レイブンルフトの事件が過ぎてから5日、クライヴは既に落ち着きを取り戻していた。
一時期、やはり逃げられた事に対して歯噛みをする事もあったが、
その度にアイラが慰めてくれて又、いつもの自分に戻れたのだ。
あの時彼女が言ってくれた言葉は、今でも鮮明に記憶に残っている。
「まだ、来ないのか……」
いつしか自分が、あの天使を待っている事に気付く。
以前は確かに様々な事を聞いてきて、邪魔だと思った事もあった。
忘れかけていた小さな傷を思い出させるような言動をしていた彼女を。
だが、今は不思議とそうは思わない。
不意に、修行をしているクライヴの頭上を一つの影が遮った。
瞬時に顔を上げ、その瞳に映って来た物は……
「クライヴさまぁ〜♪」
「……フロリンダか」
ペンギンの着ぐるみを着たフロリンダ(彼女はコレを正装と言う)が、何処からともなく
クライヴの元へと飛んできた。
いつものように、両手をパタパタ忙しそうに動かしながら。
「今日はぁ、アイラ様がお休みを取られているので、変りにフロリンが来ましたぁ♪」
「……そうか」
特にフロリンダには目も暮れずに中断していた修行を続行する。
(…休みを取っているなら仕方が無いな……)
自分の中で小さく納得をし、刀を一振りしたその時、
「でもぉ、ちょっとアイラ様、来られない事を残念がっていたみたいですぅ」
「…何?」
フロリンダの一言が僅かに胸に引っ掛かった。
一端刀を鞘に戻し、小さな妖精に向きを変える。
「何だか、クライヴ様を心配していたみたいですけどぉ」
「……………」
「でも最近、アイラ様とクライヴ様って仲良いですよね。 クライヴ様も、アイラ様と一緒に
居る時、フロリン達とは違った顔になってますよぉ?」
微妙に、クライヴの表情が変る。
(…俺が? あの天使の前では変っている…?)
確かに…そうかもしれない。
あの天使に出会ってから、俺の中の何かが変化していっている。
何故か彼女と居ると、心が安らぐ気がする。
あの忌々しい血の呪縛も、忘れられる気がした……
「でもでもぉ、フロリン、ちょっと不思議ですぅ」
ハッ
フロリンダの一言に、一気に現実に引き戻された。
「前は、あんな事言っていたのにぃ……」
「…何がだ?」
何やら少し考え込んでいるフロリンダに問い掛けた。
目の前の彼女はかなり苦悩しているように見える。
「あのですねぇ、以前アイラ様がインフォスと言う地を守っていたのは知っていますかぁ?」
「いや…」
「アイラ様は、インフォスでの混乱を防ぐ為に、今の様に選ばれた勇者様達と戦って来たんですぅ」
初耳だった。
今まで彼女からその様な事を聞かされたのは一度も無い。
彼女からしてみれば、俺に話す必要性が無いと思っていたのかもしれないが……
「それで、その勇者様達の中の一人で、シーヴァス様と言う勇者様がいたんですぅ。
貴族の方で強かったんですけど、何処か皮肉めいていてフロリンあまり好きじゃ
ありませんでしたぁ。でも、その方とアイラ様は結構仲良かったんですよぉ。
フロリンがお二人で話している時に遊びに行ったらシーヴァス様に睨まれたりした事
ありましたしぃ…」
「…………」
「次々と混乱度を下げながら堕天使と戦っていたアイラ様達の前に、
終盤辺りになってガープと言う堕天使の親玉みたいな者が現れたんですぅ。
その戦いが最後の決戦だった訳なんですけどもぉ。
それで、その決戦を控えた晩の日に、シーヴァス様はアイラ様を呼び出して
“地上に残って欲しい”って言ったんですよぉ
その意味はシーヴァス様がアイラ様の事を好きだと言う訳だったんですけど
フロリン達はお仕事が終わると天界に帰ってしまいますからぁ
シーヴァス様はアイラ様に帰って欲しくなかったんですねぇ
その事を知っているのは、お二人のやりとりをフロリン見ちゃったからなんですけどぉ………
でもぉ、アイラ様は地上に残ろうとはしませんでしたぁ
その時アイラ様が何て言ったか想像出来ますかぁ?」
「……いや」
「“私には恋と言う感情が判りません。だから地上には残れない”
こう言ったんですよぉ。 フロリン驚いちゃいました!
