王都青嵐伝 〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜 第四話 中編 |
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「なら、俺が相手をしよう。逃げるなよ、騎士見習いどの」 イツキは、言った。 ……最初から、この男の事が気に入らなかった。その口振り、たち振る舞い、そして何よりその目つき。 そして、たった今、この男はできたばかりの自分の友人を侮辱した。それもイツキにとっては気に入らないやり方で、である。 ”馬にも乗れない騎士” バッシュ・ドラール。拳闘士出身の、この近衛兵に対する蔑称である。 歴史上最強とも言われる拳闘士である彼は、その拳一つで現在の地位を得た、現存する英雄の一人である。しかし、それだけに風当たりも強く、彼を陰で悪く言う者も多い。 この蔑称も、そんな中から生まれた物である。 拳闘士である彼は、馬に乗っていては当然その真価は発揮できない。一応、彼も馬に乗り、剣も操るが、その腕は確かに大した物ではない。そんなところから、この蔑称がついた。 これが、不当な物言いであることは間違いない。しかし、娘であり彼の信奉者でもあろうリディアには、聞き流すことのできない物であろうし、祖父から受け継いだ体術を操るイツキにしても、これは同様だった。 ”この男は、気に入らない” それが全てだった。 「お前が、か?」 訝しむ様にガムダスが言う。 それにイツキが答えて、言う。 「俺が、相手になる。騎士見習いの決闘ルールだったか? それに合わせよう。 どうだ?」 「どう、と言われてもな」 多少、落ち着いたのだろうか。若者の顔に、再び嘲るような笑いが浮かぶ。 「これでも一応、騎士見習いでね。一般市民に手を挙げるわけにはいかないんだ。 第一、労働者ごときが、試合場を使えるわけが……」 「ならば、闘技場でやればいい」 隣でリディアが、はっと息を飲み込む。 「貴様、本気か?」 ガムダスの顔からも、笑いが消える。 闘技場での試合。それは、その気になれば、相手を殺してしまっても何の咎めも受けなくて済む、ということである。それだけの覚悟がなくば、そこで戦う資格はない。 そこでの決闘というのは、そういうことである。 「で、どうする。これでもまだ、逃げるのか?」 リディアが蒼くなって、横から叫ぶ。 「ダメです、イツキさん! そんな勝負っ……!」 だが、その言葉がむしろ、ガムダスの気を引いたらしい。 「いいだろう、相手をしてやるよ」 ぞろり……と、その顔に、再び笑いが広がる。 しかしその笑いは、今までのそれではない。その目を見れば、分かる。この男の内部に存在し、隠しても隠しきれずにいた歪んだ凶暴性。それが格好のはけ口を得て、あふれ出す。 イツキはその笑いを、正面から受ける。 ”こいつには、こんなところでは、俺は負けない” そんな思いを込めて、にらみ返す。 「では、闘技場で。それ以外は、騎士見習いの決闘のルールに則って、だ」 舌なめずりをするような声で、ガムダスが言った。 「日程と、どの闘技場を使うかは、後でこちらから伝える。それでいいな?」 「ああ、かまわないよ」 イツキは、できる限り静かな声で答える。 「楽しみにしているよ」そう言ってガムダスは、宿舎の門へと消えていった。 「なにを、なにを考えているんですか、あなたは!!」 リディアが叫ぶ。もう夜遅い時間だとか、ここが宿舎の近くだとか、そんなことは忘れてしまっているらしい。 イツキはそんな彼女に対し、あえて笑顔を作りつつ、言った。 「大丈夫。そんなに心配しなくていいよ」 「そんなこと言ったって……!」 なおも続けようとしている彼女を、押さえるように言う。 「大丈夫、俺だって何も考えないであんな事を言った訳じゃない。 それに、ほら、」 宿舎の方を指さす。 「あんまり大声で怒鳴るから、人が出てきたよ」 宿舎の方から、何人かがこちらにやってくる。 「じゃあ、面倒にならないうちに、俺は行くね」 そう言うと、イツキはその場から離れ、歩き出した。 