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| その日の晩は満月だった。まるで氷の玉のような銀色の月が |
| 地上を冷々と照らす。濃紺の天には、まるで氷嚢を砕いたかのよ |
| うな星が散らばっていた。 |
| 夜が徐々に更けるにつれ、辺りの冷気は厳しさを増していく。 |
| 立ち上る白い息。うっすらと積もった雪を踏みしめて青年は刀 |
| を振った。その瞳に宿るのは空の月にも似た冷たい光だった。 |
| ひとけの無い広場で、何かに憑かれたかのように刃をふるい続 |
| ける青年。その端整な顔は彫像のように固まっていて動かない。 |
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| こんな満月の夜は血が騒いで騒いで仕方がない。持て余す |
| 殺意。溢れ出す憎悪。あのまま宿にいては誰を傷付けてしまう |
| やも知れなかった。だから彼はそこを抜け出し、一人ここにい |
| る。 |
| 無心に刀を振る青年の眉が微かに動いた。空気の揺らぎを感じたのだ。それはかの者が訪れる前触れ。彼は静かに刀を鞘に収めるとそれを待った。どうせ奴が来たら修行の続きなんてできやしない。 |
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| 「やっ。こんなトコで何してんの?」 |
| 彼の予感は見事的中した。ひどく場違いな明るい声して、神気 |
| が辺りに満ち溢れる。瞬間、クライヴの前に一人の女が姿を現し |
| た。黒々とした髪に、黒い瞳を持つ天使。背中には真っ白な翼を |
| 背負っている。クライヴは面倒臭そうに返答する。 |
| 「・・・・・・修行だ。」 |
| 「へー。こぉんな寒いときによくやるね。風邪ひくよ?」 |
| 天使は精神体であるため、暑さ・寒さを全く感じない。だがク |
| ライヴの吐く息が白いのと、地面に降り積もった雪からどれくらい |
| 寒いのかは見当がつく。顔をしかめたユエは、ふとクライヴの |
| 左腕に視線を止めた。 |
| 「ちょっと!どうしたのよ。すごい怪我してるじゃない。」 |
| 目にも鮮やかな深紅が彼の腕を伝っていた。 |
| 「大したことはない。かすり傷だ。」 |
| やや苦悩の色を滲ませ、勇者は呟く。 |
| 「これのどこが“かすり傷”なわけ・・・・?」 |
| 呆れ返ったようにユエ。クライヴの腕を掴み、服の袖をまくって |
| 傷の様子を見る。出血の量からして結構深く斬ったらしい。 |
| 天使はわざと大袈裟にため息をついてみせると、左手を傷口 |
| にかざした。じんわりと温もりが腕を伝わって、見る間に傷が塞 |
| がってゆく。 |
| 「・・・・余計なことを・・・・・。」 |
| 忌々しげに勇者は言った。それを聞いた天使は眉をつり上げる。 |
| 「何ですと〜!?あんたねっ。いくら温和でお人好しの私でも怒るわよ。」 |
| だが、そんなユエの怒りなどどこ吹く風で、クライヴは彼方に目をやった。 |
| 「こんな呪われた血など一滴残らず流れ尽くしてしまえばいい。そう思っているのになぜ治す?・・・・俺のことなど放っておけ。」 |
| クライヴはそう言って天使に背を向けた。全身から拒絶のオー |
| ラを立ち昇らせる勇者。ユエは肩をすくめると、彼の背中をじっと |
| 見つめた。しんとした空気が辺りに張りつめている。 |
| 「・・・・・・・何があったかは知らないけど、あんまり思いつめると |
| はげるよ?」 |
| ユエは動かない背中に向かって語りかける。青年からの返事は |
| ない。 |
| 「その傷・・・・・もしかして自分でやった?」 |
| 「・・・・・!?」 |
| クライヴは驚いて振り返った。ユエはにっこり笑う。 |
| 「おや。図星みたいだね。ちょっとカマかけてみただけなんだけ |
| どね。クライヴってけっこう正直だよね♪」 |
| 怒ったように顔をそらすクライヴ。 |
| ユエは真剣な眼差しで勇者を凝視した。 |
| 「なんでそんな事したの?」 |
| クライヴはゆっくり空を見上げると、そこにかかる満月を睨みつ |
| けた。絞り出すように語を紡ぐ。 |
| 「・・・・俺の中のどす黒いものが溢れ出しそうになったから |
| だ・・・。満月の夜は特に抑えが効かなくなる・・・・。憎悪に任せ |
| て全てを壊したくなる。血を・・・・・・・・・・・」 |
| そこまで言いかけてクライヴは口をつぐんだ。 |
| だが、ユエは静かに続ける。 |
| 「血を貪りたくなる?」 |
| 「・・なぜそれを・・・・・・。」 |
