友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない

ヨハネ15・13

 

 

 

証し羊飼い

 

 

 

 

1.聖書

2.マリア・ワルトルタ

3.ヴァッスーラ

 

 

 

1.聖書

 

 

ヨハネ10・15−18

 

わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。

 

 

ヨハネ15・11−15

 

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互に愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしがあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

 

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

 

聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P27

 

 教師たちの教師、聖人たちの聖人であるわたしがそうであったように、多かれ少なかれ常に世から憎まれ、また、彼らがその生きざまそのものによって、世と世の権力者たちに向かい『あなたたちのしていることは赦されていない』と言うのをけぶたく思っている権力者たちに苦しめられて来た。しかし、サタンの息子の時が来れば、反キリストによって開かれる底知れぬ深みから地獄が迫り上がり、彼らに情け容赦のない戦争を仕掛けて、人間的に見れば、彼らに勝ち、彼らを殺すだろう。

 しかし、それは真の死ではないだろう。それどころか、生命の中の生命、真の栄光ある生命であろう。なぜなら、もし十戒においてわたしの律法を守る者たちが生命を得るのなら、わたしの完徳への福音的勧告にも従い、彼らの存在をわたしと共に彼らの模範と仰ぐ永遠の生贄イエズスへの愛のために完全な生贄とするに至った者たちは、どのような生命の充満を得るであろうか?

光り輝く復活に招かれている者たちは、人間にとって最も愛すべきもの、すなわち命をわたしと兄弟たちへの愛のために、またわたしに従うために投げ捨てる者たちであろう。天においても地においても愛よりも偉大なものはなく、兄弟たちのために自らの命を与える者たちの愛ほど偉大な愛はない、と繰り返してわたしは疲れを知らないだろう。

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/6巻上/376.3/P180

 

「友よ、それ以上のことをなさい。諦めて苦しみを耐えることは立派なことですが、あなたはそれ以上のことができます」。

よ、どんなことを? 」

「私など、哀れな人間に過ぎません。先生。私が贖い主になろうなんて、めっそうもない」。

「あなたはそう言いますか。でも、それは違います。は人間を救うために人間になりました。けれども、人間もを手伝うことができます。贖いの時に、義人のわざは私のわざに結ばれるでしょう。その義人たちは、何年も前に死んだ人も、今生きている人も、これから生まれる人もいます。これからは、あなたのわざも 加えなさい。人間としてできる限りの愛を差し出すことによって、無限のに溶け込むことができるとは、なんとすばらしいことでしょう。『よ、私もお手伝いします。兄弟たちの幸福のために』と言いながら。の栄光と、兄弟たちの永遠の救いのために、苦しみ、そして死ぬことができる、これほど、のために、そして隣人たちのために、大きな愛があるでしょうか。自分のために自分を救う? それは些細なことです。それは聖性としては最低です。自分を犠牲にして他の人を救うこと、隣人を救うために自分を焼き尽くすほどに愛すること、これほど美しいことがあるでしょうか。その愛は完全です。そんな寛大な魂は、最高の聖性を得るでしょう」。

「なんて、すばらしいのだろう。姉妹たち、そう思わないか? 」と、ラザロはやせた顔にうっとりとした笑みを浮かべながら叫ぶ。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々/3巻P46

 

主がラザロに:

「あなたの考え方はいささか間違っています。神は人間を救うために人間となったのです。人間は、神を手伝うことができます。贖いの時、何百年も前に生き、また、これから生まれてくる義人たちの業は、私の業に同化します。今から、私の苦しみにあなたの苦しみを加えなさい。限りある人間であっても、“父よ、私も兄弟たちの救いのために協力しています”と言えることは、何と美しいことか。自分のことだけを救うのは、わずかなことです。これは最小限度の聖徳です。主と隣人とのために苦しみを耐え忍ぶことで、主の光栄と兄弟たちの永遠の救いに協力することほど大きな愛はありえません。人を救うために己を捧げること、隣人を救うために己を焼き尽くすほど愛に浸ることができるなら、その愛は完全であり、この寛大な人の聖徳もいかに大きいか」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P89

 

どうして死んでいる人々をよみがえらせようとしないのですか。そうすることに真の愛があります。最高の愛です。土に帰った亡がらを悲しむのは愚かなことです。むしろ、最も愛している人の死んだ霊魂を悲しむべきです。この人々をよみがえらせるために全力をつくすべきです。愛する人にとりわけ大きな力をもつあなた方、ご婦人たちによく聞いてもらいたいのです。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P23

‘90・11・15

 

友のためにいのちを捨てるほどの大きな愛はない、そしてあなた方は、皆 私の友、私は愛ゆえに いのちを捨てた。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P171

‘92・11・10

 

あなたに平安 ♡ 今日の大地はすっかり汚染され 私以外は すべてがある。 この世にとって正しいと思えることも私の目にはおぞましく すでに私の裁きを受けている。 この世に憎まれるとしても それは私を愛しているがゆえ。 あなたの証しを私の目に妥当なものとさせなさい そして言っておく、救霊のためにすっかり身を捧げ 友達およびあなたが敵と呼ぶ者たちのために いのちを捨てて愛を示した時はじめて その証しは妥当となる、そして私の日が訪れても 恥を感じないですむ。 私、自身が、我が力をもってあなたを養う、その間与えてある仕事をつづけながら 歓喜の叫びを上げなさい、私の力で彼らの壁を打ち壊し 覆われていたすべてを明るみにだすがゆえ 歓びなさい。 あなたの前にあらゆる動物やへびが這いまわっているのを 目の当たりにしよう、しかしからだを殺せる者たちは怖れなくてよい、霊魂は殺せないと言っておく、むしろ地獄でからだも霊魂も滅ぼせる者を 怖れなさい! 我が足跡をたどり 名誉も名声も求めないように。 世にペテン師と見なされても 自分は本物だと知りなさい、まずはじめに世は私をペテン師と見なした。 愛しなさい! そして許しなさい! 聖霊にたいして驚くべき企てをたくらむ者たちのために祈りなさい そして裁いてはならない 彼らにとって死に連なるものが、あなたにとっても致命的とならないように。 私が彼らを正すにまかせなさい。 あなたのなすすべては 愛に根づいたものであるように。 私があなたを養い 慰めで満たす。 最後には 私のからだの刺すべてが取り除かれよう。 愛が 勝利する。