最後にリディアの方を向くと、彼女は月明かりの下、心配そうにこちらを見送っていた。 翌日、道場に出たイツキは、まずサラの姿を探した。 ”いた……” 探すまでもない。彼女は修練場の脇、この敷地内でもっとも大きな木の傍らで剣の型を繰り返し行っていた。 あるいは素早く、あるいはゆったりとした動きで、カタナを振るう。それに合わせて、練習の妨げにならぬよう、首の後ろで束ねた白銀の長髪が、舞うように揺れる。 見る者が見れば、その太刀筋、足裁き、重心の移動、そしてこうした動作と完璧に連動する呼吸、それらに驚嘆するであろう。 そしてそこまでの鑑定眼のない人間にとっても、その動きは、美しくすら見えるものだった。ただしその動きは只一つの目的、”人を斬る”という行為に向け、ただひたすらに研鑽されたものでもあったが。 しばらくはその姿に見とれていたイツキだが、やがて本来の目的を思い出し、彼女に声をかけた。 「姉さん」 その声に動きを止めたサラは、イツキの姿をみとめ、「なんだ?」とでも言うような視線を向けてきた。 その顔はいつもの無表情なものであったが、練習によりやや呼吸がうわずっており、頬には僅かに赤みがさしていた。 「ちょっと訊きたいんだけど、姉さんには騎士や騎士見習いの友達が、何人かいたよね?」 こくん、と頷く。 「じゃあ、教えて欲しいことがあるんだけど。 騎士や騎士見習いの間で決闘する場合、どんなルールでやるのかな?」 ……自分でも頭を抱えたくなるくらい、不器用な質問のしかたである。 だが、しかたがない。もともと自分が、そういう場面でうまく振るまう事ができないことくらい、イツキにだって分かっている。 ならば、真正面から問いかけるのが一番だろう。 当然のごとく、サラの細く整った眉が、ピクンッとつり上がった。 「なにがあった?」 予想していた通りの展開に、イツキはため息をつき、ありのままの事情をサラに話したのだった……。 ……サラが難しい顔をして(といっても、彼女親しい人間以外には、その表情は分からないだろうが)、イツキの顔を睨んでいる。 「それで、決闘のルールなんだけど……」 「おまえ、どういうつもりだ?」 サラがイツキの話を遮るように、言った。 「どういうって?」 「これが、お前にとってどういう意味を持つ闘いなんだ、ということだ」 ここのところ、イツキはいつも女性に睨まれている気がする。 「騎士見習い同士での、決闘のルールだったな。 基本的に、装備は自由。 乗馬の有無は双方の合意で決まるが、闘技場でやるということは、馬上での闘いは無いだろう。 それと、これも装備のうちだが……、武器は刃のついたものを用いる」 確認するかのように、イツキの顔をのぞき込みつつ、続ける。 「審判は、基本的には騎士が務める。 反則行為は、明示はされていない。が、”騎士として恥ずべき行為”を行った場合は、審判がそれと判断した時点で、その者の負けとなる。 どちらかが、敗北を宣言するか、戦闘不能になった場合、あるいは審判が”本来なら致命傷となるべき攻撃であった”と判断した打ち込みがあったとき、これをもって勝敗とする。 ……ざっと、こんなところだ」 「ふうん」 大体は、想像していた通りである。 「ま、そんなもんか」 「だが、」そんなイツキの感想を遮るかのように、サラは言った。 「今回おまえがやろうとしているのは、”闘技場”での闘いだ。 それがどういうことか、おまえにも分かっているだろう?」 更に続ける。 「”闘技場”では、あらゆる行為が許される。 もちろん、慣例的な一定のルールは存在するが、それを破ったところで、何の咎めもうけない。 それに、正式な騎士の審判がつくこともないだろう。 まあ、相手も騎士見習いということだし、その面目もあるだろう。最低限のルールは守るだろうが、それでも危険な勝負になることには、変わりはない。」 一息つき、サラはイツキに問うた。 「もう一度、聞く。 これはおまえにとって、どんな価値を持った、何のための闘いなんだ?」 