ドレックス教授への救い主の御言葉
信仰は従順より重要である
天使館/天使のパン13号P44
ドレックス教授への救い主の御言葉 1976年3月5日
フォラールベルク
はじめに
アルバート・ドレックス教授(1889−1977)は司祭であり、言語学の科学博士である一方、神秘家、また、生贄の霊魂でもあった。ドレックス教授はオーストリアのフォラールベルク州のホーヘネメスに1889年、5人兄弟の3番目の子として生まれた。兄弟は全員司祭となり、彼も1914年に叙階された。1932年には教皇ピオ11世に私的謁見を許された。バチカンの大学教授として教えていたこともある。1977年3月9日、87歳で、司祭の兄が眠っている同じ墓に葬られている。彼は神父として聖ヨゼフに対する厚い信心を持っていた。このことは、次のエピソードによく示されている。
インスブルックで集中して、綿密な研究および著作を行うため、神父は住むための一軒の古い民家をやっと見つける。このため銀行で15,000オーストリア・シリングのローンを組むことにした。これを見て、サタンは人々を使って、ドレックス神父の信用を密かに害するための手段を探し出した。その結果、銀行はローンの返済期限を短縮し、もし早急にお金を払い込まなければ、その家を売るように脅しをかけてきた。
この急迫した要求に対し、神父は聖ヨゼフに助けを求めるため、その返済の日に聖ヨゼフを記念してミサ聖祭を捧げた。その後、彼は銀行のローン返済期限を延期してもらえるよう弁護士からの助けを求めるために町は出掛けていった。ドレックス神父が弁護士の住んでいる通りに向かって道を曲がった時、その角に白い髭をはやし、黒いコートを着た威厳のある一人の男性が立っていた。しかし、ドレックス神父はその男性を通りすごそうとした。この時、この男性はコートのポケットから封筒を取り出し、「アルバート、これを受け取りなさい」と言った。神父はこの封筒を不思議そうに見て、どのようにして自分の名前を知ったのかをこの男性に尋ねようとしたが、この時その男性は消えて居なくなっていた。ドレックス神父がこの封筒を開けた時、彼は15,000オーストリア・シリングを見つけたのだ。神父は弁護士の所へ行く代わりに、ローンを全額支払うために銀行へ直行したのだった。
このエピソードの他にも、神父が奇しくもヨゼフの月である3月に、しかも水曜日に天に召されたことは、彼の聖ヨゼフへの信心の賜物と言えよう。
師の多くの著作は言語学の分野から神学、信仰、教理、キリストの受難劇等のドラマに至るまで多岐に亘っている。また、特に主が祝福されたマリア・アグレダの『神の神秘的都市』のドイツ語訳もその中に含まれている。彼の著作の殆どはドイツ語原文のみの出版で、”Faith Is
Greater Than Obedience”(信仰は従順より重要)は英、仏、スペイン語等に訳されているが、英語に訳されているのは、この本と”The
Catholic Book of Faith”(カトリックの信仰の書)のたった2冊だけである。これから紹介するのは、この2冊の1冊である”Faith Is
Greater Than Obedience”(J.M.J.Book Co発行の英語版)である。同書には、救い主イエズス・キリストから師へ与えられた1970〜77年までのメッセ―ジが含まれている。
天使館/天使のパン13号P46
序文
ガリラヤで、人々はイエズスの教えに驚かされた。何故なら彼は「律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」(マタイ7・29)。もし、私たちが主の愛する僕ドレックスへの御言葉が書かれているこの本(「信仰は従順より重要である」)の中のメッセ―ジに心を開くなら、わが主御自身およびその御言葉から出て来る直感的で、内面から突き出てくる断言と神的影響力が私たちの上に注がれ、私たちを感動させるであろう。
霧の壁を通して切り裂く剣のような御言葉、また、雲をかき分け、忘れられた天国を照らしだす御言葉、人間によるものではないこれらの語りかける御言葉に対して、無感覚で心を開かない者がいようか!
ドレックス教授は全生涯に亘って、神の国を生きるために、教会の中で神性を照らし出す結果をもたらした。つまりメッセ―ジには、見えない神の国とその永遠性を照らし出してくれる。今や隠されている神の国の真理を非常に多くの本や論文の中で、私達に思い出させてくれたのである。具体的には、イエズス・キリストの神性の神秘、御聖体の中の絶え間ない現存、また贖いの聖母として人類救済史に占める神の御母の卓越した地位についてなど、さらに、天使の存在とその主権、聖人達の執り成しの力、四終(死、審判、天国、地獄)等について、神の国の真理を私達に思い出させてくれたのである。
師の生涯を通して彼の霊的な著作に流れている明確な水脈は、神との類まれな個人的体験に裏付けられている以外の何ものでもない。また、主の教会について主から与えられた委託を示すメッセ―ジは次の様であった。
「あなたはわが真の教会の上に霊的建物を築かなければならない。何故なら、多くの敵が真の教会を脅かし、破壊しようと望んでいるからである」(1922年11月の救い主のメッセ―ジ)。
本書における主のメッセ―ジは永遠を鏡のように映し出している。この鏡の中に見るイメージは我々にショックを与えるかもしれない。また、そのイメージが我々の現実を余すところなく示しているため、人は叫ぶかもしれない。しかし、我々の姿が醜く鏡に映っており、その顔がひどく病み衰えている痕跡を示しているからといって、その鏡を破壊すべきであろうか? 真の神の子らは自分自身のイメージから逃げたりはしない。真理の中で、自分自身を内省し、新しい命と美と恩寵を唯一与えることの出来る主からの憐れみを請い願うであろう。
もし、神がその時お許しになれば、救い主の御言葉は正統な牧者たちの手の中で優れた道具となり、また彼らの力となり、更に多くの事柄にとっての鍵となることが出来よう。主御自らその御言葉の中に御旨を啓示されてこられたので、誰も神の御旨に反して永遠に存在することは出来ないであろう。本書のタイトルとして選ばれた“信仰は従順より重要である”という語句は救い主の御言葉であり、この御言葉は今日多くの司祭やカトリック信者が悩んでいる信仰と従順の間での痛ましい戦いを解決することになるかもしれない。教会の信仰が薄れて、破壊されるような時代には、誰も聖職における権威を主張することは出来なくなるであろう。また、教会の名において従順を要求することが出来なくなるであろう!
第二バチカン公会議以降、純真なカトリック信者たちは、唯一にして真の教会の信仰を公に偽ったり、腐敗させるような刷新に対して、神の前に消極的、あるいは積極的に反対せざるを得なくなった。しかし、真の教会に対する内外の敵たちによって、将来、不信仰とその実践が命令されたとしても、聖書の使徒言行録に記されている主の明確な教え、「人間に従うよりも神に従うべきです」(使徒言行録5・29)は、今も変らず有効である。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ」(ヨハネ福音書12・24)という御言葉に信頼して、善意の人々の心にこの麦が播かれんことを! 今はこの世にいないアルバート・ドレックスが、もし今生きていれば、現代の人以上に力強く霊の識別のために語ってくれるであろう。
1981年1月1日
ウィルヘルム・シャリンゲル(司祭)
天使館/天使のパン13号P48
ドレックス教授への救い主の御言葉
1922年11月の初金曜日の早朝の出来事
1921年の春のことであった。インスブルック・フェルトキルヒ教区のズィギスムント・ヴァイツ司教が私のもとを訪れ、遠く離れた山間部に教会を建てるために、ランクヴァイル近くのバツチュンスへ、チャプレンとして行ってもらえるかと尋ねられた。当時、その教区の信者たちはランクヴァイルの教会へは一時間以上も歩かねばならなかった。
かなり前から教会建設のための基金があったが、それは第一次世界大戦後のインフレによって殆ど無価値なものとなっていた。そのため、教会建設の仕事は住民自身の手によって行わなければならず、また村の近隣や地方で物乞いのようにして施しに頼らなければならなかった。私は司教に「はい」と答えた。そしてその村に着いた時、私は信者たちに子供たちと病人たちのために祈ってくれるようにと頼んだ。まず最初に教会建設委員会が結成されたが、そのメンバーである少数の山の農民たちは、資金なしでどのようにして教会建設ができるかのアイデアを持っていなかった。私は村とその地方にある天然資源を集め、それを競売にかけ、これが建設基金となった。私はまた建物の基礎を掘る作業を手伝ってくれる若者と大人たちを村の中に探した。フォラールベルク管区やスイス、そしてオランダにおいてさえ集められた寄付金によって、1922年に教会の骨組が出来る目安がついていた。しかし、教会の内部、司祭館、共同墓地、そして鐘楼のための資金は残っていなかった。すでに底をついていた。1922年の10月から11月にかけての週に、私は再びフォラールベルク管区で寄付金を集めた。しかしそれも多くはなかった。
私は初金曜日の前日の木曜日に寄付金集めをグロスヴァルセルタル渓谷で終えたが、その時はすでに夕方で、あたりは暗くなっていた。私は遅い夜行列車に乗るべく、長い渓谷の道を徒歩で進んだ。4時間ほど歩いた後、ルーデッシューチューリンゲン駅に辿り着いた。フエルトキルヒ発ランクヴァイル行きの夜行列車に乗るために、まだ少し待たねばならなかった。ランクヴァイル駅に着いても、私にはまだ行くべき長い道のりが残っており、更に最後は山道を登らなければならなかった。15分後、私は古い“聖母の御助け”チャペルの向かい側に立つ司祭館に辿り着いた。私と一緒に住んでいた両親はまだ起きており、母が非常に心配して待っていた。私は母を落ちつかせ、慰めようとした。そして、母がしきりに勧めるコーヒーとパンを少し口にした。その後、両親は就寝した。私自身も二階の自室に行き、非常に疲れて古いカウチに身を沈めた。そして黙想しながら、初金曜日のためにイエズスの聖心の御像の前に置かれたランプに母が灯してくれていた炎を見つめていた。
