし惜しみなく、わたしの求めるすべてを与えるならば、自分と他人のために莫大な宝を積み、多くの者を滅びの底からとり戻すことになる。わたしが選んだ人々に、わたしの愛はもっと多く行なうことができる、ということを語ろう。人々は日常生活の僅かな行いを利用することができるばかりでなく、救霊のために、惨めさ、過失、罪さえも役立てることができる。ほんとに愛はすべてを変化し、聖化し、哀隣は全てを赦す。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P320

 

“かれらに対するわたしの愛はもっと深い。いかにささいな行為にも聖なる価値を与えて、日常生活を生かして行くばかりでなく、その惨めさ、弱さ、過失さえも、世の救いのために、わたしは利用したいと思う。つまり、自分が惨めさに満たされていることを知っている霊魂はどんな善をも自分のてがらとしないで、かえってその不完全さを見出すことによって、一層謙虚な気持ちを抱くようになる。

 また、その使徒的働きや職務についても、己れの無能をはっきり感じ、人々を自分がいまだ達しえない道にまで、助けなければならぬことを心苦しく思い、自然とへりくだるようになる。そうして、もしこの弱さを謙遜に自覚して、わたしのもとに駆け寄り、努力の足りないことを詫び、力と勇気をわたしの聖心に願うならば、どんなに深い愛の眼をそそぎ、またどんなにわたしが、その働きを有効なものにするか、計り知れないほどである。ある者は、毎日の努力や犠牲を、一瞬ごとに心惜しみなく捧げることを知らない。その一生は約束ばかりで、何も実行せずに過ぎてしまう者が多い。しかし、ここに差別がある。もしこの種の人々が、約束することが一つの習慣となってしまい。実行するために何もしないなら、わたしは次の言葉を言うほかはない。『おまえが穀倉に積み重ねた藁に火がつかないように注意せよ、また、風が一瞬にして吹き飛ばしてしまわぬように警戒せよ。』と。

 しかし、わたしがここで言うのは、他の種類の人々で、どうかしてその愛を表わそうと善意をもって切に望みながら、その日を始める、そうして、「この機会には自分を忘れて物惜しみなくいたしましょう。こんな場合には」と約束する。しかしその折が来ると、持ち前の性質や、自愛心、また心持の悪さとか何かに負けてしまい、数時間前に、あんなに心から約束したことを実行できなくなる。しかし心を取り直し、へりくだってその弱さを認め、赦しを乞う。そして再び、わたしの聖心に信頼し、依り頼んで決心を新たにし、愛や寛大な行ないをもって償おうと努力する。この霊魂は、過ちを犯さなかった者より以上にわたしに大いなる光栄を帰すのである。“

 

 

 

 

12.もし知っていたなら

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P190

 

 そうだ、わたしの熱烈な望みは愛されることなのだ。もし霊魂が、わたしの愛の烈しさを知っていたなら・・・。わたしはそのためにこそかれらを求め、走り廻り、霊魂がわたしに戻って来るように、どんなことも辞さないのである。“

 

 

 

 

 

13.自分自身を知れば知るほど、わたしが何者であるかを知るようになる

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P189

 

おまえは自分自身を知れば知るほど、わたしが何者であるかを知るようになるのだ。

霊魂内に、いささかでも暗いかげがあるまま、決して夜の休息をとってはいけない。わたしはそれを切に勧める。もし過ちを犯したなら、すぐにそれを償わなければならない。わたしはおまえの霊魂が水晶のように清らかであることを望んでいるのだ。

 これからも何べん倒れたとしても心を乱してはいけない。心の乱れと不安こそ霊魂を神から遠ざけるものなのだ。赦しを願いなさい。そしてづぐに長上に申し上げるように・・・。

 繰り返して言おう、時を移さず、すぐに・・・。

 

 

 

 

14.常に微笑んでいることを望む

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P189

 

“わたしはおまえが小さく謙遜で、常に微笑んでいることを望む。そうだ、わたしはおまえが喜びのうちに生きることを欲する。己を処するに厳しくあって。

 たびたび自分にとってつらいことを選びながらも、快活で喜びにみちていなければならない。わたしの聖心に一番光栄を帰すのは、平和と喜びのうちに、わたしに仕えることなのだ・・・。

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P432

 

“おまえがいつも寛大な心構えを持つことを教えよう。

寛大ということは愛の結果で、後にもっと説明するが今日は実践的な方面を教えよう。いろいろの場合に面した時、わたしだけを見るように、そしてだれかが何かいったりしたりすることがおまえの気にさわり、悲しくなる時、寛大な気持ちで、愛をもってわたしが語っているかのように、ほほえんでごらん“

 

 

 

 

15.救霊

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P111

 

このよき御母はまたいらっしゃって、

“あなたがイエズス様をお慰めしたいと思うなら、何がみ主をお喜ばせするか教えてあげましょう。それは、自分の利害を少しも考えないで、ただ み心の光栄のためだけに、霊魂を救うよう凡てを捧げることです。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P335

 

(聖母)

私の娘よ、小さく惨めであることを知ってへりくだりなさい。でもみ主に信頼をおくのです。み主はあなたを愛し、決してお見捨てになりませんから。み主に光栄を帰し、深くお愛しして、沢山の霊魂をかちえることだけをあなたの野心としなさい。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P437

 

イエズス様がこのみ言葉を仰せになったので、心にかかっている霊魂のことをお話しすると、み主はお答えになって、“ほんとに、ただ祈るのだ。沢山、倦まず、たゆまず、うるさいと思われるほど、怖れずに願うのだ。祈りはすべての戸を開く鍵なのだ。ヨゼファ、熱愛の日だ、救霊のために熱心になる日だ。霊魂! 霊魂!”

