王都青嵐伝
〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜
第二話



 バームンクの飲食街・歓楽街は、その西地区にもっとも集中している。
 そこは夜、この国一番のやかましい喧噪に包まれる。

 歓声や、がなり立てるような歌声、女達の嬌声、ガチャガチャと食器やジョッキのふれあう音、怒鳴り合いやそれを囃し立てる声。
 店の明かりとそんな活気に満ちた騒音、食欲をくすぐる料理や酒の匂いが、通り中へとあふれ出し、そこを顔を酒で赤くした大勢の人々が、広い道いっぱいになって行き交っている。


 行きつけの食堂に着くと、ケンはすでにテーブルに着き、酒のジョッキを傾けていた。
 その巨体は、どこにいても目立ってすぐ分かる。高い身長、全身に盛り上がった筋肉。周りの人間と比べ、縦・横共に確実に二回りは大きい。

「ゴメン、遅くなった。」
 イツキは声をかけつつ、ケンの向かいの席に座った。

「まだそんなに待ってないさ。
 でも、まあ酒だけ先にはじめさせてもらったよ。」
 そう言ってケンは彼に笑いかける。その笑顔は穏和であり、周りの人間をほっとさせる雰囲気がある。

 ケン・ガーシス、イツキと彼が友人になってから、もう六年は経つだろう。
 彼の家は斧術の道場を営んでおり、彼はそこの家の一人息子で跡取りでもある。
 その彼を一言で表すならば”気は優しくて、力持ち”、となる。
 周囲を圧する巨体とそれにふさわしい怪力の持ち主だが、その性格は優しく、穏和で、正直なところ頭の回転はやや鈍いが、なにより正義感に篤い。はじめて彼に合う人間は、まずその巨岩のような体つきの持つ迫力にぎょっとするが、少し話しをするうちにその穏やかな人柄に惹かれるようになるのがいつもだった。

 イツキとケンが出会ったのは、二人が十歳だったころの話しだ。
 当時のイツキはあまり友人がおらず、周囲の同世代の子供達からは仲間外れにされていた。
 田舎育ちで、両親が共におらず、数年前より祖父と二人暮らしという環境は、周囲の子供達から見れば、彼を奇異の視線で眺めさせるのに十分なモノだった。もっとも、イツキは祖父より格闘術の訓練を受けていたのでケンカには強く、いじめの対象とはならなかったが……。

 そんなある日、イツキはいつも彼をからかっていた男の子を、ケンカでボコボコにしてしまった。その子が、イツキとサラのことについてからかってきたからである。
 このころの子供達は異性に対する興味を持ち始める頃で、イツキにとってはその思慕の対象が、彼にとって身近で、当時から美しい少女であった姉ような人物に向けられていた。そのことをたまたま、もろに核心を突いてからかわれたため、彼はその恥ずかしさを隠すように激しく怒り、殴りかかった。

 問題はその後である。その子には数歳年上の兄がおり、その彼は周囲の悪ガキどものボス的存在だった。
 三人掛かりでやって来た年上の少年らに、ケンカには自信のあったイツキもさすがに勝てなかった。
 うずくまったところを、周りからこずき回されるイツキ。それを救ってくれたのがケンだった。
 当時から大きな体格をしたケンと、格闘術をたたき込まれていたイツキは、年上三人と彼らを連れてきた少年を返り討ちにした。

 後にイツキはケンに対して、なぜあのとき自分を助けてくれたのか聞いたことがある。それまでイツキは、彼と話しをしたことも無かったのに。
 そのときのケン曰く、
「おまえがケンカが強いヤツと言うことは、前から知っていた。
 でも、おまえが誰かをいじめたり、くだらない悪さをしたりという話しは聞いたことがなかった。
 いつも一人で立って、周りの奴らとにらみ合っていて。
 俺はおまえのことを、カッコイイヤツだと思っていたんだ。」

