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| 光と闇が、希望と絶望が激しく渦巻く中、決着は付いた。今、かつて勇者だった男は冷たい |
| 石の床の上に、僅かに残った体力を振り絞りながら上半身を支え、それをクライヴは無言で |
| 見下ろしていた。 |
| 「私は……今まで一体、何をしてきたのだろうな……」 |
| 床の上に肘を着いたままのレイブンルフトが、そう、自嘲気味に笑いながら呟く。 |
| 「長い時間だった……天竜を倒し……それ故、その血に囚われ……死ぬことも、忘れること |
| も出来ず、今まで生きてきた……この血が私に与えたのは、何だったのだ……悪夢か……」 |
| 死ぬ覚悟は出来ている。あの剣を持って、クライヴがこの城に現れたときから。かつて、自 |
| 分が天竜を倒すために使っていた剣によって自分が倒れるとは……運命とやらも、なかなか |
| 楽しませてくれる…… |
| 「せめて、忘れることができれば……」 |
| そうすれば、何かが違ったかも知れない。かつて愛した者は、その身の上故に自分の元を去 |
| り、その後愛した者は、この、自分の手で殺してしまった。忘れたくとも忘れられず、死を |
| 望んでも呪われし体故にかなわなかった。そして、何時しか自分はその身を闇に落としてい |
| た。忌まわしき記憶から逃れたくて。少しでも、楽になりたくて………その結果がこれだ。 |
| ただ一つ、後悔することがあるとすれば、それはトゥリファをこの地上に引き留められなか |
| ったことだろう。だがそれも、今となってはどうでも良いことのように思えてきた。全ては、 |
| 己の弱さが招いた事。 |
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| 「……」 |
| セレスティナは無言でかつて勇者だった、先代の、トゥリファが心から愛した男を見つめる。 |
| 「……クライヴ……」 |
| ややあってから何かを決めたように、傍らに立つ現在勇者である男に声を掛ける。 |
| 「……お前の好きにすればいい……」 |
| 何を言おうとしているかを察したクライヴは、そう、短く告げると、手にした剣を鞘にしまった。 |
| その動作を確認もせずに、セレスティナはゆっくりと、倒れ伏すレイブンルフトの前 |
| にしゃがみ込む。 |
| 「……?天使よ……一体、何をするつもりだ……」 |
| 「約束を………果たそうと思ってな………」 |
| かの記憶と供に忘れてしまっていた遠い約束。それを今、セレスティナは果たそうとしていた。 |
| 「約…束……?」 |
| 訝しげに問い返すレイブンルフトに対し、曖昧な笑みで答える。そして、ゆっくりと、複雑 |
| な印を組み、呪(シュ)を呟く。柔らかな光が一瞬大きく球を描き、弾けた。 |
| 「ッ!……これは………」 |
| その波動に、レイブンルフトは驚いたように大きく目を見開く。 |
| 「ああ……浄化だ……いくら私でも、蘇生は出来ない。だが、これくらいならば、行うこと |
| は出来る……」 |
| 普通の人間が吸血鬼になると、その身体は一度死んだことになる。本来ならば、その死した |
| 身体からは魂が抜け出さねばならないのだが、それを魔力によって無理矢理身体に押しとど |
| めているのだ。但し、その代償はかなり大きい。まず、闇の力を濃くその身に纏うため、太 |
| 陽光に当たると、それだけで皮膚は焼け爛れ、灰と化す。純度の高い銀に触れても同じ事が |
| 起きる。更に身体は一度死んでいるのだから、朽ち果てさせない為、常に新しい血液を供給 |
| しなければならない。もっとも、吸血された人間が全て吸血鬼になるというわけではないら |
| しい。もしそうならば、とっくに世界は吸血鬼で埋め尽くされている。吸血される側の素質 |
| も多少は関係してくるが、多くの要因は、吸血する側にある様だ。 |
| 「これが……先代との……トゥリファ様との、“約束”だ……」 |
| 万一、このアルカヤの大地に降りる事があれば、浄化をして欲しい……おそらく彼女は感じ |
| 取っていたのだろう。レイブンルフトが闇に落ちる原因の一端が己にあったことを。その優 |
| しさ故に地上に降りることの出来なかった彼女は、死ぬ間際まで、かつて愛した者のことを |
| 心配していた。 |
| 「先代が待っている………早く行ってやれ……」 |
| 「あぁ……世話になったな……天使よ……そして……」 |
| “すまなかった……”その言葉を言う前に、レイブンルフトの浄化は終わった。 |
| 「…………」 |
| 後に残った身体は、数百年という歳月が一気に襲ってきたかのように、見る間に乾涸らびて、 |
| 最後には粉かな塵となって崩れて消えた。 |
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| 「気は済んだか?」 |
| 「あぁ……」 |
| その全てを見届けた後、ゆっくりと立ち上がったセレスティナに、背後で黙って見守ってい |
| たクライヴが声を掛ける。 |
| 「悪かったな……勝手に、浄化なんかして……」 |
| 振り向いたその顔は、どことなく、哀しげに見えた。 |
| 「気にするな…それより…大丈夫か?」 |
