中伊豆歴史散歩お勧めポイント
蛭ヶ小島

蛭ヶ小島

ここは、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、頼朝 配流の地と言われ、往時はたびたび流路を変えた狩野川の中州であったと想像されている。
永歴元年(1160年)14歳でこの地に流された頼朝は、北条時政の援助を得て治承4年(1180年)34歳で旗挙げし、やがて鎌倉幕府を創設することとなる。

願成就院

願成就院がんじょうじゅいん

頼朝夫人、政子の父で鎌倉幕府 初代執権北条時政が、頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺で、鎌倉幕府に並ぶものなき勢力を振るった北条氏の寺として繁栄を極めた。
この寺に伝わる本尊 阿弥陀如来坐像 ・ 毘沙門天像 ・ 不動三尊像は国の重要文化財で、特に毘沙門天像 ・ 不動三尊像は、胎内に収められていた銘札により、運慶30代の真作であることが明らかとなっている。
この寺は、高野山真言宗に属す。

政子産湯の井戸

政子産湯の井戸

北条政子の産湯の井戸と伝えられ、今も水をたたえている。

反射炉

反射炉

欧米の列強が迫り来る江戸時代末期、韮山の代官 江川太郎左衛門英龍(坦庵)は、自国を守りぬくためには新しい鉄溶解技術が必須であることを予見し、密かに反射炉の研究と築造の準備を進めた。
結局、幕府は坦庵の建言した江戸湾防備策をいれ、品川沖に台場を構築し、韮山で鋳造した大砲を据えつけた。
この溶解炉が反射炉と呼ばれるゆえんは、燃焼ガスの反射熱を利用して鉄を溶解するところにある。

24ポンド カノン砲

24ポンド カノン砲

このカノン砲は韮山で最も多く鋳造されたと考えられ、史跡構内に展示されている現物は、保存されていた古図を基に復元鋳造したものである。

修禅寺

修禅寺

修善寺温泉の中心部に位置するこの寺は大同2年(807年)弘法大師が開基した名刹で、属する宗派は当初の真言宗から臨済宗の時代を経て、現在の曹洞宗へと変遷してきた。(昔は、住した僧の宗旨で寺の宗旨が変わった。)
本尊は大日如来(重文)で、この地で殺害された源頼家のために母、政子が造らせた。
宝物殿には、宋版「放光般若波羅密教 巻第二十三」や裏山から出土した独鈷(とっこ:法具)などが保存されている。

とっこの湯

とっこの湯

この地を訪れた弘法大師が、河原で病父の体を洗う孝行者の少年を見つけ、水では冷たかろうと、手にした独鈷(とっこ)で岩を砕き、温泉を湧出させて病を治してやったという。
伊豆最古の温泉と伝えられている。
なお、独鈷は正しくは独鈷杵(とっこしょ)と言い、真言宗などの密教の法具である。

桂橋

桂 橋

修善寺温泉には、30分コースから1日コースまでの5種類の徒歩散策コースが考えられていて、それらを参考にして自由に散策すればよい。
桂橋は、とっこの湯から桂川沿いに1分ほど上流に向かって歩いたところに架かっている。

竹林の小径

竹林の小径

桂橋の一つ上流側の橋を楓橋という。桂川の南側、桂橋と楓橋との間には、竹林に挟まれた光に満ちた静かな小道が通う。その名を竹林の小径と言う。

指月殿

指月殿しげつでん

政争に敗れて殺害された鎌倉幕府の第2代将軍 頼家の母、政子が我が子の冥福を祈って建立したもので、伊豆最古の木造建築物と言われている。
指月とは経典を意味し、かつては鎌倉から送られてきた数千巻にも及ぶ宋版大蔵経が収められていたという。

源頼家の墓

源頼家の墓

正治元年(1199年)父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の第2代将軍となった頼家は、醜いかけひきに終始する政争に敗れ、在位わずか5年で出家・辞職させられ、修禅寺に幽閉されて翌年暗殺された。






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