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晧晧と晄を放つ月が、雲の間から少し顔を覗かせている。
闇夜を照らす青白い晄は、一人佇む青年の姿を露にしていた。
足元には無造作に散らばった仮初の命を有した者の肉塊。
刀からはどす黒い血が滴り落ち、地には小さな湖が出来ている。
付着した血を布で拭き取り、元の鞘へと返還し、微量の返り血を浴びた頬の血を拭う。
止めど無く発生する輩に嫌悪感を感じ、踵を返して去る足音だけがその場に響いた。
――――――――― 一体何度、俺はアンデッドを斬って来たのだろう……
あの光景が日常的に思えてきて、何も感じなくなってきた
一度死んでしまったのならば、二度と動かなくて良い…
少なくとも俺は、そんな者になってまで生きたくなど、無い
吸血鬼になった者は、死んだも同然だ ―――――――――――――――
「あっ、お帰りなさい。クライヴ」
「……来ていたのか」
今日泊まる部屋のドアを開けると、アイラが翼を仕舞い、窓際の壁に寄り掛かっていた。
彼女の背からは月の晄が指し込み、一段と神々しく見える。
先ほどの場とはギャップの差が有り過ぎで、そう思えたのかもしれない。
「えぇ、今日は一日同行させて頂きますね。それと、もう風邪の方は平気ですか?」
先日の、熱を出してアイラに看病をしてもらった時の出来事がクライヴの脳裏を横切った。
あの時は体の自由が利くまで傍に居てもらい、随分と世話になった。
日があまり経っていないのでまだダルイ感じがするが、回復には近づいて来ている。
「あぁ……… まだ完全に治ってはいないが、気にする程でも無い…」
「…そうですか。 でも気を付けて下さいね。 たかが風邪でも拗らせたら肺炎になって
しまいますから。 ご飯とかきちんと食べています?」
「…あぁ、一応な」
いつもの如く、細々と質問をする天使を軽く受け流し、近くにあったベッドに腰掛け刀の手入れを始めようとする。
だが、刀身を半ばまで曝け出したその時、アイラの一言で中断せざるを得なくなった。
「あっ、クライヴ、お腹の辺りに切り傷がありますよ!」
調度上着が捲くれた時、裂けた白い布地に浮かぶ血痕を見つけたらしい。
そう言えば、少し鈍い痛みを感じるような気がする。
「……先程のアンデッドの戦いの時に出来た傷だろう。 そんなに心配する事でもない…」
「ダメですよ! 掠り傷でもありませんし。 見せて下さい。 今祝福を掛けますから…」
怪我を治そうと手を移動させた時、クライヴは躰を捻らせ、態と傷が見えぬような体勢を取った。
「…………別に、良い。 これは奴の血だ…… いくら流れようとかまわん……」
それに、こんなに狂った血ならば、むしろ無くなってしまった方が良い………
そうすれば苦しみから開放される…
「だから………気にしないでくれ…」
刀を脇に置き、ベッドから立とうとしたその時、行く手をアイラの手に阻まれ
身動きが取れなくなった。
「…!」
「そんな事を言っていたら出血多量で死んでしまいますよ! 祝福掛けますからね」
半ば強引にクライヴの腹辺りに手を翳し、暖かな晄を注ぎ込む。
傷は見る見る内に塞ぎ込み、痕すら残さなかった。
「……はい、終りましたよ」
「………………すまん」
決まりが悪そうに顔を背け、そんな様子をアイラは心配そうに覗き込む。
「クライヴ…… どうかしたんですか? 少し感情が高まっているように見えますが…」
「いや………何でも無い」
何でも無いと口には出しているが、視線は背けられたままで体勢も変わっていない。
アイラの不安は募ったが、躰を起こし、テーブルの方に向き直した。
「…私、お茶を煎れて来ますね。今日は良いハーブが入ったんです。 きっと心も
落ちつく筈ですよ」
近くにあったティーポットを手に持ち、早速用意に取り掛かる。
容器の音を背中で聞きながら、クライヴは軽く溜め息をついた。
―――――先程の戦いの余韻がまだ躰に残っているか
微弱だが、昂ぶりを感じる…
「アンデッドとの戦いの後はいつもこうだな……」
「えっ、クライヴ、どうかしましたか?」
