| アルカヤの南、小さな小さな街の聖堂に、ソレはあった。 |
| 「此処に…………?」 |
| おそらく、街の住人達が一生懸命手作りでコツコツと作り上げたのであろう。其処は質素な |
| がらも、素朴な、それでいて、とても暖かな雰囲気が満ちていた。 |
| 「あぁ、間違いない。此処に、俺を呼ぶ何かがある……」 |
| 「まぁ……確かに、邪悪な雰囲気はしないが……」 |
| 力強く、悪い言い方をすれば、まるで、何かに取りつかれたかの様にクライヴは一種の確信 |
| めいた物をもってセレスティナに告げた。 |
| 「入るぞ……」 |
| 訝しげに考え込むセレスティナをよそに、クライヴは聖堂の扉を開け放つ。 |
| 「なっ……ちょ……待てよっ!!」 |
| 振り向きもせずに、さっさと中に入って行ってしまったクライヴの後を、セレスティナは慌 |
| てて追い掛ける。その背の翼から抜け落ちた数枚の羽が、地に着く前に、細かな光の粒とな |
| って、虚空に消えていった。 |
|
| 『ヴァスティールの剣を……知っていますか?』 |
| 何時だったか、セレスティナの管理する勇者の1人、未開の地、レイフォリアの森に住むセ |
| シアが、クライヴにそう告げた事があった。 |
| 『…………?』 |
| 何のことか訳が分からず、訝しげな顔をするクライヴに対し、セシアは語った。引き継いだ |
| 聖母ディアナの記憶を…… |
| 『1000年前の戦いで……勇者であったヴァスティールの持つ剣は、天使様に祝福された、 |
| 特別な剣でした。今となっては、何処にあるのかは分かりませんが、闇に落ちた彼が持って |
| いるとは思えません。どうか、探し出して貰えませんか?』 |
| 『………それを見付けたところで、どうするつもりだ?お前には関係のない物だろう?』 |
| 『確かに。私には関係のない物です。ですがクライヴ、貴方にとっては、強力な武器となる |
| でしょう。それに、それを扱えると言う事は、貴方がヴァスティールと同等か、それ以上の |
| 力を持っている証にもなると思います。それならば、あるいは………』 |
| “レイブンルフトを倒すことが出来るでしょう………”おそらく、セシアはこう続けたかっ |
| たのだろう。だが、その言葉を全て聞く前に、クライヴはその場から去っていった。まるで、 |
| 自分には関係のないことだと言わんばかりに。 |
| 『………天使様?いらっしゃいますか?』 |
| クライヴの姿が見えなくなった後、セシアがそう、声を掛けてきた。 |
| 『あぁ……此処にいるが……』 |
| ゆっくりと、姿を実体化させる。 |
| 『天使様、彼は……』 |
| その言葉に、ゆっくりと首を振る。 |
| 『それは、私が介入すべき事じゃない……それに、その許可も、降りてはいないから。』 |
| 『そう………ですか……』 |
| 空に月はなく、星だけが、眩しいくらいに輝いていた。 |
|
| 聖堂の中、祭壇手前の床の上に、その剣は突き立てられていた。 |
| 「これ…なのか…?」 |
| 「あぁ……間違いない。この剣が、俺を呼んだ……」 |
| その剣がその場所に突き立てられてから、何十年、あるいは、何百年も経っているかも知れ |
| ない。柄に巻き付けられた布は最近取り替えられたらしく、真新しい物だったが、その刀身 |
| は曇っていた。 |
| 「………………。」 |
| 無言でクライヴはその剣を床から引き抜く。目に見えていた部分と異なり、床に刺さってい |
| た部分は、曇りもなく、その切れ味の鋭さを示すかのように光りを反射し、眩く輝いていた。 |
| 「この剣……まるで、何十年も使い続けてきたような……そんな感じがする……。」 |
| そっと、地上に出ていた部分の曇りを拭いながら、クライヴが小さく呟く。だが、セレステ |
| ィナは、無言のまま、その剣を見つめたまま微動だにしなかった。 |
| 「そんな……まさか……そんなはずは……でも……?!」 |
| その顔は、明らかに狼狽していた。元々白い顔が蒼白になり、額には汗が浮かんでいる。躰 |
| は小刻みに震え、心なしか、声も震えていた。 |
