王都青嵐伝
〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜
第四話 後編



 さらさらと、風がなでる木々の葉音が心地よい。

 ここ王都バームンクの中央に位置する、王城。
 その中庭の木陰の一つに、二人の人間の姿があった。

 小型の卓を挟み、談笑しつつ、ティーカップを口に運ぶ。

「でも、今日は本当に良かった。
 久しぶりに、あなたと、こんなにゆっくり話せたもの」

 そう、小柄な女性が言った。

 女性、というよりは、まだ少女といった方がいいだろう。
 十代、後半といったところだ。

 ほっそりとしたシルエット。
 その躰を優しく包む、上質の、それでいて過剰な装飾の見られないゆったりとした衣服。
 小振りな顔の輪郭に、それを縁取る優しい黄金色の髪。その髪は、手の込んだ、複雑な結い方をしながら、ややウエーブを描きつつ、背中へと流れている。
 碧く、大きめなその瞳。
 よく見れば、ほっそりした眉や、これもやや小振りな作りの唇には、わずかに、上品な化粧が施されている。

 ”可愛らしい”が”美しい”に変化してゆく、まさにその年頃を今迎えようとしている、そんな少女である。

 その瞳が、本当に嬉しそうに微笑みながら、もう一人を見る。

 引き締まった体格をした、スラリとやや背の高い、青年。シャツも、ズボンも、黒で統一されている。
 金髪を短く刈り込み、その髪型が精悍そうな顔に、よく似合う。
 マークス、である。

「何言ってるんだ。このまえ、ちょっとした冒険に、付き合ってやったばかりじゃないか」
 やや意地悪そうに、それでいて明らかな愛情を込めた目で、彼女を見返す。

「もうっ」

 それが分かっているから、彼女も、笑顔で、怒ったフリをする。
 が、ふと、何かに気づいたような顔で、彼女が言った。

「そういえば、この前、私を助けてくれた彼。
 お礼は言ってくれた?」

「え? ああ、大丈夫だよ。
 このあいだ、3日くらい経ってからだったかな? 彼の通ってる道場におじゃまして、よくお礼を言っておいた」

「そう……」
 少女が、なにやら考えるようなそぶりを見せる。

 それを敏感に見て取った青年が、
「どうした?」と訊ねる。

「うん……」
 少し考えたあと、彼女は言った。
「ねえ。黒髪に、黒い目の人って、珍しいわよね?」

「ああ、まあ、この国では、滅多に見ないな。
 もう少し東の、ソシエルやマグロードの国まで行けば、結構いるんだが。

 ……この前の彼が、どうかしたかい?」

「どう、ってわけじゃないけど……。」
 まるで何かに戸惑っているかのように、話す。

「なぜかしら。なんとなく、だけど。
 彼を見たとき、なにか懐かしい気がしたから……」

 それに対し、青年が何かを言おうとしたとき、人影が近づいてきた。

「おくつろぎのところ、申し訳ありません、アノー様」
 紺色の、城の使用人の制服を着た、白髪の老人だ。
 二人のうち、少女の方だけを見て、言う。
「失礼ですが、陛下が、殿下をお呼びです。書斎の方に、とのことです」

「父様が?
 分かりました。すぐ行きます」

 椅子を立ち上がる。
「ごめんなさいね、慌ただしくて」

「なに、いいさ」

 その返事に頷き、少女はその場を立ち去ろうとした。
 老使用人が、それに付き従う。この間、この老人の目は、一度として、青年の方に向けられようとはしなかった。

「あ、そうだ」
 突然、青年が言う。

「なに?」
 少女が振り返り、老人は少女には見えないように、それでいて、露骨に眉を顰(ひそ)めた。

「ああ、いや、昨日聞いたうわさなんだけどね。
 君は、リディアのことは知っていたよね?」

「ええ、ドラール卿の娘さんでしょう?」

 青年はそれに頷き、続ける。
「この前の、例の黒髪の彼だけど。
 明日、その彼女の名誉を賭けて、”闘技場”で決闘をするらしい」

「え!?」



 いい天気だ。
 空を、見上げる。

 昨晩は少し雨が降ったが、今日はよく晴れた。

 イツキはすでに鎧をつけ、カタナを腰に吊している。

 鎧は革を基調にして、要所々々のみを薄い鉄板で補強した、動き易さを重要視した作りのものだ。
 腰のカタナは、先日の稽古で、老ブロスナンから渡された、あのカタナである。