 

 

 

 

16.主をお喜ばせする

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P111

 

このよき御母はまたいらっしゃって、

“あなたがイエズス様をお慰めしたいと思うなら、何がみ主をお喜ばせするか教えてあげましょう。それは、自分の利害を少しも考えないで、ただ み心の光栄のためだけに、霊魂を救うよう凡てを捧げることです。”

 

 

 

 

17.機首を上げよ

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P197

 

“わたしを愛することに専念するのだ。愛こそおまえに力を与える。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P206

 

“ヨゼファよ、自分の小ささを見ないで、おまえを支えている聖心の強さを見るのだよ。わたしはおまえの力であり、おまえのみじめさの贖主なのだ。わたしがおまえに要求するすべての苦しみを、すべて忍ぶ勇気を与えよう。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P207

 

“おまえが敵に倒されそうになったら、『自分は神の力で支えられているのだ』といってよればいいのだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P375

 

愛する者たちよ、もし天を仰ぎみないならば、おまえたちはいつか理性なき禽獣のように、常に地面にばかりうずくまってしまうだろう。おまえたちを待つ祖国に頭を上げ、神を求めればその御眼はおまえたちの上にそそがれ、その御まなざしのうちに平和と生命を見出すであろう。

 

 

 

 

18.卑しい器

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P270

 

イエズスは重大な発言をされる前に、沈思されるかのようにしばし厳かな沈黙がつづき、後に仰せられた。

“わたしの聖心は愛の大事業をするために、卑しい器を用いたいのである。この事業の準備として、聖母の被昇天までおまえは次のことをしなければならない。

わたしの用いる器の無であることを深く悟ること、おまえ自身を全くわたしの聖心の憐れみに任せ、どんなに苦しくても、わたしの要求に決して反抗しないと約束すること。

 木曜日には選ばれた霊魂たちの反抗に苦しむ、(中略)

 

“かまわない、わたしが口述してあげよう・・・。わたしの言葉は一つも失われはしないのだ。わたしがおまえに告げる言葉は一つも失わせないであろう。だから、おまえは小さくみじめな者であってもかまうことはない。一切を行うのはわたしである。

 わたしは、わたしの事業が無、みじめさの上に立てられること、また永遠の昔から霊魂のため準備した、愛の鎖の最初の輪は、この無、みじめさにあることを悟らせよう。わたしはみじめさ、小ささ、無を愛することを示すために、おまえを用いよう。

 わたしの聖心はどこまで人々を愛し、赦すかをしらせよう。その過ちまでも、わたしをよろこばせるつてとしよう。わたしは霊魂の奥底までも見抜くから、わたしをよろこばせたい、慰めたい、わたしに光栄を帰したいとの心を見ている。その上、自分たちがあまりにも不忠実であることを悟ってへり下ることこそまさにわたしを慰め、わたしに光栄を帰することになる。

 彼らの弱さなどかまわない、足りないところはわたしが補う。わたしの聖心を失われようとする多くの霊魂を救うために、その弱ささえも利用することを教えよう。

 倒れた者に対しては、わたしの愛と慈悲は限りを知らぬことを知らせよう。わたしは赦したい・・・。わたしは赦してこそ心を安んじるのである。わたしに来る者を、いつも愛をもって待っている。勇気を落としてはならない。

 来れ! わたしの愛の腕(かいな)の中に身を投ぜよ! 何も恐れることはない。わたしはおまえの父ではないか・・・。

 神を全く知らない深い闇の中に沈んでいる霊魂、わたしが真の生命を与えてやりたいと、どんなに望んでいるかも全く知らない者を、わたしの聖心に引き寄せるために、浄配の多くは色々することが出来るのだ、ということを、理解していない。わたしはおまえに愛の秘密を教えてあげよう。そしておまえ自身がわたしの愛隣を知らせる、生ける模範となるのだ。みじめさ、無にすぎないおまえをこんなにも寵愛するならば、おまえよりずっと寛大な霊魂をどうして愛さずにいられよう“と。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P350

 

おまえは役にも立たないつまらぬ道具にすぎないことを忘れてはならない。

 

 

 

 

19.主の聖心をどのように罪人に知らせたらよいか・・・赦したい

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P287

 

“さて、わたしの選んだ人々が慈父としてのわたしの聖心を、どのように罪人に知らせたらよいかについて、記しなさい。”

 そこでヨゼファは小さいテーブルの前に跪き、み主が語られるままを書きとった。

“わたしは人々の心の底まで知りぬいている。その情欲も、世俗とその快栄にひかれて行くことも、人々がわたしの聖心を傷つけ、多くの者にとって、わたしの苦難も、わたしの血も、無益に終わっていることも永遠から知っている。しかしわたしは、かれらが聖心を痛めるのは罪そのものではなく、罪を犯したのち、わたしのところに隠れ家として帰ってこないこと、それが聖心を傷つけるのである。わたしは、本当に罪人を赦したい、選ばれた者たちは、わたしの聖心が愛と慈悲にみちあふれて、罪人を待っていることを人々につげてほしいのだ。”と。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P297

 

“わたしが求めているのは愛で、人々を愛す、その愛に愛で答えてくれることを待っている。それなのに、たびたび愛の代わりに冷たい眼をむけられる。これが聖心を傷つけるのだ。おまえは、わたしを愛し、霊魂を得ておくれ。おまえの行為をわたしの聖心に一致させ、おまえとともにいるわたしのところに住みなさい。わたしは愛のみを望むのだ。

 ああ、もし人々がわたしがどんなに恵み深く皆を待っているかを知ったなら・・・。わたしは愛の中の愛、赦しを与えることがわたしの喜びなのだ。“

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P341

 

“聖時間を罪人を赦すために自分にひきよせたいとの望みに燃えるわたしの聖心の感情に合せて過すようにさせてあげる。哀れな罪人たち、何とめくらなのだろう。わたしは、ただ赦すことのみ望むのに、人々はわたしに背くことしか考えない。これこそわたしの最大の苦しみだ。あまりにも多くの霊魂が失われ、赦されるために、わたしの聖心に来ようとしない。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P341

 

“警官が罪人を追いかけるように、わたしも罪人を追いかける。が、警官は罰するためで、わたしは赦すためだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P346

 

わたしの聖心ほど、赦してやりたいとの望みに燃える心が果たしてあるだろうか。しかもその愛の報いとしてこんなにもひどい侮辱を受けるとは。哀れな霊魂たち・・・。

 

 

 

 

20.とるにもたりないみじめなおまえを、使いたい

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P287

 

「そこで私はみ主に申し上げました。」とヨゼファは言う。「選ばれた人々はすでにもうそのことを知っております。でも私は本当につまらぬ者で、み主のご計画をだめにしてしまうかも知れないということをお忘れになりませんように。」と。

“皆が知っているということもわかっている。”とやさしく強調された。

“しかし、わたしは時折り、愛の訴えを新たに聞いてもらいたくなる。今日はとるにもたりないみじめなおまえを、使いたい。おまえはわたしの意志に全く身を委ねること、それだけをすればいいのだ。わたしは聖心のうちにおまえを隠しておくから、だれにも気づかれることはない。おまえが死んでからはじめて、人々はわたしの言葉を読むようになるのだ。わたしの聖心に身を投じなさい。わたしは大きな愛で支えてあげるから。わたしが、どんなにおまえを愛しているか、まだよくわからないのだろうか。充分な証拠をすでに見せているのではないか。”と。

