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□■お断り■□

これらの書誌情報は、平成13年までに収集したものになります。
それ以降の書誌情報に関しては掲載できていませんし、これからもなかなか更新することは難しいと思われます。ご了承ください。
また平成13年までのもの全てが網羅されているというわけではありません。ご了承ください。

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CRITICAL STUDIES 総論・その他
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雑誌・紀要

井部愛子「文芸時評」〔「婦人文芸」昭12・6〕

河上徹太郎「小説の芸と持味」〔「文学界」昭12・6〕

無署名「現代文芸家への公開状 川端康成への公開状」〔「新潮」昭12・8〕

宇野浩二「俗物的文芸観」〔「改造」昭12・9〕

安田一郎「川端康成論」〔「三田文学」昭12・10〕

中村光夫「川端康成論」〔「中央公論」昭12・12〕

伊藤整「川端康成の芸術」〔「文芸」昭13・2〕

武田麟太郎「川端康成小論」〔「改造」昭13・5〕

中島健蔵「川端康成ノート」〔「知性」昭16・3〕

青野季吉「川端康成の作品について」〔「知性」昭16・3〕

小林秀雄「川端康成」〔「文藝春秋」昭16・6〕所収@『歴史と文学』創元社・昭18・5 所収A『<近代文学鑑賞講座13>川端康成』角川書店・昭24・1 所収B『<河出ペーパーバックス>文芸読本 川端康成』河出書房新社 昭32・12 所収C『現代のエスプリ第三十五号 川端康成』至文堂・昭44・1