 イツキは、闘技場を見渡した。

 ここは、王都にいくつか存在する闘技場のうち、王城の東すぐのところにあるひとつである。
 ”闘技場”などというと、知らない者は、きちんとした施設があると考えがちだが、実際には、全てただの原っぱだ。
 ここもその例に漏れず、基本的には背の低い雑草の被った空き地、所々は、土がむき出しになっている。

 昨晩の雨のせいで、地面はややぬかるんでいるところもある。気をつけなくては、ならないだろう。

 なんとはなく、左右のブーツの締め付けに、差があるような気がして、気に障る。

 イツキは、傍らにあるベンチ代わりの丸太に腰掛け、締め付けがゆるい気がする、右足のブーツの靴紐を結び直した。

 サラとケン、それにミラが側に立ち、自分を見ている。

 どうも、妙に心配しているような彼らの顔つきが、仕方なくも感じ、またうっとうしくもある。

 勝負の相手は、まだ来ていない。



 二日ほど前、「山鳩亭」にリディアがやってきた。
 例の乱闘から、五日ほどたった頃だ。

 まだ、やや足を引きずっているようにも見えたが、ほとんど問題は無さそうだった。

「先日は申し訳ありませんでした」

 そう、店主とミラに謝罪し、これは迷惑をかけたお詫びと、なにやらミラの親父さんにに渡していた。
 なんでも、南の国の珍しい香辛料、とのことで、親父さんは喜んでいた。

 そのリディアが、ガムダスからの伝言を持ってきた。

「勝負は二日後、正午に、城の東の闘技場にて、とのことです」
 リディアが言った。
「ルールは、先日話した通り。騎士見習い同士の決闘のルールに準じたもの、となります。
 ルールの内容は知っていますか?」

 イツキは頷く。

「そうですか。
 あ、ただし、今回は審判員に騎士がつく、というわけには行きませんので……。
 勝手ですけど、騎士見習いの、私とガムダスの、共通の先輩にお願いすることになったのですが……。
 よろしかったですか?」

「うん、それは構わないよ。
 信頼できる人なんだろう?」

「ええ、みんなに、人望のある人です。
 だからこそ、ガムダスも呑まざるを得なかった、というところです。」

”なるほど……” イツキは、少し安堵した。
 どうやらリディアは、彼女にできる形で、何とか彼が有利な試合ができるよう、調節をしてくれているらしい。

「イツキさん、本物の、刃のついたカタナは当然お持ちでしょうが、鎧は持ってますか?」

「ああ、うん、持ってるよ。
 心配ない」

 あまり良いものではないが、試合用に、一揃いは持っている。

 ……ところで、
「ガムダスの方だけど、彼は得物は何を使うんだ?」
 当然の如く、知っておかねばならないことである。

「奴は、戦斧を使います。
 認めるのは悔しいですが、同僚の中でも、結構な使い手です」

 そのくっきりと凛々しい眉の下で、彼女の目が、やや心配そうにしている。
 イツキの妙に無表情な顔つきと、右手に巻かれた包帯を気にしているようである。

 先日、老ブロスナンのカタナを、素手で握ったときに付いた傷跡である。
 リディアの目が、問い掛けたげに、彼を見る。

 だがイツキは、その眼差しを無視して、話を続ける。

「そっか。まあ、ケンとの試合で、斧を相手にするのは、慣れてるよ。
 いくら何でも、奴がケンより強いって事はないだろう」

「ケンさんって、このあいだいた、あの大きな人ですよね」
 納得するように言う。
「確かに、あの人なら強そうですね」

”ガタッ” 音を立て、イツキが立ち上がった。
「それじゃ、俺は行くよ」

「え?」
 突然の彼の行動に、戸惑うリディア。
「あのっ……」

「大丈夫、明後日の、正午。
 まちがいないだろ?」

「あ、ええ、そうですけど……」

「じゃ」
 イツキは無表情に、不安そうな彼女から顔を逸らすと、その場から歩み去った。



 イツキがブーツの靴紐を結び終え、ふと顔を上げると、ちょうど二つの人影が闘技場へと入ってきたところであった。
 リディアと、そしてマークスである。

「やあ」
 マークスが片手を上げ、軽く挨拶してくる。

 イツキも、「どうも」と簡単に挨拶を返す。

 それと一緒に、サラも軽く会釈する。
 その目が、ふっと、マークスの隣にいるリディアに向けられる。

「ああ、そうか。
 この前道場に連れていったときは、顔は合わせても、紹介はしていなかったっけ」
 マークスが、そのサラの視線に気づき、言う。
「リディア。まあ、知ってるとは思うけど、彼女がサラ・ブロスナンだ。
 サラ。この子は、リディア・ドラール。騎士見習いで、近衛兵のドラール卿の一人娘。更に付け加えるなら、今日の決闘の、ヒロインだな」