あまり大きな声で言ったつもりは無かったのだろうが、アイラの耳には朧気に入ったみたいで
カップを手に持ったままクライヴに問う。
「…いや………気にするな」
「?」
テーブルの向こうで首を傾げている天使には気を止めずに、目線を窓に投げた。
先刻まで指しこまれていた月の光は雲に遮断され、輝きを失っていた。
だが、その月の傍らでは散り散りに星が煌いて見える。
――――――もしも、許されるのなら、
その晄だけで構わないから、俺を照らしてくれないだろうか…………
自分は闇の者。
晄とは全く正反対の存在。
求めても仕方が無いと判っている。
だが……………
「クライヴ、お茶が入りましたよ」
アイラの声でハッと我に返る。
後を振り向くと、カップから湯気が出ているのが見えた。
「冷めない内にどうぞ」
「……あぁ」
ベッドから立ち上がろうとしたその時
ドクン
「……っ」
ガタン
突如襲ってきた血の衝動に、不覚にもその体勢を崩す。
「!! クライヴ!?」
目の前で床に倒れこんだクライヴの元へとアイラは急いで駆け寄った。
「クライヴ! クライヴ大丈夫ですか!?」
眼前で苦しみながら息をしている彼に向かって手を差し伸べようとした、が
パシッ
「えっ…」
手を払い除けられ、呆然とクライヴを見るアイラ。
「…ハァっ…た…のむ、俺から…離れてく…れ…」
血の衝動に駆られた時、近くに人が居ると襲いそうになる欲望に取り込まれる。
幾度と無く、俺はそれを抑えて来た。
だが、そろそろ限界に近い。
「お前を……汚したく…ない…だ、から……グッ!」
段々と意識が朦朧として来るのが手に取るように判る。
ここまでか……………と瞳を閉じて諦めかけたその時に、フワッと何か暖かな物を感じた。
「!」
アイラはクライヴの躰を抱きしめ、開き出した翼で姿を覆い尽くすようにしていた。
「なっ…!」
"何をしている!早く逃げろ!"
こう言いたかったが思うように口に出せず、喘ぐ息で消されてしまう。
「……そんな…、そんな事、こんな状態の貴方を置いて行く事など私には出来ません。
貴方が落ちつくまで、私はここに居ます……」
「……………」
躰全体で掛けられている祝福はクライヴに降り注ぎ、空気がキラキラと光っている。
不思議と気分は穏やかになっていき、呼吸も正常に戻りつつあった。
暖かな晄に心地良さを感じながら、今は天使に躰を預けている…
「クライヴ………もう大丈夫ですか?」
今は壁に凭れ、手で頭を押さえている勇者に話掛けた。
「…あぁ………………すまない」
「いいえ、クライヴが苦しんでいる時に私はこれぐらいの事しか出来ませんから…」
自分を謙遜して言っているが、何度その晄で助けられたか判らない。
今も、この前も………
「それにしてもクライヴ……今の発作は……」
「…あぁ、この血の所為だ。幾度と無く、俺を苦しめて来た… 今まで抑えて来たが、
そろそろ限界だ……… 俺は奴の言う通りこの血に屈する事になるだろう……」
髪を掻き揚げ、俯き加減に何処かを見ている彼の横顔は寂しげに見えた気がする。
そんな事を彼に言ったら否定されるのだろうが……
「………クライヴ、諦めないで下さい。きっと、何か方法があると思います。
信じて下さい……未来を。 必ず一緒に乗り越えましょう…
私は貴方を信じています…」
「…………………」
「クライヴ?」
「…………君は…」
「えっ?」
「…君は、俺以外の勇者にも、そう言うのだろうな……」
二人の空間に短い沈黙が流れた。
アイラは少し目を丸くして、クライヴの顔を見続けている。
「…少し、風に当たってくる……」
クライヴはアイラの横を通り過ぎ、宿屋の廊下へと続くドアを開け静かに姿を消して行った。
部屋に一人残された天使は、ただその後姿を見ている事しか出来なかった。
「……クライ……ヴ?」
外の空気は涼しく彼を迎え入れ、穏やかな風を流していた。
一人佇むクライヴは、空を仰ぎ見ている。
「一体……何を言っているのだろうな……」
自然と出た言葉に、躊躇している自分が居た。
何かを想う事なんて、そんな余裕は無い筈なのに………
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