前沢絢子「短編小説について」〔「文芸主潮」昭17・6〕

前沢絢子「かの子と康成」〔「文芸主潮」昭17・8〕

無署名「文芸主潮」〔「文芸主潮」昭18・2〕

高山毅「試みの問題」〔「日本文学者」昭19・4〕

和田矩衛「文学のこころ」〔「日本文学者」昭19・10〕

無署名「小説月報」〔「人間」昭21・5〕

三島由紀夫「川端康成の一方法―作品について」〔「近代文学」昭24・4〕

中島健蔵「川端康成―人間の影陰(2)」〔「個性」昭24・2〕

中村光夫「文学と非文学―川端康成・阿部知二・田村泰二郎―」〔「文芸」昭24・4〕

林房雄・北原武夫・中村好夫「創作合評―川端康成論―」〔「群像」昭24・11〕 

高見順「二十世紀作家的自覚―戦後派作家への手紙」〔「改造文芸」昭25・1〕

高見順・宇野浩二・平野謙「創作合評―悲痛な孤独の世界―」〔「群像」昭25・5〕

石浜金作「無常迅速―青春修行記―」〔「文芸読物」昭25・5〕

中河与一「新感覚派の運動」〔「近代文学」昭25・8〕

瀬沼茂樹「新感覚派の場合」〔「近代文学」昭25・8〕

浅見淵・石上玄一郎・八木義徳「小説月評」〔「文学界」昭26・11〕

中村光夫・佐藤春夫・青野季吉「創作合評―川端康成について―」〔「群像」昭27・1〕

河上徹太郎・武田泰淳・臼井吉見「小説月評」〔「文学界」昭27・1〕

斎藤信也「現代作家天気図―川端康成―」〔「文芸」昭27・3〕

鈴木利貞「川端康成の近業」〔「早稲田文学」昭27・4〕

北原武夫・浦松佐美太郎・高橋義孝「小説月評」〔「文学界」昭27・6〕

神西清・梅崎春夫・阿部知二「創作合評―川端文学―」〔「群像」昭27・6〕

臼井吉見「川端康成の文体」〔「文学界」昭27・7〕

無署名(篠田一士)「ORDO」〔「秩序」昭27・10〕

無署名「文壇」〔「新潮」昭29・1〕

高橋義孝「珍説現代作家論(上)―川端康成―」〔「新潮」昭29・3〕

無署名「文学きのうきよう」〔「新潮」昭29・4〕

杉浦明平「川端康成論」〔「群像」昭29・8〕

亀井雅司「川端康成の表現」〔「国語国文」昭29・8〕

武田泰淳「新気運の胎動」〔「文芸」昭29・12〕

小川徹「川端康成論」〔「赤門文学」昭30・6〕

小原早苗「川端康成小論」〔「日本文学」東京女子大学学会日本文学部会・昭30・6〕

瀬沼茂樹「現代文章講座―文章のなかの感情」〔「知性」昭30・7〕

大橋清秀「川端康成と少女小説」〔「論究日本文学」昭30・11〕

三島由紀夫「川端康成」〔「文芸(特集百人百説作家読本)」昭30・12〕

長谷川泉「作家における処女作の意義」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭31・3〕

三島由紀夫「永遠の旅人―川端康成の人と作品」〔「別冊文藝春秋」昭31・4 所収「別冊文芸 川端康成集」昭32・1〕

吉行淳之介「川端康成論 不気味な抒情性」〔「文芸」昭31・9〕

杉谷洋子「川端康成と美の問題」〔「日本文学」容共女子大学学会日本文学部会・昭31・12〕

中村光夫「川端康成論」〔「文学界」昭32・7〕

桐山醇吾「川端康成」〔「文学研究」文学研究会・昭32・10〕

長谷川泉「康成における男の世界」〔「動脈」昭32・10 再録『川端康成論考』明治書院・昭40・6に改題「名人」とし、増補して収録〕

吉田精一「川端康成―古典と現代文学(倒叙日本文学史・六〜七)」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭33・7+10〕

無署名「一頁作家論―川端康成」〔「群像」昭34・1〕

松木寛「散文の運命」〔「三田文学」昭34・2〕

三枝康高「川端康成の文体」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭34・10〕

大江健三郎「作家論への試み―川端康成の文章の多様性」〔「新潮」昭35・6〕

伊藤整「文学と映画のあいだ―谷崎・川端・石原の三氏の作品について」〔「日本文学」立教大学日本文学会・昭35・6〕

三枝康高「処女作までの川端康成」〔「日本文学」立教大学日本文学会・昭35・6〕

中村真一郎「女が描けるかどうか、又、どのように描けるかどうかということなど―川端康成の女」〔「群像」昭36・3〕

保昌正夫「川端康成と横光利一」〔「銅鑼」昭36・7〕

野島秀勝「日本の女―後姿の美学―川端康成氏の場合」〔「批評」昭36・11〕

高田瑞穂「川端康成と古典」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭37・6〕

サイデンステッカー「川端康成―現代作家論(3)」〔「自由」昭37・11〕

小田切進「新感覚派文学の背景―現代文学の源流・二―」〔「文学」昭37・12〕

川嶋至「川端康成―大正期における批評活動(上)(下)」〔「位置」昭38・8・昭39・4〕

小田切進「新感覚派の文学―『文芸時代』の意義および横光・川端の役割―」〔「文学」昭38・8〕

小田切進「川端康成の新感覚主義文学論―川端康成『新進作家の新傾向 解説』全文〔「文学・語学」昭38・9〕

谷田昌平「新感覚派の文学の発想と表現」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭38・9〕

高田亘「川端康成論」〔「国語教育研究」広島大学教育学部国語教育研究室光葉会・昭38・12〕

中根千賀子「川端康成の文長指数」〔「樟蔭国文学」昭39・1〕

進藤純孝「文芸時評 批評のコペルニクス的転回―作品は死物である」〔「文学界」昭39・3〕

石橋万喜男「現代文学研究の方法と技術―川端康成」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭39・5〕

進藤純孝「母体希求序説―川端康成論(T)―」〔「文学界」昭39・6〕

進藤純孝「無責任の理法―川端康成論(U)―」〔「文学界」昭39・7〕

進藤純孝「絶対の彼岸―川端康成論(V)―」〔「文学界」昭39・8〕

天野みつ江「川端康成研究」〔「日本文学」東京女子大学学会日本文学部会・昭40・2〕

成瀬正勝「新感覚派理論への一考察―やや回想を交へつつ―」〔「国語と国文学」昭40・4〕

三枝康高「川端康成―昭和十年代における文学活動について」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭40・6〕