「あ、あの、始めまして。リディア・ドラールです。
 宜しくお願いします」
 緊張と、尊敬する剣士に会えた喜びに、やや声をうわずらせながら、挨拶するリディア。

 しかし、サラは無言で、この少女を見る。

 女性としてはやや大柄なサラと、小柄なリディア。

 サラは、沈黙したまま相手を見下ろす形になる。
 そんな視線を向けられたリディアは、不安げに、体を僅かに縮こまらせた。

「あの……」
 そんな雰囲気を心配するかのように、ケンが声をかけた。

 それに気づきサラは、ケンの方を向く。

「ああ。失礼。
 ケン。こちらは、マークス殿。騎士だ」
 ぶっきらぼうに、紹介する。
「こちらは、ケン・ガーシス。斧術の、ガーシス道場の跡取りで、イツキの友人だ」

 お互いに会釈する、マークスとケン。
 その脇で、サラの視線から解放されたリディアが、ほっと息を付く。

 だがイツキは、そんな周りの事には頓着せず、ただぼんやりと、今日の闘いの場となる競技場を、見やっている。

 そんなイツキを見て、マークスがサラに耳打ちする。

「なあ、彼、なんとなく変じゃないかい?
 大丈夫か?」

 コクン、とサラが首を縦に振る。だが、
「大丈夫。
 少なくとも、本人はそう言っている。

”自分は動ける” ……とな」

 しかし、サラの僅かに心配げなその表情を、マークスは見逃さなかった。



”なんか、変だよな” イツキは、自分でもそう思う。

 この間の、老ブロスナンとの稽古以来、自分自身、まるで気でも抜けてしまったようだ。
 頭の、どこか大切なところが麻痺してしまっているような、そんな感じである。

 トニーの体に、自分のカタナが突き刺さりそうになったとき、自分は心の底から恐怖した。だから、自らカタナの軌道を外してしまったのだ。

 ……そう、自分は、あのとき、本気で怖かったんだ。

 そのあとのことは、実はあまり覚えていない。
 ただ、頭の中で、何か熱いものがグラグラと渦巻き、それに突き動かされるように、ただそんな風に行動した。
 あのとき、自分は館長の目を見て、何を言いたかったのだろう。それさえも、今では、はっきりとはしない。

 それでも……。

”何かが、変わったのかな?” そう思ったりもする。

 ……今、自分が落ち着いているのが分かる。

 もしかしたら、落ち着いているのではなく、やはり心が麻痺しているだけかもしれない。
 それでも、今日、自分は戦える。それだけは分かった。

 ふと、気配を感じ、広場の入り口の方を見ると、ガムダスが他の数人の若者と一緒に、闘技場へと入って来るところだった。



 イツキは、鎧に着替えたガムダスと、向かい合う。

 冷静に、相手の状態を確認する。

 自分が割合と軽装なのに対し、ガムダスはより重装備である。
 得物はリディアに聞いていた通り、両手用の戦斧。さすがに正式な騎士の装備よりは略式の、それでも十分に体を鉄で被った鎧。それに、鋲を打ったブーツを履いている。

 先ほど、軽く素振りをしているのを観察したところでは、それらの重装備を使いこなすだけの十分な筋力を持っており、それ故この装備を選んでいる様子だった。
 油断はできない。

 重装歩兵。カタナ使いのような、軽装にて、素早いテクニックを用い戦うタイプの武術家にとって、その真価が問われる対戦相手である。
 軽い攻撃は、全てその装甲に弾かれる。かといって、武器を大振りするならば、軽装であることにつけ込まれる原因となる。

 動きの素早さと、攻撃の間合いの広さは、自分が有利だろう。
 対して相手は、重く攻撃力のある武器と、力のない攻撃など全て弾くことができるだけの装甲を持っている。

 慎重に、相手をしなければならない。

 審判員を見る。
 リディアが言っていた通り、割と人の良さそうな、誠実そうな顔つきをした若者だ。
 なるほど、彼女は審判の選定には、気を使ってくれたことが分かる。

 対戦相手に視線を戻すと、相手の目と、目があった。

 ガムダスの顔が、ニタリッと歪む。相変わらずの表情だ。

 だが、イツキの心は、そんな彼を見ても、ほとんど動かない。

 それを、どのように見て取ったのか。
 ガムダスの目が、軽くいぶかしむように細められた。

 ……そして、審判の口から、開始の合図が叫ばれた。



”ザッッ!!”