この日私が持ち帰った寄付金の額は僅かなもので、教会建設のためには短期間しか賄えない程度のものであった。私はあまりに消耗し、疲れ切っており、力も殆ど残っていなかった。私が抱えていたジレンマを解決する唯一の方法は建設をストップすることだけのように思われた。私は辛く、健康も損なっていて、ひどく落ち込んで惨めになっていたのは、夜中を少し回った頃だったに違いない。私はイエズスの聖心の御像に向かって、三度激しく、「救い主よ、私はもうこれ以上続けられません!」と叫んだ。とその時、大きな奇跡が起きた。私が三回目の嘆きを口にするかしないかの時、突然部屋が明るくなった。私の目には、ランプも、御像も、部屋の中の何も見えず、イエズスの御姿だけが見えた。その御姿は半分下に降ろした形で両手を広げ、穏やかに、しかし、はっきりと私に言った。「私は貴方と共にいる。貴方はわが住まいを作り終えるだろう。私はわが聖心の恵みの夜に毎回訪れる。しかしそれは石で造られた住まい(建設中の教会)のことだけではない。貴方は教会という住まいの上に霊的建物を建てなければならない。何故なら、多くの敵がわが教会を脅かし、破壊しようとしているからだ。祈りなさい!」と。私はものも言えず、光を見ようとし、そして弱く口ごもった。「救い主よ、どうしたらそれができるのでしょうか?」、すると「貴方は一人ではない。祈りなさい!」と言う主の言葉を私ははっきりと聞いた。部屋は元に戻り、再び暗くなった。
ドアをノックする音がした。私の母だった。母は私の声を聞いたに違いない。母は部屋に入ってきて、私に懇願するような口調で言った。「アルバート、寝てちょうだい。そんなに青い顔をして!」。私はただこう言った。「はい、母さん、そうします。あなたも寝なければいけませんよ!」。母は少し戸惑い、心配して、何か私に聞きたそうに私を見た。しかし、黙ったままだった。
天使館/天使のパン13号P50
ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年3月6日の早朝の救い主の御言葉
「私は、貴方がまだ若干の仕事、しかも時間を必要とする仕事をしなければならないと貴方に告げなかっただろうか? 最初の仕事として、貴方が引き受けたのは、童貞聖母マリアを称讃するための特別な本の翻訳の出版(注:アグレダのマリアによる『神の神秘的な都市』新版のドイツ語訳)である。わが天の御父の御摂理により、貴方は天地の女王の特別の愛にふさわしい援助を受けた。貴方がこの特別な本にふさわしい装丁を探すのに一生懸命であったことも私を喜ばせた。私はこの本に対し、また増え続けている発行部数に対し、更に、この本が唯一にして真のわが教会の信徒たちに与える良い影響に対して、私は祝福を与える。
厳しい試練がわが教会を襲っている。しかし私はローマのわが可視的代表者を強め、叡智と堅固さをもって司教たちへの予防策を講じるであろう。司祭たちばかりでなく、司教たちは彼らの義務に対する違反や怠惰によって時代の精神の影響下に入り、聖なるぺトロの後継者にのみ属している権威と同等のものを手に入れようとしている。それ故、男性も女性も、不屈かつ冷静に戦い、祈ることが必要である。信仰を守り、堅く保ち、犠牲を捧げ、信者たちの中で、また人々の中で、希望、信頼、そして確信を維持しなければならない。私は正義のために迫害を忍ぶ祝福された者たちを称讃しなかっただろうか? (マタイ5・10−11参照)。また、私は言わなかっただろうか? 『私の味方であると人々の前で宣言する者すべてを、私もまた天におられるわが父のみ前で、私の味方であると宣言する』(マタイ10・32参照)。
今の時代は迫害に屈しない信仰告白者たちを必要とする時代! 今の時代は信仰の聖なる火で燃え盛る霊魂たち、世界中のいたるところで子羊に従う聖なる教会の教え子を必要とする時代である。多くの生ぬるさ、飽食、怠慢、臆病、腐敗、不毛、欺く者と欺かれる者などの存在にも関わらず、聖なる天使の導きの保護の下、“黙示録の婦人”(注:聖母マリア)の勝利を見んと馳せ参じる強くて純粋な霊魂たちを必要としている時代である」。
天使館/天使のパン13号P52
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年7月3日の早朝の救い主の御言葉
「善き霊魂であれ。そして、わが教会の動揺と崩壊が襲おうとしている有様を見ても落胆するな。また、世界の秩序が覆されても動揺するな! サタンとその悪魔的な影響力が、人類史上および教会史上、かつてなかったほどに働いているというのは本当である!
しかし、天主の介入と聖霊の働きを通して、他のどんな働きよりも天使たちの助力、超自然的力、善き霊魂たちを求める働きがつくり出されているではないか? この働きは天主から来たものである! わが教会の全ての信徒たちが、平和のうちに、断固として未来に進むようにと私は願っている。サタンは荒れ狂うであろう。そして、内的にも外的にも信仰と召命から離れ去った司祭たちは、サタンのベスト・パートナーとなるであろう。
罪に一度も触れることのなかった無原罪の聖母マリアは勝利するであろう。私と私の十字架に従い、忠実で、私の肉と血における私の聖なる現存を愛をもって信ずる私の群れは少なくなるかもしれないが、信仰と祈り、そして信仰告白、希望、真理への愛は最後に勝利するであろう。
荒しは猛威を振るうかもしれない! 自然界においては、それは岩を打ち砕き、ダムを決壊させるかもしれない。しかし天主は全能である。真理は強力であり、恩寵は豊かで溢れんばかりである。それ故、私が据えた岩は終りの日まで続くであろう!」
天使館/天使のパン14号P37
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年8月7日早朝の救い主の御言葉
私は聖なる天使について今まで貴方に語ってきたが、今また私は次のように貴方に告げよう。即ち、貴方のこの仕事は私の天の御父の御旨の御業である現在および、これから来る大きな混乱や不安定、破壊されるローマ教会の救いのためである。
天国を否定し、恩寵の奇跡である超自然を否定することにより、人々は大自然を神としている。したがって、現代の最大の異端および、その発起人が書いてきた事(*)を印刷し、広めることが私の特別な願いである。
(*)ドレックス教授は彼の著書『テイヤール・ド・シャルダンは新しい預言者なのか?』でシャルダンを批判している。
わが唯一にして真の教会の破壊は今まだ終りに来てはいないが、これからも破壊は続くであろう。この危険と破壊はローマの可視的代理者が決定的な言葉を口にする日が来るまで、ますます増え続けるであろう。その日が来るまでは、腐敗と妨げられることのない混乱の毒がその破壊を行うであろう。
従って、貴方がたは皆私の童貞聖母マリアの取次ぎの力に大きな信頼を持って祈り続けなさい。何故なら、聖母は三位一体の恩寵によりサタンとその一団、およびサタンの配下にある人間やその協力者たちを征服されるお方だからだ。
神に不忠実となった不幸な司祭たちの影響を受けて、あまりにも多くの信者がこの素晴らしい聖母に背を向けてしまっている。このことが、信者の崩壊ばかりでなく、信仰生活における謙遜、貞潔、崇敬等の善徳の崩壊となるであろう。このような信仰の弱い、欺されやすく、裏切られた被造物は公然と、または心の中で天の御父を捨て、私が世と人々に祈ることを教えてきたことを忘れ去るのである。
聖体祭儀は個人の家庭で捧げられるようになるでしょう
天使館/天使のパン14号P38
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年9月4日早朝の主の御言葉
ますます多くの司祭たちが私の童貞聖母マリアから背を向け、数え切れないほど多くの信者が教会の不忠実な息子たちの誘いに従い、永遠に失われるという大きな危険の中にいる。
しかし一方で、多くの信者や修道者が童貞聖母マリアの許に引き返し、聖母の栄光化に貢献する時、それは聖霊の神秘的な御業の印ではないだろうか?
聖母マリアの聖堂から熱心な祈りが天に向かって毎時立ち昇っている。このような場所で償いの精神で、真実をもって称えられた祈りは神を喜ばせている。然り。このような場所での、このような祈りは助けを与え、聞き届けられる。天の御父は心の中を探り、神の霊は思いのままに吹く(ヨハネ3・8)。一つの霊魂の中で起きている奇跡は人間の体に起こる目に見える奇跡よりも偉大である。
祈り、犠牲、償いが今日の時代ほど未だかつて必要とされたことはない。また、来たる時代においても、これほどの大きな危険の中に晒されたことはなかった。今の時代がそれほど危険な理由は、教会の敵が教会の内部に居るためであり、その破壊行動が見せかけの善という名の下に行われているからである。
私の使徒たちの間に一人の裏切り者がいたことが判明したが、今は裏切り者の数が増えている。異端の毒が司祭になろうとしている人たちの心の中に入り込み、無益な僕たちが聖なる御者を間違って掴もうとしているこの時代に呪いあれ。この者たちは恐ろしい冒涜の罪を犯している。この者たちは地獄に仕えることで、わが教会を負かすことは出来ないであろう。しかし、混乱は教会に侵入し、信者は迫害に苦しむであろう。信者の数は少なくなるが、信者の勇敢な信仰告白は世の光となって輝くであろう。そして、三位一体の神の力と恩寵によって祝福されるであろう。
聖体祭儀は個人の家庭で捧げられるようになるでしょう。しかし、それまで不忠実な人間によって中傷され、見捨てられていた童貞聖母マリアが忠実な信者を特別な御保護の下に置き、勝利へと導くであろうことを覚えておきなさい。
祈りなさい! 聖なる天使の力を信頼して祈りなさい。聖なる天使たちは何処にでも居り、光に満ち、サタンとその手下たちの計画を覆してくれるであろう。
天使館/天使のパン14号P39
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年10月2日早朝の主の御言葉
貴方の前に私が現れた最初の恵みの夜に、私は「貴方は一人ぼっちにはならないだろう」と告げなかっただろうか?
