王都青嵐伝
〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜
第三話



 彼がまだ七歳か八歳のときのことだ。

 彼は、王都の東南にある森で遊ぶのが好きだった。

 好奇心にあふれる少年にとって、森は多くの宝物を秘めた、自分だけのお気に入りの世界だった。

 色とりどりの鳥達、森の奥の泉に跳ねる魚の腹の輝き、まるで他の世界の存在のように感じる不思議な形のキノコ、木のうろに貯め込まれた様々な木の実、枝々を走り回る小さな生き物達。

 毎日毎日、少年は祖父の元での武術の修行を抜け出し、その輝く世界の中へと駆け込んでいった。

 そんなある日、彼はその少女に出会った……。



「それじゃあ、お先あがりまーすっ!」

「おーっう、おつかれー!」「じゃあ、またなー!」

 昼過ぎ、桟橋での仕事を終えたイツキは、上役や同僚に声をかけ、建物の中へと戻った。

 フロリード河は、街の西側を流れる大きな河であり、その河川岸にある町や村においては、重要な交通路でもある。
 大小・用途の様々な、多くの船やいかだが、この河を上り下りしている。
 ここ王都はその河を海から少しさかのぼったところに位置し、その交通・交易の要所としての機能を持つ。
 その桟橋では早朝から夕まで、場合によっては夜を通し、多様な人々や物が問わず行き来しでおり、毎日大変な賑わいを見せる。

 イツキが働いているのは、そんな場所である。船をロープで桟橋に固定したり、船からの荷物の上げ降ろし、乗客の誘導など、主に雑用をこなしている。
 その仕事内容は、力仕事が主である。
 また彼の勤務時間は、基本的には早朝から昼過ぎまでであったが、忙しいときには一日中働かされることもしばしばであり、はっきり言ってつらい仕事だった。が、イツキの雇い主はしっかりした経営者であり、仕事が大変な分だけ確かに給料もよく、働きがいはあった。
 それにイツキは力仕事も鍛錬のうち、と割り切っており、また同僚の連中も気のいい奴等がそろっているため、居心地も悪くない。

 とはいえ、一日のの仕事が終わる頃にはイツキもぐったりしており、剣術道場に向かう前に道すがら、途中にある「闘技場」を覗いていくか、あるいはどこかゆったりと出来るところでしばらくボーっとするのがイツキの日課だった。

「闘技場」とは、いわば公認のケンカ場であり、ここでの争いはおとがめ無し、という決まりになっている。ケンカや道場同士での諍いの絶えないこの王都において、一種の必要悪として許された存在である。
 たいていはくだらないケンカだが、たまには見るべき勝負も見物できる。

 が、その日の仕事がややハードだったせいもあり、彼は道沿いにある小さな公園でゆったりしていくことに決めた。
 居心地の良さそうな木陰に入り、草の上にごろんと横になる。
 今日はあまり蒸し暑くなく、風も吹いているため、日陰に入りさえすれば高い気温もそれほど気にならなかった。

 イツキは目を閉じ、耳に入ってくる子供達の笑い声を聞き流しつつ、ぼんやりと先日の出来事について思いを巡らせた。


 路地裏での闘いから3日ほど経ったが、金髪の男からは何の音沙汰もなかった。

 ”まあ、そんなモノかな”とイツキは考えていた。あのときの少女。彼女が本当に自分が思った通りの人間かどうか自信がなかったし、もしそうだったとしたら、よけいに現実離れしているようにも思える。

”でも、見間違いとは思えない。”

 何度も、ある種の憧れを持って見上げた顔であった。もっとも、いつも遠くからしか見たことがなかったが。
 それでも、彼には自分が彼女を見分けられないことなど、考えられなかった。

”とはいえ彼女が、あんなところで、あんな連中と関わり合いになることなんて、想像も付かないし……。”

 そう思うと、やはり現実感が薄れる。
 あのとき腕に負った傷は浅手ではあったが、まだ動かすと僅かに痛み、それが現実に起こったことだと証明していた。
 しかしそれさえも、徐々に傷が治り、痛みが気にならなくなるにつれ、漠然とした物になってくる。