| 「……?セレス?」 |
| 「そんな……でも、どうしてこんな場所に………?」 |
| クライヴの呼び掛ける声も聞こえないのか、セレスティナは、ブツブツと小さく呟き続ける。 |
| まるで、その剣に怯えるかの様に。 |
| 「セレス?おい、大丈夫か?!セレス!」 |
| 尋常でないセレスティナの様子に、クライヴが慌ててそう、声を掛け、肩を揺する。 |
| バチンッ!! |
| 「?!」 |
| セレスティナの肩に指が触れるか否かというところで、激しい衝撃が指先を通じてクライヴ |
| の躰を走り抜けた。 |
| 「ック………!」 |
| はじき飛ばされる様なことは無かったが、あまりの衝撃に思わずよろめく。 |
| 「セレスッ!」 |
| クライヴのその呼び声は、セレスティナに届かず、虚しく虚空に舞った。 |
|
| その剣を見た瞬間、それはセレスティナの体の中を走り抜けた。 |
| 『恐い…………!』 |
| かつて、天界の書庫で一度だけ、その映像(ヴィジョン)を目にした時も、今と同じように、 |
| 恐怖を感じた。もっともそれは、実物はなかったせいか、今よりもずっと、軽い恐怖ではあ |
| ったが……… |
| 『イヤだ………押しつぶされるっ!!』 |
| そして、唐突にそれは襲ってきた。まるで、自分の存在を感知してくれる相手を見付けたこ |
| とに、喜ぶかの如く。 |
| 『?!』 |
| だが、襲ってきたそれは、不思議と怖さはなく、懐かしい感じがした。遠い昔に無くしたは |
| ずの“何か”が不意に戻って来たような……そんな感じすらした。 |
| 『………!これは………』 |
| それは、遠い昔の記憶。かつてこの剣を所持していた者に対する、この剣を与えた者の思い。 |
| そして、今となっては、自分がすっかり無くしてしまった何かを“心から愛する”という心。 |
| 『………!イヤだ!思い出したくないっ!!』 |
| それは、永久を生きる彼女にとって、“過去のこと”にするのには、余りにもつらいことだ |
| った。だから、彼女は力を犠牲にした。その記憶に、幾重もの封を施す代償として。長い時 |
| 間、“痛み”を心に背負ったまま生きて行くことが出来るほど、その時の彼女は“大人”で |
| はなかったから。そして、余りある魔力と、己の剣の腕に、彼女は絶対の信頼を置いていた |
| から。多少、力を失ったとしても支障は無い………そう考えていたから。 |
| 『………貴方は……強い……のね………』 |
| 不意に、懐かしい声がした。 |
| 『?!…………!封印がっ!』 |
| ほんの一瞬のことだった。その一瞬に、彼女が己の力と引き替えに施した封印と、本人すら |
| 気付かぬうちに施されていた封印は、あっさりと消えて無くなった。 |
| 「!イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」 |
| 悲痛なる叫び声と供に、魔力が暴走した。凶暴なまでの“チカラ”となって。 |
|
| 「アレの封印が解けたか…………」 |
| 漆黒の闇の中、1人の人物が、誰に言うでもなく、小さく呟く。 |
| 「ククク………愛しき者よ………ようやく、完全なるその姿を手に入れた様だな………」 |
| その目の前に置かれているのは、人の頭ほどの大きさのある黒水晶の球。其処に浮かぶのは、 |
| 次元すら異なる場所で、今正に、現実に起きている光景。 |
| 「さぁ……早く私の元に来るがいい……」 |
| 爆風と光が、激しく渦を巻く。 |
| 「クッ………なんてチカラだ…………」 |
| 手にした剣がなければ、おそらく、最初の爆風で弾き飛ばされていただろう。 |
| 「セレス!セレスッ!!」 |
| それでも、じりじりと押し戻されそうになる躰を、半ば無理矢理引きずるようにして中心に |
| いるはずのセレスティナの所へ向かう。 |
| 「セレスッ!……クソ、聞こえないのか?!」 |
| 姿は、見えている。苦しげに顔を歪ませ、己の肩に爪を立て、激痛から逃れようとするかの |
| ように激しく身を捩る。 |
| 「クソッ!………どうすればいい?どうすれば………」 |