私が語った仕事はあの時点では未来の中にあった。しかし、聖書には「あなたの目には、千年も過ぎ去った一日のよう、夜回りのひと時にすぎない」(詩篇90・3)と書かれているのではないのか。
わが教会が内部から痛みつけられ、また押さえつけられ、大勢の信者が危険な混乱に悩んでいるからには、言葉と著述における戦いをスタートする時が今来ているのだ。それによって数多くの悩みと絶え間ない疑いや苦痛が和らげられ、問題が明らかにされ、癒されるのである。
教会にとっての最大の危険は、私の僕である司祭たちから来ている。司祭たちは外見上はわが教会という名を身に着けている。しかし、内面から堕落してしまっている司祭たちの働きと言葉が偽りであれば、彼等は偽りのサタンの手下でしかない。
全ての偽りは短い期間しか隠せないので、神の正義によって露わにされ、心身共にひどい仕返しを受けることになる。
しかし、堅く忠実に信仰を守り、わが十字架と御聖体の現存への愛の中にいる人々はすべて、不安と孤独の時にも、目に見えない助け手である天使が天の御父によって与えられることを覚えておくように。天使は悪霊より力強く、保護者であるばかりでなく、案内役ともなり、堕天使や不忠実な司祭よりも強い力を持っている。従って、悪霊たちが地球の上を歩きまわっているこの時代には、奉献された神の僕たちの中にも聖霊が助け手として天使を送ってきたことは偶然ではない。
大天使ミカエルはルシファーとその手下たちを投げ捨てるよう神から定められており、わが教会の特別な保護者、かつ後援者である。私の幼年時代を託した聖ヨゼフもまた、わが教会とわが神秘体の保護者である。しかし、大天使ミカエルは目に見えない霊の王国から来たわが教会の守護の天使である。従って、大天使ミカエルへの祈りを省略することは間違いである。大天使ミカエルは神の友人であり、神を崇拝し、恩寵を与えられている善天使と聖人を尊んでいる。
神の目に見えない創造を否定する者は誰であれ神の啓示と相矛盾し、聖なる天使たちの助けと力を失い、悪魔の力に自らを明け渡すことになる。天使と聖人は三位一体の神の力により強い力を持っている。しかし更にその上には、霊魂に染み無く、霊肉共に完全であり、至高の神秘的美しさを持つ一人の被造物が立っている。この被造物こそ私の童貞聖マリアである。
私の御母を愛する者は誰でも疑いなく救われるであろう。聖母への愛の強さによって私は私への貴方の愛を測る。それ故、私は私の聖心の愛をもって貴方を祝福する。
天使館/天使のパン14号P41
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年11月6日早朝の主の御言葉
私の神聖な祝福が貴方の住かと使徒職にゆき渡るように・・・。
この使徒職は、まず第一にこの時代における聖母マリアの栄光と認識に役立つものであり、特別な方法で私の愛を勝ち得るものである。
今はわが唯一にして真の教会のメンバーである多くのキリスト信者が天の御母を忘れ、否定し、拒否するなど聖母に不忠実な時代である。この不忠実の罪を犯すものは誰であれ、わが教会に属さない。
反逆者の中には、教会の奉献された僕がますます多く見受けられる。このような者たちはキスによって、愛ではなく大きな苦痛を私に与えたユダの罪を自ら犯しているのである。
聖職に召されながら信仰が弱くなってしまった牧者の故に、信者たちはこれらの司祭たちが怠ったり、やりそこなった事を祈りと努力、苦しみをもって補わなければならない。それで、私は祈っている人々や生贄の霊魂たちを大いなる同情をもって見ている。真の信者たちの苦しみは心の中で大きくなるが、永遠の戸口で彼らを待っている愛は崇高で美しいであろう。このような信者の数はまだ少ないが、毎日増え続けている。その中には、神への熱い思いがあふれ、この世での所有よりも善行の価値を高く評価している信者たちもいる。
天使館/天使のパン14号P42
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年12月4日早朝の主の御言葉
大いなる信心と愛をもって貴方が行っている仕事に対する私の祝福を受けなさい。その仕事は私の童貞聖母マリアと私に捧げられている。
今の時代は難しく深刻である。その理由は、人間が神を抜きにして将来を構築したいと願っているためであり、更には過去に行われていた崇拝に顔をそむけてしまったからである。人間はもはや恩寵を大切にしようとせず、俗事を好む。純潔を尊ばず、不潔の罪に敬意を払い、天使たちには不忠実である。このようにして人間は悪魔の手に陥っている。
真に、このような人々はいつの時代にも存在していた。しかし、今の時代には、祭壇へ奉献された僕たちが、彼等に託された霊魂たちを共に引き連れて、腐敗への道を歩いている。この事がわが教会に入り込んだ恐ろしい痛みと試練の始まりとなっている。この試練の終りには、こうした悪魔の手に落ちた人々は見捨てられるであろう。しかし一方で、忠実な信者たちがこの危機を認識し、固く団結するようになるであろう。その時、わが教会は新しく甦るであろう。新しい火が祭壇から、また私の現存から広がり、白いホスチアの中の私の現存は、わが教会と信仰、更には唯一真の宗教の中心となるであろう。
それまで堅固に忠実であった者たちは再び新しい光の中で、祭壇へ至る道、また私の聖心へ至る道は、教会の母である聖母マリアを通して導かれることを理解するだろう。従って、天の御父の御旨は、私の聖なる娘アグレダのマリアの啓示の書(『神の都市』)に新しく目を向けさせるよう手助けする人たちを選んできたのである。私の言葉と私の祝福は絶対確実なものである故、私はこの人たちとその仕事を祝福する。また、その仕事が存続し、永遠に理解され、この世を超えて完全なものになるようにと願っている。
天使館/天使のパン14号P43
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年1月1日早朝の主の御言葉
貴方の仕事と任務が始まる今年も祝福がいつも共にあるように・・・。
その特別な任務とは、私の童貞聖母マリアの栄光化に関する御業へ人間を導く道を準備し、開くことである。
暗い雲がわが聖なる教会の上を漂っている。混乱は益々ひどくなってきており、召命、使命、および神の恩寵に不忠実な司祭の数が増えてくるであろう。このことが原因となって、多くの教区では牧者が居なくなり、また多くの教会では聖体祭儀が無くなり、寂しい場所になるであろう。
多くの霊魂は霊的に飢えるであろう。また不正な結婚が行われ、国々には平和が見られないであろう。しかし、信仰を持ち、信仰を愛している人々は揺らぐことなく、絶望に陥ることはないであろう。何故なら、危険が大きければ大きいほど、恩寵の迸(ほとばし)りも更に大きくなるからである。地上に居る悪霊たちが荒れ狂うほど、天使たちの力は更に確かなものとなるであろう。荒廃と混乱が脅しを掛ければ掛けるほど、信者の力と働きは輝くであろう。私の童貞聖母マリアが見捨てられ、置き去りにされれば、されるほど、聖母マリアは童貞として、また聖母としての力を顕示するであろう。御聖体における私の聖なる現存が無視され、貶められ、冒涜を受ければ受けるほど、信者を燃え上がらせ、清め、強めるであろう。その時とは、暗黒の時であり、また同時に光の時となるであろう。
神不在の悪の生み出す果実は腐敗であるが、一方、信者が生み出す果実は、より清く、より美しい教会として花開くであろう。その時を理解し、わが愛に留まり、私の聖母に忠誠を誓い、聖人への道に従い、天使の導きに信頼する者たちに誉れあれ。このような信者たちは暗闇の中で輝き、猛攻撃に遭っても揺らぐことなく、様々な試練の時にも崩れ落ちることはないであろう。
天使館/天使のパン15号P35
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年2月5日早朝の主の御言葉
わが真の教会における苦悩は深まってきている。悪の根源であるサタンは、私の教会に奉献された僕(しもべ)たちを破壊と混乱の生ける道具として、ますます誘(いざな)い、間違った使い方をしている。
信仰をまもり、聖なる典礼を尊重する司祭の数は減ってきており、召し出しを受けた多くの司祭は異端の毒を食べさせられている。多くの聖地で破壊の恐怖が支配し、冷たい、空虚で傲慢な精神が至聖所から美しさを奪い、温かい心と魂を奪いとっている。
偽りの教義によって人々の信仰を破壊する者たち、聖人や祭壇を捨て、神の代わりに人間の偶像をおく者たちは禍(わざわい)である。多くの信者たちはわが教会に入り込んだ深刻な艱難のゆえに勇気を失い、落胆しかかっている。
このような信者たちに対して私は次のように言いたい。「わが名のために、また聖母マリアの栄光のために苦しみ、信仰の敵たちに勝利することは、偉大なことであり、恵みではないのか?」と。ゴルゴタへの道で私に従った者は誰と誰であったか? 正しく、ゴルゴタへの道は不名誉の道であったが、同時にそれは死、地獄、そして悪魔に打ち勝つ道でもあった。
もし善良な人々が臆病になり、勇気をくじかれ、落胆するなら、それはサタンの勝利となるであろう。
天使館/天使のパン15号P35
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年3月5日早朝の主の御言葉
再び、私は貴方を祝福する。わが教会への内的、外的抑圧によって勇気をくじかれないように。
神の僕たちが召命や神からの恩寵に不忠実になってきたのは、内部からである。私はかつてピラトにこう言ったことがある「私を貴方に引き渡した者の罪はもっと重い」(ヨハネ福音書19・11)と。
今日、非常に多くのカトリック信者たちが信仰をすて、真理や聖書の啓示に対して背を向け、偽りの教えに耳を傾け、偽りの預言者に賛同する場合には、私が上に述べたと同じ言葉はこのような人々に当てはめられるであろう。そのため、私はこう繰り返す。「貴方を不信仰と誤信に引き渡した者の罪はもっと重い!」と。
こうした者たちとは、司祭や神学者たちである。彼等は自らを司祭と称しながら私を捨て、私を裏切り、今も私を迫害しているからである。その数は増え続けている。神の真の僕を求めても叶えられない信者の数は益々増えている。
聖書は次のように述べている。「生ける神の手に落ちることは、恐ろしいことです」(ヘブライ人への手紙10・31)。忠実な指導者から転向して誘導者となり、今もそれを続けている司祭や偽りの教師たちに対する神の審判は正しく恐るべきものとなるであろう。
だが絶望してはならない!! 神の善き羊飼いとして、私の羊の群れは非常に少ないと私が言ったとしても、決して絶望してはならない!
私が岩に譬えたぺテロの上に建てた教会は、外部からも内部からも破壊されることはないであろう。
ただし、貴方と御父から貴方に与えられた人たちは教会のため、信仰のため、霊魂のために働き続けなさい。貴方を助ける人たちはその善行のゆえに祝福を実りとして与えられるであろう。そしてその祝福は、この世のいかなるものとも比較することが出来ない。
天使館/天使のパン15号P37
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年4月2日早朝の主の御言葉
現代および未来において、憎悪、偽り、暗黒が神の秩序、信仰、創造主の掟、真理への道、キリストの愛の神秘、聖霊の力と恩寵等々を破壊し、放棄し、否定し、攻撃している。貴方とすべての神の子供たちが反キリストの時代が始まったことを理解するように願っている。
この時代がどれほど長く続くのかは御父の御旨と、その永遠の叡智によるであろう。また、それは人間には隠されるであろう。
しかし、善行を行い、信仰に対して忠実なすべての者に対しては、すべての出来事に神が介在し、聖母マリアおよび神の力によって、ルシファーとその輩を永遠の地獄に追いやった大天使聖ミカエルに神の力が与えられて来たことを忘れてはならない。またこの時代には、天使たちも、この世の世界には目に見えないが、天からの力として人間を助けてくれることを忘れてはならない。
反キリストの時代は、天からの霊の力が最も発揮される時代でもある。しかし、とりわけ神の御子がその無原罪の御母をどれほど愛しているか、また私の御母の栄光に寄与する者たちを私がどれほど愛しているかを誰も理解することは出来ない!