| そっと、項垂れるようにして立つセレスティナの肩をクライヴは抱き寄せる。 |
| 「泣きたければ……泣いて良い……此処には俺しかいないのだから……」 |
| 「――――ッ!」 |
| その言葉に、今まで堪えてきた何かが切れたセレスティナは、ハラハラと涙を流し始める。 |
| 「セレス……」 |
| 長い髪を優しく撫ぜながらクライヴは、泣き崩れるセレスティナを黙って抱きしめていた。 |
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| どれくらいの時間が経ったのだろう。暫くすると、泣き止んだらしいセレスティナが、クラ |
| イヴに抱きしめられたまま、ポツリポツリと語り始めた。 |
| 「人も……堕天使も……最初は、皆、天使だったんだ………」 |
| それは、天界に伝わる創世神話。数多く伝わるそれらの中でも、限られた一部の天使しか知 |
| らない、“忘れ去られし神話”をセレスティナは語ろうとしていた。 |
| 「堕天使は……己の力を過信し過ぎた者達。私達天使は、永遠に神に従属することを誓った |
| 者達。そして、人間は……」 |
| そこで一旦言葉を止め、気持ちを落ち着かせるかのように小さく息を吸う。 |
| 「人間は、自ら翼を捨てた、気まぐれなる者達……私は、そう、聞いている……」 |
| 小さくそう告げる声は、何処か震えていた。俯いたままなので表情は分からないが、泣いて |
| いる様ではなかった。 |
| 「私も、ずっとそう思っていた……人とは、気まぐれな者達なのだ……と。だから、己の目 |
| 的為に、己の保身の為に、他者の命を―それが、かつて自分の愛した者で有ろうと―簡単に |
| 奪うことの出来る種なのだ……と……。」 |
| 「……今でも、そう、思っているのか?」 |
| 静かにクライヴが問う。確かに、天使から見れば人という種は、勝手気まま、自由奔放に生 |
| きているように見えるのだろう。だが、人から見れば、天使という種は、とても不自由な生 |
| き方をしているように見える。 |
| 「今は……チガウ。こうして、地上に降りるようになってからは……」 |
| 実際に、人と触れあってみて、初めて分かることもある。そして、余計に分からなくなるこ |
| とも………。 |
| 「今は……今はこう思っている。堕天使とは……自らの過去に縛られ、未来を見ようとしな |
| い者達……私達天使は……現在(イマ)に縛られ、過去を振り返ろうとも、未来を見ようとも |
| しない者達………人間は……未来を……希望を持つ者達だ……と。」 |
| 何故、その様に思うようになったのか………その理由はセレスティナにも分からない。あの |
| 封印が解けた頃からだろうか?こう思うようになったのは。 |
| 「そうか………」 |
| セレスティナの言葉に、クライヴは呟くかのように、そう、小さく一言告げた。 |
| 「確かに人は……お前達天使から見れば、理不尽な生き物なのだろうな……1人では生きて |
| 行けないから、集団で生きる。それでいて、自分たちと少しでも異なる部分があれば、すぐ |
| さま排除しようとする………数が多い方が正しくて、そうでない方は悪……」 |
| そこで、小さく自嘲気味に笑う。彼は、その出生故に何時だって虐げられる側だったから。 |
| 人は、その性質に置いて、己と異なる者を本能的に排除しようとする。例えそれが、己より |
| も弱い立場にある者であろうと構わずに。身体的特徴から、その人間の持つちょっとした癖、 |
| さらには、自分よりも才能のある者まで。おおよそ自分と異なる何かを持っている者に対し |
| て、人は厳しい。その反面、自分よりも明らかに劣っている者に対して人は優しい。己の持 |
| つ、ほんの僅かな優越感を満たす事の出来る相手には、無条件の優しさを与える。もっとも、 |
| その対象が少しでも自分よりも優れた物を持った途端、掌を返すようにして冷酷になるのだが。 |
| 「己の保身のためには、最愛の者でも平気で裏切る……そう言う奴らが居ることは事実だ… |
| …」 |
| そして彼は、過去に何度もそう言った人物を見てきているから。彼の生まれ育った村の人間 |
| を始め、依頼者の中には事が明るみになるのを恐れ、彼を殺そうとした者だって居た。全て |
| の元凶を自分よりも弱い者に擦り付け、自分は被害者だ、最愛の者を失った哀れな人間だ。 |
| と、周囲に見せようとした者達も居た。 |
| 「だが……それだけが全てな訳ではない……中には、そうでない者達もいる……それだけは、 |
| 忘れないでくれ……」 |
| そう。例えば、幼い頃に育ててくれた老夫婦のように……何故か、それだけは言っておきた |
| かった。 |
| 「失って初めて、失った物の大きさに、大切さに気付くことだって……ある……」 |
| そしてそれが、二度と手に入ることのない物ならば、その思いは尚更だろう………無意識の |
| うちに、セレスティナを抱く腕に力が入る。 |
| 『あの天使は、決して地上に留まらないだろう………』 |
| 暫く前に聞いた言葉が、今更のようにクライヴの胸に刺さった。 |
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