 先に動いたのは、イツキだった。

 カタナを素早く、コンパクトに振り、相手の腕を狙う。
 いや、正確には、戦斧を持った相手の、「指」を狙った攻撃だ。

 ガムダスは、鉄製の小手をつけている。本来腕を狙ったのならば、この程度しか勢いの乗っていない、小さな振りの攻撃では、傷をつけることなどできない。
 が、指ならば話しは別だ。当たれば、この後の握力を弱らせるだけの、十分なダメージを与えることができる。

 しかし、ガムダスはその攻撃を、腕を軽く動かし、小手の装甲の厚い部分で受けた。
”カキンッ”と軽い音を立て、イツキのカタナが、鉄の装甲に弾かれる。

 深追いをせず、いったん斜め後方へ引くイツキに対し、今度はガムダスが踏み込む。

”ブンッ!”
 思い切りよく、戦斧を振るう。右肩の位置から、袈裟懸けに、力の乗った攻撃を繰り出す。

 イツキはその攻撃を受け止めようとはせず、更に後方に引き、十分に距離を取りつつ、その刃を避ける。

”!!”

 イツキの後ろ足のかかとが、ぬかるんだ土に、僅かにとられた。
 足裁きが、僅かに乱れる。

 そこに、ガムダスが、大きく迫ってきた。大上段から、思い切り戦斧を振り下ろす。

 イツキは前足を軸に体をかわしつつ、注意深く、戦斧の刃をカタナで受け流した。

”ジャリィィィッ……!”

 耳障りな音を立て、鉄と鉄とがこすれ合う。

 イツキはやはり斜め後方へと大きく引き、一旦、距離をとった。



”いい感じ、かな?” イツキは口の中で、つぶやく。

 今とのところ、相手の刃が、落ち着いて見られている。

 この前の、トニーとの一戦とは、えらい違いだ。
 もっとも、それが度胸の付いたせいか、あるいは、やはり自分の中で何かが麻痺してしまっているせいかは、よく分からないが……。

 そして、

”なるほど……”

 ガムダスは、リディアの言っていた通り、いい腕をしている。

 重い斧と、厚い装甲の利点を知り尽くし、それに沿って攻撃してくる。

 戦斧の怖さは、その重い刃にある。
 基本的に武器は、扱える限りで、重い方が有利である。
 勢いに乗ったその質量は、その分多大なダメージを、相手に与える。しかも、その勢いにまかせてガードを押し込み、相手にダメージを与えることも可能だし、相手の武器がヤワなものならば、それを破壊することもできる。

 実際、イツキのカタナでは、ガムダスの攻撃を正面から受け止めることは、不可能だ。
 そんなことをしたら、カタナが折れるか、あるいは戦斧の勢いを止められずに、ガードを破られてしまうか、どちらかになる。
 だからイツキとしては、よけるか、あるいは受け流すか、どちらかしかできない。もっとも、受け流すにも、細心の注意が必要となるが。
 これは、大きなハンディキャップである。

 それを知っているからこそガムダスは、武器を思い切り振り回す攻撃を繰り出してくる。それにより多少の隙ができたとしても、鎧の装甲でカバーする作戦だ。
 そして、その戦法は、極めて正しい。

”やっかいだな……”

 だが、対応策もまた、決まっている。
 要するに、「間合い」である。

 戦斧がその効果を十分に発揮できる間合いというのは、実は極めて狭い。それに、両手で振り回す以外の攻撃は効果が薄いため、攻撃のラインも限られる。

 だがカタナは違う。戦斧の間合いの、その外側からも、内側からも攻撃可能であるし、より多彩な攻撃が可能である。

 軽装で、動き易いことを利用し、このことに十分につけ込まなくてはならない。

 相手が自らの利点を最大に生かした攻撃を仕掛けてくるならば、こちらも自分のペースを貫き、自分の闘いをするだけである。相手のペースに付き合う必要など、無い。

 先ほどの攻防で、ガムダスの斧の間合いは、大体見当が付いた。

 イツキはそれを更に探りつつ、ガムダスの周囲を軽く回り込むようにしながら、移動しはじめた。



「イツキ君、いい感じだね」
 マークスが、隣にいるケンやサラに話しかける。

「そうですね……」
 ケンが、答える。

 イツキらしい、闘いである。

 相変わらず、間合いを読むのが、憎たらしいほどに巧い。
 相手の間合いの僅かに外側から、リーチの差を利用した攻撃を、一撃離脱で仕掛けている。さらに、いらだった相手がそこから踏み込んでくれば、今度は一気に近接することで斧の間合いを潰してしまう。
 ケンもイツキとの練習試合中、何度もやられた手だ。

 だが……。

”やっぱり、何か変だな?”