貴方が私の天の御母に捧げる愛と行いのゆえに、私は特別な祝福を与える。この特別な祝福は永遠の命まで有効であり続ける。このことから貴方たちは童貞聖マリアへの愛と忠実が、神の御目にとっていかに重大なことであるかを理解するのである。
天使館/天使のパン15号P37
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年5月7日早朝の主の御言葉
背信が国全体を脅かしているとしても、背信の時代であっても、心配したり、勇気をくじかれてはならない。
私は反キリストの時代が始まったことを告げよう。反キリストはサタンでもなく、一人の人間でもない。反キリストとは神から自ら離れ、私の福音から離れた組織である世俗的教会のことである。つまり、世俗に自らを与えて、十字架についても、恩寵についても知ろうとは望まない人たちによる反教会のことである。
真のキリスト信者が私を彼らの神および救い主として私を知り、崇敬し、愛するのと同じように、神を信じない人々は世俗と人間を崇拝する。こうした神無き人々のアイドルはサタンではなく、自らを神としている人間である。反キリストとは神から離れた世界のことなのである。
私の最も大きな悲しみは、自らキリスト信者と称している非常に多くの人たちが私を捨て、さらに多くの司祭たちが神の福音に不忠実になり、司祭服を投げ捨てたばかりでなく、誓願までも捨てたことである。子供たちをキリストへ導く代りに、このような司祭が子供たちの心に少しずつ不信仰の毒を投入している。司祭職のために準備している若者たちを十字架、恩寵、祈りによって教え、心を燃え立たせる代りに、無神論的な教えや、偽りの自由、官能などの雑草で若者たちの心を満たしている。
聖福音を説教し、神の掟への道を示し、私の贖いの恩寵を若者たちに教える代りに、このような司祭たちは、偽りの預言者たちの空しい知恵や思い込みによる偽りの傲慢について若者たちに語っている。こうした全てが生ける反キリストであり、真のキリストである私とその教会とは反対の立場に立っている。しかし最後には、ルシファーとその手下たちは永遠の地獄で終りを迎えるであろう。
天使館/天使のパン15号P37
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年6月4日早朝の主の御言葉
私の特別な恵みの時に、私は反キリストについて以前語ったことがある。そして今、私が貴方に語ることに耳を傾けなさい。
数多くの人々が、わが唯一にして真の教会から背を向けるようになるであろう。なぜなら、こうした人々は三位一体への信仰を失い、悪意ある司祭や教師たちによって誤った道へ導かれ、盲目にされてしまうからである。
このような傲慢で不忠実な者たちは、超自然や神秘、祈りなどを無視して、ただ宗教について語るだけなのである。彼等が語るのは人間についてだけで、もはや神について語ろうとしない! このような邪な司祭や教師たちは真理を逆さまに変え、隣人愛に権威を与え、理不尽な憶測によって神への愛を忘れ、愛を失い、しかも否定までしている。
彼らは新しい教会を建てようと試みている。その教会では、世俗と人間がすべてであり、神と天国は意味の無いものとなっている。このような人間中心の教会は、純霊を否定しているため、天使についてもサタンについても何もわかっていない。従って、その教会は善霊の保護を失い、悪霊の計画と働きを受けやすいのだ。その人間中心の教会は、私が最初に建て、私の弟子たちと共に宣教を始め、ぺテロの後継者によって正統に導かれてきた真の教会とはまったく反している。
その人間中心の教会は宗教ではなく、反キリストそのものである。罪と官能が支配している。その教会では天国と地獄は否定される。その教会は教皇座の上に傲慢を置き、謙遜を拒絶する。この教会では、神の秩序はくつがえされ、混乱への扉を開くことになる。その教会では、神が偶像である人間に置き換えられる。その教会では聖人の聖画は禁止され、破壊され、偽りの予言者たちにおき代えられる。その教会では、神の住まいは冒涜の神殿となる。しかしその一方で、信仰のある忠実なキリスト信者たちは、無原罪の聖母である天の元后の呼びかけに従うであろう。そして、聖母マリアに対する愛と熱心さのゆえに祝福を受けるであろう。
天使館/天使のパン15号P40
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年7月2日早朝の主の御言葉
私が真の教会を建て、私の使徒たちや弟子たちと過ごした日々以降、今は最も困難な時代の真っただ中にあるが、貴方の上に私の聖心の愛と祝福が行き渡るように願っている。
わが真の教会の内部で、私の息子たち、即ち司祭たちは反乱を起こし、私の敵となったばかりでなく裏切り者となってしまっている。このような不忠実な司祭たちは信仰の道を離れ、神の啓示を重んじるより人間的なプライドを重んじている。彼らはこの世での称賛や愛を求め、自由という賜や自分自身の霊魂の考えを悪い方向へ誤った使い方をしている。
おお、己れ自身の霊魂をサタンに売り渡すばかりでなく、信者たちを惑わす者となり、聖霊に対する罪を犯す者たちは何と愚かであろうか! このような混乱を引き起こす者たちは新しい教会について多くを語り、また多くの文章を書く。この新しい教会はもはや宗教ではなく、全く人間的である。私は貴方たちにこう告げよう、「これは反キリストの教会である」と。
然り。この教会はまさに反キリスト、生ける反キリストである。その偽りの教会を建てた者たち、およびそれに従う者たちはサタンに仕えているのだ。その新しい教会では、私、即ちキリストへの信仰が壊れている。その新しい教会では、神の啓示が書かれている聖書はもはや使われず、キリスト信者を誤った道へ導くために、世俗で称賛されるような偽りの知識に関する本がキリスト信者の手の中に置かれるようになる。
その新しい教会では、信者の母である童貞聖マリアはもはや存在しなくなる。その新しい教会では、天の御父が否定され、いわゆる世界の進歩に置き換えられるので、もはや父も母も居ない教会となる。
その新しい教会では、わが唯一の真の教会の聖人たちは忘れられ、その聖画は投げ捨てられ、破壊される。その新しい教会では、聖霊はもはや霊魂に光を与えず、暖めず、働くことはなく、偶像となった人間の脆弱で、この世的な精神が支配するであろう。
その新しい教会では、恩寵は重要でなくなり、その代りに、ニュー・ワールドの夢である、ごまかしの考え方、欺瞞であるいわゆるテクノロジーが重要なステップとなる。その教会の預言者たちは、もはや罪について、審判について、天国や地獄について語ろうとせず、来るべき地上でのパラダイスについて語るであろう。その新しい教会では、救いである私の贖いの十字架を見つけることはできないであろう。人々は官能に幸福を託すことになる。
その新しい教会は、生ける反キリストであり、私の使徒であり、弟子の聖ヨハネが黙示録に記しているように、本質的にはバビロニアの娼婦である。
天使館/天使のパン15号P41
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年8月6日早朝の主の御言葉
私の特別な祝福を貴方の仕事に協力している人々の上に与えよう。
使徒としての貴方の第二の仕事は、偽りの預言者や背教者、神学者たちによって信仰が混乱に陥り、追い詰められ、苦しみの中で内的にも外的にも真実を求めている霊魂たちに言葉と行動をもって、慰め、啓発し、忠告を与えることである。
わが唯一真の教会には、未だに不安が広がり、霊的必要性が増している。従って、内部に居る敵の危険と脅迫ゆえに、貴方が真の教会の信仰の擁護者であり続けて欲しいというのが私の願いである。
わが唯一真の教会は決して破壊されることはない。しかし、多くの忠実なキリスト信者の信仰が失われることになるであろう。
天使館/天使のパン15号P42
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年10月1日早朝の主の御言葉
貴方と貴方が協力してくれている仕事に私の祝福を送る!
聖ミカエルに特別な祈りを捧げて、貴方の毎日の仕事をスタートすることはよいことである。善良な霊魂たちの指導者である聖ミカエルへの信心は、教会を脅かし、信者たちを混乱させている現時点においても、来るべき時代においても、特別な力を持っている。
真の教会や神の啓示への信仰から落ちこぼれてきている人々の数は益々増えている。さらに多くの人々が真の教会から落ちてゆくであろう。牧者のいない羊の群れが多くなり、あるいは悪い牧者が至聖所を破壊するような時代が来るであろう。
ゴルゴタの贖罪の時に、私は「貴方の母を見よ!」と使徒ヨハネに呼びかけた。この言葉は私が地を流した贖罪の死の時に意味を持つものであったが、それは私の使徒ヨハネのためにだけ向けられたものではなく、世の終わりまで人類に対して向けられたものである。私の童貞聖マリアは、わが名に聞き従うすべての人々の御母でなければならないからだ。この御母を否定し、退ける司祭たちは、恐るべき禍(わざわい)となり、自分自身が永遠から拒否される始まりとなる。
天使館/天使のパン15号P42
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年1月7日早朝の主の御言葉
この特別な恵みの時に私の祝福を貴方に与える。私の聖心の愛に信頼しなさい。私の特別な祝福と聖霊の光が、今年貴方たちすべての上に注がれるであろう。
従って、多くの人々の背信や異端によって気を塞がれてはならない。自分自身の罪に脆くなった者たちは内なる霊魂が不幸な状態にあり、私の許に戻って来るか、あるいは、永遠に滅びるかのどちらかになるであろう。
こうした人たちの罪は非常に大きい。彼らは神の神殿を石の砂漠に変えている。また、私の聖体の現存を人々の目から、また至聖所の中心から逸らしている。私の聖櫃の前のランプは忘れられ、もはや人々と共に生きる私の愛のシンボルではなくなっている。彼らは全能者の前に、ご聖体の前に跪こうとしない。この世の楽しみであるテーブルへ走ってゆくように、聖体拝領へと走ってゆく。
こうした人たちはもはや祈りの時を持たず、欲望と愚かな言動に心が占められており、神無き世界の楽しみを求めて走り回っている。彼らは聖人と神の友人たちの聖画を投げ捨て、聖人の精神を人々の心の中から忘れさせようと望んでいる。また、天の御父の最も清い被造物である聖母マリアについて語ろうともしないし、讃美もしない。従って、こうした人たちは神の御母を持たないキリスト信者となっている。
こうした人たちには犠牲の意味が全く理解できず、痛悔や罪の償いについて知りたいとも思わず、あたかも罪が存在しないかのように生きており、悪徳の底へだんだん深く沈んでゆき、神から離れていく。また、聖書に書かれている神の御言葉を曲解し、偽造している者もいる。このような人たちは自ら恐ろしい虚偽の罪を犯していることになり、それより不滅の霊魂を殺す殺人者となる。このことが私の嘆きであり、それはまた衝撃的なとがめの原因ともなっている。
しかし、善良な人々は気を落としてはならない。決して絶望してはならない。善良な人々は内的平和の恩寵と共に、私の愛の中で成長するであろう。
天使館/天使のパン15号P44
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年2月4日早朝の主の御言葉
この恵みの時に、天の御父の摂理によって貴方が指名された仕事を私は祝福する。
貴方が書くことを引き受けた本(注:「カトリックの信仰」と題する本)はこの時点では貴方の仕事であり、私の喜びである。その本は混乱に脅かされている信者たちを支え、光を与えるであろう。また、唯一真の教会の信仰に非常に役立つものとなるであろう。
貴方は外面的な気晴らしから遠ざかりなさい。しかし、内的に熱心に求めている霊魂からは離れてはならない。善良な人々の抑圧感は大きい。わが教会の歴史上、これほどまでに内的苦悩が増したことは、かつて無かった。善良な人々の苦しみは、霊魂を殺そうとしているサタンと目に見えない悪霊たちが、奉献に不忠実になっている堕落した司祭たちを道具として使っていることを見ることである。
善良で忠実な神の民が不安になり勇気を失わないように、こうしたことのすべてを私は今告げることはしない。しかし、神の敵たち、混乱者や破壊者たちがその頭をもたげ、舌を鋭くすればするほど、今も私と私の聖母マリアに忠実な者たちは、ますます信仰の告白者とならねばならない。また、神がすべての上にあり、私はご聖体として人々の中に今も生きていること、即ち、現存していることを知らなければならない。また、無原罪の御母には、執り成しの力があり、サタンとその僕たちへの勝利者であることを知らねばならない。また、全世界には無数の善天使たちが目に見えない形で働いていることも知らねばならない。さらに、今も祈り、犠牲を捧げ、戦っている善良な人々や天の御母の息子や娘たちが多く居ることを知らなければならない。
このような人々にこの世で与えられる恵みは内的平和であり、善き良心、神を讃美する喜びである。彼らは私の聖心の愛にまもられ、聖母マリアもその人たちを上から見まもり、祝福されている。
天使館/天使のパン15号P45
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年3月3日早朝の主の御言葉
わが息子よ、貴方の使徒としての仕事の上に祝福があるように!