「…………」 イツキは思う。そう、サラの言う通りなのだ。 これが危険な闘いだということは、イツキも百も承知である。だか……。 「そうだね。 まあ、『”義”を見て動かざるは、”勇”無きなり』ってとこかなあ」 その、人をくったようにしか聞こえないイツキの返答に、サラは激昂した。 「おまえっ……、ふざけるな! わたしは、まじめに話しをしているんだ! まじめに答えろ!!」 その怒鳴り声に驚いたように、道場中の視線が、二人の方へ注がれる。 それは、そうだろう。普段、無口・無表情・無感動で通っているサラである。 そのサラがこんなふうに大声を出すことなど、滅多に見られるものではない。と言うか、たいていの人間にとっては、初めて出くわす場面であろう。 だが、イツキは引かなかった。 イツキの黒い瞳が、サラの翠色の瞳を、正面から受け止める。 「ふざけてなんか、いないよ」 静かに、続ける。 「ふざけてなんか、いない。俺は、本気だ。 俺は、本気であいつと勝負して、そしてあいつを叩きのめしたいんだ。 それが危険なことだとか、それで損するとか、得するとか。そんなことは、どうでもいいんだ。 俺は、あいつと戦って、勝ちたいんだ」 「…………っ!」 ギリリッ、と音がしそうな目つきでイツキを睨み付けたあと、サラはそのままきびすを返し、母屋の方へと歩いていってしまった。 ひとり、ポツンとその場に残されるイツキ。道場生達の問いかけるような、あるいは非難するかのような視線が、彼に注がれる。 しかしイツキは、それらの視線を無視し、その場でぼんやりと木の枝を見つめながら、立ちつくしていた。 この日、イツキはあまり稽古に身が入らず、早めに切り上げて帰ろうとした。 だが、そんなイツキに、声がかけられた。 「あ、イツキ。ちょっと待ってくれ」 振り向くと、そこには師範代の一人が立っていた。 「館長がさ、おまえのことを呼んでいたぞ。 書斎に来いってさ」 「館長が?」 トニー・ブロスナンが、自分に何の用事だろう。そう考えて、イツキは思わず自嘲した。 決闘に関してに、決まっているではないか。おそらくは、サラから話を聞いたのだろう。 「分かりました。すぐ行きます」 イツキは母屋へと向かった。 トニーの書斎の、ドアの前に立つ。軽くノックをすると、「おう、入れ」と返事が聞こえてきた。 ドアを開け、一礼して部屋の中へと入る。 部屋の中では、トニーが椅子に腰掛け、なにやら本を読んでいた。 部屋はわりと広く、壁のうち二面ほどを本棚が埋めている。イツキも覗いたことがあるが、半分は武術や兵法、武器や鎧の作成法の本、残りの半分は、政治経済から料理の本まで、無秩序にそろっていた。 部屋の主である小柄な老人は、イツキの方を見て、彼のことを確認すると、 「ま、その辺に座れ。お茶でも入れてやる」と、テーブルの椅子を指した。 「あ、いえ。お茶なら、俺が入れますよ」 そう言うイツキを無視して、カップに二つ、ポットからお茶を注ぎ、その片方をイツキの前に「ほれっ」と差し出す。 「ありがとうございます」 受け取るイツキ。 二人はテーブルを挟み、椅子へと腰掛けた。 「で? やはり、その娘は、美人なのか?」 唐突に、トニーが話しかけてくる 「は?」 質問の意味が理解できず、思わず聞き返すイツキ。 「ワシに対して、隠しごとをする必要はない。 サラから聞いたぞ。何でも今度、女をかけて、闘技場で決闘することになったそうではないか。 あやつ、妬いとったぞ。 ……で、どうなんじゃ? やはり、おまえも、おまえのジイサマに似て、肉付きのいい女が好みか?」 「いえ、あのですね……」 しかしトニーは、かまわず続ける。 「おう、そうそう。肝心なことを聞くのを忘れとったわい。 その女、歳は幾つじゃ? まあ、おまえくらいの歳じゃと、まだ年上にあこがれる頃でもあるわいのう」 「いい加減にしろ、爺さん!」 たまらず、イツキは怒鳴った。そして、その行為にはっとして、思わず口をつぐみ、「失礼しました」と詫びる。 だが、トニーはむしろ嬉しそうに、カラカラと笑いながら言った。 