 ヨゼファがまたも、自分の弱さ、過ちの数々をあげて、とても選ばれるねうちはないとしりごみするとみ主は、

“そんなことは永遠の昔から知っている。だからお前を愛するのだ。」とあっさりおっしゃる。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P458

 

「み主をお慰めしたいと思いましたが、自分の惨めさにまったく当惑して、同時に苦しい思いにせめられました。私の望みをお打ち明けしてから、自分がこんなにも罪を犯したのに、どうして世の人々の罪を赦していただくお願いができましょうかと、申し上げました。すると突然み主がお出でになり、とてもやさしくおっしゃいました。」

“なぜおそれるのか、わたしは赦したいとの望みしかないのを知らないのか、おまえの徳が高いから選んだと思うのか、わたしはおまえが欠点だらけで弱虫以外の何ものでもないことを知っている。だがわたしは火だからおまえを浄め、わたしの聖心の炎でおまえを包み焼きつくしてしまう。ああヨゼファ、何度もわたしの唯一の望みは人々が、その惨めさをわたしにくれることだといったではないか、お出で・・・愛で焼き尽くされるままになりなさい。”(中略)

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P459

 

“おまえはといえば・・・もしわたしがこれ以上に惨めなものに出会ったとしたら、わたしの愛の眼はその人の上にそそぎ、その人を使ってわたしの聖心の望みをあかしただろうが、そんな人を見出し得なかったから選んだのが、即ちおまえなのだ”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P459

 

ああヨゼファ、おまえがあるがままにわたしの手に身を委ね、欠点だらけなことを知り、全くへり下るのだ。しかし決してそのために信頼を失わないように。“

 

 

 

 

21.主を知る

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P301

 

“ヨゼファよ、わたしの聖心を燃やしつくす炎を共に体験しておくれ。わたしは、人々がわたしを知ってくれるようにと飢えている。皆がわたしのところに来るように! わたしを恐れず、わたしに信頼するように。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P303

 

“何も恐れることはない。こんなに惨めなおまえをわたしが選んだのは、わたしが人々から偉大さや聖性を求めるのではなく、愛だけを求め、他のことはすべてわたしがするのだということを、もう一度みんなに知ってもらいたいからだ。またおまえにわたしの聖心の秘密を語ろう。ヨゼファよ、わたしがいつも知らせたいとあせっているのは、皆がわたしの聖心をもっともっと知るということなのだ。”

 

 

 

 

22.主が求めるものは愛

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P289

 

“わたしは今、皆の心のうちにわたしが用意した玉座に坐している。かれらはつまらないものながら全くわたしのものである。心にわたしを受け入れてくれるので、わたしはどんなに慰められているかわからない。惨めさなどかまわない。愛こそわたしの欲するものなのだ。過ちも弱さも問題ではない。わたしの望むのは信頼だ。世の人々の上に、神の愛隣と平和をよび下すのはこの人々である。かれらなしには、余りにも多くの犯される罪に対して神の正義はとどめられないのだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P292

 

“行為はかまわない。それをする意向をわたしは見るのだ。ほんのささいなことでも愛をもってする時、それは大きい価値を得てわたしをほんとうに慰めてくれる。わたしが探し求めるのは、愛のみだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P297

 

“わたしが求めているのは愛で、人々を愛す、その愛に愛で答えてくれることを待っている。それなのに、たびたび愛の代わりに冷たい眼をむけられる。これが聖心を傷つけるのだ。おまえは、わたしを愛し、霊魂を得ておくれ。おまえの行為をわたしの聖心に一致させ、おまえとともにいるわたしのところに住みなさい。わたしは愛のみを望むのだ。

 ああ、もし人々がわたしがどんなに恵み深く皆を待っているかを知ったなら・・・。わたしは愛の中の愛、赦しを与えることがわたしの喜びなのだ。“

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P303

 

“意気地なさや惨めさは大した問題ではない。わたしが人々に求めるのは愛だ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P337

 

“わたしが望む唯一のことは愛である。愛する者のなすがままに導かれる素直な愛・・・愛する者のよろこびと、利益のみを思う己れなき愛、利己主義がもたらす邪魔物をのり超える熱心な燃えるごとき愛、これこそ真実の愛で、人々が飛び込もうとする底なき淵から霊魂を救う愛である。”

 

 

 

 

23.欠点、弱さ、過失

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P289

 

“わたしは今、皆の心のうちにわたしが用意した玉座に坐している。かれらはつまらないものながら全くわたしのものである。心にわたしを受け入れてくれるので、わたしはどんなに慰められているかわからない。惨めさなどかまわない。愛こそわたしの欲するものなのだ。過ちも弱さも問題ではない。わたしの望むのは信頼だ。世の人々の上に、神の愛隣と平和をよび下すのはこの人々である。かれらなしには、余りにも多くの犯される罪に対して神の正義はとどめられないのだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P301

 

“非常にかわいがっている霊魂を厳しく取り扱うことはできない。だれでも皆、わたしにとって大切ではあるが、多くの特に愛する人々がいる。その人々から慰めをうけ、わたしはそれらに特別の愛情を傾けようとして選んだのだ。その人々の欠点は問題ではない。その人々に知ってもらいたいことは、弱さから罪におちいったあとで、わたしの聖心に謙遜に身を投げれば、前よりもさらにやさしく愛し、赦してあげるということだ。わたしはいつもその人々を愛している。”

 ヨゼファはかかる愛隣に勇気づけられて、

「それだから私をこんなにお愛し下さるのでしょうか。こんなにも罪深く、いく度も罪を犯す私を、み主はお赦しを願うといつでもすぐに赦して下さって、その証拠に何かもっと深い新たな愛を示して下さるのです。

“惨めであればあるほどその者をわたしが愛することを知っているであろう。他の人よりもおまえがわたしの聖心を捕えるのは、おまえがあまりにもちっぽけで可哀そうだからなのだ。”」

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P302

 

“世俗には危険がいっぱいだ。哀れな罪人は絶えず悪に誘われるから、見える助け、見えない助けが必要だ。わたしの選んだ人々が物惜しみをすれば、どんな宝を失い、また人にも失わせるかよくわかっているだろうか。わたしはもう一度強調したいのだ。わたしに選ばれたのだから、当然欠点や弱さがなくなるはずだなどと思ってはならない。その人々も一度ならず罪を犯すだろう。しかしへり下って自分のつたなさを認め、その罪を物惜しみしない愛の小さな行いで償おうと努力し、再びわたしの聖心に信頼するならば、わたしの聖心は大いなる光栄に満たされ、罪を犯さなかったよりも、もっと他人を助けることができるのだ。”