天の御父の摂理によって貴方が書くことを託された「カトリックの信仰」と貴方が翻訳した「神の都市」(注:尊者マリア・アグレダに与えられた啓示の書)の二冊の本を広めるために出来るだけのことをしなさい。なぜなら、我々の時代の状況は、かつて無いほど滅びに向かっているからである。サタンやそのしもべたちとの戦いは、目に見える形、あるいは目に見えない形で、三位一体の神に向けられている。その戦いでは、不忠実で堕落した司祭たちがサタンの助け手となっている。彼らは天の御父をもはや創造主として認めず、自分自身の力でもっと完全な世界を創造しようという恐るべき傲慢さを誇っている。そして、かつて考えられたことの無い最も恐るべき言葉、「神は死んだ」(訳者注:死の神学を指す)と言っている。その同じ背教者たちは、神の御子であるキリストとその神性を奪い取り、イエズス・キリストを単なる人間、改革者、革命家に貶めている。これは、かつて語られた事や書かれた事の中で最大の偽りである。
天使館/天使のパン15号P46
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年6月2日早朝の主の御言葉
私が目に見える形で人々と共に地上に居た時、幾人かの人々は私の神性を信じ、私の教義と恩寵を受け入れたが、実際のところ、それは小さな群れであった。私の弟子たちが世界の他の場所で創建した共同体も小規模であり、しかも、ひどい迫害に晒されていた。この迫害は今日でも繰り返されている。私の奉献された、僕たちが無血の迫害に加わっていることは私の聖心を深く傷つけ、十字架の磔刑以上に私に苦痛を与えている。
しかし、真の信仰に忠実に、愛をもって堅忍する人々すべてに対して聖書にはこう書かれている。「神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互に働き合うことを、わたしたちは知っています」(ローマ書8・28)。
現代では、多くの善良な人々は、神への冒涜のゆえに大災害が世界と人類に襲いかかるだろうと信じ、そのことについて語り合っている。しかし、聖書にはこう書かれている。「その日、その時は、だれも知らない。天の使いたちも子も知らない。ただ父だけが知っておられる」(マタイによる福音書24・36)。
このことが起る前に、背教の業、神無き人々の計画、地獄の力は万人の目の前でまったく破壊されるであろう。このような背教者たちは、背教の滅びを彼らの弱さの中で認めるであろうが、遅すぎたことを知り、「神のようになろうと欲した我々は禍である」と叫ぶであろう。
しかし、神の審判は未だ遠くにあり、大災害の前に神無き人々、背教者たち、偽りの預言者たちは、自らの運命を準備することになるであろう。このことを貴方は知っておかなければならない。私がこの事を知らせるのは、ご摂理により貴方と貴方の使徒職のための助け手、または選ばれた友人として貴方に与えられた善良な人々だけであろう。
また聖なる天使たちを敬うことも、三位一体の前で非常に重要であることを貴方は知らなければならない。貴方の天からの助け手であり、保護者である天使たちを思い出さずに過ごす日が一日もあってはならない。
天使館/天使のパン15号P47
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年9月1日早朝の主の御言葉
聖体祭儀における私の現存の神秘と犠牲を信じているかどうかが、正真正銘の本当のキリスト信者であることの試金石となるであろう。至聖なる御者が、唯一にして真の贖い主としての私への愛と崇敬、忠実さの証人となるであろう。
かつて私は、「私の喜びは人の子と共に居ることである」と語ったことがある。この喜びから、私の愛がご聖体の奇跡を生み出し、それを祝し、また信者たちがご聖体を拝領し、崇めるよう司祭たちに託したのである。
しかし、幾人かの司祭によって誤って導かれた信者や、真の教会の息子や娘たちの多くが至聖所を汚し、私の愛の神秘的犠牲は不信仰と不敬によって日常のありきたりの動作に貶められてしまっている。この罪に禍あれ!
ますます多くの司祭たちにとって、この神の祭儀はサタンの祭儀となっている。彼らは罪を信じていないので、贖いを信じることは不必要だと考えている。全ての罪の中で、ミサ聖祭に奉献された者たちに与えられた恵みを拒否し、不滅の霊魂を裏切る者となる罪は最悪である。
次のことを理解しなさい。神の愛の測りは、私の聖体の現存の神秘への崇敬とミサ聖祭への愛の深さによって測られる。ミサ聖祭とは、十字架上で流された、たった一回の血の犠牲をご聖体の神秘による無血の真の再現であり、記念の秘跡である。私のこの叫びを聞きなさい。ご聖体はもはや普通のパンではなく、私の体、即ち肉と血であること、つまりそれは無血の私の現存であることに気付いていない信者たちの間で、ご聖体を普通のパンのように手で受ける冒涜が増し加わっている。この罪に禍あれ!
私の偉大な使徒パウロは次のように言っている、「主の体のことをわきまえずに食べたり飲んだりする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(−コリント人への手紙(T)11:29)
なぜ多くの人々は私の体を手で受けることによりご聖体に対する崇敬を失っているのであろうか?
聖母マリアが私の神性と人性への崇敬と愛の完全な模範であることを、多くの人々は忘れてはならない。
*引用の聖書は「フランシスコ会」訳による。
天使館/天使のパン16号P27
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年10月6日早朝の主の御言葉
わが唯一の真の教会は内部からの迫害に苦しんでいる。真の教会に召し出された司祭、修道者、修道女たちが自らの召命の恵みを捨て去り、彼らの良心にとって平和を見出すことが出来ないこの世俗に自らを与えている。
私が山上の説教の中で義のために迫害される者は天国で報いを得ることを予告したことが、この時代において成就している。「わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき、あなた方は幸いである。喜び躍れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである。あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書5・11)。
欲のために羊の群れを捨て、十字架の敵となり、裏切り者となった不忠実な羊飼いについて私は貴方に語ったことがある。そのことについて、善良で、忠実な人々は悲しみ怒っているかもしれない。しかし、私が神の力と確実性をもって宣言したように、このような人々は実際は喜んで良いのである。
この世においては、また今のような時代においては、争いがあるであろう。何故なら、ルシファーと堕天使たちが神に逆らって戦いを挑み、人々のあいだにも戦いを仕掛けているからである。しかし、善良で忠実な者たちは私と私の聖言を持っているので、決して不幸ではない。
私は私の羊を知り、私の羊も私を知っている。弟子たちが嵐に遭って不安になった時、私は次のように言わなかっただろうか?「私が貴方たちと一緒に居るではないか」と。今の時代、このように私が貴方たちを嵐の中に置き去りにするのは、私の現存と愛の神秘の証人とするためである。
更に、私はヨハネが人類を代表して十字架の下に佇んだ時、私は貴方たちに聖なる聖母を与えた。歴史の中で、最も暗かったその時、しかし最も憐れみに満ちたその時に、私は「貴方たちの母を見よ! この私の御母は信者すべての母であり、教会の母である」と言ったのである。この私の御母こそが争いの時、必要の時の道しるべなのである。聖母はサタンやすべての悪の力の征服者である。
多くの聖堂で、たくさんの人々が祈っている。こうした場所から、祈りの声が父と子と聖霊へと立ち昇っているのである。すべての善良で忠実な者たちには目に見えない霊、即ち天使たちが傍に居り、聖人たちが友となり、道を照らす光となっていることに気付くであろう。それというのは、新しい異端者、無神論者、真の教会と信仰からの逸脱者などが天使の存在と影響を否定することで災厄を引き起こすからである。霊的被造物としての天使は、人間のために恵みの賜物として、また人々を助けるために御父により人間に与えられているのである。そのため、大きな力がこうした天使たちに与えられている。天使たちは聖ミカエルの指揮下にある目に見えない軍団である。従って、『聖なる天使の言葉』(注:ドレックス神父の著書の一つ)は、今の時代及びこれからの時代にとって重要性が高まるであろう。
天使館/天使のパン16号P28
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年11月3日早朝の主の御言葉
私はかつて次のように語った「私は群集に同情している。この同情は今も私の聖心に生きている。その理由は、信仰深く善徳に忠実な数多くの人々を混乱させるために誘惑する者たちが働いているからである。その誘惑者の中に、叙階されているにも拘らず祭壇を捨て、祈りを捨て、世俗の物事に魅せられて彼らに与えられた奉献の恵みと秘跡の恵みを失った司祭たちすら含まれているのは何と痛ましいことか!
こうした誘惑者にとっては、霊魂よりも身体の方が重要な意味を持っている。このような者たちは世俗的な教会を建てようと望んでおり、しかも神無しでこの世をエンジョイしたいと考えている。誘惑者たちの講話や取り決め、制度などは完全に外面的である。一方で、その内面はこの世の地上的な活動に捉えられ、疲弊している。
前の時代には、神の預言者や神から派遣された使徒たちが神および神の戒律について説教していた。しかし今日では、偽りの予言者たちや説教家たちが、贖い主であり救い主である私を裏切るために活動している。従って、神とその恩寵に飢え渇いている多くの人々は良い司祭や良い羊飼いをもはや見つけることが出来ない。
これに加えて、もう一つ深刻な間違いと罪が重なっている。それは誘惑する者たちや誘惑される者たちにとって、神ではなく人間が重要となっていることである。そしてこの者たちは神を捨て、神を忘れたゆえに人間が彼らの偶像となったのである。この事こそミサ聖祭が世俗的な形式となった理由である。まさに恐るべき冒涜の中にいる者たちの中には、聖なるいけにえの祭儀を世俗的な集会やイベントに、更には宴会にまで変えてしまった者たちもいる。そして最後には、こうした背教者たちは自らを時代の精神に売り渡し、一人ひとりの人間とその霊魂にとって決定的となる永遠の神秘について、もはや考えようとしなくなっている。このような不幸な者たちは永遠を思い出させるような事を避けようとし、或はそれから逃げたいと願っている。このような状況の中で、『永遠の神秘』(注:ドレックス神父の著書の一つ)の重要性は高まるであろう。時は人を惑わすものであり、永遠のみが真実である!