……以来、二人は親友となった。



 注文をするために手を挙げると、
「はーい、すぐ行きまーす。」と言う返事が返ってき、ふわふわとした栗毛を後ろでまとめた女の子がやって来た。

「あら、イツキ、やっと来たのね。
 ケンがもう、おなか空かして待ちくたびれてたわよ。」

 「おいおい」と横から声を挟むケンに笑って答え、彼女はイツキの方に「で、何にするの?」と訪ねてきた。

 彼女の名前はミラ。ケンとイツキとは以前からの友人で、今はケンの恋人である。
 二人が並ぶと、野獣と少女といった感じである。身長は頭一つより軽く差があるし、横幅に関しても同様。もし小柄なミラがケンの後ろに立ったら、完全に隠れてしまい、誰も気づきはしないだろう。
 じっさい、端から二人を見ていると、お似合いでうらやましいと言うよりは、ほほえましい気分になってくる。

 聞いた話だと、ケンの方から告白したらしい。この朴訥とした友人がどんな言葉で告白したのかは聞かせてもらえたことはないが、ミラ曰く「真っ直ぐで優しい言葉だった」とのことである。

 ミラに食べ物の注文をした後、二人は身の回りのあれこれを話し合った。
 この前見たすごい試合や、今度どこでどんなイベントがあるか、同世代の誰とかが結婚したとか、ケンがもうすぐ道場で師範になりそうだ、とか。

「凄いじゃないか、その年で師範だなんて。」イツキがそれを聞いて、まるで自分のことのように喜ぶ。

「とはいってもなあ、自分の家の道場だぞ。そんなに自慢にならんだろう。」

「そんなことはないさ。第一、ケン、おまえの道場でおまえに勝てるヤツなんて何人いるんだ?」

「まあ、それはそうなんだけどさ。」
 ケンがちょっと酔った目で、イツキを見た。
「おまえの方はどうなんだ?」

「俺?」

「そう、おまえだって以前から内弟子になるように勧められているんだろう。もっとも、それはおまえにとっては、ありがたいだけの話しじゃないんだろうが。」

 ケンには、イツキの騎士になりたいという望みを、何度も話したことがある。
 そして彼はいつも、がんばれ、と言ってくれた。
 が、今回に限り、ケンはイツキの中にいつもとは違う陰りを見たような気がした。

「どうした? 迷い事か?」

「え? ああ、うん。まあ、ね。」
 イツキの中を、今日のサラとの会話が思い出され、多くの迷いが通り過ぎる。
 実際、サラの誘いはイツキにとって、本当に魅力的なものなのだ。

 道場の人々は、道場主の家族も、また彼と同じ道場生達も、皆彼によくしてくれる。
 早くに両親を失い、ものごごろついてから唯一の肉親であった祖父を失った彼にとって、道場の人たちこそが家族のように感じていた。

 これからケンと分かれて向かう、彼の部屋。
 誰一人として迎えてくれる人もいない、ただ、一人寝て起き、冷たい食事をとり、服を着替え、ただそれだけをする為の、なにもない空間。

 ブロスナン家に行けば、イツキは失ってしまった家族というものを、再び身近に手に入れられることは分かっている。
 道場主である、イツキの祖父の親友でもあったトニー爺さん、その娘のアイダ、彼女と結婚し婿入りした、現在は道場の最高師範であるジャック、二人の娘でイツキにとっては実の姉同然であるサラ。
 彼らはイツキのこと、本当の家族として迎え入れたいと言ってくれているのだ。
 そうすればもう一度、あの家族という暖かい空間を手に入れることが出来る。
 それは今の彼にとって、あこがれの対象でもあった。

 しかし、それはできなかった。
 彼にとってのまず第一の夢は、王国の騎士になることである。

 騎士はまず、王国に対してその忠誠を捧げなくてはならない。
 それに対し道場の師範ともなれば、まず自分の所属する道場のことも考え無くてはならない立場になる。
 だから道場の師範以上の人間は、教官として王国に使えることはあっても、騎士に取り立てられることはまずない。

 だから……
   しかし……


「イツキ?」

 思わずはっとする。ケンがこちらを心配そうに眺めているのに気づき、恥ずかしくなり慌てて笑顔を取り繕う。
「悪い、なんでもないよ。」

「そうか。」
 ケンもそれ以上は深くは突っ込まないで、そのまま別の話題をふってくれた。
 こんなとき、イツキはいつも、”ああ、こいつはいいヤツなんだよな”と感謝にも似た思いを感じるのである。


