ドレックス教授への救い主の御言葉
聖母
天使館/天使のパン16号P28
『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1972年10月6日早朝の主の御言葉
更に、私はヨハネが人類を代表して十字架の下に佇んだ時、私は貴方たちに聖なる聖母を与えた。歴史の中で、最も暗かったその時、しかし最も憐れみに満ちたその時に、私は「貴方たちの母を見よ! この私の御母は信者すべての母であり、教会の母である」と言ったのである。この私の御母こそが争いの時、必要の時の道しるべなのである。聖母はサタンやすべての悪の力の征服者である。
天使館/天使のパン16号P31
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年1月5日早朝の主の御言葉
現在わが真の教会において、聖母とその働きに反対する恐るべき戦いが起っている。
天使館/天使のパン16号P34
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年2月2日早朝の主の御言葉
善良で忠実な信者は、すべての被造物の中で最も素晴らしい被造物である聖母が居られることを常に考えなければならない。また、天使が存在することを考えなければならない。更に、信者には偉大な善徳を持っている教会の聖人たちが居ることも考えなければならない。
天使館/天使のパン16号P35
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年3月2日早朝の主の御言葉
私の聖母マリアはゴルゴダの暗闇の夜に十字架の下に佇み、苦難に屈すること無く、ゆるぎない信仰を持ち続けた唯一の御方である。この童貞聖母マリアこそ教会の母である。すべての誠実で忠実な人々は聖母を尊敬し、その力を信頼し、栄光を与えなければならない。
天使館/天使のパン16号P35
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年3月2日早朝の主の御言葉
もう一度私は次のように語ろう。童貞にして母なる聖マリアが三位一体の神から与えられた力によって、善良、誠実、忠実な人々の軍団の指導者となるであろう。聖母はサタンを征服する者として神から定められているからである。
天使館/天使のパン16号P36
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年4月6日早朝の主の御言葉
私は人々にこの幸福を得させるために、御父の愛のホームへ招き入れるために、人々を救うためにこの地上に来た。そして、この世の心配から逃れ、私の聖心の中で静寂と平安を見出すことが出来るよう、私はすべての人を聖心に引き寄せたいと願っている。また、天の御父は人間に聖母をお与えになっているではないか。聖母はその聖心をすべての人に与えたいと願っておられる。ああ! どれほど多くの人々が私の愛を素通りし、霊魂を罪で汚してきたことか! 地上での年月を私と聖母に対する信仰、祈り、愛をもって過ごしている人たちすべてに対し、私は祝福と平安を与える。
天使館/天使のパン16号P38
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年5月4日早朝の主の御言葉
多くのキリスト信者が唯一真の教会と私の聖母マリアを拒否して不忠実になればなるほど、ますます多くの真の信者たちが聖母の許に熱心に集まり、聖母の執り成しの恵みを受けるにふさわしいものとなるであろう。
天使館/天使のパン16号P38
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年6月1日早朝の主の御言葉
信仰に忠実であり、創造主、贖い主、赦しを与える御者である三位一体の神に対して、崇敬と愛を持っているすべての者にとって、今は正に困難な時代である。サタンは力を持っているように見える。司祭を含むサタンの僕となった牧者たちは、傲慢に満ちて人々に語っている。こうした者たちは神に忠実な人たちの迫害者となっている場合もある。サタンの僕たちは無神論者と共に「人生を楽しもうではないか!」と語りかける。彼らは多くを語り、その著作物で忠実な信者たちを混乱させている。このような愚か者たちは叡智ではない単なる知識を誇っているだけである。
しかし、言葉が風の中で吹き去られ、紙に書かれた文字が消えてゆくように、愚か者の知識と神無き者の息は霧や煙のように過ぎ去るであろう。残るものは彼らの残骸と審判だけである。この事について聖書には「生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです。(ヘブライ人への手紙10・31)と書かれている。この句は恩寵に逆らい、魂を救う代わりに自らを堕落させている人たちに向けられている。
天使館/天使のパン16号P39
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年6月1日早朝の主の御言葉