山本宏子「『川端康成の文章』の研究」〔「日本文学」立教大学日本文学会昭40・11〕

長谷川泉「(作家別の鑑賞法)川端康成の文学」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭40・12〕

羽鳥一英「川端康成と万物一如・輪廻転生思想」〔「国語と国文学」東京大学国語国文学会・昭41・3 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

荻久保泰幸「作家の性意識―川端康成・三島由紀夫『少年』と『仮面の告白』〔「国文学 解釈と鑑賞」昭41・6〕

中畑善雄「『千羽鶴』『山の音』以後―二十九年の問題―」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭41・8〕

野呂喜久子「川端康成―その作品に於ける女性像」〔「日本文学」立教大学日本文学会・昭41・11〕

登尾豊「川端康成の原体験―『孤児』の意味するもの―」〔「国語国文学研究」熊本大学法文学部国語国文学会・昭41・12〕

武井美子「川端康成批判」〔「日本文学」日本文学協会・昭42・7〕

羽鳥一英「一九三〇年代の川端康成―『浅草紅団』から『雪国』まで(上)(下)」(「国語と国文学」東京大学国語国文学会 昭42・8〜9)

保昌正夫「『文芸時代』の作品をめぐって」〔「古典と近代文学」昭42・10〕

田井庄之助「川端康成の文体」〔「大分大学教育学部研究紀要・人文社会科学」昭42・10〕

野島秀勝「後姿のエロティシズム」〔「批評」昭42・夏季号〕

根岸達夫「Metha・ualone( Hyminal) 嗜好について」〔「精神医学」昭43・3〕

伊藤敬一「新感覚派の出発」〔「近代文学研究」法政大学日本近代文学研究会・昭43・8〕

栗坪良樹「新感覚派論―出発点における感覚的諸問題」〔「日本近代文学」三省堂・昭43・10〕

サイデンステッカー「川端文学の美しき矛盾」〔「中央公論」昭43・12〕

D・キーン「川端先生と日本の伝統」〔「中央公論」昭43・12〕

小佐井伸二「川端康成頌」〔「文芸」昭43・12〕

伊藤整「川端康成の芸術」〔「新潮」昭43・12〕

太田三郎「川端文学の西欧的側面」〔「群像」昭43・12〕

進藤純孝「ノーベル賞川端康成―その10のポイント」〔「時」旺文社・昭43・12〕

平山城児「川端康成の作品と夢の世界」〔「日本文学」立教大学日本文学会・昭43・12〕

杉森久英「小説・川端康成」〔「小説セブン」小学館・昭43・12〕

H・ヒベット、サイデンステッカー「日本文学の翻訳者日本文学を語る」〔「波」昭44・1〕

サイデンステッカー「川端康成とアメリカ」〔「米書だより」昭44・1〕

保田与重郎「川端先生の書」〔「芸術新潮」昭44・1〕

中村明「川端文学における比喩表現」〔「言語生活」昭44・1〕

吉田熙生「川端康成―文体にみる百人の作家」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭44・1〕

重森重紀「川端美学の再検討(1)〔「解釈」昭44・2〕

羽鳥一英「出発まで(1)―川端康成のうち・孤児根性について」〔「愛知教育大学研究報告」昭44・2 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

佐渡谷重信「英訳された川端文学の評価」〔「時事英語研究」昭44・2〕

沢野久雄「ノーベル賞のふるさと―川端文学名作の舞台を行く」〔「読売レジャーライフ」昭44・2〕

アイヴァン・モリス「川端文学と日本の伝統」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭44・2〕

フランシス・マシー 武田勝彦訳「川端康成―西えの懸橋の建設者―」〔「早稲田文学」昭44・3〕

坂戸正夫「無と存在―川端康成序章―」〔「文学者」日本製版内文学者・昭44・3〕

羽鳥一英「川端康成の前に―文学研究について―」〔「国語国文学報」愛知教育大学国語国文学会・昭44・3 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

