愛の善
黙示録講解966
[2]十戒の第四の戒めは、両親は尊ばれなくてはならない、である。
この戒めが与えられたのは、両親に対する尊敬は主に対する愛と隣人に対する愛を表象し、かくて意味したためである、なぜなら天界の意味における『父』は、即ち、天界の父は主であられ、天界の意味における『母』は、即ち、天界の母は教会であるからである、『尊敬』は愛の善を意味し、彼らが得る『日々の長いこと』は永遠の生命の幸福を意味している。そのようにこの戒めは天界で理解されており、そこでは主以外いかような父も知られておらず、教会でもまたある主の王国以外にはいかような母も知られてはいないのである。なぜなら主は主御自身から生命を与えられ、教会を通して栄養を与えられるからである。天界の意味においては世における父は意味されることは出来ないのであり、実に人間が天界の観念[考え]の中にいるときは、父は言われることが出来ないことを主はマタイ伝に教えられている―
人間を地上であなたらの父と呼んではならない、なぜなら諸天界におられるあなたらの父は一人であられるからである(マタイ23・9)。
『父』は神的善の方面の主を意味していることは前に見ることが出来よう(32、200、254、297番)。『母』は主の王国、教会、神的真理を意味していることは「天界の秘義」の中に見ることが出来よう(289、2691、2717、3703、5581、8897番)、『日々の長いこと』は永遠の生命の幸福を意味し(8898番)、『尊敬』は愛の善を意味している(8897、前の288、345番)。この凡ては第三と第四の戒めは主に関係しているアルカナ〔秘義〕を、即ち、主の神的なものを承認し、告白することを、愛の善から主を拝することを含んでいることを明らかにしている。