「かまわん、かまわん。よいさ、その呼び方でな。 いや、むしろ、その方がおまえらしくて、ワシは好きじゃがの」 トニーとイツキの祖父カズマは、親友であった。イツキも小さい頃から、彼によくなついており、ずっと「トニー爺さん」と呼んでいた。 しかし、 「いえ、そういうわけには行きません。 俺は、今は、ブロスナン道場の門下生なんですから」 イツキの祖父が死に、ブロスナン道場に入門してからは、イツキはその呼びかけ方を、自ら改めた。 それがけじめだ、と考えている。 「そうか。それも、寂しいもんじゃの」 軽く、ため息を吐く。 「で、勝負の期日はいつじゃ?」 「いえ、まだ決まってはいません。 いずれ、向こうから伝えに来るはずになっていますが」 「そうか……」 そして、どことなく真面目な顔になり、イツキの顔を見る。 「なあ、イツキ。 サラにも言われたようじゃがの。おまえは今回、何のために戦うつもりじゃ? なにか、ケンカか何かが、こじれでもしたのか? それとも本当に、その女をかけて、勝負するつもりか?」 「ですから、そんなんじゃありません」ややうんざりしたように、イツキは答える。 「では、何のための闘いだ?」 その目が、イツキの目を見据える。 イツキは、はっとなる。だが、遅い。トニーの目は、すでにイツキの目を絡みとっていた。目線が、はずせない。我知らず、手のひらにじんわりと汗がにじむ。 「俺は……」 イツキは、絞り出すかのように答える。 何か、言わなくてはいけない。何かを、試されているような気がする。ここで萎縮してしまうのは、負けだ。 「理由は、色々あるんです。 そいつが気に入らない類のヤツだとか、できたばかりの友人を、目の前で侮辱されたとか、俺やその彼女が大切にしている格闘術を、やっぱり侮辱されたとか。 でも、本当にそいつに勝ちたい理由は、そんなことじゃありません。 俺は、今回のことを、引き下がって済ますわけには行かないんです。 俺がこのあと、俺の望んだ生き方をするには、ああいう奴等から、大切ないろいろなものを、守れるようにならなくちゃいけないんです。 だから、今回の闘いは、引くわけにはいきません。 もしも、今回のこれを逃げたなら、俺は今後、ずっと逃げ続けなくてはならなくなる。そんな気がするんです」 ……すっと、トニーが立ち上がる。 椅子に腰掛けたままのイツキを、まるで何かを伝えようとするかのような表情で見下ろし、言った。 「カタナを持って、修練場に来い。久しぶりに、稽古を付けてやろう。 それと……、カタナは真剣をもってこい」 ケン・ガーシスがブロスナン道場を訪れたのは、もう日も沈もうかという時刻だった。 今日の昼、彼の道場に練習に来ていた騎士見習いから、決闘の話を聞いたのだ。 その若者によると、この話しは同僚の間では、結構広まっているそうだった。 イツキ、という名前は出なかったが、「ドラールの娘」がからんでいるということから、イツキが絡んでいるだろうということに、ケンは確信を持っていた。 ケンは以前よりイツキやサラと顔見知りであったし、ガーシス道場の現在の最高師範が一時期、ブロスナン道場にて修行した経験があることから、ブロスナン道場を何度か訪れたことがあった。 この日、ケンが門をくぐると、知り合いの門下生が声をかけてきた。 ケンは斧術で期待の若手として、武術関係者には、それなりに有名であった。 「やあ、久しぶりだな。 なんだか、いいタイミングで来やがったな」 その門下生が言った。 「どうも。 なにか、あったんですか?」ケンが訊ねる。 「ああ、何があったのかは知らんがな。館長が、イツキの奴に稽古を付けるらしい。 それも木刀とかじゃなく、真剣で、だ」 「真剣で?」 ……なるほど。そういうことか。 ケンはすぐさま、修練場へと向かい、イツキの黒髪を探した。 カタナを、握る。 心強い、頼りになる重さ。それでいて、重すぎる感じはなく、手のひらになじむ。 イツキにとって、真剣を握るのは、とても久しぶりだった。 鞘から抜き出すとき、自身に刃が触れないよう、僅かに緊張する。 