黄色瑞華「一茶と康成(その一)〔「昭和学院短期大学紀要」昭44・3〕

江渡大輔「川端康成の性と美」〔「東京都立向島商業高等学校研究紀要」昭44・3〕

笹淵友一「川端文学とシュールレアリズム」〔「世紀」昭44・4〕

伊藤敬一「新感覚派初期の思想」〔「近代文学研究」法政大学日本近代文学研究会・昭44・4〕

立原正秋「川端康成―永遠を見た人―」〔「朝日ジャーナル」昭44・6〕

佐古純一郎「孤児の心―死の相の下に」〔「探求」探求の会・昭44・6〕

中村明「平均文長の諸相―川端康成における一つの試み―」〔「文体論研究」昭44・6〕

林武志「川端康成と塚越亭主―一つの仮説―」〔「日本文学」立教大学日本文学会・昭44・6〕

武田勝彦「戦中文学論―『日本文学者』を中心として―」〔「教養諸学研究」早稲田大学経済学部教養諸学研究会・昭44・7〕

坂戸正夫「『十六歳の日記』まで―川端康成論2」(「文学者」日本製版内文学者 昭44・7)

松本義一「『国際文化』一号を読んで」〔「国語の研究」大分大学国語国文学会・昭44・7〕

蘇倩卿「川端文学の東方女性美」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭44・8〕

助川徳是「『美しい日本の私―その序説』私注」〔「香椎潟」福岡女子大学国文学会・昭44・9〕

佐古純一郎「中世文学えの回帰―川端文学における美の探求―」〔「解釈」昭44・11〕

羽鳥一英「川端康成(文学者による近代と反近代)」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭44・11〕

サイデンステッカー「川端康成の世界―漂白と哀愁の文学」〔「ソフィア」上智大学・昭44・11〕

保昌正夫「第一級作家論―川嶋至『川端康成の世界』」〔「群像」昭44・12〕

武田勝彦「川端文学の近代的性格」〔「教養諸学研究」早稲田大学経済学部教養諸学研究会・昭44・12〕

鈴木晴夫「最近における川端康成研究の展望」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭45・2〕

武田勝彦「川端康成の西欧的一側面」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭45・3〕

羽鳥英一「川端康成と心霊学」〔「国語と国文学」東京大学国語国文学会・昭45・5 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

蘇倩卿「川端文学の東方女性美」〔「東方語・文学」淡江文理学院・昭45・5〕

林武志「川端文学における<族>の二重構造―その序説―」〔「解釈」昭45・5〕

川嶋至「川端康成点描4―佐多稲子の『レストラン洛陽』―」〔「北方文芸」昭45・6〕

坂戸正夫「男女両性的―川端康成論(3)」〔「文学者」昭45・6〕

長谷川泉「川端康成」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭45・7〕

坂戸正夫「禁色―川端康成論(4)」〔「文学者」昭45・9〕

沢野久雄「美しい日本の人」〔「主婦の友」昭45・10〕

榎克郎「文学と宗教の出会い―『美しい日本の私』に因み―」〔「文学」昭45・10〕

坂戸正夫「言葉と憑きものについて―川端康成論(5)」〔「文学者」昭45・11〕

小林芳仁「川端康成の美意識―その色彩感覚『白』を中心にして―」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭46・4〕

千葉宣一「川端康成の文学的認識の背景―『無常の美学』の思想の周辺」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭46・5〕

藤森重紀「摂理への反逆―川端康成序説」〔「人文論叢」二松学舎大学・昭46・6〕

川嶋至「文芸季評」〔「季刊芸術」講談社・昭46・7〕

笹川隆平「<特殊研究>川端康成氏の誕生地について」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭46・7〕