 途中からはミラも加わり、しばらく三人で談笑した後、イツキは席を立った。明日もまた、桟橋で荷物の上げ下げの仕事がある。そもそもイツキは酒があまり強くないので、一晩中つきあうなどというまねは出来ないのだが。

 ケンとミラとが一緒に店から出て来て、イツキはそこで二人と分かれた。

「なあ。」
 最後になって、ケンが声をかけてきた。
 やけに真剣な顔でイツキの方を見る。それにイツキがとまどっていると、彼は話し出した。

「俺にとって、おまえの爺さんとの最後の思い出なんだがな。
 以前、俺が凄く迷っていたとき、爺さんが言ってくれた言葉があるんだ。

”自分の進む道に迷いがあったなら、そのときは自分の魂に問いかけろ。
 感情は自分に対して、ウソをつく。理性だって同じで、よくウソをつく。
 だが、魂は決して、自分自身にウソはつかない。
 だから、迷ったときには自分の魂に問いかけ、その道を信じて進め”

 ……ってな。」

「魂……、ね。」

 ケンの瞳が、真っ正面からイツキの目をとらえていた。こんな、普通の人間には言えないような臭い台詞を言うときでさえ、穏やかで、深く、それでいて揺るがない強さを持つ瞳。

”ああ、そうだな”イツキは思う。
”やっぱりこいつは、バカで、真っ直ぐで……それでいて強い心を持ったヤツなんだ。”

 心が、晴れるような気がした。そう、自分の一番の望みは、もうとっくに決まっていたのに・・・。

「ありがとな。」
 自然に、感謝の言葉が出た。
 こいつと友人であることを、素直にうれしいと思う。

 気が付くと、端にいたミラまでが、うれしそうな顔で二人を見ていた。

 イツキは気恥ずかしくなり、誤魔化すようにケンに言った。
「でもさ、その言葉を聞いたときなんだけど。爺さんがそんなアドバイスを言うような、どんな悩みをおまえはもってたんだ?」

 とたんに、ケンの顔が”ボッ!”と赤くなる。
 なにやらミラの方をちらちらと見ている。それを受けて、ミラの方もなにやら落ち着きがない。

”ああ、そっか。そういや二人が付き合いだしたのって、爺様が死ぬちょっと前からだったっけ。”

 思わずこみ上げてくるにやにや笑いを二人に見せないよう、イツキは別れの挨拶を告げると、そのまま歩き出した。



 ずっと前、子供の頃からの夢である。
 ずっと前、あのときの自分は、ま七歳か八歳だったのではないか。
 あのときの思い出。その思い出が今でもずっと、自分の中の、何か大切な位置にとどまり続けている。

 だから自分は、騎士になりたい。

 それが彼の夢なのだ。


 ……今夜は、気分良く眠れそうな気がした。



 "−−−−!!"

 ぼんやりと道を歩いていた彼は、ふと、何かを聞いたような気がして立ち止まった。
 気が付くと、いつの間にか彼は、飲食店街のはずれまで辿り着いていた。

"−−!!"

 気のせいではない。すぐそこの、路地の奥の方から、なにか複数の人間がもみ合っている気配を感じる。そしてそれは,明らかに友好的はそれではなかった。

 そっと、イツキは路地の方へと向かう。
 足音を忍ばせ、呼吸を押さえ、気配を無くし、奥へと進む。

 そこには表通りの明かりも届かずに薄暗い闇が漂い、喧噪さえもそこに入り込むのを遠慮するかのようにくぐもってしか聞こえてこない。
 表からは隠された街の排泄物が放置され、何か、すえたような匂いが漂っている。

 そんな路地裏に、三人の人影があった。

 二人の男が下卑た笑い声を上げつつ、一人の女性を建物の壁へと押さえ込もうとしている。
 女性は必死で抵抗するが、相手が男二人掛かりでは、とうてい手も足も出ない。

 男たちは、まだ若く,一目でその辺のチンピラと分かるような格好だ。

 女性の方はよく分からない。夜になりいくらか涼しくなっているとはいえ、この暑い季節に、頭から焦げ茶色のローブのような物を被っている。ただ、そのローブの間から見える服装は、夜目にも明らかに上等な物と見て取れる。