 そんな曖昧な存在に含まれるあの黒服の男が、自分の前に顔を現さないからといって、それは割と納得のいきやすいことと、イツキには感じられたのだ。


 しかしこの日、イツキのカンははずれた。



 道場に着いた彼は、そこに常備している道着に着替えた。やはり道場に置いてある、刃引きされた(刃の部分を丸めてある)カタナと木刀を持ち、修練場へと出る。

 そこには稽古に励む数人の見知った道場生とサラ・ブロスナン、そしてあの短く刈り込んだ金髪の男、それにこちらは見覚えの無い、小柄な娘がいた。

 男は、サラと何かを話し込んでいた。
 そんな親しげな二人を見たイツキは、なぜだか面白くない気分になった。(とはいえ、サラの方はいつも通りの、面白いのか面白くないのかよく分からないような、無表情な顔つきであったが。

 その表情に乏しい顔のせいで気づく者は少ないが、サラは以外と、特に男に対しては人見知りの強い方である。
 そのサラが、あんなふうに普通に相手と話しをしたりするのは、元々あの二人は知り合いであったということだろう。だとしたら、それをこの前イツキにそれを言わなかったのは、やっぱり気に入らない。

 イツキは、自分でも気づかぬうちに眉間にしわを寄せつつ、彼らの方へと歩み寄った。

 先にイツキに気が付いたのは、男の方だった。男はこの前と同じく黒ずくめの服装で、ただし今日は帯剣してはいないようだった。
 彼はイツキの方に笑顔を向けると、手を振ってきた。

 それに答え、イツキは彼らの方に歩いていった

「やあ、この前は世話になったね。今日は約束通り、お礼にを言いにきたんだ。」
 男が話しかけてくる。

「本当にありがとう、助かったよ。あのとき君が助けてくれた女性は、私にとって、とても大切な人だったんだ。」

”大切な人……”それを聞いたイツキの胸の中に、もやもやしたものが広がる。それを押さえ込みつつ
「……あの、」
 イツキが答えようとしたとき、一人の道場生が近づいてきて、言った。

「失礼ですが、マークス様。
 道場主が、せっかくですのでお話がしたい。よろしければ客間にいらしていただきたい、とのことです。」

 それを聞いた男は何かを考えている様子だったが、
「分かりました。
 トニー殿に、すぐ行く、と伝えて下さい」
と答え、さらに、イツキの方に顔を近づけ、言った。

「練習が終わったら、話しが出来るかな?
 ここでは話しづらいこともあるし。」

「そうですね、分かりました。」
 イツキは短く答える。

 それにうなずき、男は少女と共に建物の中へと入っていった。

「姉さん。あのひと、誰だい?」
 イツキはサラに尋ねた。二人が知り合いだとすれば、このあと男と話しをする前に、サラに訊いておきたい。

 だがその質問にサラは、
「お前の客だろう。」との一言で答えた。

”えっと……”困って固まってしまったイツキの様子を見て、自分の返事があまりに説明不足だったのに気が付いたのだろうか、サラが考えこみつつ、言った。

「マークス様。以前、お前がこの道場に来る前に、二年ほどの間、この道場で修行していたことがある。
 おまえの兄弟子と言っていいだろう。」

「へえ、それで、どんな人なの?」

 サラは、少し困ったような顔をしたあと、やや真剣な顔で、イツキに質問した。

「彼と、なにがあった?」
 睨むように、彼を見る。彼女がこんな顔をすると、美人なだけに妙な迫力があった。

 イツキはやや後ろに引きつつ、その問いに答える。
「いや、この前ちょっと知り合ったんだ。
 むこうが急いでたらしくて、ほとんど話しもしなかったんだけれども。」

「そうか……。」疑わしげに相手を見つつサラは、
「その腕の傷は?」と聞いてきた。

”やばい”、と思った。暗器使いにやられた傷である。

”昨日までは何も聞いては来なかったのに……”
 女のカン、とか言うヤツだろうか?