天使館/天使のパン16号P30
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年12月1日早朝の主の御言葉
大きな試練と苦悩がわが唯一の真の教会に近づいてきている。荒れ狂う攻撃的な霊たちが教会の内部および信者たちの間に破壊を引き起こしている。多くの処で神のまします場所は名ばかりとなり、空っぽの状態になっている。そのため、心の温かさや霊的糧を求めても満たされなくなっている。至聖所で私の現存の神秘と秘跡を行うために神に奉献された司祭たちや侍者たちの心は空っぽで冷たくなっている。このような者たちは私の聖心への奉献も愛も軽々しく忘れ去り、まさに私との関係を断とうとしているかのようである。彼らはその心を世俗に売ってしまったのである。そのため、聖母の聖心への奉献は意味を失い、聖母をも捨てることになったのである。彼らは聖母の代わりにこの世の女性を求めている。
このような司祭たちの手や心で捧げられるミサ聖祭は、騒音と落ち着かない状況の中で一つの世俗的な見世物となってしまっている。このような司祭たちは、もはや天からの呼びかけを聞くことも無く、聖霊の働きを感じることも無く、彼らのやり方で良心を黙らせようとしている。彼らは超自然的ないけにえの奉献を取り去ってしまっている。また、その心の中で御聖体への崇拝を死なせてしまい、全ての宗教の基礎である崇拝を人々の心から拭い去り始めたのである。彼らは私の聖体の現存の前で跪かない。その理由は、彼らの心の中は自我で一杯に占められており、信仰はもはや彼らにとって何の意味をも持っていないからである。
世俗化、つまり世俗の精神から彼らを神や聖櫃から、更には、贖いの御血から引き離しているのである。そして、益々その状態はエスカレートして来ている。この事が原因で、非常に多くの信者が良い牧者を渇き求めるようになったのである。然り、司祭は良い牧者として召し出され、叙階された。しかし、神に対する忠実への道を捨て去った司祭たちはこの世の雇われ人となり、狼となっている。彼らに託された信者の霊魂は、いつか審判の時に、このような司祭について厳しい証言をするであろう。
一方、私に対する信仰と愛に忠実な者すべてに対し、私は神の良い牧者として次のように叫ぶであろう。「わが唯一真の教会において混乱が起こり、多くの棄教者が出ても、貴方たちは良心の幸いと喜びの中にあって動揺してはならない! 永遠の御父の全能の力が貴方たちの命を守っている。また、御子の愛は貴方たちの心と住まいの中に生きており、聖霊の力は地獄からの攻撃や不信仰および棄教の誘惑に対して、貴方たちを強めてくれるであろう。
天使館/天使のパン16号P31
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年1月5日早朝の主の御言葉
現在わが真の教会において、聖母とその働きに反対する恐るべき戦いが起っている。その中で、貴方たちは信仰を守るため、霊魂の救いのため、更に弱く、混乱し脅かされている人々を強めるために、神の武具で身を守りなさい。破壊の霊であるサタンとその目に見えない手下たちが、彼らの計画を実現するために、かつて無いほど懸命に働いているからである。こうした悪霊たちは神の戒律や教会の規律を攻撃していることを貴方たちは知っておかなければならない。
まず第一に、サタンとその手下たちは子供たちの霊魂の中にある信仰という大きな賜物と恵みを阻止しようと努めてきた。次に青年たちに偽りの危険な自由を教えることによって青年たちを毒するよう努めてきた。最後にサタンは聖なるものに対する感覚、つまり神への信仰と、御聖体の現存の奇跡と神秘の前での崇拝の気持ちを一般信者から拭い去るようにと努めてきた。これこそが宗教心を引き下げ、世俗の精神を生み出すやり方である。そして、この様にして、この世での計画、富の所有と達成が偶像となるのである。私の贖罪の苦しみの初めにおいて、荒野でサタンは世のすべての国々とその栄華を見せて、「もしあなたがひれ伏して、私を拝むならば、これらのものを皆あなたにあげよう。」(マタイ福音書4・9)と言い私を誘惑した。
今の時代、天国と恩寵はもはや価値を持たず、この世と人間だけが価値を持つとする考え方がサタンの大きな誘惑を引き起こすことになるであろう。特に召命と奉献の恵みを持ちながらサタンの道具となり、私への裏切り者となっている司祭は信者にとって嘆きの種となっている。また、このような司祭は永遠の裁きの前で恐ろしい糾弾を受けるであろう。またその判決は永遠に続くであろう。更にそれはすべての裁き主である神の前で行われるであろう。(注:ヨハネ福音書5・22参照)。
この様な信仰と教会の苦難のなかにあって、すべての忠実な人々は次の三つのことを常に目の前に掲げ、内なる魂の中で生き続けなければならない。つまり、一つ目は私の現存の奇跡と神秘の前で崇拝することである。二つ目は私の童貞聖マリアに対して子としての熱心な愛を捧げることである。三つ目は天使たちに対して、確信に満ちた熱心な祈りをすることである。天使たちは神に仕える中で、サタンに対して戦い、神の力によって永遠の勝利に導いてくれるであろう。
天使館/天使のパン16号P34
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年2月2日早朝の主の御言葉
祭壇の上で叙階された時、神に対し忠実と誠実を誓った司祭たちがこれほど多く忠実の道から離れたことは過去に無かった。信仰を捨て、神の教えから逸脱した者たちが今日ほど多かった時代は過去に無かった。多くの場所で、神のまします処は悪魔とその手下たちの広場となっている。何故なら、司祭たちはもはや神の御言葉を説教せずに、この世の出来事について語っており、福音書を顧みないからである。既に異端の毒が偽りのカテキズムによって無神論者や背教の教師たちによって子供たちの霊魂へ侵入している。
清い信仰の中に留まってきた善良で神に忠実な人々の悲しみは深い。しかし、この悲しみによって、信仰の強い人たちや 善良な人たちの中にある勇気や喜び、信頼が崩されたり、失われてはならない。私の聖心に対し、私の教会に対し、私の福音に対して忠実な人たちはすべて、どんな霊がいのちを与えてくれるのかを悟り、惑わされてはいけない。そのため、次のことを知らなければならない。
先ず第一に、忠実な信者はどんな場所でも、何時でも、どんな状況の中にあっても、天の御父の子供であることを忘れてはいけない。この事を知るだけで、不動の信頼が生まれてくる。
次に、私に忠実な信者は私の聖心の中に刻み込まれ、わたしの永遠の愛が確かなものとなることを知らなければならない。このことを知れば、一人ひとりの心と生活の中にかけがえのない喜びが溢れてくるのではないか? また、私がこの地上から目に見える形で別れを告げ、御父の栄光の中に入る前に、私は信頼する者たちに対して世の終りまで聖霊の助けを約束しなかっただろうか? この聖霊こそ光の霊であり、慰めの霊であり、勇気の霊である。この勇気は告白する勇気、戦う勇気、私の御名のために苦しむ勇気である。そのため私は正義のために迫害に苦しむ人は幸いであると語った。
善良で忠実な信者は、すべての被造物の中で最も素晴らしい被造物である聖母が居られることを常に考えなければならない。また、天使が存在することを考えなければならない。更に、信者には偉大な善徳を持っている教会の聖人たちが居ることも考えなければならない。
この世の罪と誘惑の真っ只中にあっても、神の喜ばしい子供でなければならない。神は何時でも、何処にあっても、清い良心と恩寵を与え、更に永遠の天国へと呼びかけてくれる証人をも与えて下さっているのである。
天使館/天使のパン16号P34
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年3月2日早朝の主の御言葉
私の息子よ(注:ドレックス神父を指す)、天の御父の御旨に従って貴方が行っている働きに対し、私は貴方を祝福する。
わが唯一真の教会が混乱の中にあり、荒廃していることで、貴方の肩にどれほど重い荷がのしかかっているかを私は知っている。
私が人間の目に見える形で地上に居た時、ある日弟子たちは海で嵐に遭い、私に「主よ、私たちを助けください。私たちは溺れて死んでしまいます!」と叫んだ。弟子たちが乗っていた船は海の中に沈みそうになっていた。しかし、私は弟子たちに「おゝ、信仰薄きものよ!」と叱責し、嵐と海に静まるよう命じた。危険に直面して、その瞬間、弟子たちは主である私が一緒に居ることを忘れていたのである。
今や、違った嵐が私の教会に襲い掛かり、“ぺテロの船”は時の流れという波によって、あちこち動かされている。そのため心配になって不安を感じている信者たちは助けを求めている。しかし、今も世の終りまでも私は私に誠実で忠実な者たちの真ん中に居る。教会の内部にも外部にも居る敵たちは私の教会を破壊することは出来ないであろう。私が以前語ったように、教会は岩の上に建てられている。その教会を脅かす者たちは、サタンの助けを得ている死すべき人間たちである。しかし、最後には、敵は聖母の力によって鎮圧されるであろう。
私の聖母マリアはゴルゴダの暗闇の夜に十字架の下に佇み、苦難に屈すること無く、ゆるぎない信仰を持ち続けた唯一の御方である。この童貞聖母マリアこそ教会の母である。すべての誠実で忠実な人々は聖母を尊敬し、その力を信頼し、栄光を与えなければならない。
貴方は『永遠の神秘』と題する本を書き、その中で四終(死、審判、地獄、天国)の真実について教えているが、このことが私を非常に喜ばせている。何故なら、来るべき来世について、永遠と審判についての教えはもはや忘れられ、更には否定されている。この現象は伝染病の様に私の教会に入って来たからである。そのため、人々は破滅に導く広い道を辿っている。
もう一度私は次のように語ろう。童貞にして母なる聖マリアが三位一体の神から与えられた力によって、善良、誠実、忠実な人々の軍団の指導者となるであろう。聖母はサタンを征服する者として神から定められているからである。
天使館/天使のパン16号P35
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年4月6日早朝の主の御言葉
多くの、然り、数多くの人々が狼や狐が侵入して来たことによる教会の破壊の下で苦しんでいる。しかし、その苦しみの程度や苦しみ方は全く同じではない。それにも拘らず、このような人々は、真の教会は破滅しないであろうと確信して、信仰から来る希望を持ち続けている。
一方で、多くの人々が既に教会から離れて行った。また、更に多くの人々が離れて行くであろう。その理由は、このような人々が求めているのは、十字架と復活の信仰における栄光ではなく、この世の栄光だからである。彼らはこの世が自分たちを幸福にしてくれると信じている。しかし、何十年かの地上での生活が過ぎた時、世の裁き主である私が各々の霊魂を要求するであろう。その時、「生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです。」(ヘブライ書10・31)と聖書に書かれているように、その恐ろしさを経験するであろう。