 妙な違和感が、拭いきれない。

 それは先日の、老ブロスナンとの稽古を見ているせいだろうか?

 動きが、妙に良い。
 例の稽古の時とは、あまりに違いすぎる。

 さらに、その顔つき。

”なにか……” 違う気がする。

 イツキはいつも、戦うとき、こんなふうに無表情な顔ではない。
 もっと、気迫が目にこもった、集中した表情をして戦うはずだ。

 ケンは、そんな違和感と共に、漠然とした不安感を抱きつつ、この勝負を見守っていた。



”クソッ!”
 ガムダスは、苛立っていた。

 このイツキという男、労働者風情のくせに、腕が立つ。
 そのことを、認めないわけにはいかなかった。

 ガムダスは、自分の腕に自信を持っていた。これは、自惚れでもなんでもない。
 実際、騎士見習いとしては、五指に入る腕である。そのことは、同僚達も、教官達にも認められている事である。
 その自分が、これほど苦戦を強いられるとは、正直、考えもしなかった。

 自分の闘いが、させてもらえていない。

 完全に、相手に間合いをコントロールされてしまっていた。

 こちらのリーチの外から、末端部や関節部、装甲の薄いところをチクチクと責めてくる。
 一撃々々は大したダメージにはならないが、右手は小指を強打され、握力が半減している。それに、こうした攻撃は、こちらの集中力を萎えさせ、精神的にも疲労してくる。
 かといって強引に突っ込めば、それに合わせて近接してきて、斧の間合いを殺されてしまう。

 ガムダスの心を、苛立ちと焦りが覆い尽くす。

 その焦りが、不用意な攻撃を繰り出させた。

 必要以上に踏み込んだ、力んで大振りになってしまった攻撃。

”ガッッ!”
 それを、イツキに丁寧にさばかれ、斧が地面をえぐる。

”やばい!!”

 完全に、横をとられてしまっている。
 しかも、自分は大振りな攻撃を外したせいで、相手の次の行動に対応できる体勢ではない。

”クッ!”

 ガムダスは、目だけでイツキの方を向く。

 その一瞬、二人の視線が交差し……、

”ザッッ!”

 ……イツキの攻撃は、避けられた。


「イツキ! 何をしている!!」 ケンが、叫ぶ。

 今のタイミング、勝負は付いているはずであった。

「イツキ……!」 ケンが歯噛みする。

 そう、イツキは……



 それは、ガムダスにも分かった。

 イツキの、自分の頭部に振り下ろされるはずだったカタナ。
 それが、一瞬、止まったのだ。

 そして、その訳も、ガムダスには分かっていた。
 今、つい先ほど、目があったときに理解した。

 こいつは、

”ビビッてやがる!” ……おそらくは、人を斬ることを。

 そう、見間違いではなかった。

”ブン!!”

 そして、そのイツキの攻撃を避けざまに出した、彼の攻撃は、

”カィィィン……!”

 イツキのカタナを、その半ばからへし折った。



 イツキは慌てて、飛びすさる。
 だが、その敏捷な動きも、そこまでだった。

 彼は呆然と、手の中のカタナを見た。
 それはもとの長さの半分程の部分から、折れて、欠けてしまっていた。

 もう今のイツキは、ついさっきまでの彼ではなかった。

 ガムダスの不注意な攻撃を受け流し、絶妙のポジションを得ることに成功した。
 そして、そのがら空きになった頭部に、カタナを振り下ろそうとした瞬間……、彼の心に、あの、トニーにカタナを突き立てそうになったときに感じた、あの恐怖がよみがえったのだ。

 気が付くと、彼の動きは止まっており、その後の行動が遅れ、……結果として、自分は武器を破壊された。

 自分の顔から血の気が引くのを、イツキは止められなかった。

 だが、ガムダスは、容赦なく切り込んできた。

 一撃、二撃と、後ろに逃げながら、避ける。

 しかし、ぬかるんだ地面に、足裁きが乱れた。

”ザシャッッッ!”