“意気地なさや惨めさは大した問題ではない。わたしが人々に求めるのは愛だ。”

“その惨めさにもかかわらずわたしは気も狂うほどに愛することができる。しかしここでわたしがいう罪は、不注意や弱さからの過失のことで、あらかじめ知って承諾した罪のことをいうのではない。”

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P337

 

“おまえが何者であるかなど考えてはいけない。わたしが命ずるすべてのことをする力を与えてあげる。ヨゼファよ、わたしがおまえの惨めさや過失さえもそのまま許しておくのは、おまえに与えられる恵みに関わらず、おまえが皆無である事実に絶えず直面し続けるためなのだ。”

 

 

 

 

24.贖い・犠牲(情欲を抑える)

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P299

 

“至聖なる神に対して罪が犯され、正義は贖いを必要とする。決して何も無益ではない。地獄の苦しみを体験するたびごとに罪は贖われ、神の御怒りがなだめられる。こんなにもたくさん犯される罪に対して償いがなかったら、世は一体どんなことになるだろう。犠牲を捧げる者が足りない。あまりにも少ない。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P379

 

 “獄の中では寒さ、飢え渇きを忍び、眠けに襲われ、痛み、苦しみ、ただ一人置き去りにされた。

 その時わたしは幾世紀もの間、わたしの隠れ家として不足だらけの聖櫃や、冷たく凍った心に苦しむことを思った。その心の多くは傷つき凍えているわたしのからだにとって、獄の堅い冷たい石のようである。

 何度かわたしは霊魂の愛に飢えることであろう。わたしを訪れ、わたしを受ける者を、何日待たねばならないことであろうか。愛の渇きをいやす者の来るのを待ちこがれながら、幾夜を明かさねばならないであろうか。けれど仕事におわれたり、無関心になったり、健康を気にして来なくなる。また人々の忠節、寛大な心に飢えているのに、この聖なる飢えをどれだけ充たしてくれるであろうか。小さい克己や僅かの制欲で、満足させてくれられるのに。わたしの苦しみにやさしく同情してはくれないのだ。自然的にみてむずかしく思うときに「御身のお悲しみをやわらげ、孤独をお慰めするためにもこれを捧げましょう。」といってはくれないものだろうか。この時のわたしに心を合せれば、心穏やかに、その困難に打ち勝つことができ、どんなにこのこの聖心(こころ)を喜ばせることができるかわからない。

 獄では聞くも辛いみだらなことを、まわりから聞かせれたが、いつかわたしの愛する者の唇からそのような言葉を聞くことを思って、この聖心(こころ)は更にかき乱された。

 兵士の手がわたしの肉体を鞭打った時、罪にけがれた心が悔いることなく、わたしを聖体のうちに受けて打ち叩き、習慣的となった罪によってわたしを殴り続けることを思った。

 強いて立ち上がろうとしても鎖につながれ、力なく獄吏は倒れるがままにわたしをほっていた時、わたしの前には、忘恩の鎖をもってわたしを引きずりまわし、新たな辱めを与え、わたしを置き去りにして行く人々の姿が浮んだ。

 ああ、選ばれた者たち、獄の中なる天配を眺めこの苦しい夜を明かす天配を思え・・・、そうして省みられない幾つかの聖櫃、冷ややかな霊魂の中でさらに繰り返されるその苦痛を省みて欲しい。

 同情のしるしを与えたいとは思わないのであろうか。おまえたちの心を開いて、それをわたしの獄とさせてはくれないか。

 おまえたちの愛の鎖でわたしをつなぎ・・・細やかな心づかいでわたしを暖め・・・物惜しみしない心でわたしの飢えをいやし・・・救霊の熱い望みでわたしの渇きをうるおし・・・忠実な伴侶(とも)となって悲嘆にくれて置き去りにされたわたしを慰めておくれ・・・この聖心をかき乱す不浄を、潔白と清い意向で拭い去っておくれ。

 もしわたしを憩わせてくれるつもりなら情欲をしずめて、沈黙してくれればわたしは安らかに眠ろう。またやさしくささやく愛の声を聞くことができる。「選んだ浄配よ、わたしのために犠牲をささげたことは何一つ悔いることはあるまし。愛深い心遣いで、おまえの心の獄にわたしを守ってくれたお礼として、わたしが限りない報いとなろう。・・・おまえはわたしを休ませてくれた。わたしは永遠におまえを憩わせてあげよう。“

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P382

 

 聖寵に支えられ、お招きに応じて修道生活に入り、孤独に閉じこもって愛の絆に結ばれ、正当な自然愛もすてて、本能的な情欲を勇気をもって抑え、人から嘲笑されることをも忍び、愚なる者と思われても、その心を神なる救い主に堅く結ぶ人々を見た故に、わたしは恐ろしい乱暴な取り扱いを受けても、み旨を果そうという熱い望みにかられ、一人で苦痛を忍びながら侮辱された神の光栄を償うために身を捧げたのである。

 修道女たちよ、愛によって自ら選んだ獄に住み、世の人々から無益な、また時には、あやしげな者とさえ思われても何も恐れるには及ばない。その孤独に悩まされる時、世間の人々の、ののしるに任せておくがよい。心を、唯一の愛である神に更に強く結び、罪によって侮辱されるその光栄を償うがよい。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P384

 

“大切なことは人からよく思われることではなく、たとえそれがために苦しみ、辱めに会ったとしてもたじろがず、自然的傾向に反しても恩寵のすすめに従うべきである。もし独りでこれを行うことができないならば助けを求め、あるいは勧告を聞くがよい。いく度自己愛と情欲が己をめくらにして、いつ悪の道に誘うかわからないのだから。”

 

 

 

 

25.主の聖心のうちにだけしか幸福は見出せない

 

 

ヨゼファ・メネンデス 『愛の招き』』P26

 

“人々にわたしの聖心を打ち明けるのを手伝ってくれ。わたしはかれらに、”わたし以外に幸福を探そうとも、見出されないだろう。“と言いに来たのである。苦しみ、愛するように・・・我々は霊魂を征服しなければならないのだから・・・。”(1923年6月13日)

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P184

 

 “わたしは霊魂にとって唯一の幸福なのだ、それなのに人々はどうしてわたしから遠ざかって行くのだろう。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P189

 