青眼に、構える。 対する、トニーブロスナンは、カタナの柄を片手で持ち、無造作に右肩にかつぐようにしているのみ。とくに、構えは感じられない。 イツキもやや小柄であるが、トニーはそれに輪をかけて小さい。 しかし、その小さな老人こそが、「武神」としてこの王都に君臨する剣術家なのだ。 イツキの手のひらに、じっとりと汗が浮かぶ。 手のひらの皮を、柄になじませるように、そっと握り直す。 そして、イツキは自らを鼓舞するように、叫んだ。 「いきます!」 −−瞬間、 ”ガキッッ!!” 両手に、衝撃が走る。しっかりと掴んでいたはずのカタナの柄が、右手の指の間を、無理矢理すり抜ける。 イツキは何が起きたのか確認する前に、本能的に斜め後方に飛びすさる。 トニーは、追撃してこない。ただ、振り下ろしたカタナを肩へと担ぎ直しながら、少しだけ意外そうな顔で、イツキを見る。 ”クソッ!” イツキは内心、舌打ちした。 何のことはない。トニーはただ、イツキのカタナの上に、自分のカタナを振り下ろしただけだ。彼が、道場破りに来た連中に、よくやるコトである。 だが、その力。 多くの相手が、このトニーの一撃で、武器を地面に叩き落とされた。 イツキにしても、カタナの柄を、何とか左手だけは離さずに済ませたが、両手、特に右手は、衝撃の為にしびれてしまっている。 まさか、これほどのものとは思わなかった。 体験して、初めて分かる。 いつ来るのか、リズムやタイミングをいっさい感じさせない、”無拍子”と呼ばれる動作。カタナを振り下ろすスピード。そのスピ−ドに乗った武器に、自分の体重を存分に伝える、重心の移動。 その小さな体格からは想像することもできないほどの威力が、その一太刀にはかかっていた。 イツキはそれを、存分に体験した。武器を取り落とさなかったのは、ほとんどまぐれと言ってもいい。トニーの「意外そうな顔」とは、そういうことだろう。 しびれた右手を無理矢理動かし、カタナの柄を握る。 気合い負けしたら、それでもう動けなくなる。イツキは、トニーを睨み付ける。 相手は自分と比べ、圧倒的な使い手だ。下手に動けば、やられる。 しかし、受けに回るのは、なおのこと愚かな行為だ。相手の攻撃が見きれるものではない以上、こちらが攻めに回らない限り、何もさせてはもらえない。 ”ヒュッ!” 息を吸い込み、イツキはトニーに突進した。 「凄いな……」 ケンが、隣のサラに聞こえるよう、呟く。 コクン、と頷くサラ。 老ブロスナンの技をみるのは、ケンにとって久しぶりである。 イツキも、良く攻める。 思い切りよく、突き、払い、あるいはフェイントや、奇襲的な技を混ぜ込みつつ、絶え間なく鋭い攻撃を仕掛ける だが、老ブロスナンの動きは、見ていてまったく危なげがない。 体勢を全く崩さずに、あるいは避け、あるいは受け流し、あるいはその出鼻をくじきながら、軽やかにイツキの攻撃をいなす。 傍目にも、その圧倒的な力量の差が、見て取れる。 ケンが、「はっ」としたのは、トニーがイツキの攻撃の出鼻をくじく為に、”ひょいっ”とカタナを突きだした、その瞬間である。 イツキがそのトニーの動きに、”がばっ”と飛び退いたのだ。 ケンもイツキとは何度も、練習試合をしたことがある。 その力量は、客観的に見ても、なかなかのものだと思う。もっとも、現段階では、イツキの剣技では、ケンの斧術にはかなわないが。 しかし、イツキの、特に、間合いとタイミングの取り方には、舌を巻くことがしばしばである。 その、間合いの「読み」が得意なイツキが、相手の見え見えの攻撃に、露骨なほど大きく飛び退いた。 「サラさん……」 ケンは、サラに訊ねる。 「そうじゃないかとは思ってましたが、もしかしてイツキ、真剣での試合経験が、ほとんど無いんじゃないですか?」 サラが頷く。 「……イツキは、入門して、まだ二年だからな。 私が知る限り、真剣での試合は、これが初めてのはずだ」 ”クソッ!” イツキは舌打ちする。 自分の動きが悪いことを、イツキは自覚していた。 トニーのカタナ、真剣が怖いのだ。 ”畜生っ……!” 何を今更、そう思う。 イツキは、自分がケンカ慣れしている自信がある。その経験の中には、相手がナイフ等の凶器を持ち出してきたことも、何度だってあったはずだ。事実、先日戦った暗器使いにも、勝った。 だが……。 今感じているプレッシャーは、それらとは根本的に異なっていた。 ケンカ用とは違う、人殺しの為の武器に、人殺しの為の技……。 ”ひゅっ” 振るわれたカタナを、バックステップで避ける。 だが、イツキのその避け方は、自分でも分かるくらい、大げさな、飛び退くような避け方だった。 ”く!!” そんな自分を叱咤するように、トニーに対し、攻撃を繰り出す。 顔面に突き……、と見せかけ、体を思い切り大きく沈め込ませ、足を払う。 三重のフェイントだ。 一に、上下方向へのフェイント。 二に、体を大きく沈み込ませた分、足を大きく広げ、深く踏み込み、顔面を突いた場合よりも、更に大きい間合いにまで、攻撃を届かせる。 三に、突きと見せかけて実際には横に薙ぐために、相手の予想より、攻撃の範囲が広がる。 が、トニーは、全く動揺しない。 半歩下がりつつ、前足を”ひょいっ”と上げる。その足の下を、イツキのカタナが、空振りして通過する。 がら空きになったイツキの頭頂に、殺気が降り注ぐ。 ”!” やや無理な体勢で攻撃を繰り出したイツキは、そのまま横方向に飛び退くように、地面に倒れ込む。 そのすぐ横を、振り下ろされたトニーのカタナが通り過ぎる。 イツキはそのまま何度も横転し、対戦相手から距離を取ってから、回転の勢いを利用しつつ、一挙動で立ち上がる。同時に、カタナも構えの位置に置き、追撃に対応できる姿勢をとる。 しかし、今度もトニーはイツキが間合いを取るのにまかせ、間合いを詰めてくるようなことはしない。 ”畜生……” 完全に、遊ばれている。 ”このままじゃ、ダメだ” この調子で、いくら攻撃したところで、全てかわされる。 どんなフェイントも、奇襲も、全く通用しなかった。 ”ならば……” イツキは、呼吸を整えた。 再度、カタナを青眼に構える。 「ほう」 そのイツキを見て、老ブロスナンが目を細める。 今までのイツキとは違う。 構えが、静かだ。 しかし、その剣先に込められた殺気を、トニーは見誤ることはなかった。 ”もう、少し……” イツキはじりじりと、間合いを狭める。 微妙に、慎重に……。 全ての、手持ちの技は、出し切った。 そして、その全てが、通用しなかった。 ”ならば……” 残された手は、一つ。 小細工なしの、絶対の、一撃。 それを繰り出すために、全ての神経を集中する。 ”いけるか……?” 小細工無し、といっても、ただがむしゃらに攻撃すればいいわけでは、ない。 絶対の攻撃を繰り出すためには、まず、自分にできる精度でもって、絶対の間合いを取る取る事が、条件となる。 さらには、その間合いになる瞬間、最高の動きを繰り出すための、最高の体勢ができていなくてはならない。 そのために、間合いを整え、呼吸を整え、両足の間隔を整え、カタナの柄と手のひらのなじみを整え、重心の位置を整え、体中の筋肉のしなりや収縮、伸展を整え、そうしながら、じりじりと前に出る。 攻撃は、「突き」と決めていた。 もっともシンプルな動きで繰り出すことができ、速く、遠くまで届く。 狙うのは、もっとも大きな標的。 胴体の中心、だ。 「…………」 サラが、ケンが、息を詰めてイツキを見据える。 他の道場生たちも、静まり返る。 イツキが、ほんのわずかづつ、間合いを詰める。 彼の緊張が、その集中の深さが、肌に伝わってくる。 対して、老ブロスナンは、全く動かない。 相変わらず、カタナを片手で持ち、肩に担いでいるだけだ。 その彼に対し、イツキが、間合いを詰める。 本当に、少しづつ、少しづつ。 そして……。 ”−−!!” イツキは、飛び出した。 間合いは、成った。 そして、自分は最高の体勢から、最高の突きを放つ。 後ろ足で、地面を蹴り、重心を前に押し出す。 それと連動して、前足が繰り出される。 