聖体訪問
1.「愛の炎」
2.ジャン・マリ・ヴィアンネ
3.シスター・エマニエル
4.ヴァッスーラ
5.聖母から司祭へ
6.ヨゼファ・メネンデス
1.「愛の炎」
愛の炎P81
<聖体訪問を何度もしてください>
ある日、「愛するイエズス、あなたを愛します」ということばで祈り始めたとき、主はわたしに話されました。
「あなたが聖時間のために、ここに来るとき、誰かに会いましたか」。
思い出すためにわたしはうつむき、そうしてこう答えました。
「いいえ、主よ、誰にも会いませんでした」。
イエズスが、「わたしをひとりにしないでください。少なくとも、あなただけでも、わたしをひとりにしないでください」とおっしゃいました。
わたしの心は苦しみで打ち砕かれてしまいました。主はつづけてお話しになりました。「もしあなたたちがわたしの所へ来ないのなら、どのようにしてわたしが恵みを与えることができるのでしょうか。わたしの心は恵みで満ちあふれています。わたしの心は限りない愛です。あなたたちの心が一致しますように。わたしたちは一つにならなくてはならないのです。わたしたちの心臓は、一致して鼓動し、わたしたちの手は、一つに結ばれるべきです。人を皆、わたしの所に連れて来なさい」。
その後、主がわたしたちみんなのためにもっておられる限りない愛をわたしの心に注いでくださいました。
2.ジャン・マリ・ヴィアンネ
聖ヴィアンネの精神P117
私がアルスにきた最初のころのことでした・・・よくお聴きなさい、皆さん。ある人が教会の前を通るとき、決まってその中に入っていきました。朝は仕事に行くときに、晩は仕事から帰るときに、扉のところにスコップとつるはしとをおいて、ながい間、聖体の秘跡の御前にとどまって礼拝していました。ある日、私はあのながい訪問の間に何とわが主に申し上げているのですかと尋ねました。何と答えたかわかりますか。「神父様、私は何も申しません。私は主を見つめ、主は私を見つめておられます・・・」(ここで聖なる要理教師の声は涙で中断した)。
彼はくり返していた「何と美しいことでしょう。皆さん、何と美しいことでしょう」。
聖ヴィアンネの精神P286
よく祈るためには多くを語る必要はありません。神様があの聖櫃の中に在すのを知っています。主に自分の心を包み隠さず広げ、主の御前におることで満足します。これが最良のお祈りです。
ちょうど、ド・ヴィドーがよい例です。(イエズス会、プージェ神父著、ガブリエル・ドヴィドー伝)彼は非常に朝早く起き、教会の戸が開かれると、すぐ行って御聖体を礼拝するのが習慣でした。ある時、彼がある城にいたときのこと、彼に朝食をとらせるために、三度も聖堂に呼びにやらなくてはなりませんでした。城の主は待ち切れなくなりました。三度目の催促で彼はこう言ってわが主の御前を引退って着ました『神様、一寸の間もあなたと静かに一緒にいることができません』と。
3.シスター・エマニエル
シスター・エマニエル/メジュゴリエの証言者たち/ドン・ボスコ社/P90
ある日、教会で一人のフランス人司祭が語ったパリでの小さな出来事の物語によって、私たちは「心を込めての祈り」について驚くべき例証を受けることができた。
ポールはほとんどの時間を野外で過ごしていた。彼は、いつも物乞いをしていた聖ジャック教会を高く評価していた。正直に言わなければならないが、彼はいつもワインを一本持ち歩いていた。彼は他にも多くの病気をもっており、肝硬変を患っていた。顔色がそのことを示していた。近所の人々は遅かれ早かれ彼がいなくなるだろうと思っていた。しかしながら、本当のところは誰も彼には関心をもっていなかった。
それでも教区の一人の心根の優しいN夫人は、彼とある種の対話を始めた。この男の恐ろしい孤独は彼女を悲しませた。彼女が、彼が朝になると一時的に玄関のいつもの場所を離れ、教会の中に入って行き、いつも誰もいない前列の座席に座り、聖櫃の前にいるのに気づいた。彼はそこに座り、何もしてはいなかった。
ある日、彼女は彼に言った。
「ポール、私はあなたが何度も教会の中へ入って行くのを見たわ。でも、そこに座っている間、あなたは何をしているの? あなたはロザリオを持っていないし、祈祷書も持っていない。ときには居眠りをしていることさえあるでしょう? あそこで何をしているの? お祈りをするの?」
「どうしておれが祈りをすることなんかできるんだ? おれは、子どものとき日曜学校で教わった祈りの言葉を一つも思い出せないんだ。すべて忘れてしまったよ。おれが何をしているかだって? 簡単なことだ! おれはイエスが独りで小さな箱の中におられる聖櫃のところへ行って、イエスにこう言うんだ。『イエス! おれです、ポールです。あなたに会いに来ましたよ』って。そしておれは、ただおれがいるということを示すために、しばらくの間そこに座っているのさ。」
N夫人は口をきくことすらできなかった。彼女はポールが言ったことを決して忘れなかった。日々がいつものように来ては過ぎて行った。そしてある日、起こるべきことが起こった。ポールは玄関から消えた。彼は病気なのだろうか? それとも死んだのか? N夫人は探し出す決心をした。そしてついにある病院にいることがわかった。彼女はポールを訪ねた。かわいそうなポール。彼は恐ろしい姿になっていた。彼は治療用のチューブで覆われていた。顔色が灰色で青ざめていた。彼はまさに死んで行く者のようであった。おまけに、医療的な予測もむしろ楽天的ではなかった。
彼女は翌日、悪い知らせを聞くことを予期して病院に再び向かった。ところがそうではなかった。ポールはきれいに髭を剃り、生き生きとした様子で、すっかり変わって、ベッドに身体をまっすぐにして座っていた。測り知れない喜びの表情が彼の顔から放射していた。彼は輝いて見えた。
N夫人は彼女の目をこすった。明らかに、それは彼であった!