「えっとこれは、ちょっと職場で釘に引っかけたんだ。」

 サラの眼差しを見た限り、うまくごまかせたとは、あまり思えない。
 なんとなく上目遣いに、物言いたげに、イツキの顔を見ている。


 サラがこんな顔を自分に見せるようになったのは、いつ頃からだったろう。

 本来、あまり表情を表に出さない少女だった。それが徐々に、その顔に表れる僅かな表情の動きを、見て取れるようになった。

 それが、今はどうなのだろう。

 時折、彼女は自分にだけ、こんな表情を見せるようになった気がする。
 気がする、だけであって、ただ以前より、彼女の表情が読みとれるようになっただけかもしれないが……。


 そんなことを考えていた彼に、サラが言いづらそうにしながら、
「あまり、彼には関わらない方がいい」と言った。

「え?」

 イツキはその言葉の意味を彼女に聞こうとしたが、彼女は元の無表情に戻り、修練場で練習をしていた他の道場生達の方へ、歩み去ってしまった。

”なんなんだよ……”

 道場生に指導をはじめてしまったサラにそれ以上話しかけるわけにもいかず、イツキも仕方が無くウォーミングアップの為の素振りをはじめた。

”まあ、いいさ。このあと直接、あのマークスって人に聞けばいいことだし。”

 自分にそう言い聞かせ、彼はその日の訓練に集中することにした。



 ブロスナン道場の剣術は,東国より伝わったカタナを用いた武術である。
 カタナは、この地方に昔から存在する直刃の剣と比べ、小柄で軽く,重心のバランスがよくできている。そして小回りがきき,切れ味よい。
 とはいえ,それを使いこなすには、それなりの技術が必要とされる。

 さらにブロスナン道場の教えの特徴として,相手を”読む”ことを重要視することが挙げられる。

 道場主のトニー・ブロスナン曰く,
「相手のリズムを読み,間合いを読み,技を読み,殺気を読む。
 そうして,相手のそれらを潰すなり,コントロールするなり,外すなりしてやれば,相手の攻撃は全て無効化できる。
 逆に言えば相手に対し,自分のリズムを読ませず,間合いを読ませず,技を読ませず,殺気を読ませなければ,相手は自分の攻撃を防ぐことなど出来なくなる。」
 ……だ,そうである。

 もちろん,こんなことが本当に出来る人間がいるとしたら,それはトニー本人のみであろう。

 ただし”天才”と称されるサラは,明らかにこの”読み”と”避けようのない攻撃”を高いレベルで扱っている。またイツキにしても,これらの概念を学び,自分なりに工夫することによって,剣術だけでなくそれ以前に学んでいた体術についても,遙かに強くなれたように実感されたのであった。



 もう空も暗くなりはじめたころ,練習を終え、イツキは道場を出た。
 道場の向かいにはちょっとした空き地があり、そこにはいくつかの木材や杭が転がっている。そのひとつに、マークスが腰を掛けて、イツキのことを待っていた。先ほどの少女も、一緒である。

「じゃあ,いいかな? ちょっとどこか、別の場所に行こうか。
 その方が、お互い話しもしやすそうだし。」

 マークスがにこやかに話しかけてくる。

 イツキはほっとした。彼が本当に待ってくれているのか、心配だったからだ。
 彼に対しては,聞きたいことがたくさんある。
 あのときの少女のことについて,彼がどれほどのことを話してくれるのかは,あまり期待はできなかったけれども。

「はい,俺はかまいません。
 えっと,どこで話をしましょうか。」

 できれば,道場に近い場所は避けたかった。ここで,道場のみんなの見ている前では,聞けないことや話せないことが、たくさんある。
 もっとも、マーカスの方もそれが分かっているからこそ,イツキの帰り際をねらったのだとは思うのだが。