 どこかいいところの御子女がお忍びで遊びに来て、のこのこと危ない場所に入り込んでしまった、というところだろうか。

 そんふうに見て取ったイツキの頭の中では、男たちと自分との戦力分析が反射的に行われる。

 二人からは野蛮な暴力性は感じられるが、本当の意味での,研ぎ澄まされたような危険な匂いは感じられない。年齢はともに二〇歳かそこらか。
 またざっと見たところ、武器は持っていない(もっともナイフぐらいは潜ませている可能性は、十分にあるが)。
 一人は中肉中背。だがもう一人は、イツキよりも頭半分近く身長が高いだろうか?こちらの男は全身の筋肉もそれなりに鍛えてあるらしく、やっかいそうだ。

 一方の自分は、やはり武器は持っていない、丸腰である。(それはそうだ。いくら剣術道場に通っているとはいえ、酒を飲みに出かける一般市民が帯刀しているような都市の治安とは、いったいどんなモノか。)
 酒の方は……、大丈夫。ほとんど残っていない。この程度なら問題ないだろう。

 足元の小石を拾い上げ、男たちの頭を越え反対側へと投げる。

"コトッ!"

 音に反応し、イツキとは反対方向に顔を向ける二人。その背後へと、彼は飛び出していった。

 まず狙うのは、やっかいそうな大柄な男。
 まだイツキに気づいていないその後ろから、股間を蹴り上げる。

「グガッ……!!」

 多人数との闘いにおいて重要な心得の一つに、"迅速かつ確実に相手をつぶす"、というのがある。どうせ相手は二人掛かりで女性を襲うような奴らだ。手加減はしない。

 意味不明のうめき声を上げ膝を折る男の首筋に、手刀をたたき込み気絶させる。

 残る一人は、想像以上に機敏な反応を見せた。
 イツキに反応して素早く飛びすさり、構えをとる。
 一目で、何らかの武術の心得があることが分かる。もしかしたら、先にこの男を始末すべきだったかもしれない。

 男の左の拳が、イツキの顔面へと襲いかかった。
 イツキは落ち着いて、その拳を左腕で払いのけようとする。

「!!」

 イツキの目に、何か鈍い金属の輝きが見えたような気がした。
 慌てて飛びすさる、……が、間に合わない。

「痛っっ!」

 左腕に鋭い痛みが走る。腕を見ると、二本の切り傷が並行して走り、そこから血がしたたり、肘の方へと伝わっていく。
 大丈夫、かすっただけだ。
 気づき、反応するのが早かったおかげで、最小限のダメージですんだと考えるべきだろう。

"クソッ! 暗器使いか!"

 イツキは自分の見立てが甘かったことに、今更ながら腹を立てた。

 男の顔に,下品なニタニタ笑いが現れる。

 暗器術。隠し武器を身体のどこかに忍ばせ、それを使い戦う武術だ。この技術を持つ相手と戦うのは、極めて危険である。
 どこに、どんな武器を、どれほど忍ばせているのか見当も付かない。また、それがどんな使われ方をするのかも。
 現に、この腕の傷がどんな武器で負わされた物か、いま相手がどこにこの武器を持っているのか、イツキには想像で判断するしかない。

"逃げるべきか?" ……迷う。
 腕の切り傷は熱を持ったように熱く、そこからにじみ出る血は皮膚に粘りを持ってからみつき、その感覚が、イツキの心の奥から恐怖感を引きずり出す。

 ちらりと女性の方を見る。
 恐怖のためであろうか。地面に座り込んでしまっている。隙をみて逃げでしてくれるような余裕は,全く見られない。

 やはり,逃げることはできない。

 イツキは考える。
 ここで相手の隙を誘い,自分一人この場から逃げ去ることは可能である。
 しかし,その後はどうなるか。
 男たちは自分たちを痛めつけたイツキに対する怒りを,そのまま女性に対して向けるだろう。それはあまりに危険だ。
 走り去る際に,誰かに助けを求めたとしても,間に合うかどうかは心許ない。どこかに連れ去られてしまえば,もうどうにもならない。