| ユエはジト目で勇者を見た。 |
| 「おーい。君は私を何だと思ってるのかなぁ?“王の血を引いて |
| る”だの“裏切り者”だの“闇の王子”だのあれだけ匂わされたら |
| 気付かない方がおかしいでしょが!」 |
| 「・・・・・・・・・・・・。」 |
| 「そういうコトだから。ここは全部吐いてすっきりしちゃあ如何です |
| かな?クライヴ殿。」 |
| ユエはクライヴに近寄るとその顔を覗き込んだ。 |
| 「この血・・・・・やつの血だ・・・・。・・・・・この血が俺を狂わせる |
| ・・もういい、向こうへ行け・・・・・。俺から離れろ・・・・・。」 |
| クライヴは俯いて苦々しげに呟くと、天使の両腕を掴んで向こう |
| へ押しやろうとする。ユエはふんばってそこから1歩も動くまいと |
| した。 |
| 「クライヴ〜?それだけの説明じゃ訳ワカメよ。別に私なら大丈夫 |
| だからさ。もしあんたが私に襲いかかってきても、遠慮なく反撃さ |
| せてもらいますから。隠し武器常備してるし♪」 |
| 愛用のヌンチャクを出しながら彼女は楽しそうに言った。 |
| 「そーいうわけだから、いい加減に観念せい!でなきゃクライヴが喋る気になるまで、背後霊の如く付きまとってやるから。 |
| そしてあんたの耳元で“あなたはだんだん喋りたくな〜る・喋りたくな〜る”って囁き続けてやるわよ。それでもいいの?」 |
| この天使なら本当にやりかねない。クライヴは長い長いため息 |
| をついた。 |
| 「・・・・・全く・・・かなわんな・・・。」 |
| 「なによっ。何か言った?」 |
| 「いや・・・・・・・・。」 |
| クライヴは微苦笑して首を振ると、話し始めた。 |
| 「俺は・・・・レイブンルフトの生けにえとなった女から生まれた・・・・やつにさらわれた母親はハンターに救われて村へ戻ってきた・・・・ だがその体はすでに吸血鬼と化していた・・・それを知った村人は母親を殺し、墓場に捨て、その死んだ体から俺は生まれた・・・・」 |
| 淡々と話される勇者の壮絶な過去。そのあまりの凄まじさにさ |
| すがのユエも言葉が出ない。 |
| 「俺は殺されかかったが村の信心深い老夫婦に助けられた。 |
| 老夫婦は俺を普通の人間として育てようとしてくれたが、それも・・・やつらが戻ってきて・・・・終わった・・・・。俺の村は俺をのこして全員殺された。」 |
| ふいに月光がかげった。見上げると一筋の雲が月の一部を |
| 覆っていた。 |
| 「やつらはわざと俺を殺さなかった・・・・俺がいつか血に狂った吸血鬼になると思って・・・・」 |
| そこでクライヴの言葉が途切れた。雲を見ていたユエは視線を下ろし、訝しげにクライヴを見る。 |
| クライヴは身体を痙攣させて何かに耐えているようだった。 |
| 端整な顔は苦痛に歪み、きつく握り締めた右の拳からは血がしたたり落ちる。 |
| 「クライヴ、苦しそうだね。効くかどうか分かんないけど、ま、やるだけやってみますか。」 |
| ユエはそっとクライヴの両手をとると、精神を集中する。 |
| すると、クライヴの全身を暖かい光が包んだ。その光は右手の傷を塞ぎ、寒さに強ばっていた彼の身体に温もりを吹きこむ。 |
| 「一応、祝福してみたけど・・・・あんまり効果ないかな?」 |
| 首を傾げながらユエ。クライヴは額の汗を拭った。 |
| 「すまない・・・・・・いくらか楽になったようだ・・・・・・。」 |
| 「どーいたしまして。・・・・・それで?クライヴは村を滅ぼされてからどうやって生きてきたの?」 |
| ユエは話の続きを促した。頷いたクライヴは話し出す。 |
| 「そして俺は、めちゃめちゃにされた村に現れたハンターに拾われた。俺の母親を救い出したハンターだった。それが・・・・アーウィンだ・・・・・。俺はやつのもとで吸血鬼やアンデッドと戦う術を学んだ。暗い闇の中で呪われた悪魔どもと戦う方法だ・・・・。俺は血に負けるわけにはいかん・・・・絶対に・・・・・。やつを倒すまでは・・・・・」 |
| 一通り話し終えると、青年は息をついた。無意識の内に身震いする。 |
| 気が付くと空がすっぽり雲で覆われ、雪が散らつき始めてい |
| た。 |
| 「クライヴくーん。すっげー寒そうだね?このままじゃマジで風邪 |
| ひくから早く宿に入ろうよ?頼みたい事もあるしさ。」 |
| 彼の身体が小刻みに震えているのに気付いたユエは、放って |
| 置くとずっとここに立っていそうなクライヴの腕を引っ張り、無 |
| 理やり宿屋へと連行したのだった。 |
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