坂戸正夫「中世の秋―川端康成論(10)」〔「文学者」昭46・8〕

藤本正文「川端康成研究『伊豆の踊子』から『禽獣』まで」(「近代文学試論」広島大学近代文学研究会 昭46・8)

長谷川泉「<近代作家に見る『私』>川端康成と横光利一」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭46・9〕

久保田晴次「日本文学の伝統と美的実存―川端康成における芭蕉への関心と理解―」〔「大阪学院大学論叢」昭46・9〕

坂戸正夫「新感覚派論―川端康成と横光利一―」〔「文学者」昭46・10〕

片山鉄男「悲しみと日々 川端康成の作品における自我の構造」(「季刊芸術」昭46・10)

村松定孝「<日本文学・海外の評価>武田・鶴田両氏の報告とその感想を読みて」〔「解釈」昭46・11〕

川嶋至「川端康成の『紫式部日記』」〔「春秋」春秋社・昭46・11〕

五十郎「<日本語横丁7>中間的なもの(一)」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭46・12〕

坂戸正夫「無限と断片―川端康成論(13)〔「文学者」昭47・2〕

B・吉田・クラフト「<提言時代 日本文学について>川端康成」〔「新潮」昭47・3〕

川嶋至「大正期の川端康成」〔「日本近代文学」日本近代文学会・昭47・5〕

武田勝彦「川端作品とホイットマン」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭47・6〕

竹本博子「川端文学における美の世界について」〔「たまゆら」比治山女子短期大学紀要・昭47・6〕

鈴木彦次郎「『新思潮』時代の川端康成」〔「歴史と人物」昭47・7〕

鈴木彦次郎「新思潮前後」昭47・7〕

今東光「小説 川端康成」〔「オール読物」昭47・7〕

森本穫「魔界の住人―川端康成の戦後―」〔「函」昭47・9〕

吉田精一「川端文学の評価」〔「国文学春秋」昭47・11〕

三枝康高「三島由紀夫と川端康成」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭47・12〕

大岡昇平「萠野」〔「群像」昭47・12〕

長谷川泉「青春の意義と歓び」〔「長谷川泉先生講演 三浦高校」昭48・1〕

森本穫「醜なるもの―川端文学への一視点―」〔「広島県高等学校教育研究会国語部会年報」昭48・3〕

森下金二郎「横光文学の文章特性(1)―川端文学との比較における―」〔「宮城学院女子大学研究論文集」昭48・3〕

小田切進「川端康成と北条民雄」〔「別冊新評・裸の文壇史」新評社・昭48・5〕

小林一郎「『感想(二)』〔「東洋」昭48・7〕

あきやまみつはる「現代文学者の病蹟 川端康成」〔「中外医薬」昭48・8〕

川嶋至「川端康成」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭48・12〕

沢田歌子「川端文学の軌跡―実像と虚像の間を辿って―」〔「私学教育研究所紀要」昭49・2〕

羽鳥徹哉「川端康成、母の秘密と身代わりの母」〔「国語と国文学」東京大学国語国文学会・昭49・6 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

中山栄暁「川端康成の一文」〔「解釈」昭49・6〕

長谷川泉・畑下一男「<作家論からの臨床診断>川端康成」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭49・11〕

羽鳥徹哉「川端康成、家柄と家系意識」〔「国語国文学報愛知教育大学・昭49・12 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1」

中高紀子「川端文学にみられる孤愁の流れ」〔「新潟国語教育研究」昭49・12〕

武田勝彦「川端康成とゴールズワーズィー」〔「教養諸学研究」早稲田大学経済学部教養諸学研究会・昭50・6〕

小林芳仁「川端康成の自然(1)〜(4)」〔「形成」昭50・6〜9〕

長谷川泉「川端康成」〔「国文学解釈と鑑賞」昭50・7〕

小林一郎「川端文学と花」〔「群馬近代文学の研究」昭50・8〕

羽鳥一英「川端康成と祖父三八郎」〔「国語と国文学」東京大学国語国文学会・昭50・11 所収『作家川端の基底』教育出版センター・昭54・1〕

西本真「その異様なるもの―川端康成ノート」〔「日本文学研究」高知日本文学研究会・昭50・12〕

武田勝彦「川端文学の社会的側面」〔「教養諸学研究」早稲田大学経済学部教養諸学研究会、昭51・2〕

三枝康高「<現代作家の文体をさぐる>川端康成」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭51・4〕