| あまりの風の強さに、一歩も前に進むことの出来なくなり、せめて吹き飛ばされないように、 |
| と床に手にした剣を突き立てながら考え込む。 |
| 『……い………を…………て…』 |
| 「!」 |
| その時、微かな声がした。 |
| 『お願い……あの子を、助けて…………このままでは、暴走した魔力によって、闇に囚われ |
| てしまう………』 |
| その言葉に弾かれる様にして顔を上げる。暴走する魔力の中心、丁度、セレスティナの足下 |
| 辺りの空間が、漆黒に染まっていた。 |
| 「セレスッ!」 |
| 一目見て分かった。それは、底知れぬ虚無へと通じる穴だ……と。そして、言い様の無い不 |
| 安が背筋を走り抜けた。何故か、虚無に対する恐怖ではなく、大切な何かを失ってしまうの |
| ではないかという不安。それが背筋を駆け抜けたのだった。 |
| 「セレスッ!目を覚ませっ!セレスッ!!」 |
| 無我夢中で叫ぶ。その声が届いたのか、虚ろな、それでいて苦痛に歪む瞳がこちらを向いた。 |
| 「………………」 |
| 唇が微かに動き、何かを求めるかの如く、ゆっくりと右腕が差し延べられる。 |
| 「セレスッ!」 |
| 必死になって、自分も腕を伸ばす。渦巻く風が、無数の切り傷を腕に刻む。それにも構わず、 |
| 腕を伸ばす。吹き飛ばされそうになる躰を、少しでも前に進めながら。 |
|
| 激しい痛みが、躰中を走り抜けた。 |
| 「ック!……アァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」 |
| “自分”と言う存在を構築する全ての分子がバラバラになってしまうような、それでいて、 |
| 今まで失っていた“何か”が自分の中に戻ってきたような、そんな、不思議な感覚だった。 |
| 『私を……許してちょうだい……』 |
| 『お願い……死なせて……』 |
| 『忌まわしき者よ……』 |
| 『貴方なんか、居なければ良かったのにっ!!』 |
| 『キサマは堕天使だ……呪われし生を受けし者よ。』 |
| 『バケモノッ!!』 |
| 『死んでしまえ』 |
| 『死ね!』 |
| 『殺してやる』 |
| 『消え失せろ!』 |
| 記憶の奔流が、曖昧な存在となった自分に押し寄せる。その存在の全てを否定するかの如く。 |
| 『この力は……危険すぎる……』 |
| 『いつか、己を傷付け、他をも傷付けるだろう……』 |
| 『今の内に、封じて置いた方が……』 |
| 『忌まわしき滅びの力など……』 |
| 『その様な力持つ者を、生かして置いて良いのですか?!』 |
| 『今すぐ、死を!』 |
| 『イヤ、来るべき時の為に、幽閉しておくべきだ。』 |
| それは、その名を継いだ者の記憶。星と月の力を継ぐ者は、絶大なる権限と引き替えに、自 |
| 由を失う。そして、中でも余りにも強大すぎる力を、それこそ、“神”に匹敵する力を持っ |
| て生まれた者は、その力の一端を封じられ続けてきた。来るべき、“聖戦”に備えて…… |
| 『ワタシハ………』 |
| 押しつぶされそうな程の記憶の奔流の中、セレスティナは、必死に“己”を保っていた。今 |
| にも消えそうなほどの微かな存在ではあったが、己の持てる精神力の全てをそそぎ込む様に |
| して、彼女は“己”を保っていた。 |
| 『ワタ……シ……ハ………』 |
| だが、それも限界に近付いていた。迫り来る“記憶”の奔流の中、彼女の放つ“光”はか細 |
| く、そして、頼りない物だった。 |
| 『ワ……タシ……ハ………』 |
| このまま消滅すれば、楽になれるかも知れない………不意に、そんな感情が彼女の中を駆け |
| 抜ける。そしてそれは、甘美な響きと供に、ゆっくりと彼女を支配していった。視界が、ゆ |
| っくりと闇に染まる。 |
| 『…………………』 |
| 漆黒の闇、永久の虚無。落ちているのか、浮かんでいるのか。それすらも分からない。ただ、 |
| 己の翼が放つ光だけが、辺りを照らしていた。 |
| 『貴方にも、いつかきっと、分かる日が来るわ……』 |
