(深良水門の説明板より)


深良用水の沿革

徳川4代将軍家綱の時代、小田原藩深良村(現在の静岡県裾野市深良)の名主大庭源之丞は、なんとしても芦ノ湖の水を引いて旱害に苦しむ村民を救いたいと考え、土木事業に経験の深い江戸浅草の商人友野与右衛門に工事を懇願しました。

与右衛門は、源之丞のふるさとを思う心に感動し工事の元締を引き受け、湖尻峠にトンネルを掘り抜き深良村以南30ヶ村に湖水を引く大計画を立て、箱根権現の絶大な支援と庇護に支えられつつ、大変な苦労を重ね寛文6年(1666)ようやく幕府の許可を得、その年8月トンネル工事に着手したのです。

この難工事も優れた技術によって驚くべき正確さで成し遂げられ寛文10年春、3年半の歳月と7300余両の費用をかけ当時としては未曾有の、長さ1280メートル余りのトンネルが貫通したのです。

深良水門

爾来300有余年、灌漑、飲み水、防火用水に、また明治末期からは発電にも使用されるなど、その恩恵は計り知れず深良用水は地域一帯の発展の基と言えましょう。

この水門は明治43年(1910)木造水門を現在の石造り鉄扉のものに改造されましたが老朽著しく、このたび神奈川県の協力を得て現水門を補強して永く史跡として保存すると共に、堅牢な補助水門を新設して利水の利便性と治水安全度の向上を図ったものです。

           平成元年(1989)10月

               静岡県芦湖利水組合
                                               (深良水門)




          深良水門への行き方と湖岸ハイク