“おまえがわたしの愛のうちに燃えしきることを望む。わたしの聖心のうちにだけしか幸福は見出せないのだということをすでに教えた。わたしは愛に渇いている・・・だからおまえに愛されたいのだ。そしてなお、わたしが愛されているのを見たいとの望みに燃えてもらいたい。この望みだけだおまえの心の食物であってほしいのだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P323

 

 “わたしがおまえを支えてあげるのだ。おまえはわたしを愛し、わたしはおまえを愛する。おまえはわたしのもので、わたしはおまえのものだ。その外に一体何を望むのか。“

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P324

 

わたしの聖心を焼き尽くす熱愛に、心を合わせたいと望む人々が、わたしこそ幸福そのもので、報いであることをよく知るように。

 

 

 

 

26.心の食物

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P189

 

“おまえがわたしの愛のうちに燃えしきることを望む。わたしの聖心のうちにだけしか幸福は見出せないのだということをすでに教えた。わたしは愛に渇いている・・・だからおまえに愛されたいのだ。そしてなお、わたしが愛されているのを見たいとの望みに燃えてもらいたい。この望みだけがおまえの心の食物であってほしいのだ。”

 

 

 

 

27.人々に教える

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P287

 

“さて、わたしの選んだ人々が慈父としてのわたしの聖心を、どのように罪人に知らせたらよいかについて、記しなさい。”

 そこでヨゼファは小さいテーブルの前に跪き、み主が語られるままを書きとった。

“わたしは人々の心の底まで知りぬいている。その情欲も、世俗とその快栄にひかれて行くことも、人々がわたしの聖心を傷つけ、多くの者にとって、わたしの苦難も、わたしの血も、無益に終わっていることも永遠から知っている。しかしわたしは、かれらが聖心を痛めるのは罪そのものではなく、罪を犯したのち、わたしのところに隠れ家として帰ってこないこと、それが聖心を傷つけるのである。わたしは、本当に罪人を赦したい、選ばれた者たちは、わたしの聖心が愛と慈悲にみちあふれて、罪人を待っていることを人々につげてほしいのだ。”と。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P310

 

“まずわたしが選んだ人々と、わたしに奉献された人々に語ろう。その人々はわたしの聖心の憐れみとやさしさを、託された霊魂に教えるためによく知る必要がある。人々に、わたしが限りなく正義の神であると同時に、慈悲深い父であることを、わたしの選んだ者たち、浄配、修道者、聖職者たちは憐れな霊魂に、わたしの聖心がどれほど愛に満ちているかを教えるのだ。このことをおまえに徐々に教えよう。おまえの惨めさ、小ささ、無価値がわたしの光栄となるために。わたしがおまえを愛するのは、おまえが何物かであるためではなく、何でもないもの、すなわち、惨めさとつまらなさであるから、わたしの偉大さ、親切をいれる場所があるからなのだ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P310

 

“さようなら、ヨゼファ、またあすここへお出で、わたしはおまえに話しつづけ、おまえはわたしの言葉を、熱心に人々に伝えておくれ。わたしのするがままにさせておくれ、それでこそ、わたしの光栄となり、人々を救うこととなる。わたしは喜んで仕えてもらいたいのだということを思い出し、道具だけでは無価値なことを忘れないように。わたしの愛のみがおまえの欠点に目を閉じるのだ。熱烈に愛してわたしの愛に答えておくれ。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P319

 

“わたしの聖心のうちに隠れて暮すのだといったではないか、なぜわたしの愛を疑うのか・・・さあ、わたしの言葉を必要とする多くの人々に、それを伝えさせておくれ”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P323

 

 このたびは、わたしの聖心会が人々に対して愛の伝達者となって欲しいのだ。どこまでわたしの愛が人々を求め、幸福に充たしてやりたいと望み、待っているかを、すべての人に告げて欲しいのだ。人々はわたしを恐れてはいけない。罪人はわたしから遠ざからないように。わたしの聖心に隠れ家を見出しなさい。わたしは非常にやさしい父の愛をもって迎える。

 

 

 

 

28.永遠の地獄

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P311

 

“何と多くの者が永遠に失われて行くことだろう。でも、また何と大勢が生命に戻ってくるだろう。ヨゼファよ、贖いと苦しみの価値はとても計り知れない。もしおまえが承諾するならばたびたびわたしの聖心の辛さをおまえにわけてあげよう。そのようにしてこそ、わたしを慰め、人々を救うことができる。さようなら、わたしと霊魂たち、またわたしの愛を考えておくれ。“

 

 

 

 

29.苦しみ

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P316

 

“仕事にかえって愛し苦しんでおくれ、愛と苦しみは離すことができない。”

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P448

 

それからみ主は行ってしまわれました。ああこのような瞑想が終わったあと、自分一人きり地上に残されているのに気がつくのは、何と悲しいことでしょう。こんなちっぽけな私はこんな幸福に堪えられません。地上のものはどんなにつまらないか、どんなよいものでも、すべて心をひかれることがなくなります。説明できませんが、大へんはっきりした光の下に、すべてから離れて「神のみ」ということがわかりました。今日この聖体拝領後、私は心の底から誓願を新たにして、再び身を全くお任せしました。既にみ主は私の心をとらえていらっしゃいますが、私は一番愛するものすべてを捧げて、奉献いたしました。故国、家族、フィアン、すべて・・・み主だけしか望みません。もっと心の苦しみをお望みになるならばその苦しみもお捧げいたします。ああ私はほんとうにみ主に憧れています。

 

 

 

 

30.主との一致

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P315

 

“日々の生活をわたしの生活と、絶えず一致させることを知る者は、わたしの光栄となり、救霊のために偉大な働きをする。たとえ、それ自身何の価値もないことをしても、それをわたしの血に浸し、また、わたし自身が地上で行った業に併せれば、救霊のためにどれほどのみのりをもたらすかわからない。それは全世界をめぐって説教する以上の収穫となる。学ぶにせよ、話すにせよ、書くにせよ、または針仕事をしても、掃除をしても、休息するにしても同じ効果がある。それらの業が、命ぜられたことであるとか、義務であるとかであって、ただ、気ままにするのでないならば、次にわたしの血に浸して、清い意向をもってわたしと緊密に一致して行うならば、どんな事業でも偉大な価値があるものとなる。

 この事実を、多くの者が理解するよう切に望む。行為それ自体に何か価値があるのではなく、それを行なう動機と、わたしとの一致が大切なのである。わたしがナザレットの仕事場で掃除をしたり働いたりした時、後に公生活中に説教したと同じように天のおん父に光栄を帰し奉ったのである・・・。世間に出て立派な仕事をして、重要な地位についている人が、わたしの聖心に大いなる光栄を与えていることも事実であるが、卑しい働きに、世の眼から隠れた多くの人々も、わたしの葡萄畑にまことに有用な働き手である。彼らこそ愛に動かされて働き、その最小の行為さえも、わたしの血を浴びて、超自然的黄金とかえることを知っていたからである。

