「クライヴ?」
唐突にかけられた声に、クライヴは不機嫌そうに眉根を寄せて向き直る。目線が上
を向いたのは声の相手が空から現れたからだ。あれはスラティナの、レシュノという
村だった。墓地に夜な夜な現れるアンデッドの群れを始末した、そのすぐ後のことだった。
「あなたはクライヴ・セイングレントですね?」
もういちど確かめるように問いかけられた。クライヴは否定も肯定もしなかった。
その時にはもう相手が人間ではないことはわかっていた。人間なら、空から現れたり
しないだろう。ましてや背中に純白の翼を生やしていることも。
「私は、天使アイリスといいます」
彼女はそう名乗った。耳ではなく直接心に響いてくるような、歌うように綺麗な声
だった。ふわりと地上に舞い降りた時、薄いグリーンの光沢のあるドレスの裾が波を
うってさざめいた。
クライヴは無言のまま彼女を見つめ、その姿形を眼に焼き付けた。
大理石を磨いたような白い美貌を月の光が照らしていた。むき出しの華奢な肩の上
で薄金色の柔らかそうな髪がさらりと揺れた。空色の澄んだ双眸が、クライヴのきつ
い眼差しに臆することなく見つめ返していた。
それは奇妙な光景だった。足下にアンデッドの死骸が転がる深夜の墓地で、真っ黒
い霧のような闇が支配する世界の中で、天使の彼女だけが異質なものとして存在して
いた。闇と相容れるはずのない光が闇をうち消すわけでもなくそこにあった。手を差
しのせばすぐに届きそうなそれは、けれど決して触れられない神聖なものに見えた。
すくなくともクライヴにはそう思えた。同時にさっきまで自分を取り巻いていた冷た
い陰のようなものが霧散していることにも気がついていた。まるで天使のもつ清浄な
気に浄められたように。
クライヴもアイリスも互いに視線を外さなかった。どれくらいそうしていたのか、
実際にはわずかな時間のはずなのに永遠にも続くような長さを感じた。それを動かし
たのはアイリスの声だった。
「とつぜんの訪問を許してください。今日はあなたにお願いしたいことがあってこ
こへきました」
願い、とクライヴは声に出さずにその言葉を呟いてみた。使い慣れない言葉には違
和感があったが不快な感じはなかった。手にしたままの剣をひと振りしてから鞘に納
めると、顎を引いて彼女に話の続きを促した。
クライヴがとりあえず話を聞く態度を見せたことにアイリスは喜び、天使らしく抑
えた微笑みを浮かべた。短く感謝の言葉を告げると、落ち着いた口調で訪問の目的を
語り始めた。
この地上界アルカヤにかつてない災厄が迫っていること、これから様々な混乱が世
界中で起きること、それを解決し、災いの原因を突き止める必要があること。そのた
めには勇者の協力が必要であることを。
アイリスが話している間、クライヴはただ黙って彼女の言葉を聞いていた。一言の
疑問も口挟まなかった。
「私には、あなたの協力が必要です。どうかアルカヤを守るための勇者になってい
ただけませんか?」
最後にアイリスはそう言った。話が終わると、再び二人の間には深い沈黙が生まれた。
「クライヴ?」
アイリスは小首を傾けて伺うようにクライヴの顔を覗き込んだ。
天使、とクライヴはふいに呟いた。
「……本当に、いるのだな」
自分でも思っていなかったことをクライヴは口にした。なぜ自分がそんなことを言った
のか理解できなかった。アイリスの目にとまどいと不安の色が浮かぶのがわかっ
た。一瞬間があいて、彼女が何か答えようとするより早くそれを遮るようにクライヴ
は言った。
「俺に頼みたいことがあるなら来い……。お前の好きにすればいい」
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