  「がっッッ……!!」

 ガムダスの斧が初めてイツキの皮の鎧を引き裂き、その脇腹に、傷を付けた。



「イツキさんっ!!」

 リディアが悲鳴を上げて、駆け寄ろうとした。
 だが、腕を捕まれ、止められる。

「サラさん?」

 彼女を止めた腕の主は、サラであった。
 彼女の目が、リディアを諫めるかのように、見やる。

「大丈夫。たいして、深い傷じゃない。
 それに、まだ、勝負は付いていない」

「でも!」

 だが、サラは微動だにせず、言った。

「まだ、勝負は終わっていない。
 イツキは、こんなところで、こんなつまらない負けをする男では、ない」



 脇腹の傷が、熱を持ったかのようにうずく。

 鎧の下に着込んだ服に、傷から流れ出た血が染み込み、肌に張り付く。
 その不快感と痛みが、イツキの恐怖を駆り立てる。

 ……吐きそうだ。

 耳の側の血管が、ドクドクと音を立て、その恐怖心を更に駆り立てようと、暴れまくる。

 じりじりと、後ろに下がる。

 それをゆっくりと、追いつめるかのように詰め寄ってくる、ガムダス。その顔には、あの嫌らしい笑いが張り付いている。
 一方的な暴力に酔う、あの表情だ。

 ”怖い” 頭の中を、その言葉だけが響きわたる。

 どうすれば、ここから逃げられるか。
 そんな方向に、思考は移っていく。

 その目が、落ち着き無く、自分を助けてくれる何かを求め、周囲をさまよう。

 審判。周囲の野次馬達。サラや、ケン。
 そして……、

 そんなイツキの目に、”それ”が写った。


 ……闘技場沿いの道に、一台の馬車が止まっていた。

 貴族達が移動に使うような、箱形の、中の様子が外からは見えないようになっている型の、馬車である。
 しかしその馬車には、なんの紋章も、飾りも付いていない、素っ気ないものだった。

 その馬車の窓に掛けられたカーテンの隙間から、覗く目がある。

 イツキは、自分の目が、その窓からの視線と、合ったような気がした。

”……彼女、だ”

 何故だかは分からないが、そう感じた。

 この距離で、あのカーテンの陰の暗がりにいる人間を、識別できるはずがなかった。
 それに、こんなところに、彼女がいるわけはなかった。ましては、自分の闘いを見ているなどということは。

 だが、イツキは感じたのだ。自分の目が、彼女の碧い瞳とぶつかるのを。

 ずっと、あこがれていた存在。

 自分はその想いに向け、今までやって来たはずだ。

 毎日の辛い労働も、剣の修行も、それら全てを。

 それを……、それを、こんなところで!!

 イツキの目に、光が宿った。


 その変化は、ガムダスにも分かった。

”何だ?”
 雰囲気が、変わった。

 ついさっきまで、ガムダスは勝利を確信していた。いや、今でも、もちろん勝つつもりでいる。
 だが、

”こいつ……”

 さっきまでとは、違う。
 目から、あの心地よい怯えが、無くなった。

 殺気、と言っていいだろうか。
 強力なプレッシャーを、感じる。

”そうか……”

 今のこいつの目、見覚えがあった。
 あの夜、こいつが自分に決闘を申し込んできた、あの時。

 あの時の、目だ。

 ガムダスは、戦斧を握り直す。
 ついさっきまで、心の中を占めていた、相手をいたぶり、屈服させるという行為に対する暗い愉悦が、急速に冷めていく。
 自然に、精神が、集中される。

 今、自分の目の前にいるのは、さっきまでの、一方的にいたぶれるような相手では、無い。
 全力でねじ伏せねばならない、敵である。

 敵が、間合いを詰めてくる。

 じりじり、じりじり、と……。

 さっきまでの戦いで、こいつが、やたらと間合いの読み方がうまい、ということは分かっている。

 だが、奴の武器は折れ、今では自分のリーチの方が、圧倒的に長い。
 多少の間合いの精度など、関係なく、自分の方が有利である。

 じりじりと、相手が間合いを詰めてくる。
 それとともに襲い来る、無言のプレッシャー。

 それに、気圧されては、ならない。

 あと、二歩分の距離が詰まれば、自分の攻撃の間合いである。

 じり、じり……、

 ……あと、一歩。

 プレッシャーが、強まる。

 しかし、ガムダスにも、自信はある。実際、騎士見習いの同僚の中でも、自分に勝てる奴など、ほんの二・三人だ。

”こんなところで、俺は気合い負けをすることなど、ない”

 そう、自らを鼓舞し、集中力を高める。

 ……あと、半歩。

 あと、もう少しで、奴は自分の戦斧の間合いに入る。

 ……あと……、

”!?”

 ガムダスは、戸惑う。

 間合いがふれあう、その瞬間、
 じりじりと間合いを詰めてきた敵が、突然、止まった。

 そして、そのまま、半歩、下がる。

”?”