 朝まだきよりわたしと深く一致して、その一日をわが聖心が人々の救霊に役立てるようにと熱願し、愛をもって、その義務を一瞬一瞬果すならば、一日にどれほどの宝を積むことができるであろう!“

 わたしの愛をもっともっと彼らに現わそう。わたしの愛はつきることがなく、愛する者にとっては、愛に導かれるままにするほど容易なことはない“と。

 

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P316

 

 

“昨日のように人々のために記しておくれ”

“わたしの聖心は愛のみで、その愛はすべての人々を抱く。そして特に選んだ人々を、どれほど愛し、また世の危険にさらされている霊魂や、多くの罪人を救うために、どのように手伝ってもらいたいかを、わからせることができるであろうか。わたしがどんなに彼らが完徳に進むことを渇望しているかを、またこの完徳とは、日常の平凡な行ないを、わたしと親しく一致してすることであることを告げた。もしこれらをよく悟るならば、その全行為を聖化することができる。聖化された一日の価値はいかばかりであろう! 人々が愛したいとの望みにかられる時は、何事も困難ではない。しかし心が冷たく、気力がないとすべてが苦しく辛くなる。・・・その時こそわたしの聖心へ来て無気力を捧げよ! わたしを燃やす愛の熱に心を合わせて。安心するがよい。その一日は、人々の救霊のためにはかりがたい貴いものとなる。わたしの聖心は、人々のすべての惨めさを知り、いつも深く同情している。

 わたしは、人々がただ漠然と、わたしと心を合わせるばかりでなく、お互いに相愛しあって、一緒に暮している人々のような絶え間ない親しみを望んでいる。その二人は絶えず話し合っているわけではないが、少なくともお互いに一所にいて愛しあい、細やかな注意、愛情を傾けつくす。

 心が平和で慰めの中にある時、わたしのことを考えるのは容易である。しかし無味乾燥となり、苦悩におちいる時も恐れないで、ただ、わたしを仰ぎ見るがよい。わたしはよくわかっている。その一瞥は、わたしの聖心の最もやさしい同情をひきつける。

 わたしは繰り返して、人々にいかほどかれらを愛するかを告げよう。わたしは彼らがわたしをよく知りぬいて、わたしが託す霊魂にわたしのことを教えて欲しい。いつでもわたしを仰ぎ見て眼をそらさないように。なまぬるい心の人があるのは、わたしの愛について誤った考え方をしているからである。そんな心のないように、わたしの聖心を愛することは、難しくも辛いことでもなく、かえってやさしい心地よいことである。愛の高い峰に達するのには、別段特殊なことをする必要はない。ただ、行為の大小を問わず、清い志を持ち、わたしの聖心と新しく一致しながらすれば、愛が他のすべてのことを補う。“

 

 

 

 

31.傲慢と謙遜

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P336

 

(聖マグダネラ・ソフィア)

「あなたの謙遜によってみ主をお慰めしなさい。謙遜あるところ、そこにこそ道は開け、謙遜なくして、何ごともうまくはゆきません。」

(中略)

夕方悪魔は聖女のおとりなし、殊にその忠告に気をいら立たせ、

「あの祝されたやつは、その謙遜だけで俺の力を無にする。」と、あたかも地獄の秘密をあばかなければならないかのごとく冒涜を怒号しながら、「もし俺が霊魂をしっかり握ろうと思えば、その心に傲慢を起こさせればよいのだ。破滅に導こうと思えばその傲慢の欲情に従わせればそれで足りるのだ。俺の勝利は傲慢にある。世の中に傲慢が満ちるまで休むものか。俺も傲慢で破れたのだ。霊魂が謙遜によって救われてゆくのを承知で見ていられるか。」と終に憤怒の叫びで結んでいる。「成聖の聖域に達するやつらは皆謙遜の深淵に身を沈めたやつばかりだということは、わかりきっている。」と。

ヨゼファはこの悪魔の告白に非常に感動して書き記し、苦しみの中にもこの思いがけない母なる創立者の謙遜への証明に、子としての喜びに満たされた。

 

 

 

 

32.無駄にはならない

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P337

 

“罪人の改心のために熱烈に祈る時は、最期の瞬間かも知れないが、その祈りは聞き入れられることが多い。また常にそのようないのである。理由はわたしの聖心が受けた傷手を償う。いずれにしても祈りは決して失われない、一つには罪が及ぼす害をおぎない、一つにはその罪人でなくとも懇願のみを受けるにふさわしい他の霊魂が少なくともわたしの愛撫を受けるようになる。”

 

 

 

33.主の最大の苦しみ

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P341

 

“聖時間を罪人を赦すために自分にひきよせたいとの望みに燃えるわたしの聖心の感情に合せて過すようにさせてあげる。哀れな罪人たち、何とめくらなのだろう。わたしは、ただ赦すことのみ望むのに、人々はわたしに背くことしか考えない。これこそわたしの最大の苦しみだ。あまりにも多くの霊魂が失われ、赦されるために、わたしの聖心に来ようとしない。”

 

 

 

 

34.主は忘れてくださる

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P341

 

「私たちが罪を犯した後、痛悔し、お赦しをいただいた時、み主はその罪を覚えていらっしゃるのですか。」

“霊魂がわたしの足許に身をなげ、御憐れみを願うやいなや、わたしはすべての罪を忘れてしまうのだよ。ヨゼファ”

 

 

 

 

35.洗足の理由

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P350

 

今日はなぜ晩餐の前に、使徒たちの足を洗いたかったかを話してあげよう。

 先ず第一に、聖体の中にいるわたしを受けるには、どんなに心を浄めて欲しいかを皆に教えるためである。またこれは告解の秘跡の象徴でもあった。この秘跡によって不幸にも罪に陥った時、いつでも真白に浄められることができる。わたしは手ずから使徒たちの足を洗った。使徒的事業にたずさわる人々が託された人々の霊魂、罪人の前にでもへりくだり、やさしく取り扱うことを学ばせるためである。わたしは布を腰にまいた。使徒たるものは、もし人々の霊魂を捕らえたいならば、苦業克己に身を引きしめなければならないことを示すためである。

 お互いによろこんで過失をぬぐい隠し、赦しあい、決して人に知らさない博愛をも教えたいと思った。最期に使徒の足を洗った水は、世の救いに燃えるわたしの聖心の熱心を表わしている。

 人類が救われる時が近づいた。わたしの聖心は、もはやその愛を包みかくすことができない。人々を孤児として残すに忍びない。そこでそのいつくしみを示し、世の終りまで共に暮らし、人々の糧とも力とも命とも、すべてともなりたいと望んだ。

(中略)

 幾人の心にこの汚れない血は、潔白と貞潔の徳を芽生えさせるであろう・・・また他の多くの心には、愛と熱心の火を燃やすにいたるであろう・・・数知れぬ愛の殉教者がその時目前に現れ、この聖心にむらがって来た。何と多くの人々が沢山の罪や情欲の激しさに疲れはてて、わたしのもとに来て、力強きパンに養われ元気を回復するであろう。この時、この聖心に溢れた気持ちを、だれが底まで察してくれることができようか。歓喜、愛、熔かすような愛情を、しかしわたしの聖心を満たした苦しみもだれが了解できようか!