長谷川泉「川端文学にあらわれた児童像」〔「解釈」昭51・7〕

小林芳仁「川端康成の自然観(その2)」〔「十文字学園女子短期大学研究紀要」昭51・7〕

小泉義勝「ロシア人から見た夏目漱石・川端康成・安部公房の文学」〔「関西大学文学論集」昭52・2〕

小久保実「文学界展望96」〔「国文学解釈と教材の研究」昭52・7〕

熊沢寿彦「川端康成演習レポート『魔界』に関する一考察」(「日本文学」立教大学日本文学会 昭51・7)

小泉義勝「ロシア人から見た夏目漱石・川端康成・安部公房の文学」(「関西大学文学論集」昭52・2)

森本穫「戦時下の川端康成―その古典受容を中心として―」〔「国語国文論集」安田女子大学文学部日本文学科 昭52・8 所収『<鑑賞日本現代文学15>川端康成』角川書店、昭57・11〕

氏家亮「川端康成の影 第一部〜第二部」〔「文芸広場」昭52・9〜10〕

今村潤子「川端康成における『魔界』について」〔「近代文学考」昭52・11〕

高田芳夫「新感覚派の文学の生誕と死光」〔「文芸論藻」東洋大学国文研究室・昭52・12〕

耕治人「母の霊」〔「文芸」昭52・12〕

秋山正幸「川端康成とヘンリー・ジェイムズの創作手法 視点の問題」〔「日本大学文理学部研究年報 人文・社会科学編」昭52〕

高田瑞穂「昭和初年代の川端文学」〔「成城文芸」昭53・2〕

リチャード・ルービンジャー「翻訳のプロセス―川端文学を例に」(「月刊翻訳の世界」日本翻訳家養成センター 昭53・3)

三田英彬「川端康成の思想と文体」〔「文学」昭53・5〕

保昌正夫「横光は川端をどう意識し続けたか」〔「国文学 解釈と教材の研究」昭53・9〕

今村忠純「川端康成」〔「日本病跡学雑誌」昭53・11〕

小林一郎「川端康成と児童文学」〔「文学論藻」東洋大学 昭53・12〕

神谷忠孝「太宰と川端康成―川端宛書簡の意味・太宰文学の現在―」〔「オルザ」昭53・12〕

永丘智郎「人間愛研究ノート―独逸心理学および川端文学の方法論について―」〔「甲南大学紀要文学編」昭53〕

岩田光子「川端文学の特相(五)―魔界の考察―」〔「学苑」昭和女子大学、昭54・1〕

古屋健三「戦後文学の諸問題(4)―ふたつの日本回帰―川端と谷崎」〔「高校クラスルーム」昭54・1〕

小林一郎「川端康成と児童文学―少年少女小説をふくむ―」〔「文学論藻」昭54・1 所収『<鑑賞日本現代文学15>川端康成』角川書店、昭57・11〕

川嶋至「川端康成における性表現」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭54・5〕

河村政敏「川端康成―その文学の幻想性をめぐる覚書―」〔「国文学 解釈と鑑賞」昭54・9〕

黒崎峰孝「川端康成における『魔界』思想―『仏界易入 魔界難入』を手掛かりとして―」(「明治大学日本文学」明治大学日本文学研究会 昭54・9)

松坂俊夫「作品と伝記の交錯―羽鳥徹哉著『作家川端の基底』―」〔「日本文学」日本文学協会編集、昭54・10〕

小沢保博「書評 羽鳥徹哉著『作家川端の基底』」(「国文学 解釈と教材の研究」昭55・2)

 

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