背を伸ばしつつ、体をひねり、右半身が力強く更に前方へと押し出される。 その動作と連動し、左手は剣の柄から離される。 そして、右手に持たれたカタナの先端が、イツキにできる可能な限りの速度と、力をもって、トニーへと放たれた。 イツキには、分かった。 今の自分は、間違いなく、今までの人生で、最高の鋭さを持った攻撃を放った。 そして、その先には……。 ”!!” その先には……、トニーが、いた。 ”なっ!!” トニーは、動かない。 そして、イツキのカタナは、このままいけば、間違いなく彼に突き刺さる。 ”−−!!” ……イツキは……。 剣先が、逸らされた。 イツキが、自分で逸らしたのだ。 イツキの体勢が、攻撃の途中で、無理矢理崩される。 剣先が、トニーの脇腹の辺りをかすめて、通り過ぎてゆく。 イツキが、勢い余って、地面へと倒れ込んだ。 無理に剣先を逸らした為、危なく自分のカタナの上に倒れそうになる。 何とかそれを避け、しかし不自然な体勢で体が地面に叩きつけられ、立ち上がるのが遅れる。 ……いや、それよりも彼の行動を妨げたのは、彼の心の中を占領した「恐怖」だった。 そして、その恐怖に見開かれた目が、トニーの方へと向けられる。 トニーは、ただ、そのままの姿勢で、イツキを見下ろしていた。 「イツキ、おまえは……」 トニーの口から、言葉が洩れた。 「おまえは、何も分かっておらん」 イツキは、紙のように白くなった顔で、地面に座り込んだままに、トニーを見上げる。 「おまえは、何も分かっておらんよ。 人を斬ることが、どういうことか。 斬られるというのは、どういうことか。 斬り合うということが、どういうことか。 殺すとは、どういうことか。 殺されるというのは、どういうことか。 ……おまえは、何も分かってはおらんよ」 老ブロスナンの手に握られたカタナの剣先が、イツキの顔前に、ゆっくりと突き出された。 イツキの両眼から、彼自身にも気づかぬうちに、涙がこぼれ落ち、頬を伝う。 「おまえには、分かっておらん。 真剣で斬り合うということの意味、がな。 ……イツキ、そんな今のおまえには、真剣で斬り合う資格は、無いよ」 イツキの両眼から、涙が流れ続ける。 その口元は、だらしなく開けられ、そこに涙と、鼻汁が流れ込むが、イツキは気づかない。 ただ、イツキは……。 「!?」 トニーはこの試合で初めて、戸惑った表情を浮かべた。 イツキの右手が挙がり、眼前に突きつけられたカタナの先を、素手で握りしめたのだ。 ケンは、言葉を失い、イツキと老ブロスナンを,ただ呆然と見つめていた。 それは、不思議な光景だった。 イツキの瞳からは、相変わらず涙が流れ続けている。 しかし、その剣先を握りしめた手は、ただ力一杯の力で、まるで何かに抗うかのように、トニーのカタナを押し返す。 彼の手の平から、一筋の血が流れ落ち、腕を伝わった。 その二人の間には、何か、理解のし難い、しかし明確にその存在を感じる力の拮抗があった。 何か、二人にしか、他の人間では理解し得ないような、そんな力の拮抗が……。 ……が、その異様な時間は、長くは続かなかった。 すっ……と、老ブロスナンがカタナから手を離した。 一方の支えを失ったカタナが、トンッと地面に音を立て、落ちる。 「そのカタナ、好きにするがいい」 そう言うと、トニーはイツキから視線を外し、きびすを返すと、母屋の方へと歩み去った。 ……あとには、ただ、涙を流し続け、地面に座り込むイツキが残された。 その右手は、未だカタナの剣先を握りしめたままだった。 そしてケンは、この友人に、どんな言葉をかけるべきか、どんな表情を向けるべきなのか、それが分からずに、ただ、彼のことを見つめていたのだった……。 |
第四話、中編です。 ナンか、どんどん長くなって、歯止めが利かなくなってしまいました。ホントはもっと、スピーディーに話しを進めるべきなんでしょうが……。 さってと。後半はめくるぞ! 藤井 貴文(ふじい たかふみ) |
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