 

 

 

 

36.聖体訪問、待ちわびる主

 

聖体訪問

待ちわびる主

 

 

 

 

37.過失

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P358

 

「主よ、御身は私がすべてお望みのままにお任せしようと心に決めていたことをご承知でございます。でも悲しいことに、罪を犯してみ心をお悲しませました。御身に何もご奉仕できない哀れな者を、もう一度お赦し下さるでしょうか。」

“赦すとも愛する者よ、わたしはかえって慰められた。過ちを犯さなかったならば、この謙遜と愛の祈りを捧げなかったかもしれない。失敗しなかったならば、こんなにわたしを慰めることができなかったかもしれない。

 聖体の秘跡を定めた時、わたしはこういうことも皆見ていた。そうしてこの人々の霊魂の糧となりたいとの念願に燃えたのだ。人々と共に止まるのは、完全なる者だけと共に住むのではなく、弱い者を支え、小さい者を養うためである。彼らを成長させ、強めるのは愛である。愛はその惨めさのうちに憩い、その善意によって慰められる。

 ヨゼファよ、悲しいことには、選ばれた者の中にもわたしの苦しみのもととなる者がいないといえようか・・・果たしてみんなが終りまで堪えしのぶであろうか? これこそこの聖心から出る悲痛な叫びだ。わたしのうめきを皆に聞いてもらいたいのだ。“

 

 

 

 

38.聖母から教えられた祈り

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P376

 

 ヨゼファは更にこの親切でやさしい御母に遠慮なくお願いした。仕事中にも繰り返し誦えられる短い射祷を教えていただきたいと。

 聖母は、“ではイエズス様がお好みになるこの言葉をおっしゃい。”と、

『ああわが天配にして、わが神なる御者よ。わが心をして全き愛の炎たらしめたまえ』

 また毎晩ねる前に深い尊敬と信頼とをもって、次の祈りをおとなえなさい。

『わがつたなさを知りながら、わが上に御目をそそぎたまう御者よ。わが惨めさにより御目を背けたもうことなく、却っていともやさしく細やかなる愛もてわれを愛したまう。かかる愛に対し今日答えざりしを許したまえ、願わくは我を赦し、御身の聖(おん)血にてわが行いを浄めたまえ。我、いとも聖き御身に背きしを深くくやみ、再び罪に陥らざるよう力の限りを尽くさんことを約束し奉る』と、そうして全く安心し、喜びのうちに眠りにおつきなさい。“と。

 

 

 

 

39.シレネのシモン・・・報酬、雇われ人

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P496

 

“重い十字架を担ってカルワリオに行くわたしを眺めよ。わたしのあとからわたしを助けて十字架を担ってくるシモンをみて、二つのことを考えるがよい。

 この男は善意のある人だが、この場合はやとわれ人であった。わたしに従って十字架の荷を半分負ってくれたのは雇われたからである。だから疲れはてると、わたしの肩に荷の重みをかけたので、わたしは再び途中で倒れた。

この男はわたしの十字架を全部担ってくれたのでなく、只一部分だけであった。

 この二つの事実が示す意味を考えてみよう。

 

このようにわたしの後について来る人は多い。勿論、わたしの十字架を助けたいとでこれを受けるのである。しかし慰めや休息のことを考える・・・多くの者がわたしに従いたいといって修道生活に入るのである。しかし多くの場合、自分自身のためになることを第一に配慮することを捨てきれない。それ故にぐらつき、もし十字架があまり重くなるとおろしてしまう。(中略)

これに反して、己が救霊の念に駆られ、なおまた、もっとわたしが彼らのために忍んだ苦しみを思い、わたしに近づく。わたしの後からついてカルワリオへ歩もうと決心するものも多くある。この人々は修道生活に入りわたしへの奉仕に身を捧げ、わたしを喜ばせようとのみつとめる。報いを思わず功徳になるなどとは考えず、また疲れも苦しみもかわまず、わたしを休ませ、わたしの聖心(こころ)を慰めることのみが唯一の目的である。

 十字架が病気の形でさし出されても、自分の嗜好に反するかまた不適当な仕事を与えられても、また、長上からなおざりにされるように見えても、周囲から反対される姿で現れても、わたしの十字架として認めて、どんなものでもできる限り心からこれを受けるのである。

 

 

 

 

40.感謝

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P433

 

 

けわしい道にさしかかると必ずマリア様は来て下さる。そして注意を与えられる。

“この道は私の独り子のとられたものと同じですがら、ご一緒に歩かせていただくことを感謝なさい。み心の御悩みを一度ならず味わうでしょう。でも安心していらっしゃい”と。

 

 

 

 

41.父と呼んでくれるのが好きだ

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P444

 

ヨゼファはつづけて、

「み主(あるじ)は何とおやさしいのでしょう。私は『お父様』とお呼びして、できる限りの愛情を表しました」と。

するとみ主もその子に対する聖き細やかな愛で答えたもう。

父と呼んでくれるのが好きだ。『お父様』と呼ばれる時、わたしの聖心はおまえの面倒を見てやらなければいられない思いにせまられる。幼い子供が片言で『おとうちゃま』というようになると、親は喜びに満たされて両腕を広げて、そのかわいさに子を抱きしめ、愛撫し、地上のどんな楽しみもこれに比べることはできない思いを味わう。この世の親でさえそうならば、父でも母でもあり、また神、創造主、救い主、天配であるわたしなのだからなお更である。わたしの聖心の優しい愛は、何ものにも比べることはできない。そうなのだよ、かわいいちっぽけなヨゼファ、おまえが心の悩みにおし倒されるように思われる時、駆け寄って来て『お父様』と呼び、わたしの聖心に心もたれるがよい。もし仕事の最中でわたしの足許にひれふすことができない場合には、ただ『お父様』と訴えればわたしはおまえを助け、支え、導き、慰めて上げるのだよ・・・”と。

