エサウ

再生の順序秩序の転倒

 

天界の秘義3302

 

『エソウ』は主の神的な善の方面の主の神的な自然的なものが初めてみごもったさいの、そのものを意味していることは、すでに言われたことから明白であり、またエソウについて以下に記されていることからも明白であり、同じくまた聖言の他の部分からも明白である、しかし『エドム』は真理の教義的な物を接合されたところの善の方面の神的な自然的なものであるという相違はあるが、エソウとエドムはほとんど同一の意義をもっているため、それで下の30節に―そこには『エソウ』はエドムと呼ばれているが―主の神的慈悲の下にこのことは聖言の記事から確認されるであろう。

 

 

天界の秘義3576[2]

 

 しかし改良と再生の時が完成した後では、そのときは、最も内なる所に隠れていて、真理にぞくしているように見えたところの、または真理がそれ自らに帰していたところの一切のものを内部から処理していた善そのものが現れてきて、公然と主権を持つのである。このことがイサクがエソウに言ったことにより意味されているのである、『あなたは剣によって生き、あなたの弟に仕えなくてはならないが、あなたが主権を得るときは、あなたはあなたの首からかれの軛を打ちおとすようになるであろう』(創世記27章40節)、これらの言葉の内意は以下のようである、すなわち真理が善に連結しつつある限り、善は外面的には低い位置を取るようにされているが、しかしそれが先在的な位置に立つようになり、そのときは合理的なものが自然的なものの善に連結し、そのことによって真理にも連結するようになり、かくて真理は善にぞくするようになるであろう、従ってエソウはそのとき自然的なものの善そのものを表象し、ヤコブは自然的なものの真理そのものを表象され、その両方のものが合理的なものに連結しているのであり、かくてその最高の意義では主の神的な自然的なものが表象され、エソウは主の神的な自然的なものにおける神的善の方面を、ヤコブはその主の神的な自然的なものにおける神的真理の方面を表象するのである。