だって、アイラ様もいつも楽しげに話していたんですからぁ
てっきりアイラ様もシーヴァス様の事を好きだとフロリン思っていましたぁ
この時は何でこう言ったのかもフロリン判らなくてぇ」
ソレを聞いた時、少なからず俺は驚いた。
顔にこそ出さなかったが………
その、アイラが男勇者に言った一言が、何故か深く焼き付いて………
「コレは後からリリィに教えて貰った話なんですけどぉ、アイラ様のお友達にリヴァイエル様と
言う天使様が居たらしいですぅ。、アイラ様とはとても仲が宜しかったみたいで、
親友と呼ぶに等しかったぐらいだと言う話です。
そのリヴァイエル様はアイラ様がインフォスの守護に任命される少し前にガブリエル様から
別の地で守護を任されていたんですよぉ。
かなりそちらも大変だったみたいですけどぉ。
それで、リヴァイエル様は一人の男勇者の方と恋に落ちたそうです。
地上に残ってその方と共に生きて行きたいと言っていたみたいで、アイラ様も
とても祝福されていたそうです。 でも、いざ元凶を取り除いて、その方と
共に生きていこうと思い翼を捨てて地上界に降りたら、その方はリヴァイエル様を
捨てて、他の女性と行方を晦ましたそうです。 その後、翼を失って
帰る場所も無くなったリヴァイエル様は自害なされたそうですけどぉ……
それから、アイラ様は恋とかそういう感情が無くなってしまったと言う話なんです。
お二人がとても愛し合っていたのをアイラ様はよくご存知みたいでしたからぁ…
リリィが言うには、人を慈しむ{愛}は判るんですけどぉ、恋愛感情の{恋}は欠落して
しまったとか……
でも、ソレを聞いてフロリン納得しちゃいました。 もし、フロリンのお友達が、男性と
相思相愛で、とても幸せそうにしていたんですけど、そのお友達を捨てて
他の女性の所へ行ってしまったらフロリンもそう言うのが判らなくなっちゃいます。
あれ、クライヴさまぁ〜 ちゃんとフロリンの話聞いていましたかぁ〜?」
「…あぁ、聞いていた」
「クライヴ様は何のリアクションも無いですから、聞いているか聞いていないか
フロリン不安になりますぅ〜!」
「……………」
「あぁ〜、クライヴさまぁ! どこに行くんですかぁ??」
「……少し、疲れたから休む…お前も天界に帰ると良い…」
「えぇ、でもフロリン一日同行なんですけどぉ…… あっ、クライヴさまぁ〜
待ってくださぁ〜い!」
特にキツイ修行もしていないのに、フロリンダの話を聞いたらどっと疲れた。
あんな話、聞かない方が良かったのか……
…………?
(一体、さっきから俺は何を考えているんだ… 別に、関係の無い話だろう…)
クライヴは家の中に入り、そのまま力無くベットに躰を預けた。
しばし天井を睨みつけていると、ぼんやりとアイラの顔が浮かんでくる。
何かを振り払おうとして起き上がり、刀を持ち直そうとするが、どうもその仕草がぎこちない。
そんないつもと違うクライヴの脳裏には、フロリンダのある一言が響き渡っていた。
「…恋と言う感情が判らない……か…」
「………躰が怠い…」
目覚めてからの第一声がソレだった。
あれから何時の間にか眠ってしまい、気が付いた頃には景色が変わっていた。
カーテンに半ば隠されている窓からは、微量な西日が差している。
喉の渇きを癒す為に水差しに手を掛けようとするが、手足が重い。
「…躰が熱い。 風邪でも引いたか…」
額に手を当てたまま、そのまま元のベットに倒れこむ。
(昨日の晩、変に疲れたように感じたのは風邪の所為だったのか… それとも……)
ポゥ
突如、淡い晄が一室を照らし出した。
小さな晄の塊が余々にその輪を広げていく。
端から見れば奇妙な光景だが、その様子をおぼろげに眺めているクライヴは動じない。
この晄の主を知っているからだ。
「こんばんは、クライヴ」
微笑を浮かべた一人の天使が姿を現した。
1日休息した彼女からは疲れを感じる事は無く、スッキリとした顔立ちをしている。
「……何か…用か……」
起き上がる事すら億劫なクライヴは、ベッドの上から見上げるようにしてアイラを見据えた。
「ええ、今朝戻って来たフロリンダから話を聞いて、貴方の様子が少しおかしかったと
言っていたので様子を見に来たのですが……」
ふと、クライヴの異変に気付き、姿勢を少し落し顔を覗き込んだ。
「……何だ」
ペトッ
アイラの柔らかな掌が、クライヴの額を覆い尽くした。
そのひんやりとした感触が、今は特に心地よく感じて………
「やっぱり! クライヴ、貴方熱ありますよ! 顔も赤くなっていますし!」
思いの他に額の熱が熱く感じたので、アイラも声を張り上げる。
「あぁ……そう、みたいだな…… 放っておけば直に治るだろう……」
「そんな悠長に言っていてはダメですよ! 待っていて下さいね!