 ……イツキの目が,すわった。
 右足を半歩前に出し,膝を軽く曲げ,柔らかくする。
 両手を,手のひらを開く形で軽く前に出し,体の中心におく。
 ブロスナン道場のものではない。
彼の祖父からたたき込まれた構えだ。
両親を早くなくしたイツキを育ててくれた祖父。その祖父が病気で息を引き取るまで,イツキが十五歳になるまで教えてくれた武術。
 武器を用いた武術ではなく,素手で相手を征する目的で練られた格闘術,その構えである。

 そのイツキを見て,暗器使いの顔から,笑いが引きこもる。
 両膝を軽く曲げ,いつでも動ける体勢を作る。さっき暗器を隠し持っていた手のひらは、さりげなく,イツキの方からは確認できない位置にある。

 二人ともに,じりじりと相手との間合いを計る。

 こんなとき,戦いに集中しているときに,イツキはいつも不思議な感覚になる。

 痛みは,忘れ去られる。

それに対して,普段は感じることのできない雑音,肌に触る空気,周囲に漂う匂い,そういったものが感知できるようになる。
だがそれらは,何か,膜を一枚はさんでいるような,どことなく漠然とし,それでいてうっとうしいものとして知覚される。

最もはっきりと感じとれるのは自分の体のこと……呼吸の早さ,軽く開けた唇の動き,口内にネバ付く唾液、まばたき,皮膚の表面を流れる汗,まとわりつく衣服,足と履き物とのなじみ,全身の筋肉のうねり・・・。
 そうした自分の,戦いに使用される肉体の全てが、完全に自身の制御下に置かれていることを,これほどクリアに感じられるときは,他にはない。

 それらすべてを,相手にたたき込む。

 イツキの思考は,そこに収縮されていく。

……フッと,イツキが前にでた。

 わずか半歩,だがそこは,二人の間合いが触れ合う,まさにその距離。

その動きに,暗器使いが反応した。

武器を潜ませた左の突き……,をフェイントに突き出される,右の拳。

 だがイツキは慌てない。

 すでに先手は打った。

 イツキが動くことで、暗器使いは反射的に動いた。
 このことにより暗器使いは、イツキの準備した間合いとタイミングで攻撃を出させられてしまったのだ。
 つまり、この二点に置いてイツキは、敵の動きを自分のコントロール下に置くことに成功したのである。

 後ろ足を斜め後ろに、半歩引く。
 同時に上体を後方に逃がしつつ、暗器使いの膝めがけて正面から前足での蹴りを放つ。
 単純な動きでありながら、完全に決まれば簡単に膝の骨を踏み割ることのできる、極めて実践的かつ危険な攻撃。

”ミシッ……!”

 暗器使いの膝が音を立てる。
 間合いを広めにとっていたため関節が壊れることはないが、これにより男の動きが固まった。

 その隙を、イツキは見逃さない。
 右腕で、男の突き出された腕の手首をつかむ。その拳の中には彼の読み通り、いつ持ち替えられたのか、鋭利な金属片が握られていた。
 相手が反射的に、捕まれた腕を引き戻そうとする動きに合わせ、その肘の内側に自分の左の手を差し込みつつ、イツキはその取った腕を相手の肩口方向に織り込んだ。その腕を相手の肩から見てやや外側、本来関節が曲がることのない方向へとに大きくひねり上げつつ、同時に体を沈み込ませながら回転する。

”ミチミチッ!”
   ”ドスッ!!”

 右肘の組織が引きちぎられる音を立てつつ、暗器使いの体が宙を舞い、地面にたたきつけられた。

「がっっ!」

 男の肺から、多量の空気が吐き出される。
 だが、イツキは、まだ止まらない。

 未だ関節が決められたままの敵の腕を、更にひね上げることにより、男をうつぶせの体勢にさせる。
 投げつけられた衝撃とひねり上げられた腕の痛みで、暗器使いには何の抵抗も許されない。

 その後頭部に、イツキの手刀が振り下ろされた。

”ゴッ!!”