“さあ今は安心して休むがよい、永遠に報いられる日にもう一日近づいたのだ”と。

 

 

 

 

42.公に身を捧げる

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P460

 

“わたしの聖心は霊魂が公に身を全く捧げることを、どんなに大切に思っているかを知らないのか、今夜わたしはおまえを見守ってあげるからわたしの聖心に憩い、平和のうちにやすみ、愛に生きるよう・・・

 

 

 

 

43.父なる主が求められる愛のしるし

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P484

 

数分の後、み主は世の人々への御訴えを書き取らせたもう。

“ヨゼファ、わたしを愛するか。”と。

修室にいるヨゼファのもとに来られて熱心に問いたもう。

「主よ、それのみが私の望みでございます。」と。すると何ともいえないやさしさで答えられる。

“わたしも同じだ。おまえの小ささは皆わたしのものだから。”と。

それから書き記せと仰せられる。

“わたしの子供たちよ、父なるわたしがどんな愛のしるしを求めるかをききに来るがよい。”

“軍隊では訓練が、整頓した家では秩序が必要なのを承知であろう。かようにイエズス・キリストの大家族にも掟が必要である。しかしそれはやさしい掟である。この掟が何であるか。またこれを覚えるわたしの聖心(こころ)。おまえたちがたびたび苦しめたわたしの聖心は、いかなるものかを知らないから、それを教えにきた。おまえたちは殺そうとしてわたしを探したが、わたしは生命を与えるためにおまえたちを探している。いずれが勝利を得るであろう。おまえたちに生命と全愛を与えた者に報いずにいられるほどおまえたちの心はかたくななのであろうか。

 かようにわたしの子供は生れた時、即ち洗礼の秘蹟によって基督教徒の名をおびる。この名を受けたものはわたしの子で父の財産にあずかる権利を持つものである。おまえはわたしを知らず、わたしを愛さないばかりか反対にわたしを憎み迫害することを知っている。それでもわたしはおまえを無限の愛をもって愛し、おまえが受ける権利のある宝を与えようと望んでいる。おまえに財宝を得させるため、何をおまえから求めるか少し聞くがよい。まずわたしの愛と愛隣を信じなさい。

 おまえはわたしにさからったが、わたしはおまえを赦す。

 おまえはわたしを迫害したが、わたしはおまえを愛す。

 おまえは言葉をもって、行いをもって、わたしを傷つけたが、わたしはおまえをいたわり、わが宝庫をおまえに開放した。

 今までおまえがどんな生活をしたかを、わたしが知らないと思ってはいけない。わたしの恩寵を蔑み、また秘跡を瀆(けが)したことさえあるのを知っている。しかしわたしは赦す。そしてもし、今おまえが地上でも幸福に暮らし、また終わりなき天国を得たいと思うならばわたしがいうようにするがよい。

 もし貧しいのならば必要に迫られてする労働を快く行え、わたしもまた三十年間同じ法則に強いられた。わたしが貧のどん底にあったことをよく考えてごらん。おまえの主人を暴君と思ってはいけない。嫌悪の情をいだいてはならない。かれらの不幸を願うな。かれらの利益をはかり忠実であるように。

 もしおまえが富んでいて労働者、使用人をかかえているならば、かれらの働きをむさぼってはならない。かれらの働きに正当な報いを与えるばかりでなく、愛情と親切を示せ。おまえに不滅の霊があるならば彼らも同じである。

 おまえが今有する財産を受けたとするならば、自分の快楽、個人的の幸福のためではない。かえって聡明にこれを扱うことによって隣人に愛徳を施すことができるためである。

 相互にこの労働の法則に快く服し、謙遜にすべて創られたものの上に在す「御者」の存在を認めよ。この「御者」はおまえの神、また父でいらっしゃる。おまえたちが掟を完うすることを望みたまい、父として子が掟に従うことを求めたもうお方である。

 

 

 

 

44.カルワリオ山で、イエズス様は私に人々を私の子供としてお与えになりました

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P148

 

突然、聖母がいらっしゃいました。くすんだ紫のお召し物にベールも同じ色でした。御手の血に染まった茨の冠を示しながらこうおっしゃいました。

カルワリオ山で、イエズス様は私に人々を私の子供としてお与えになりました。ですからいらっしゃい。あなたも私の子供なのです。私がそれほど本当にあなたの母であるかということをまだよく知らないでしょう。』と。

私は冠に接吻していいかどうか伺うと、冠を私に渡して下さって、お手を私の肩においておっしゃいました。

『イエズス様が私に人々をお託しになった時の追憶は、どんなに感慨深いことでしょう。』

 

 

 

 

45.何か他の道で奉仕する方が、神に光栄のためであると思い込むようになる

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P392

 

 

完徳に召された人々が恩寵の声に耳をかさず、示された道の賤しさに後退りし、世評を怖れ、自分の才能を過大視して、何か他の道で奉仕する方が、神に光栄のためであると思い込むようになる

 そのような人々に答えよう。わたしが貧しく賤しい親の許に生まれ、故郷から遠くはなれ、馬小舎の中に、しかも一年中で一番きびしい季節に、凍るような真夜中に生まれることに躊躇し、拒んだであろうか。

 三十年の間、荒い労働を、隠れた仕事場で、身分賤しい職人と思われている養父聖ヨゼフのもとに、人々に認められることもなく過ごした。・・・また母の手伝いをして貧しい家庭のいやしい仕事をすることを、身分不相応とは思わなかった。・・・しかし大工の労働をする以上の才能をもっていなかったのであろうか。十二才の時、博士たちを神殿で教えたわたしが? でもそれは聖父(おんちち)のみ旨であったから、それによって最大の光栄を帰することができたのである。

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P393

 

 隠れた卑近な生活をいとう人々にいったことを、それとは逆に、孤独な隠れた仕事にあこがれながら、世間に出て働かなければならない人々に向かって繰り返そう。

 選ばれた者たちよ、真の幸福、完徳は己れの趣味、好みに従うことによって得られるものではない、また、人に知られるとか、知られないとか、受けた才能を用いるとか、隠しておくとかいうことでもない、・・・よく思われるとか、よい健康状態を保つとか保たないとかではない、只、ひたすらに愛をもって神のみ旨を抱き、その光栄と己が成聖の要求するところに全く従うことなのだ。