天使の憂鬱〜呪われた姫君 前編〜




「こんにちは。クライヴ。」
 丁度夕飯を食べて、宿の自室で休息しているクライヴの耳に
聞き慣れた声が入った。
 振り向くと、翼を生やした女が立っていて、にこにこ笑いながら
一礼する。
「・・・・・・・・・お前か。」
 クライヴは呟いた。今回は随分と平和的なご登場である。
いつもこの天使ときたら姿を現すなり、いきなり襲い掛かってく
るのだ。
「今日はあなたに贈り物と事件の依頼に来ました。今、お時間大
丈夫ですか?」
 穏やかにそう言ったユエに、クライヴは少々薄気味悪そうな視
線を向ける。今日の天使は何か変だった。まず言葉遣いが変だし、
天使の慈愛・・・のような空気を漂わせて喋るのも変である。
 いつもの彼女ときたら、口は悪いわ、怒るとすぐ殴りかかってく
るわで、天使度はゼロに等しい。
「・・・・・・・・・何かあったのか?」
 クライヴのそう尋ねる声に少しだが驚きの色が混じる。
 いつもは感情を表に出さない彼だけに、驚きが大きい事が分か
る。ユエは天使の微笑みを浮かべたまま、小さく首を振った。
「いいえ。何も。それより、こちらをどうぞ。」
 差し出されたのは“ガブリエルの羽”だった。
「身に付けていると、疲れが取れて安らいだ気持ちになります。
あなたは、いつも気持ちを張り詰めていらっしゃるようですから、
こういう物でストレスを解消した方がいいですよ。でないと、身体
がもちません。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 どこか釈然としない表情で羽を受け取るクライヴ。何と言うか
強烈な違和感を感じるのだ。しかしよく考えてみれば、これこそが
天使のあるべき姿とも言える。今までの彼女の行動が“変”だった
のだ。
 そんなクライヴの動揺にもそ知らぬ顔でユエは話を進める。
「あと、とあるご令嬢の護衛もお願いしたいのですが。クレージュ
大公の娘が、吸血鬼に襲われました。ですが、まだ吸血鬼のもの
にはなっていないようです。どうか、彼女を守ってくれませんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 ユエの言葉に対してクライヴは沈黙で答えた。ユエは首をかし
げた。
「あの・・・・クライヴ?もし嫌なら嫌とおっしゃってください。他の
勇者にお願いしますので。ただ、吸血鬼ならばあなたに頼むのが
一番最適だと思ったのです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
                        
いつもの彼女ならこの辺でクライヴにくってかかっている頃であ
る。しかし今日の彼女は違った。
あくまで穏やかに、にこやかな態度を崩さない。それに対しても、
クライヴは押し黙ったまま微動だにしない。
 2人の間に流れる気まずい空気。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
                               
「あああああ!もう耐えらんないっ!!」 
10数分後、ユエは痺れを切らした。彼女の堪忍袋の緒はとても
丈夫とはいえない代物だった。即ち、キレやすいという事である。
「ちょっとちょっと!なんだってさっきからあんたは、だんまり決
め込んでるのよっ。舌でも抜かれたの!?それとも耳が聞こえな
くなった?答えはYESかNOなんだから白黒ハッキリしてよね!」
 彼女は叫びながらヒステリックに目の前のテーブルを叩きまくっ
た。宿の備え付けの粗末なテーブルはぎしぎしと悲鳴を上げ・・・
いきなりバラバラに壊れてしまった。
「・・・・やっと元に戻ったな。」
 それを見てクライヴが言った。表情に変化は全くと言っていいほ
ど表れなかったが、その声にはほっとしたような響きがこもって
いる。
「てっきり魔物が化けているかと思った・・・・・・・。」
「魔物ですと!?このビューティフルな私に向かって!あんたの
目ってば節穴〜?あんたって無口な割に一言多いのよっ。このデ
リケートな硝子細工の如きハートを持つ私が、あんたの心無い一
言のせいでどれだけ傷付けられてるか・・・・分かってるの!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 果たしてこれが傷付けられた天使のセリフなのだろうか?普通
の人間ならば、ここで“どこがやねん”といった突っ込みを入れる
のだろうが、生憎とクライヴはリアクションに乏しい青年だった。
無表情のまま、あさっての方向を向いて沈黙している。
 その態度もユエの怒りに油を注ぐハメになってしまう。
「まただんまりかいっ!?いつもいつも黙ってりゃ事が済むと思っ
たら大間違いよっ。今日こそは痛い目に・・・・・・・」
 言いかけてヌンチャクを出そうとしたユエははっとなった。
 慌てて構えていた手を下ろす。
「あ、あ、あぶねぇ〜。危うくまた“実力行使”するトコだった。そ
んな事したら今度はラファエル様にどんな目に遭わされるか・・・・
考えるだに恐ろしい・・・・・・。」
                            
