王都青嵐伝
〜第一章、あるいは長めの開幕劇〜
第一話



 夏の強い日差しが、顔を照りつける。
 対戦者と向かい合った今の彼には、それがとてつもなく、集中の邪魔に感じる。

 カタナを青眼に構える。中段、剣先を相手の喉の高さに位置させる、最も隙の無く、比較的どのような形にも変化させやすい構えだ。

 対して相手は、カタナを体の正面でダラリと下段に構えている。体のどこにも力みを感じさせない、一見隙だらけに感じる構え。 

 その姿を見て、”ああ、やっぱりこの女性(ひと)は綺麗だな”と、冷静に感じる心が、彼の中にいる。

 スラリとした、女性としては高いといえる身長に、引き締まった躰。
 真っ直ぐな、腰の高さまで流れる、白銀の髪。今は後ろに結わえられているので、その顔の、鋭角的な美しい輪郭がよく見て取れる。
 夏の暴力的な日差しの下に存在しているのが信じられないような、白い肌。
 やや細めの、まつげの長い目。深い翠色の瞳。スッキリと通った鼻梁。呼吸のために僅かに開かれた、朱い唇。

 彼女のその細く白い喉に向かい、剣先を突き入れる。
 後ろ足で地を蹴り、その力を利用して腰の重心を前方へと送り込み、可能な最高の速さをもって、カタナを持った腕をそのまま前方へと……

「な!?」

 気がつくと、彼女が前進してきていた。彼女から、一瞬たりとも目を離してなどいなかった。にもかかわらず、いつ、彼女が動き始めたのか、彼には感知できなかった。
 彼女のカタナが彼の攻撃を脇に逸らしつつ、吸い込まれるかのようにその胸元へと突きつけられる。

「……参りました」

 胸にため込んだ息を大きく吐き出しつつ、イツキ・クサナギは全身の緊張を解いた。



 大陸の西方に位置する、武の王国バームング。

 百七十年程前、己の剣のみを頼りに名を上げた英雄バームングにより、この王国は建てられた。

 建国王は圧倒的な剣技を持つ武術家であったといわれ、その余生においても武を愛し、多くの武術家を援助し、育てたと言われる。

 その伝統は今も続いており、現国王であるバリアス・バームングも、そうした風潮を好ましく感じているようである。
 もっとも、残念なことに彼は息子に恵まれず、三人の姫を娘に持つだけであったが。

 国名と同じく、王の名を冠する王都バームングには、その尚武の気質から、多くの武術道場が存在する。
 それらの内容は多種多様であり、剣術、槍術、弓術などをはじめ、斧、槌、棍、果ては暗器(隠し武器)の道場までが存在し、覇を競っていた。

 イツキの通うブロスナン剣術道場も、そんな道場の一つである。東方より伝わった片刃の剣、カタナ(刀)を用い戦う武術の道場だ。

「ふう」

 その道場の修練場の脇で、イツキはベンチにへたりこんで、腕で額の汗を拭った。

 修練場は屋外であり、踏み固められた土がむき出しになっている。
 広さは二〇人ほどが練習できるくらい、脇には打ち込み用の立木や木偶人形、ベンチなどが置いてあり、周囲を高い塀に囲まれている作りだ。
 塀際には木々が植えられ、その葉々の揺れる音を立てつつ、柔らかい風が心地よく汗の流れる肌を冷やしてくれる。
 どこかから、小鳥のさえずりと、セミのやかましい鳴き声とが響きわたっていた。

 彼がこの道場に通うようにったのは、二年前、十五歳のとき、彼を育ててくれた祖父が息を引き取ってからだった。
 祖父は東方の国、それも大陸の端から更に海を越えたむこうの国からやってきた、と聞いている。黒い髪に、黒い瞳。この国では珍しいその特徴は、彼が東方の血を引くことを示している。この国ではやや小柄な彼の身長も、そのせいかもしれない。

「フッ、だいぶバテたようだな。」

 声とともに、パサッ、と頭にタオルが被せられる。乾いた布の感触が、汗ばんだ肌に気持ちいい。

「ありがとう、姉さん」

 その言葉に対し、いつもの無表情な顔で一つうなずくと、彼女=サラ・ブロスナンはイツキの隣に腰掛けた。
 フワッと風にのって、彼女の香りがイツキの鼻をくすぐる。
 そのことに何となくドキマキして、イツキはサラの整った横顔を眺めた。

 サラ・ブロスナンは、この道場の主であるトニー・ブロスナンの孫娘で、今年で20歳になる。
 イツキの祖父と老ブロスナンとは旧友であり、イツキと彼女もまた、ものごころついてからの付き合いである。イツキは小さい頃から、三歳年上のサラのことを姉のように慕い、実際「姉さん」と呼んできた。
 美女としても評判な彼女だが、実際に彼女の名を王都に広めているのは、その剣の技である。
「天才」サラ・ブロスナンの名を知らぬ者は、この都の武術家に存在しない。王都の武術大会、女子の部ですでに、圧倒的な強さで五連覇を果たしている彼女は、男子の部に出場しても十分上位を狙える腕を持つと評価されている。
 実際イツキは、入門以来、彼女に試合で毎回ボロボロにされている。