「そうだね。じゃあ,少し歩こうか。」

 マークスは,少年と少女が自分について来るのを確認し,歩き始めた。


 イツキは,彼の少し後ろを歩きながら,二人を観察した。

 マークス。
 顔つき,身のこなしは,何とはなしに上品なものを感じさせる。イツキの周りでこんな雰囲気を出す人間は,あまりいない。一歩間違えば鼻につきそうな言動が時々見られるが,それらが生粋のものだからだろうか,あまり気にならず受け入れられる。
 よく見れば体つきも,一見すらりとしているようで,要所々々に筋肉がついているのが服の上からでもわかる。きびきびとした動きをし,筋肉はしなやかそうで,力もそれなりにありそうだ。
 自分の兄弟子に当たるそうだが,勝負したとして自分が勝てるだろうか。

”多分,負けるかな?”そう思った。

 何となく,ではあるが,おそらく間違ってはいまい。

 少女の方はわりと小柄で,髪は赤毛で後ろで結わえ,短めに切っている。
 イツキよりも少し年下、十四,五歳といったところか。
 大きな瞳に,小さめの鼻。年齢的にも可愛らしさを感じる顔の作りだが,その中でいちばん印象を強く感じたのは,やや太めでくっきりとした眉毛である。
 女の子に対しこんなことを言ってほめ言葉になるのか分からないが,そのりりしい眉が彼女のまっすぐな意志の強さを表しているようで,好感が持てる。

 彼女も,戦いの訓練を受けた人間だ。
 体の動きだけでなく,その手を見れば分かる。
 女の子にしてはしっかりとしたその拳は,いくつもの傷で覆われている。その手の平をのぞきこめば,訓練により何度もすり切れ,そのたびに厚く丈夫になった,傷だらけの皮の凹凸が見て取れる。
 彼女の歳でそんなになるとは,よほど過酷な訓練に耐え,努力してきたのだろう。

 ふと,イツキと少女の目があった。
 少女の方でも,イツキのことを観察していたようだ。
 イツキが何となく気恥ずかしくなり,少女に笑いかけると,彼女は少し顔を赤らめ,慌てて前の方を向き,そのままやや早足で歩いた。

 イツキは何となく笑い出したくなったが,そんなことをすれば彼女が怒り出すかもしれないと思い,それをかみ殺しつつ,マークスの背中に視線を向け歩くことにした。



 マークスに案内されたのは,わりと落ち着いた雰囲気の酒場だった。

 顔なじみなのだろうか。彼は店の人間に軽く挨拶をすると,店の奥の方にある,テーブルに二人を連れていった。そこは一つ一つのテーブルが区切られたようになっていて,あまり周りに気を使わずに話しができる様になっていた。

 イツキはといえば,彼が普段行く酒場といえば,仲間と馬鹿騒ぎできるような居酒屋ばかりだったので,こうした静かに酒を飲むような店は彼にとってあまり馴染みのない場所であった。彼はほんの少しの居心地の悪さを感じつつ,席に着いた。

 三人が席に座り,店員が飲み物の注文を取り終わるのを待って,マークスが話し始めた。

「さて,と。これで落ち着いたね。」

 店の雰囲気に合わせた,やや小さめの声でイツキに話す。

「君にとっては,私にいろいろ聞きたいこともあろうと思うけど,まずはこの前できなかった自己紹介をしておくね。
 私は、マークスという。一応,この国の騎士ということになっている。
 こちらの彼女は,リディア・ドラール。騎士の,まだ見習いだが,将来きわめて有望な子だよ。」

”一応,ってなんだよ”心の中でイツキは思った。
”しかも「サラ」か……。呼び捨て、ね。”
”それにこの彼女、騎士見習いか。どおりで,鍛えられている。とはいえ,この年齢の女の子でこの鍛え方となると,将来有望と言われるだけの努力家なんだろうな。”

 マークスがつづける。

「この子には,この前の君の戦いの話しを少ししたんだが。そうしたら,どうしても君に会いたいと言ってね。連れてきたんだ。」

 その言葉に,少女がうなずく。赤い前髪がそれにあわせて,ピョコンと揺れた。

「この前の,ですか?」

「うん、まあ、ともかく、最初に改めて礼を言わせて欲しい。
 ありがとう,この前の彼女の分も含めて,感謝するよ。」

「その,彼女のことなんですが……」
 このことを聞かなくては,イツキにとってはここに来た意味がない。
 自分が焦って話を進めたがっているのは自覚していたが,言葉が止まらなかった。