 前回ラファエルに呼び出された彼女は、天界に居ながらにして
地獄を見るはめになったのだ。
 あのラファエルという男、穏やかな仮面の下に恐るべき本性を
隠している。
それに比べれば自分など可愛いものだ、とユエは思った。
「あなた!私がラファエル様になぶり殺しにされてもいいっていう
の!?いいえ!それどころか殺された方がマシだと思うような仕
打ちを受けるに違いないわっ。
それがあるから、模範的な天使になろうと誓ったのに・・・・いらん
チャチャ入れて!!
ともかく、しばらくはおとなしくしてるから邪魔しないでよ。
それで?依頼は受けてくれるの、くれないの?」
 ユエは宙ぶらりんになっている依頼の話を持ち出した。クライヴ
はあっさりと頷く。
「ああ・・・・・・俺が行こう・・・・・・・。」
 それを見てユエはいささか呆れ顔になった。
「はじめっから、そうやって素直に引き受けてくれれば、事がすん
なり運んだものを・・・・なんか最近妙にヒネくれてきてない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 ユエの問いに再び無言になるクライヴだった。
                     
                        
「クライヴ様・・・・・・・また、あの恐ろしい吸血鬼がやってくるので
しょうか。」
 不安のためか、紅い唇を震わせ、大きな瞳を潤ませながら、公
女は呟いた。絹糸のようにつややかな茶色の髪に、深い海を思わ
せるブルーの瞳を持った美しい娘だ。
 普通の男なら、こんな美女が不安に駆られた様子をしていたら、
放ってはおかないだろう・・・・と思われたが、クライヴはその端整
な眉をぴくりとも動かさない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 姫君はしなをつくると、華奢なうなじを傾げてクライヴに歩み寄
った。彼女が動くと、香水の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ねえ・・・・・・・・クライヴ様?」
 甘えるような媚びるような娘の声。
“う〜ん。この雰囲気は少しヤバいのでは?”
 ユエは腕組みして唸った。どうもこの姫君の目的はクライヴらし
い。恐がっているのは演技だろう。
 ちなみに今は真夜中。そしてここは姫君の寝室。さらにこの部
屋にはクライヴと彼女の2人きり。(ユエもいるがそれは抜きにして)
加えてこの娘のクライヴを誘うような態度。
 これだけ条件が揃っていると、いくらクライヴが朴念仁と言って
もヤバいのではないか。一応彼も“男”なわけだし・・・・・。
“クライヴの理性が持つといいけどね。目の前であ〜んな事やこ〜
んな事されたら私も気分良くないし・・・・”
 しかしそんなユエの心配は杞憂に終わった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 青年はその姫君の行動に対して、何の反応も示さなかったの
 娘はしばらくクライヴを見つめていたが、やがて悩ましげに息を
吐いた。そして、おもむろにクライヴに接近すると、その白い両手
でクライヴの頬を挟む。
「クライヴ様・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 あくまで無言のクライヴに、姫君は美しい眉をしかめる。だが、
それも一瞬の事。妖艶に笑うと、頬に触れていた手を青年の首に
回し、力を込めて近くのベットに押し倒した。
「!」
 さすがに驚いたのか僅かに目を見開くクライヴ。
それは見ていたユエも同様で、あんぐりと口を開けている。
姫はその大胆な態度とは裏腹に悲しげな顔をした。
「なぜ私を無視なさるの?冷たいお方・・・・・・・。でも・・・・・ そん
な冷たい表情が素敵ですわ ・・・・・」
 白くて細い指がクライヴの頬をまさぐる。それを見てユエは何や
ら嫌な気持ちになってきた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 クライヴは身じろぎ一つしない。
 この姫君もすごいが、こうまでされて無反応なクライヴはもっと
