月イチ企画:三国志人物鑑定モ・ド・キ
第1回:顔良編
顔良(ガンリョウ)
字は未詳。
生没年:??〜200年

名門袁家の長・袁紹(エンショウ)に仕え、数多い袁家の武将の中でも、同僚の文醜(ブンシュウ)と交代で先鋒を務めるほどの信頼を得ていた。
その武勇も文醜と並んで袁家随一と称えられる。

袁紹が冀州(キシュウ)に入る際には、それまで冀州を収めていた韓馥(カンフク)配下の猛将・耿武(コウブ)を一刀で斬り伏せている。
顔良の最後の戦いとなった、200年の官渡(カント)の戦いの前哨戦である白馬(ハクバ)の戦いでは、曹操(ソウソウ)配下の宋憲(ソウケン)と魏続(ギゾク)をあっさりと討ち取り、後の魏の五将軍となる徐晃(ジョコウ)をも退け、曹操軍を震えあがらせた。

しかし、曹操のもとに身を寄せていた関羽(カンウ)の手によって、一撃で葬り去られる事となる。

袁紹配下の軍師・沮授(ソジュ)は、顔良の事を偏狭な性格だと指摘していたが、武勇のみならず軍の指揮能力においても袁家随一である事は間違いない。
曹操配下の幕僚・孔融(コウユウ)は、顔良を文醜と合わせて「勇は三軍に冠たり」と称えている事からもそれがわかる。
 

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さて、記念すべき(??)第1回は顔良殿です。
この人は『三国志演義』では、関羽の引き立て役となってしまっていますが、陳寿(チンジュ)の『三国志』(正史と呼ばれています)でも、その結末は同じ。
どうあっても関羽に討ち取られたという事は事実のようです。
ここが文醜とは違うところですな(詳しい事は来月)

さてさて、“顔良”と言う名前だからこそ気になることが、「顔が良かったのか??」という事。
外見が良い事で有名なのは荀ケ(ジュンイク)、周瑜(シュウユ)ですが、残念ながら顔良に関しては、そういう記述はどこにも見うけられません。
逆に不細工だったという事もありませんから、恐らく標準的な豪傑顔だったのでしょう。

白馬の戦いでの事をもう少し書いておきますと、まず曹操と袁紹は黄河を境界に睨み合っていました。
袁紹は黄河を越えて南下しようとする時、対岸の白馬へ顔良らの先鋒部隊を派遣し、自らは主力を率いて黎陽(レイヨウ)に赴き、黄河を渡る構えを見せます。
兵力差が大きく、直接正面から戦えば負ける事がわかっていた曹操は、参謀・荀攸(ジュンユウ)の策を採用し、白馬の西の延津(エンシン)に軍を進めて黄河を渡河し、袁紹軍の背後を突く構えを見せました。
袁紹は見事に策にはまり、渡河した曹操軍に兵を分けて対抗しようとします。
そこで曹操は、軽装騎兵を張遼(チョウリョウ)、関羽らに率いさせ通常の倍の速さで白馬へ向かわせ、虚を突かれた顔良軍は総崩れとなり、顔良は関羽によって討ち取られ、緒戦は曹操の勝利に終わりました。
 

その後を簡単に書いておくと、白馬を守った曹操は、その地の将兵、住民を無事移動させると白馬を放棄して西へ戻ります。
袁紹は沮授の諌めを訊かずに全軍を渡河させ、延津の南方に文醜と劉備(リュウビ)を向かわせて攻撃させました。
しかし輜重隊を囮に曹操は、文醜軍を撹乱、分断し、劉備を打ち破り、文醜を討ち取る事に成功します。

袁紹は思わぬ形で敗れ、軍の士気も大きく下がってしまいますが、兵力にモノを言わせて前進、曹操軍を正面から撃破し、曹操を官渡の城まで押し込む事に成功します。
官渡城に立て篭もる曹操を、袁紹は櫓から矢を射掛け地下道を掘り、落とそうとしますが、曹操も様々な手を使って対抗し、落城させません。
しかし曹操軍の兵糧の欠乏は深刻で、城が落ちる前に兵糧が尽きようかという状況。
そこを突く事を進言する沮授の意見はまたも退けられ、曹操は命拾いをします。
チマチマと輜重隊を襲う曹操軍の戦い方を嫌った袁紹は、烏巣(ウソウ)に兵糧庫を築き、将兵を置いてそこを守らせました。

そんな折、袁紹に策を退けられて不満に思った許攸(キョユウ)が曹操に投降、烏巣兵糧庫の情報を洩らしました。
それを聞いた曹操は自ら精兵5000を率いて官渡城を出陣。烏巣襲撃に乗り出します。
曹操の烏巣襲撃の報を受けた袁紹はしかし、意見の割れる配下に挟まれた結果、曹操のいなくなった官渡城を攻める部隊と、烏巣を救援する部隊とに兵を分け、二正面作戦に出ました。
しかしこれが外れ、官渡城は留守を預かる曹洪(ソウコウ)に死守され、烏巣救援部隊が到達する前に兵糧庫を焼き払われてしまいました。
さらに、官渡城を攻めていた張コウ(チョウコウ)と高覧(コウラン)が投降し、袁紹軍は総崩れとなってしまいます。
そして、袁紹は軍兵を捨てて敗走。
その後、敗残兵をまとめて再び南下して来た袁紹軍も撃破し、曹操が河北の覇権を握るのでした……おしまい。

……「簡単に」なんて言っておきながら、結構詳しく書いていますね……。

この世には、勝者の数だけ敗者が存在します。
これからこのコーナーでは、結果的に敗者となった人達をクローズアップしていけたらと思っています。
それでは、また次回。

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