司祭に対する必要性が高まるにつれ、真実の善良な司祭の数は減って来ている。この事が信者の霊魂を苦しみへと導いている。牧者の居ない場所はますます増えている。その訳は、牧者となるはずであった司祭たちが司祭の母である聖母マリアを捨てたからである。
天使館/天使のパン16号P40
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年7月6日早朝の主の御言葉
一方、真の信者たちは公の場から身を引き、多くの場所で家庭に集まり、祈りと償いの時間を過ごしている。このような信者たちは悲しみやトラブル、困難の中にあっても、童貞聖マリアを避難所としている。私の恵みと私の愛をもって、私はこのような信者たちの真ん中に居る。そして彼らは聖母からも慰め、光、そして力を受けている。このような場所は聖母を崇拝する処となり、内的に新たにされる強力な重要ポイントとなっている。
すべての恵みは私の御母の手の中に置かれている。私の御母を愛し、御母を崇める者の名は、私の聖心の中に永遠に刻み付けられるであろう。
天使館/天使のパン16号P42
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年9月7日早朝の主の御言葉
わが唯一真の教会においては、司祭であろうが、信徒であろうが、永遠の審判の前では超自然的な重い責任を持っている。審判において最も重要視されるものは御聖体に反する罪であり、御聖体の犠牲の持つ尊厳と神性と恵みに反する罪である。
多くの司祭たちにとって、ミサでの聖なる犠牲は単なる習慣となっている。彼らは内なる信仰を持たずに、また崇敬の気持ちも持たずに、更に贖い主である私への愛を持たずに祭壇に近づく。ミサ聖祭で犠牲を捧げることが司祭の召命の中で行うべき最も重要な仕事であるにも拘らず、信者は司祭が聖なる犠牲を捧げているかどうかを気にも留めようとしていない!
現代の教会の危機と混乱の中で最大の罪と最も恐るべき冒涜は、この様な不忠実な司祭たちと、間違った教えに導かれている一般信者たちが、祭壇の犠牲の神秘を単なる食事に貶めていることである。このように堕落と裏切りの霊が多くの信者たちの上に覆いかかり、そのため信者たちは崇敬の念を持たずに、あたかも一つのこの世の出来事のように、御聖体を拝領しに行くのである。そのため、このような信者たちは審判の前で有罪とされる。彼らが私の聖母マリアのことを考え、御託身の時、聖母がどれほど純粋で深く熱い崇敬の念を持って聖霊から神の御子である私をお受けになったかを理解すれば、自らを反省し、私への崇敬と愛を取り戻したいと願うであろう! 私のはしため、アグレダのマリアが啓示の本(注:『神の都市』を指す)の中で、どれほど言い尽くしがたい崇敬をもってこの事について書き記したかをよく考えてみなさい。私がどれほど愛しているかを悟り、また祭壇上の現存を至聖なる御者として崇め、次いで私の聖母に対して愛を与える者たちに対して、私は永遠にわたって幸いを与えるであろう。
天使館/天使のパン16号P43
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年10月5日早朝の主の御言葉
聖母マリアに与えられたすべての栄光はその息子である私へと導かれる。そして、すべての恵みは聖母の聖心と御手を通して人間へと流れてゆくのである。そのため、聖母は偉大な仲介者と呼ばれている。もちろん、永遠の御父の前で、ゴルゴタの血の犠牲を通して唯一の神への執り成し手となったのは私である。
天使館/天使のパン16号P44
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年10月5日早朝の主の御言葉
背教と信仰の混乱の中にあるこの時代には、非常に敬虔で隠れた徳を持っている一般信者たちもいる。彼らは私の聖母を崇め、栄光を捧げることに熱心で純粋であるため、私の聖心近くに居る。
天使館/天使のパン16号P44
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年11月2日早朝の主の御言葉
信仰を持って真の教会に奉仕し、同時に諸聖人の中で最も聖である聖母マリアを崇めることは一つの働きである。
天使館/天使のパン16号P45
ドレックス教授への救い主の御言葉 1973年11月2日早朝の主の御言葉
私の御父の最も美しい被造物であり、聖霊の至高の花嫁である聖母マリアの愛に顔を背けている者たちは禍である! 人々の魂から私の御母を拭い去り、御母への愛に対して冷ややかになっている者たちすべてに対し、その禍は三倍である。何故なら、童貞聖マリアはまさしく恵みの仲介者であり、教会の内外からの敵や異端者を征服するため、三位一体の神から力が与えられているからである。
聖書には、「今から後、主に結ばれて死ぬ者は幸いだ」(黙示録14・13)と書かれているが、私は更に次のように言う、「私の聖母を崇拝する者、また霊魂を聖母への崇拝に貢献する者は誰でも、天国で永遠に続く祝福を確実に受けるであろう」。