 間合いが、離れた。

 相手に、なにが起きたのか。

 その動きに、集中する。

 フッと……、

 敵の目が、それでも十分な注意をこちらに払いつつ、ガムダスを逸れ、右側を向いた。

 そして、ガムダスも確認するその視線の先には……。


 ……なにも、無かった。


 突然、風を切る音が聞こえる。

”!!”

 顔に、何かが、襲いかかってきた。

 慌てて視線を相手の方に向け直し、ガムダスは戦斧の柄と、腕の装甲の厚い部分でもって、顔面部をガードする。

”カキン!”

 軽い、高い音をして、何かが、弾ける。

 敵の、折れたカタナの、柄だ。
 奴は、手に残ったそれを、自分めがけて投げてきたのだ。

 そう認識するより早く、相手が突進してきているのを感じ、本能的に、戦斧を振るう。

 その刃は、相手の体を、今度こそ確実に切り裂くはずであった。

 しかし……、

”!?”

 今までに体験したことの無いような浮遊感が、ガムダスを捕らえる。

 そして、背中に、衝撃。

”がっっ!!”

 激痛が走り、肺から空気が絞り出される。

 自分が仰向けに、倒れている。

 何故そうなったかは、分からない。
 だが、苦痛を紛らわしているヒマは、無い。
 すぐに起きあがり、相手に対応しなければ、ならない。

 そのとき初めて、ガムダスは自分の右手が、何か、自由が利かないのに、気がつく。
 慌てる間もなく、自分の顔と胸の上に、何かがのしかかってきた。

”奴の、脚?”

 それに気がつくのと、どちらが早かったろうか?

”ミチッ……、メキッッ……!!”

 理解できない音とともに右腕に起こる、激痛!

「ガっぁぁぁぁっっっ!!」

 叫び声が聞こえる。自分の、声だ。

 右腕が、右の肘が、理性を根こそぎ奪うほどの痛みを騒ぎ立てている。

 そして、

”ゴッッ!”

 頭部への衝撃とともに、ガムダスの世界は、暗転した……。



 審判が、イツキの勝利を、宣言する。

 わっと歓声を上げ、ケンやサラ、それにミラが、彼にかけ寄った。

 その友人たちに囲まれつつ、疲れ切ったように地面に腰を下ろす、イツキ。

 リディアはやや呆然としつつ、その光景を見やっていた。

”すごい……” あれが、マークス様の言っていた、格闘術……。

 まさに、流れるような動作だった。

 戦斧を振るう、ガムダス。
 その身体が、まるで回転するイツキに吸い込まれるかのように体勢を崩し、地面に背中から叩きつけられた。

 気がつくと、ガムダスの右腕はイツキの両腕に抱え込まれており、イツキはその抱えた腕を足で挟みこむようにし、全身の力を込めて、へし折った。

 この間、無駄な動きは、いっさい無かった。

 間合いを詰めるところから、相手の腕を破壊するまで。
 すべての動作が、一連の行動として、計算されたものであった。

”自分なら、勝てるか……?”

 リディアの心に、そんな疑問が湧く。

 自分の拳闘術で、イツキに勝てるか……?