| 『貴方が……正しいと……思った…道を……進みな……さい………』 |
| 『私は貴方とは違いますっ!!』 |
| 『誰もが皆、お前みたく強かナイんだ。』 |
| 『貴方には、決して分からない!』 |
| 記憶の断片(カケラ)が、彼女に囁きかける。 |
| 『貴方は……笑うことを止めてしまったのですね……』 |
| 『死に神ね。アナタ。』 |
| 『人形風情が。知った風な口を利くなっ!』 |
| 記憶の断片が彼女に囁く度、彼女を包む闇は次第に濃くなり、それに比例するかのように彼 |
| 女の放つ光が弱まって行く。そして、その口元にはうっすらと笑が浮かぶ。残忍なまでに凶 |
| 悪な笑が。過去の記憶は、最早彼女にとってなんの意味も持たなかった。 |
|
| 渦巻く風が、徐々に黒く、闇に染まって行く。 |
| 「!……クソッ!!」 |
| これが全て黒くなったら―闇に染まったら、セレスティナは二度と帰ってこない…漠然と、 |
| そんな予感がした。 |
| 「セレスッ!!」 |
| 何度目になるか分からない呼びかけ。先程まで伸ばされていた腕は、力無く両脇に垂れ、口 |
| 元には残忍な、それでいて見る者を凌駕する笑が浮かんでいる。彼女の背の翼が、先からゆ |
| っくりと闇に染まって行く。それをただ黙って見ているしかない自分の無力さが腹立たしか |
| った。 |
| 「セレースッ!!」 |
| グラリ、と視界が傾いだ。足下には、腕の傷から流れ落ちる血によって大きな血だまりが出 |
| 来ている。傷自体は大したことはないのだが、無数に傷を負っているせいか失血量が多い。 |
| 「クッ………」 |
| 件を支えになんとか立ち上がるが、意識までもが朦朧とし始める。これは……本格的にマズ |
| イかも知れない。この体がなんとか動くうちに、彼女を正気付かせなければいけない……気 |
| 持ちばかりが焦ってしまう。 |
| 「セレスッ!!」 |
| 鮮血が、風と供に宙を舞う。それを視界の端に納めながら、クライヴの意識は闇に沈んだ。 |
|
| 『……………ッ!!』 |
| 何かが、聞こえたような気がした。 |
| 『…………?』 |
| 闇の中、セレスティナはゆっくりと首を巡らせて、音のした方へと顔を向ける。 |
| 『………?』 |
| 其処に見えた物は、針の先程のごく僅かな光。漆黒の闇の中のほんの僅かな、ただ一筋だけ |
| の光明。 |
| 『………』 |
| ゆっくりと、手を伸ばしてみる。光が、指先に触れた。 |
| 『?!』 |
| 光に触れた途端、何かが体の中を駆け抜け、思い切り体が強張る。 |
| 『…………?』 |
| 頬に何か生暖かい物が触れた感触。そっと反対側の手の甲でそれを拭い、ゆっくり、目の前 |
| に翳す。 |
| 『!』 |
| その手は、鮮血に染まっていた。漆黒の闇の中に、鮮やかなまでの紅。その紅に込められた |
| 想いによって、急速にセレスティナの意識は覚醒して行く。 |
| 『あ…………』 |
| 周囲を被っていた闇が、針の先程の光を中心にひび割れ、音もなく崩れて行く。それと同時 |
| に、狂ったように吹き荒れていた風が止む。 |
| 『私は…………」 |
| 鮮血に染まった己の手を、ただ呆然と見つめる。したたり落ちた滴が、己の足下を紅く染めた。 |
|
| ガッシャーンッ!! |
| 突然、中央から爆発するかのように黒水晶が割れた。 |
| 「?!」 |
| 周囲に飛び散る破片に対し、腕を上げて顔を庇いながら、男は驚愕の表情を浮かべる。 |
| 「チッ…………邪魔が入ったか…………」 |
| 忌々しげにそう呟くと、腕を伝う血を己の舌で舐め取る。鋭い破片が腕をかすめ、男の腕を |
| 切り裂いたのだ。 |
| 「……まぁいい………楽しみが先に延びただけだ………」 |
| 口の端を伝う血を舐め取り、男は不敵に笑う。 |
| 「今は、見逃すとしよう………だが、次はない……私は必ずお前を手に入れる………」 |
| 黒水晶を失い、一片の光も射さない闇の中、男の哄笑だけが虚ろに響き渡っていた。 |
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