「ポール!信じられないわ。あなたは復活したのよ!あなたはもはや同じ人ではないわ。いったい全体あなたの上に何が起こったの?」
「そうだね、すべて今朝起こったんだ。おれは気分がまったくすぐれなかったんだ。突然、誰かが入って来て、ベッドの足下に立つのを見たんだ。彼はハンサムだった、とてもハンサムだったよ・・・あなたには想像すらできないだろう。彼はおれにほほえみ、そしてこう言ったんだ。『ポール! 私だ、イエスだ。きみに会いに来たよ!』」
4.
ヴァッスーラ
ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・7巻P119
‘94・6・10
あなた方に平安。 小さな子どもたちよ、どの清らかな心も 私を悦ばせる。 あなたの目が天のことだけを追うのを見たなら 私は歓喜する。 私のもとに来て: 「ここです・・・私はここです、」と言ってその心を捧げ 変容させて私の領地となり 次に君臨させてくれるなら 私は栄光を受ける。 私の聖所(*)を聖く保ち、君臨するにふさわしい 栄えある領地となったとき 私は壮麗さと光輝にかがやく。
あなたがみじめで 貧しい中にあっても:「永遠におよぶ救いを下さった王に ホザンナ! ホザンナ!」と叫べたなら 私の王権は確立する。・・・これこそ私の栄光・・・あなたの犠牲で 砂漠を花園にする・・・あなたの愛で、死者(**)を復活させる。
*私どもの霊魂。 **霊的に死んでいる人びと。
4.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1987.8.21
あなたたちの司祭的な祈りは、すべて、ご聖体に対する祈りにならなければなりません。
ご聖体の秘跡の中に顕示されたイエズスの前に、礼拝の時間をもつ習慣をいたる所に復興することをわたしは願っています。
ご聖体に対する愛と尊敬を、もっと増すようにと、わたしは望みます。ご聖体こそあなたたちの信心の感覚的なしるしです。これほど意味深いしるしに対して、もっと尊敬を明らかにするようにと、わたしは望んでやみません。
ご聖体のイエズスを、花と光でとり囲んでください。あなたたちのデリケートな心づかいでつつんでください。
ご聖体のイエズスに近づくときは、深くひざまづいたり、礼拝したりするようにしなさい。
ご聖体のうちにイエズスは、どんなにか、あなたたちを愛しておられることでしょう!
ああ、あなたたちの愛の小さな行いでも、どんなに大きな喜びと慰めをイエズスに与えるかをあなたたちが知っていたなら!と思います。
6.ヨゼファ・メネンデス
ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P353
聖体の中に愛の虜となって、わたしは人々がその悩みを抱いて訪れるのを待っている。最もやさしい心、よき父、いつも忠実な友のそばに来て、慰めを受けられるようにと待っている。
聖体は愛が発明したものだ。だが人々のために疲れはて、使いつくすこの愛に答える者は何と僅かなのだろうか!
罪人の間に住み、その救い、生命であって、また腐敗した天性から生ずる病に、医者とも薬ともなって助けるのに、その報いとしてかれらはわたしを遠ざけ、わたしをののしり辱める!
ああかわいそうな罪人! わたしから逃げないでおくれ。昼夜おまえたちを聖櫃の中で待っている。わたしは罪をとがめない、面と向って詰問しない。かえってわたしの傷の血で洗ってあげる。だから恐れずにお出で! おまえたちをどれほど愛しているか知らせてあげたいのだ・・・
そしてわたしが特にかわいがっているおまえたち! どうしてそんなに冷淡でわたしの愛に無関心なのか? おまえたちが家族の面倒や家計の要件や世の煩いに、たえず悩まされていることもよく知っている。でも一分間位、愛と感謝を表わしに来てくれてもよいではないか、数知れぬつまらぬ用事に引きまわされている・・・愛の虜となっているわたしを訪ねるのに一瞬ぐらい暇をつくってくれないか。もしからだが病気になれば、癒してもらいに医者のところへ行く時間を見付けるだろう。
それなら霊魂に力と健康を与える者のところへ来て、おまえたちを待ちあぐんで呼んでいるこの聖なる物乞いに、愛の喜捨をしてはくれないのか。