「凄いな……!」

 リディアの隣で、つぶやく声。 ──マークスだ。

 振り向くと、彼はまるで、その興奮を押さえ込もうとしているような顔で、イツキの方を見ている。

「見たか? 今の!?」

「はい。凄かったです。

 あの、体術。
 マークス様が以前仰っていた意味が、よく分かりました」

 そう、今なら、理解できる……。

 ……と、マークスが自分の方を、何かを問いたげに見ているのに、リディアは気がついた。
 何だ? 分からない。

「何です?」

 正直に、問う。

「もしもな、」 マークスは言った。

「もしもな、リディア。
 君が見たのがそれだけだとしたら、君ではイツキ君には、絶対、勝てない」

 その物言いに、かっと頭に血を昇らせる、リディア。
 くっきりと凛々しい眉が、跳ね上がる。

「自分には、マークス様が仰る意味が、よく分かりません!
 いったい自分のなにが、それほどはっきりと、イツキさんより劣るというのですか!?」

「そうか……。なら聞くがね、リディア。
 君は、イツキ君がどうやって不利な間合いを克服したか、理解できたか?」

 マークスは逆に、問いかける。

「それは……、確かに、敵の眼前で脇の方を向いてみせるようなフェイントや、いくら折れたとはいえ、唯一の武器を手放して見せた度胸については、凄いとは思います。

 しかし、それだって一歩間違えれば危険なことにしかならないような、バクチめいた……!」

「違うよ」 そんなリディアを遮るように、マークスが言う。
「それじゃあ、全然足りない」

「……どういう、ことですか?」
 彼が言う意味が、理解できなかった。

「確かに、形だけを見れば、イツキ君の行動は、君の言った通りだ。
 ……だけど、彼はそれを行うのに、恐ろしいほどの伏線を敷いていたよ」

 マークスは、続ける。

「一つに、間合い。それに、二つ目として、相手のリズムの”崩し”だ。
 彼は、相手の攻撃の間合いと、自分の体術の間合いとを、完璧に理解していた。
 相手の間合いのぎりぎりまで距離を詰めて、そこから、あえて半歩引くことで、相手の攻撃のきっかけを壊した。ついでに言えば、半歩下がったときの間合い。これについても、彼はその後の突進の為に、きっちり考えていたと思うよ。
 ガムダス君の頭の中では、自分の攻撃のタイミングがすかされたせいで、必死に作ってきた平静さに、波が立てられてしまったろう。

 三つに、殺気のコントロール。
 間合いを詰めていくとき、イツキ君は殺気を、強力なプレッシャーとして、相手に浴びせかけていた。
 そうやって相手の精神を緊張させた後に、あの、半歩下がって見せたとき、それを、解いてみせる。
 当然のこと、プレッシャーを解かれた相手の緊張は、これによって一瞬混乱し、そこにも空白が作られた。

 彼が横を向いたのは、その、相手の頭の中にできた空白につけ込んでのことだ。」

「…………」 リディアは息を飲み、耳を傾ける。

「そして、その後は、だいたい君の言った通りだ。
 ただし付け加えるなら、カタナを相手に投げつけ、その隙に間合いを詰めたとき。その時のイツキ君は、やはり、自分の殺気をコントロールし、相手に漏れないようにしていたよ。
 それで、ガムダス君の対応は、ここでも一瞬、遅れた」

「そんな……」

「なるほどな……!」

 もう今のマークスには、さっきまでの、自身の興奮を押さえ込もうとしている感じは、全く見られなかった。
 彼は、その興奮をむき出しに、語った。

「なるほど、あれが、トニー・ブロスナンの、愛弟子か……!!」

 リディアは、そんなマークスを、まるで何かに気がついたように、眺める。
 そしてしばらくは何かを迷うようなそぶりをし、そして、結局、その問いを発した。

「マークス様?」

「ん?」 マークスが、問い返す。

 そんな彼をやや不安そうに見つめつつ、リディアは、訊ねた。

「もしかしてマークス様は、彼を、私たちの仲間に誘うつもりですか?」

 マークスは、一瞬、虚をつかれたような顔で、リディアを見る。
 だがその後に、彼は、はっきりと頷き、答えた。

「ああ、そのつもりだ
 俺は、彼に、仲間になってほしいと思っているよ」



 イツキは、地面にへたりこみ、全身を心地よい脱力感にゆだねていた。

 側には、友人たちが集まってくれている。

 なにも言わず、しかし、何故か自分を誉めてくれているような、そんな眼差しで自分を見つめてくれている、サラ。

 ケンはその分厚い手で、やや乱暴にイツキの肩を叩きながら、自分の勝利を祝ってくれている。

 そして、やたら興奮しながら、まるで自分が勝ったかのように喜んで騒いでいる、ミラ。

 ……ふと顔を上げてみれば、あちらの方で、マークスとリディアが、何か話をしている。

”なんだかなぁ……”

 考えてみれば、リディアは今回の決闘の、ヒロインではないか。
 その彼女が、自分のために勝利をつかみ取ったイツキを放って、他の男と話しているというのは、なにか間違っているだろうに。

 ……そんな、馬鹿なことを考えている自分が可笑しくて、イツキは思わず笑ってしまった。

 でも、まあ、いい。

 さっきまで、あの馬車が止まっていた方を、見る。

 馬車は、決着が付くのを見届けると、どこかへ去っていってしまっていた。

 その馬車に乗っていたのが、実際に誰だったのか、今では確認する術も無い。

 だが、それでもよかった。

”そう、今は、それでもいいさ”

 心地よく見上げる青い空は、どこまでも透き通り、視野いっぱいに輝きながら広がっていた。



第四話 中編へ   御伽の間へ




 これにて「王都青嵐伝〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜」は終了となります。
 イツキも、ただの「喧嘩に強い少年」から、「武術家」としての第一歩を踏み出すこととなったと考えます。
 これで作者としても彼を、「実戦」に投入する準備ができたことになります。
 では、第二章以降の、イツキの新しい戦いに、ご期待下さい。     藤井 貴文

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