一方、神の子供たちにとっては、御父の家に帰ることが如何に幸いであるかを各々の霊魂が目撃するであろう。聖書には、「人の目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだこともなかったこと、これこそ、神がご自分を愛する者たちのために、用意してくださったもの」(一コリント人への手紙2・9)と書き記されている。
私は人々にこの幸福を得させるために、御父の愛のホームへ招き入れるために、人々を救うためにこの地上に来た。そして、この世の心配から逃れ、私の聖心の中で静寂と平安を見出すことが出来るよう、私はすべての人を聖心に引き寄せたいと願っている。また、天の御父は人間に聖母をお与えになっているではないか。聖母はその聖心をすべての人に与えたいと願っておられる。ああ! どれほど多くの人々が私の愛を素通りし、霊魂を罪で汚してきたことか! 地上での年月を私と聖母に対する信仰、祈り、愛をもって過ごしている人たちすべてに対し、私は祝福と平安を与える。
天使館/天使のパン16号P37
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年5月4日早朝の主の御言葉
大きな心配事の中でも、貴方は聖母マリアの執り成しの力に希望をおき、日夜私に嘆願して来た。私は貴方が私の偉大な僕であるピオ12世に信頼を寄せていることを喜んでいる。貴方は心の中で大きな希望をもって祈らなければならない。
司祭や牧者たちのせいで、厳しい試練がわが唯一真の教会に近づいている。しかも、落胆と荒廃の状況は増して来ている。冒涜的で無神論的な文書が激しい濁流のように人々の上に流れ溢れ、信者の間に混乱を深める原因となっている。
また、神が第一に要求される信仰のために、また教会のために、聖書や神に関する正しい内容の著作を使って戦っている人は非常に少ない。また、真のカトリック出版物のために尽力する心と手を差し出す信者の数はほんの僅かである。だからこそ全能者の祝福はこのような奉仕の働きの上に与えられるのである。それというのも、カトリックの出版物は信仰と教会についての真理と、救い主であるイエズス・キリスト及びそのあがないの業についての真理を明らかにしてくれるからである。
教会の名簿に登録されている信者の多くは聖なるものや、聖人についての感覚を失ってしまっている。祭壇での奉仕や信者の霊魂のために叙階された司祭たちは世俗に目を向け、神の戒律を忘れ、或は無視し、危険な世俗の精神に敬意を払っている。聖ヨハネが黙示録の中で“バビロンの娼婦”(黙示録17章以下参照)と名づけた道徳の腐敗の影響をますます多くの人々が受けている。それでもなお、十字架と復活の宗教であるわが教会は勝利するであろう。それは岩の土台の上にたてられ、それに忠実に留まる者はすべて、永遠の栄光と絶えることの無い平安、そしてお互いの幸福を分かち合うであろう。
しかし、神の恩寵と信仰を捨てる者たちは、地獄からの解放をただ空しく永遠に叫び続けるであろう。その金切声は福音書の中で語られている地獄の場から叫ぶ金持ちの嘆きの声のように段々小さく消えてゆくであろう。(注:ルカ福音書16・31参照)。
この時代の腐敗や荒廃、神無しとする状態のために勇気を挫かれている人々に対して「勇気と喜びを持ち続け、恩寵を保ち続けなさい!」と私の言葉と御旨を知らせたいと願っている。多くの人々に信仰を捨てさせようと、この世の霊たちが貴方たちを悩ましているが、天の御父の子供であり、御子によって贖われ、聖霊の賜物を与えられている貴方たちは、こうした物事すべてによって貴方たちの霊魂と人生の幸せを暗くしてはならない。
多くのキリスト信者が唯一真の教会と私の聖母マリアを拒否して不忠実になればなるほど、ますます多くの真の信者たちが聖母の許に熱心に集まり、聖母の執り成しの恵みを受けるにふさわしいものとなるであろう。
天使館/天使のパン16号P38
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年6月1日早朝の主の御言葉
信仰に忠実であり、創造主、贖い主、赦しを与える御者である三位一体の神に対して、崇敬と愛を持っているすべての者にとって、今は正に困難な時代である。サタンは力を持っているように見える。司祭を含むサタンの僕となった牧者たちは、傲慢に満ちて人々に語っている。こうした者たちは神に忠実な人たちの迫害者となっている場合もある。サタンの僕たちは無神論者と共に「人生を楽しもうではないか!」と語りかける。彼らは多くを語り、その著作物で忠実な信者たちを混乱させている。このような愚か者たちは叡智ではない単なる知識を誇っているだけである。
しかし、言葉が風の中で吹き去られ、紙に書かれた文字が消えてゆくように、愚か者の知識と神無き者の息は霧や煙のように過ぎ去るであろう。残るものは彼らの残骸と審判だけである。この事について聖書には「生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです。(ヘブライ人への手紙10・31)と書かれている。この句は恩寵に逆らい、魂を救う代わりに自らを堕落させている人たちに向けられている。
わが唯一真の教会に降りかかっている困難は三つある。つまり、困難の中にある信仰、困難の中にある司祭たち、困難の中にいる霊魂たちである。現在及びこれから来る試練の根本的な原因は信仰が段々浅くなっていることである。聖書の中には「神への恐れは知恵の初め」(詩篇110・10)と書かれている。災厄の初めは神を捨てたことに始まり、神への信仰を捨てたことである。聖パウロは「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在すること、および、自分を求める者に報いを与えるかたであることを信じなければならないのです。」(ヘブライ人への手紙11・6)と宣言している。司祭は叙階の時から人々を信仰に導くよう召されている。神に背を向け、神の御言葉を人間の言葉と入れ替えてしまった司祭に禍あれ。司祭に対する必要性が高まるにつれ、真実の善良な司祭の数は減って来ている。この事が信者の霊魂を苦しみへと導いている。牧者の居ない場所はますます増えている。その訳は、牧者となるはずであった司祭たちが司祭の母である聖母マリアを捨てたからである。
信仰に堅く留まっている人たちは幸いである! 私の愛はその人たちのものであり、それは来るべき永遠の世界において言い表せないほど完全なものとなるであろう。
天使館/天使のパン16号P40
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年7月6日早朝の主の御言葉
私の教会がこれから直面しようとしている時代は、苦難の時代となるであろう。その理由は、叙階されていても祭壇上で価値のない僕となり、信仰の最も聖なる神秘であるミサ聖祭を人間的に、世俗的にしてしまった司祭たちのせいである。何千という数の司祭たちが毎日冒涜の罪を犯している。この事はヨーロッパだけに限らない。この冒涜の罪は否定されたり、或は無害であるとさえ宣言されている。
聖なる改悛の秘跡は教会の教えに反して無視され、不必要として宣言されている処もある。何百万という子供たちの心の中に教えこまれてきた聖書の御言葉に対する尊敬は消し去られ、代わりに不信仰という毒が教会の教師たちやシスターたちによって子供たちの心に植え付けられている。この様にして子供たちの信仰は落ちてしまっている。これこそが今日の青少年が神を無視し、神の戒律に対する崇敬を持たずに育てられている理由である。
多くの場所で、ミサはこの世的な集会、あるいはイベントのようなものになっている。主日は数多くの建物の中で、また参加者の心の中で威厳と意味を失って来ている。異端者はただ教会に属していることを誇りとし、私の真の教会はもはや彼らの教会ではないとして、自分自らに対し、また他人に対して嘘をついている。そのため、ますます多くの信者は牧者に対する信頼を失っている。聖書にあるように、「彼らは皆、口がきけない犬で、吠えることができず、夢を見ながら横たわり、眠りを愛する」(イザヤ書56・10)のである。私が地上で歩き回り、最後に贖いの死を遂げた時代以降、これほどの無関心と冷淡さが広がり、ひどくなったことはかつて無かった。
一方、真の信者たちは公の場から身を引き、多くの場所で家庭に集まり、祈りと償いの時間を過ごしている。このような信者たちは悲しみやトラブル、困難の中にあっても、童貞聖マリアを避難所としている。私の恵みと私の愛をもって、私はこのような信者たちの真ん中に居る。そして彼らは聖母からも慰め、光、そして力を受けている。このような場所は聖母を崇拝する処となり、内的に新たにされる強力な重要ポイントとなっている。
すべての恵みは私の御母の手の中に置かれている。私の御母を愛し、御母を崇める者の名は、私の聖心の中に永遠に刻み付けられるであろう。
天使館/天使のパン16号P41
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年8月3日早朝の主の御言葉
まず第一に、私の現存の神秘と奇跡は御聖体の中に留まっている。私の真の教会に降りかかっている災害の深い理由は、益々多くの司祭がこの御聖体を離れ、それを失い、この最大の恵みの真価をもはや認めなくなって来たことにより裏切り者となっているためである。
まず、このような司祭たちは私の現存を否定し、次に御聖体の前での尊崇の態度を示さず、次にミサでの聖なるいけにえの奉献の時に心が冷たくなっている。このような司祭たちはミサを“食事”として語り、もはや“いけにえ”について語ろうとしない理由はまさにここから来ている。そして、彼らは崇敬の心も失い、もはや跪こうとしない。この様にして、ミサの聖なるいけにえの奉献は一つの負担となり、単なる義務となり、愛が無いのに祭壇の私に近づくか、或は私から離れようとしている。真に、私は信徒の群集に同情している。このような司祭たちが自らに背負っている責任は、口にすることも出来ないほど恐ろしくも忌まわしいものである。
しかし、私は神の真の僕であり、聖なる神秘を守っている司祭たちに対しては、私の愛の祝福を与える。また真の信者たちに対しても祝福を与える。この者たちにとって私の愛の秘跡は聖なるものとされている。
天使館/天使のパン16号P42
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年9月7日早朝の主の御言葉
わが唯一真の教会においては、司祭であろうが、信徒であろうが、永遠の審判の前では超自然的な重い責任を持っている。審判において最も重要視されるものは御聖体に反する罪であり、御聖体の犠牲の持つ尊厳と神性と恵みに反する罪である。
多くの司祭たちにとって、ミサでの聖なる犠牲は単なる習慣となっている。彼らは内なる信仰を持たずに、また崇敬の気持ちも持たずに、更に贖い主である私への愛を持たずに祭壇に近づく。ミサ聖祭で犠牲を捧げることが司祭の召命の中で行うべき最も重要な仕事であるにも拘らず、信者は司祭が聖なる犠牲を捧げているかどうかを気にも留めようとしていない!