 鈍い音を立て、暗器使いは動かなくなった……。



 ……イツキは立ち上がり、男達が二人とも動けなくなったのを確認する。

 ふと目を向けると、先ほどの女性は壁際に座り込んだまま、呆然とその光景を見ていた。怯えて動けないでいるようだ。

”?”
 なぜだろう、フードの下にのぞくその顔に、イツキは見覚えを感た。その不思議な感覚に引き込まれるように、彼女の顔をのぞき込もうとする。

 碧い、この暗がりの中でさえ、その深く澄んだ美しさをたたえる瞳。
 その彼女の目が、彼の斜め後方に動く。
 同時に、人の気配。

 イツキは斜め方向に飛び去りつつ、気配の方に身構えた。

 月明かりの下、黒い服を着た男が立っていた。
 短めに刈り込まれた金髪に、精悍そうな顔をしている。
 年の頃は二〇代半ばといったところか。やや高めの身長に、服の上からも分かる引き締まった体つき。
 その顔つき、服装やその着こなし方など、全体的には、どこか品の良さそうな、それでいて隙を見せようとしない印象を受ける。
そして、腰には剣の柄。

 間合いを取るため、じりじりと動こうとしたイツキに、男が両手を挙げつつ、笑いかけてきた。

「たぶん、誤解だ。私は君の敵じゃない。
 私はその女性の知り合いだよ。」

 そう言った男は、女性の方に歩いていくと、手を差し伸べた。

 その手を取り、引き上げられるように立ち上がる女性の頭から、”フワッ”とフードがずれ落ちる。


 ……緩やかに波打ち、月明かりに輝く、黄金の髪を持つ少女。
 小振りな作りの、その美しい顔。
 それは間違いなく、人ごみの中から、遠目に何度も仰ぎ見たことのある、彼女の顔だった……。


「君、腕の傷は大丈夫かい?」

 唐突に男が話しかけてきた。
 男の手がフードを優しい手つきで戻し、彼女の顔を再び隠してしまう。

「はい。」イツキはぎこちなく答える。

 男は「そうか」と一つ頷くと、話し始めた。

「申し訳ないが、私は彼女を連れていかなければならない。
 できれば、君の名前を聞かせてもらえるかな?
 事情があって、こちらは君に対して名乗れないんだが。できれば後で何か、今回のお礼がしたいんだ。」

「……イツキ、です。イツキ・クサナギ。
 マール通り沿いにある、ブロスナン剣術道場の門下生です。」
 やはり、ぎこちなく名乗るイツキ。

 その答えに男は軽く眉をひそめた。一瞬、何かを考えるような顔つきになったっが、また先ほどと同じ笑顔の表情に戻り、言った。

「そうか、ブロスナン先生の教え子だったか。
 わかった。では後で、必ずお礼に行くから。」

 そう言うと、男はフードの少女を促した。
 少女の足取りはまだ何とはなしに危なげな感じであったが、男がそれを丁寧に支えつつ、二人は表通りの方へと歩み出ていった。

 イツキはその後ろ姿に、何か言葉をかけようとした。
 彼の頭の中には、たくさんの思いや疑問がごちゃごちゃになってうずまいていた。彼はそれを自分では整理しきれずに、何とか外に吐き出してしまいたい気持ちでいっぱいだった。

 しかし結局、イツキには自分がなにをどんな風に話したいのか、それすらも分からないままに、ただ呆然と男と少女とを見送ることしか出来なかった。

 立ち去り際、少女が一度だけ、肩越しにイツキの方を振り返った……。


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 第二話でした。
 格闘シーン、書いてる方は楽しかったのですが、読んでいて分かりづらいでしょうか?
 イツキが相手を投げた技、合気道で言うところの「腕がらみ」となります(柔道の同名の技とはまったく違うものです)。肩と肘の関節を決めつつ、相手を投げる技です。もっとも、合気道では技の導入に「蹴り」は使いませんが(^^;
 私は自分が剣道と合気道(あと空手を少し)をやっていたので、イツキにはこれらを存分に使ってもらうつもりです。
 では、また第三話にて。   藤井 貴文(ふじい たかふみ)

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