すごい。こうなったら我慢比べである。(とは言うもののクライヴが
我慢しているのかは定かではないが)
「本当に私をみてもなにも感じませんの?」
 公女は色っぽく囁きながら、徐々に顔を近づける。
 娘の甘い吐息がクライヴの額にかかった。
「私、実はあなたのお父様にとてもよくされていますの。だから、
私のこと好きになさってもいいのよ・・・・・・・。」
 艶やかに微笑んで姫君はクライヴに接吻しようとした・・・・が
ふいに突き飛ばされ、ベットから転げ落ちる。
 「・・・・・・・・・・・離れろ。」
 押し殺した凄みのある声で言って、身を起こすと、クライヴは刀
の柄に手をかけた。
 姫君は起き上がり、乱れた髪をかきあげる。
「ふふ、こんな美しい女性からの誘いを断わるなんて男として失格
ね。」
 クライヴをからかうような声音で言ってくすくすと笑みを洩らした。
「もう・・・・・・・戻れないところまで行ってしまったようだな。」
 隙なく身構えながらクライヴは言った。娘はゆっくりと頷いた。
「ええ、そうよ。私、望んでレイブンルフト様にこの身を捧げたの
ですから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「永遠の命と美しさを授けてくださるあのお方のためなら・・・・ 私、
どんなことでもしますわ・・・・・・・」
 姫君はうっとりと呟いた。そんな彼女の頭の上から馬鹿にしたよ
うな声が降ってきた。
「くっだらな〜い。あんた、そんなつまらないことのために青春を
棒に振ったんだ?」
「なっ。誰ですの!?」
 声はすれど姿は見えず。ユエは、辺りをキョロキョロ見回す姫の
後ろに出現すると、耳元で囁く。
「ば〜か。こっちだよ。」
「いっいつの間に!!」
 はっとして振り向いた娘にあっかんべ〜をしてみせる天使。
 ラファエルのおしおきが恐かったために、今回は傍観していよう
と思っていたユエだった。しかし、クライヴに言い寄る姫君を見て
いるうちに何故だか胸がムカムカしてきたのだ。それでつい口を
出してしまった。
 公女は一瞬呆気に取られたような顔をしたが、得心がいったよ
うに頷いた。
「その翼・・・・・・天使ですわね。どうりで先程から妙な気配がする
と思いましたわ。睦言の覗き見とは・・・随分と無粋な真似をなさる
のね。天使様とはかように、節操の無いものなのですか?」
 瞳にあざけりの色を浮かべて姫は挑戦的に笑う。紅い唇が魅惑
的だ。
“ほほ〜お。この私に喧嘩売るとは・・・・いい度胸してるわねぇ”
 売られた喧嘩を買わないとあっては、女がすたるというもので
ある。ユエは背筋を正すと戦闘を開始した。
「睦言って・・・・全然睦んでなかったじゃない。一方的に言い寄っ
てただけで。あなたが言う“美しさ”も大した事ないわねえ。クライ
ヴには通用しなかったんだから。」
 ユエは嫌味たっぷりの言葉の内容と裏腹に、無邪気に笑ってみ
せた。
「なっ!!!!!」
 公女の白い顔はますます白くなり、額には血管が浮き上がった。
しばらく彼女は硬直していたが、何とか気を取り戻すと、馬鹿に
した笑いを浮かべた。
「彼には美が分からないのですわ。・・・・それにしても、先程から
思っていたのですけれど、あなたって天使の割には美しさという
ものがまるでありませんわね。まるでその辺にいる、冴えない村
娘のようですわ。」
 姫君の言う通りで、はっきり言ってユエの容姿は美人の部類に
は入らなかった。それなりに可愛い顔をしてはいるが、あくまで十
人並み・・・・である。翼がなければただの人間にしか見えない。
 公女にしてみれば、天使=美形 という概念を見事に裏切って
いるユエを見て嫌味の1つでも言ってやりたいところである。
「あっ。私ったら本当の事とはいえ、天使サマにものすごく失礼な
ことを言ってしまいましたわ。ごめんなさいね。ほほほほほほ。」
 姫君は勝ち誇ったように、高笑いを上げた。
                      
                       
 後編へ・・・・・・









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