現代の教会の危機と混乱の中で最大の罪と最も恐るべき冒涜は、この様な不忠実な司祭たちと、間違った教えに導かれている一般信者たちが、祭壇の犠牲の神秘を単なる食事に貶めていることである。このように堕落と裏切りの霊が多くの信者たちの上に覆いかかり、そのため信者たちは崇敬の念を持たずに、あたかも一つのこの世の出来事のように、御聖体を拝領しに行くのである。そのため、このような信者たちは審判の前で有罪とされる。彼らが私の聖母マリアのことを考え、御託身の時、聖母がどれほど純粋で深く熱い崇敬の念を持って聖霊から神の御子である私をお受けになったかを理解すれば、自らを反省し、私への崇敬と愛を取り戻したいと願うであろう! 私のはしため、アグレダのマリアが啓示の本(注:『神の都市』を指す)の中で、どれほど言い尽くしがたい崇敬をもってこの事について書き記したかをよく考えてみなさい。私がどれほど愛しているかを悟り、また祭壇上の現存を至聖なる御者として崇め、次いで私の聖母に対して愛を与える者たちに対して、私は永遠にわたって幸いを与えるであろう。
天使館/天使のパン16号P43
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年10月5日早朝の主の御言葉
特に童貞聖マリアに祈りを捧げなさい。多くの人々がロザリオを唱えることを守っていることは、私の大きな喜びとなっている。このロザリオの祈りには大きな力が宿っている。しかし、一方で司祭を含むその他の人々の間では、ロザリオが脇に追いやられ、内的に生温く冷たくなっている。その結果は荒廃、世俗の精神への傾き、十字架への背き、傲慢さ、そして御聖体の現存の神秘と秘跡に対する冒涜である。
聖母マリアに与えられたすべての栄光はその息子である私へと導かれる。そして、すべての恵みは聖母の聖心と御手を通して人間へと流れてゆくのである。そのため、聖母は偉大な仲介者と呼ばれている。もちろん、永遠の御父の前で、ゴルゴタの血の犠牲を通して唯一の神への執り成し手となったのは私である。
多くの司祭が祭壇上の犠牲を食事として行うようになる時、恐ろしい欺瞞の立証となるであろう。祭壇上の神秘的いけにえの奉献無くしてパンは御聖体に聖変化されない。祭壇上のいけにえを私のゴルゴタのいけにえと結び付けない行為をする者は誰でも、またパンとぶどう酒の奉献の奇跡をもはや信じていない司祭は誰でも、私の弟子であった不幸なユダのように、有罪とされる。こうした者たちは自分自身に嘘をつき、信者の霊魂をも欺くものとなっている。
それでも、わが唯一真の教会には、常に聖なる司祭たちがいた。その中のひとりが私の息子、ジュリウス・シュー神父(Julius
Schuh)である。彼は“神の働き人イエズス会”(Jesus,the Divine Worker)の創立者であり、聖母マリアから説教の賜物を与えられていた。貴方たちが厳しい困難の中にある時や、心を煩っている時には、彼の執り成しを願いなさい。シュー神父は列聖されていない聖人たちの一人であるが、偉大な師である聖アウグスチヌスがジュリウス・シュー神父について書き記している文書が残されている。彼の生涯が知られることは私の御旨である。
背教と信仰の混乱の中にあるこの時代には、非常に敬虔で隠れた徳を持っている一般信者たちもいる。彼らは私の聖母を崇め、栄光を捧げることに熱心で純粋であるため、私の聖心近くに居る。
天使館/天使のパン16号P44
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年11月2日早朝の主の御言葉
信仰を持って真の教会に奉仕し、同時に諸聖人の中で最も聖である聖母マリアを崇めることは一つの働きである。真の教会の聖人たちには言い尽くしがたいほどの価値がある。その聖人たちの御像や御画を一般信徒だけでなく叙階された司祭までもが教会から取り除く時、それは責められるべき、また忌むべき事である。聖人たちは私に従い、多く人々を私へと導いた故に、私の友人である。聖書に書き記されているように、「わたしの父の家には、住む所がたくさんある」(ヨハネ福音書14・2)と私が語ったことを心に留めなさい。
神に選ばれた人たちは永遠の幸福を約束され、私の友人であるばかりでなく、更に現在生きている人々の霊魂と肉体の困窮に際しての保護者でもある。神に選ばれた聖人たちの教訓と生涯の見本は、真のキリスト教的生活の道案内となっている。
司祭を含むこれほど多くのキリスト者たちが彼らの生活から聖人の御像や御画を禁止し、その代わりに世俗的な偶像を置き、それが心の中に入って来るのを許したことは禍である! 神の聖人たちを忘れ、見捨て、あるいは否認さえする者は誰でも、救い主である私を見失い、同時に自分自身に大きな責任を負わすことになる。
私の御父の最も美しい被造物であり、聖霊の至高の花嫁である聖母マリアの愛に顔を背けている者たちは禍である! 人々の魂から私の御母を拭い去り、御母への愛に対して冷ややかになっている者たちすべてに対し、その禍は三倍である。何故なら、童貞聖マリアはまさしく恵みの仲介者であり、教会の内外からの敵や異端者を征服するため、三位一体の神から力が与えられているからである。
聖書には、「今から後、主に結ばれて死ぬ者は幸いだ」(黙示録14・13)と書かれているが、私は更に次のように言う、「私の聖母を崇拝する者、また霊魂を聖母への崇拝に貢献する者は誰でも、天国で永遠に続く祝福を確実に受けるであろう」。
天使館/天使のパン16号P45
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1973年12月7日早朝の主の御言葉
わが唯一真の教会はかつて無かったほどの苦難に悩んでいる。多くの人々が私から離れて行き、叙階の時に私に忠実を誓った多くの司祭たちも私に背を向けている。このような者たちは私を捨て、聖櫃の中に居る私の現存への信仰を投げ捨てた。かなり厳しい試練が私の教会の上に近づいて来ている。そして司祭たちの数も少なくなってきている。彼らは数多くある教会間の一致について話すことはあっても、わが唯一真の教会の内的一致と外的一致については破壊行為を行っている。こうした者たちは神の啓示の言葉を虚偽とし、代わりに明らかに傲慢なこの世の知恵を自我の中に侵み込ませている。
多くの司教たちは異端的な教師たちを思いのままにさせ、司教職の義務をよく理解していない。そして、彼らが信仰を裏切り、信者たちを狼から守らないことで信者たちを裏切っていることを理解するのに遅すぎた状態にある。
しかし、司教たちはわが唯一真の教会を破壊することは出来ないであろう。何故なら、この真の教会は不信仰と不道徳を乗り越えて、また異端者たちの墓を乗り越えて、再び復活するであろう。
信者たちの祈りは、信仰が冷たくなっている人々の集会や話し合いを越えて勝利するであろう。しかし、この様な神に忠実な者たちは今も悩んでいるが、彼らの苦しみの犠牲が真の教会の上に祝福をもたらしていることを知るべきである。この様に苦しむ人たちは私と共に、また私の聖心の愛と共に、永遠の栄光を分かち合うであろう。
*引用の聖書は「フランシスコ会訳」による。
1974年1月4日早朝
1974年2月1日早朝
1974年4月5日早朝
1974年5月3日早朝
1974年6月7日早朝
1974年7月5日早朝
1974年8月2日早朝
1974年9月6日早朝
1974年10月4日早朝
1974年12月6日早朝
1975年2月7日早朝
1975年3月7日早朝
1975年4月4日早朝
1975年5月2日早朝
1975年6月6日早朝
1975年8月1日早朝
1975年9月5日早朝
1975年10月3日早朝
1975年11月7日早朝
1975年12月5日早朝
1976年2月6日早朝
1976年3月5日早朝
私の教会が混乱し、荒らされている事には三つの理由がある。その一つは、私の教会の叙階された僕たちの中で信仰が弱まり、死にかけている者たちが居ることである。聖書には、信仰について「おん子を信じる者は裁かれない。信じない者は、既に裁かれている。神の独り子の名を信じなかったからである」(ヨハネ3・18)と書かれている。信仰のみが人間に生きる意味を与えている。以前には、信仰は司祭たちの心を燃え上がらせ、その生活と働きを燃え上がらせてきた。聖人はその信仰によって識別され、信仰によって最高の徳を実践することが出来たのである。
もし、どれほど多くの高位または低位の聖職者たちが、実際に神を信じていないことを人びとが知るなら、誰でもが大きなショックを受けるであろう。彼らが神への信仰を失いながら、信徒たちの最前線に立って旗を振っていることを考えてみなさい。それは、見せ掛けと、偽りの生活である。
教会の混乱と荒廃の二番目の理由は、私の唯一真の教会にふりかかった惨事によるものである。つまり、司祭職が、世俗化することによって低下したことである。以前よりも多くの司祭たちが、この世への適応の言葉を“世俗中心”とか、“この世の霊”として、わざと意図的に定義したことによるものである。この世の霊は、救い主であり、贖い主である私に導く事はなく、私に倣う道から逸れている。この世の霊は堕落へと導き、若者たちの道を誤らせ、害することになる。私の童貞聖マリアは、このような不幸な人びとをこの世の霊から救いたいと願っておられる。
この世の霊に導かれる人びとは、聖母に対する愛を失い、霊魂の心の中が冷たくなっている。そして、この事が教会の荒廃の三つ目の理由である。私が贖いの十字架上で死に向かっていた時、私の12人の弟子の中で最も愛した使徒ヨハネに対して、私は私の御母を示して、“この方はあなたの母です”と言ったではないか。しかし、この恵みと祝福を意味する私の遺言は忘れられ、軽視されている。更にこのことが大きな禍いをもたらしている!
私の至誠なる聖母を愛し、聖母に祈り、聖母を崇めることに熱心な者たちすべてに対し、私は祝福を、それも非常に大きな祝福を送る。
1976年5月7日早朝
1976年6月4日早朝
1976年7月2日早朝
“愛”という仮面のもとに、信仰と真理が切り離され、葬られている。現代主義者は、神不在の宗教をつくり上げようと望んでいる。その宗教には、祈りもなく、犠牲もない。そのため、人間の霊的命から意味と尊厳を取り去るのである。
たとえ絹と紫色の祭服を着けていても、また人びとの目の前で聖職者の栄誉を誇示するとしても、現代主義者はサタンの友である。真に、彼らは不幸な愚か者であり、その生涯は神から離れた希望の無い永遠の苦しみの池の中でその命を終えるであろう。誘惑と不信仰の犠牲者たちが、その復讐を求めて神に叫んでいるため、そのような現代主義者たちの誤謬と罪に禍いあれ。羊の衣を着た狼とは、正に彼らのことである! 私は彼らの踵の上に禍いを置く!
1976年8月6日早朝
1976年9月3日早朝
1976年10月1日早朝
1976年11月5日早朝
1976年12月3日早朝
1977年2月4日早朝
1977年3月4日早朝