私、水を汲んで来ますから!」
そう言うが早いが、アイラは翼を仕舞い外に飛び出していた。
その後姿を見送ったクライヴは、枕に顔を埋め軽く息を吐く。
「………行動が速いな… そうでもなくては、天使など勤まらないか……」
気だるそうに躰を起き上げ、汗ばんだ衣類を脱ぎ去り寝巻きへと着替えた。
今はとりあえず、あの天使に流されそうだ…
あれから数分後、桶に水を汲んで来たアイラは洗面器に移し、タオルに水を含ませた物を
クライヴの額へと乗せていた。
幾分か、こういう事に対しても知識があるらしい。
それとも、天使も風邪と言うものを引くものなのか?
朦朧とする頭の中で、クライヴは小さな疑問をいくつか抱いていた。
そしてその中の一つの疑問を晴らそうと重々しい口を開く。
目線は天井に向けたままで。
「君に、一つ尋ねたい事がある……」
「何です?」
水差しの中の水を変え終えた天使はクライヴの方へと躰を向ける。
そのままベットの脇の椅子へと腰掛け、話を聞く体勢を取った。
「君は、何故俺にこんな事までしてくれる…? 俺が、数少ないアルカヤの勇者だからか…?」
クライヴの口から放たれた言葉に少なからず驚いた表情を見せた。
多分、そんな事を言われるだ何て思ってもいなかったのだろう。
少々思いつめた顔をしていたが、クライヴとの顔の距離を縮め、微妙に声を曇らせ答える。
「私が…貴方の、クライヴの心配をしてはいけませんか?」
「…………………?」
「私は、貴方を大事だと思っているからこうして看病をしているんです。 それに、今私は
勇者に対しての看病よりも、クライヴ・セイングレント一個人の看病をしています」
病人を看病するのは当たり前だと思うアイラは迷い無く答えた。
そのアイラの返答を聞いたクライヴは僅かに表情を変えた。
見た目特に変化していないようには思われるが、気持ち的に眼を大きくさせ、アイラを見ていた。
(…何故彼女は…こうもここまで言えるのだろうか………)
「……君は、変わっているな」
「?」
「俺は…この職業からかもしれんが、人と、こんなに触れ合った事は無い。 皆、俺を
避けて生活をしている。 俺が重傷を負った時も、手当てなどしてくれる者は誰一人
居なかった… なのに、君は……」
クライヴの額からタオルを取り、水の張った洗面器に入れ、熱を帯びたタオルに冷気を含ませる。
水が滴り落ちてくるソレを絞りながら、アイラは口を開いた。
「皆、貴方を避けている訳では無いと思いますよ。 ただ、どう接して良いか判らないだけだと
思います。 ほら、戸惑っている時って変に冷たくなってしまう事ありません?
それと同じだと私は思いますよ」
再び額に乗せ、慈愛に満ちた瞳でクライヴを見守る姿は天使である彼女をより一層引き出させた。
「単なる風邪と言っても悪化しては大変ですからね。 今は大人しく静養して下さい。
熱が下がるまで私はココに居ますから」
「……君には…助けられてばかりだな…」
クライヴの脳裏には、海竜との戦いで重傷を負い、宿で臥していた時の事や、
先日のレイブンルフトの出来事が思い出されていた。
もしも一人だったのならば、こうも早く回復してはいなかっただろう…
「別に、気にしないで下さいね。 私がクライヴの力になりたいだけですから」
「……………………」
「あっ、飲み水が残り少ないですね 私ちょっと汲んできます」
空になった桶を手に持ち、今度はゆっくりと日が沈んだ外に向かって歩き出す。
雲の層から顔を見せ始めた三日月が、その姿をただ見守っていた。
一人部屋に残されたクライヴは、しばらく天井を眺めていた後静かに瞼を閉じた。
「……参ったな」
あの天使は自分に対して率直に対応してくる。
ソレを俺はどう受けとめて良いか判らない、知らない……
俺はそんな能力を持っていない。
「……あのまま、何事もなくばあさんらと過ごしていたら、少しは変わっていたかもな……」
ドクン
「ぐっ!」
唐突に来た破壊の衝動が、クライヴの躰を激しく揺す振った。
ベットのシーツを引き千切れんばかりに掴み、肩で息をしながら必死にその衝動に耐える。
「……ハァっ…ハァ………お、れは、貴様に屈したりはせんぞ……!」
確実に彼の躰を蝕む血の呪縛は、時が経つに連れあさましい
吸血鬼へと変化を遂げようとしている。
今は理性で現状を維持しているが、いつ血に狂うか判らない。
気を抜いたら、今でも堕ちてしまうだろう。
だが、狂う前に俺はやらねばならない事がある。
レイブンルフト! 貴様を俺の手で葬る事だ!
その事しか、今の俺には考えられない。
貴様を殺す事だけを。
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