 だが,その言葉の続きは,マークスによって封じられた。

「申し訳ないが,私には彼女のことを君に告げる権限はない。
 が,まあ,そんな聞き方をするところからして,大体の見当はついているようだね。
 ともかく重ねて言うが、失礼なことは分かっているけれども,彼女のことについてはなにも言えない。その理由は、おそらく君が考えている通りだと思う。
 私に言えるのは,きみはこの国において、多くの権限と責任を持つ人間を助けてくれた,ということだ。そして彼女と,彼女のことを大事に思っている人間は,決してそのことを忘れはしない。

 約束する。」


”やっぱりそうだったのか”イツキは思った。

 王都のセレモニーのたび、彼は必ず彼女の姿を見るために、王宮へと足を運んだ。

 そして、そこで見上げるバルコニー。国民に手を振る、国王と女王。そしてその隣に並ぶ三人の王女。
 そこには常に「彼女」の笑顔があった……。

 同時に,彼の中に多くの思いが交差する。

 信じられないような出会いが現実のものだったことが確認され,驚いている自分。このことは後に自分にとってチャンスになるだろうという利己的な思いを巡らす自分。そして最も強かったのは,
”これで,彼女にあのときのお詫びが,ほんの少しでもできたかもしれない”という安堵の気持ちにも似た喜びだった。


「あの,ところでちょっとお聞きしたいんですけど。」
 気が楽になったイツキは,少し気になっていたことがあったので聞いてみた。
「この前のとき,マークス様は、いつからあそこにいたんですか?」

 どこから,見られていたのか,そうだとしたら、なぜ最後まで手を出さなかったのか。それが聞きたかった。

「この前,私があの場所にたどり着いたとき,ちょうど男が君に殴りかかるところだった。
 その後はもう、君の独壇場だったからね。私には手を出す暇もなかったよ。
 それで,よければ聞かせてもらいたいんだが,あのとき,君が見せた技。できればあの技の話しを聞かせて欲しい。
 さっき,ブロスナン師からも少し伺ったんだが,君の御祖父から伝えられた,とのことだが。」

「ええ,そうです。」

 マークスの,本当に助けにはいる間も無かったとの答えに少しほっとしながら,イツキは答えた。

「三歳くらいのときだったかな,俺の両親が死んで、父方の祖父に引き取られたんです。
 それで、実際に修行をはじめたのが、六歳ぐらいのときでしたか。それから、祖父が死ぬまでの十二年間ぐらい練習しました。
 もっとも,今はそちらの修行はあまりしていなくて,ブロスナン道場で教わる技ばかりやってますが。」

「そうか……。」

 マークスは少しの間考え込むような表情をしたあと,言葉を選ぶように言った。

「あの,相手を投げ飛ばした技。あれは,なんと言ったらいいかな,かなり特殊な技のようだね。
 私にとっては,初めて見るコンゼプトの上に成り立っている技に見えた。」

「祖父は,東の,大陸の東端から,さらに海を越えた島国の出身だと聞いています。
 あの技も,そこで作られたそうです。」

 イツキは祖父に聞いたことを思い出しつつ,そのまま話した。

「確かに,特殊だとは思いますよ。
 素手で、相手を倒す技。特に実戦の場で使うために作られ,練られた技なんてかなり珍しいでしょう。」

 あちこちで殺し合いが行われ,自分とていつそれに巻き込まれるか分からない。
 そんなとき,ゆっくりと素手での戦い方など研究している暇など無い。素手より凶器を持った方が強いに決まっている。とりあえず手っ取り早く強力な武器を持ち,それを使う術を研究することが、生き残る為のの急務となるのだ。

 ここバームングにおいても,それは同様である。
 武術道場が多く存在するといっても,そのほとんど全てが、何らかの武器を扱う術を教える場所である。

 例外として,
「この町でもレスリングや拳闘の道場は有りますが,これも前者は甲冑を着た実戦での組み打ちが主ですし,拳闘の方はあくまで競技としての色あいが強いですしね。」

 そうイツキが言ったとき,それまで黙って口をきかなかった少女が,突然”ドンッ!”
とテーブルを叩き,立ち上がった。

「今の言葉は,聞き捨てなりません。」

 その声は,イツキが彼女の外観から想像していたものより低めで,落ち着いた声だった。

「今の,”拳闘は競技でしかない”という言葉,取り消して下さい。
 拳闘は、競技などではありません。れっきとした闘技です。」

 彼女はそう言うと,座ったままのイツキを正面から睨みおろした。
 そのくっきりとした眉がつり上がり,大きな瞳がイツキを見据える。

 急な事態に呆然とするイツキ。周囲の客の目が,自分たちに注がれているのがわかった。

「リディア,座るんだ。」
 そんな緊張を破り,マークスが声をかけた。
 黙って再び腰を下ろすリディア。だがその瞳は依然,イツキを睨み付けたままだ。

「イツキ,今の発現は,君が迂闊だったと思うよ。彼女の名前,ドラールと聞いて,心当たりは無いかい?」

 イツキはそのマークスの問いかけに”はっ”とした。

「ドラールって,もしかしてあの”拳狼”ドラール?」

”拳狼”ドラール,あるいは”双拳の”ドラール。
 王国の歴史上最強の拳闘士。
 鋼の武器のみが力と成り得るこの大陸で唯一人,己の拳の力ひとつで王国の近衛兵の地位にまで辿り着いた男,バッシュ・ドラール。
 現国王の最も信頼する部下の一人であり,公式の場では常に王の近くにて、その護衛をつとめている。

「彼女が君に興味を持ったのは,そういうことさ。
 私が話した君の格闘術。それをどうしても,自分の目で見たいんだそうだ。」

 なるほど,彼女があの”拳狼”の家系のものならば,拳の傷跡についても納得できる。それに、拳闘以外の素手による実戦格闘術が在ると聞けば,当然のごとく好奇心持つだろう。

 さらに言えば,拳闘が実戦に使えないような物言いをされれば,頭にくるのも当然だ。

「とはいえ,今日の所はこれで失礼するよ。
 君にお礼を言いに来たはずが,このままじゃ彼女と君との喧嘩になりかねないからね。」

 マークスが席を立つ。
 それにあわせて,慌ててリディアも席を立った。

 イツキは彼女になにか声をかけようとしたが,彼女のイツキを見る厳しい目からして,今はなにを言っても通じそうになかった。

「これを……」といってマークスがなにやら住所のようなものを書いた紙をくれた。
 自分になにか用事があるときには,ここに連絡をくれ,ということらしい。

「そのうち,また会おう。
 今度はもう少し、くだけた場所がいいね。」

 最後に彼が、そんな風に言った。



「どうして、やらせてくれなかったんですか!?」

 帰りの道すがら、リディアがマークスに文句を言った。

「マークス様だって、彼の技がまた見たかったんでしょう?
 だったら……。」

「あのね、」
 困ったようにマークスが言う。

「何度も言うけれども、今日の一番の目的は、彼にお礼を言うことだったの。
 それじゃあ、意味がないだろうに。」

 ふてくされるように黙り込む、リディア。
 どうやら、あまり納得している様子ではない。

 そんな彼女に対して、マークスが声をかけた。

「大丈夫。また機会はあるさ。
 なんとなくだけど、そんな気がするよ。」

 そんな彼に対して、リディアは何か気づいたような、どことなく不安そうな顔で、マークスの顔を見た。

「あの、マークス様。もしかして……」

「ん?」

 しかし、リディアはそれ以上は続けることなく、マークスと目を合わせないようにしながら、夜の道を歩いたのだった。


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 と、いうわけで第三話でした。
 今回、格闘シーンが無く、少々書いてて寂しかったです。
 次回以降は、話しのテンションも上がっていく予定ですので、できればお楽しみに。
 では。

   藤井 貴文(ふじい たかふみ)

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