 この道場は、「武神」と称される、道場主である老ブロスナンの評判の割に、極めて門下生が少ない。その理由は、この道場で教えられる技の高度さにある。
 高度な技を修得しようとすればその分、膨大な努力と時間が必要となる。わかりやすく言うと、”手っとり早く強くなることができない”ということだ。
 ブロスナン道場では、入門志願時、次のように言われる。
「一年で強くなりたいと思うなら、別の道場に行ってくれ。ここで強くなるには十年が必要だ。」
 そして入門して教えられるのは、生まれながらに備えた体格に依存せざるを得ないパワー&スピードを克服する、そのかわり生半可な努力では身につけることはできない、高度な技の数々である。

 しかしサラは、それらの技を僅か十四、五歳にして実戦レベルにまで身につけた。彼女に冠された「天才」の称号は、その証である。


「どうした?私の顔に何か付いているのか?」

 突然サラに声をかけられ、イツキは、自分が長い時間、彼女の横顔に見とれてしまっていたのに気が付いて、慌てる。

「あ、いや、ごめん。何でもないよ。」

 自分でも、声が動揺しているのがわかる。

「そうか? なら、いいんだが。」

”変なヤツ”と、相変わらずの無表情な顔でつぶやくサラ。だが、なんとなく彼女の頬が赤くなっているように見えるのは、彼の気のせいだろうか?
 だとしたら珍しいことだ、とイツキは思った。



 その後、イツキは夕方近くまで修練場で基本的な練習を軽く流し、道場を後にした。
 帰り際、サラが夕食を食べていかないかと誘ってくれたが、友人と飲みに行く約束があったのを思い出し、断った。

「なあ」

 帰り際、門のところでサラが声をかけてきた。

「何度も言うようだが、ウチに来る気はないのか?」

 イツキはちょっと困ったような顔をして、彼女の顔を見る。

「おまえのお爺さまであるカズマ様からも、彼が死んだ後、おまえのことを頼むと言われている。
 それでなくとも、もともとウチの家族にとっては、おまえは身内みたいなものだ。
 ただ世話になるのが居心地が悪いというなら、内弟子(うちでし)という形で住み込み、修行をすればいい。おまえなら頑張れば、すぐに師範代になれる。
 門下生の教育を手伝い、その代償として衣食住を提供される、という形なら、何の気兼ねもなく、ウチにいられるだろう?」

 ”彼女が一度にこんなにたくさん話すなんて、珍しいな”などと、ややずれたことをぼんやりと考えながら、イツキは答えた。

「姉さんは、俺のことを買いかぶりすぎだよ。俺はそんなに強くない。」

「それは、嘘だ。確かにお前は、ウチの道場に通うようになってから、まだ2年しか経っていない。
 だが、それ以前にカズマ様と暮らしていた間、お前は彼から武術の指導を受けていただろう。
 お前には、その基盤がある。これから、必ず強くなる。」

「とは言ってもなあ。実際、俺はいつも姉さんに負けてばかりじゃないか。」

「一度、勝っているだろうに。」

「たった一回だけだよ。」

 苦笑気味に話すイツキに、しかしサラは真正面から、じっと彼の目を睨み付けるようにしながら言った。

「私と同年代、あるいは年下で、私に勝ったことのある人間など、お前しかいない。」

 何か言いかけるイツキに、被せるように続ける。

「それに、あの一回以外、お前は試合で”剣術”しか出そうとしない。
 カズマ様から受け継いだ、あの”体術”。あれを出せばお前は、今よりもっと、私と張り合うことだってできるはずだ。
 違うか?」

「…………」

 イツキは考える。

 確かに、ありがたい話しではあるのだ。

 今イツキは、狭い部屋に一人暮らしをしながら、川の桟橋で、船からの荷物の積み下ろしなどの仕事をしている。
 そして仕事が終わった後や、休日を利用してこの道場に通っている。
 はっきり言って、楽な生活ではない。
 サラやこの家の人たちに厚意に甘えてしまえば、生活もずっと楽になるし、それに多くの時間を修行に費やすことができるようになる。
 そうすれば、今よりもずっとずっと強くなれる。それは分かっているのだ。
 だが・・・。

「ごめんね、姉さん。やっぱりだめだよ。」

 目をそらすように、イツキは答えた。
 しかしサラの方も、その答えが最初からわかっていたというように、だがやはりがっかりした様子で、彼を見た。

「……やはり、夢は捨てられないか?」

「うん……。」

 イツキは顔を上げ、言う。

「俺は、騎士になりたいんだ。」



「どうした、ふられたか?」

 イツキを送り出し、母屋へと帰ってきたサラに声がかけられた。

「……」
 眉をひそめ、そちらに振り返る。
 そこには、サラよりも一回り小柄な白髪の老人が立っていた。

 年齢は六〇台後半程であろうか。小さな身長に枯れたように細い体格だが、その年齢に反した真っ直ぐな姿勢で、律動的に歩く。
 その瞳には、孫娘の不機嫌そうな視線にもひるまず、茶目っ気がありありと表れている。

 トニー・ブロスナン。
 この道場の主であり、その小さな体にしながら、いまだ”武神”と称される人物である。


 この男にまつわる武勇伝は数多く存在し、生きながらにして半ば伝説と化している。
 いわく、百以上の人間を切った男、一人で七人の敵を正面から打ち破ったことがある、背後から射られた矢を振り向きもせず避けた、敵の腕を鉄の小手ごと切り落としてみせた、等々。
 その中には、少々怪しげな、信じ難い逸話も混じってはいたが……。

 しかし、何よりもその伝説を確かにしているのは、彼がこの年にして未だ現役であるということだ。
 さすがに今では公式の試合等には顔を出すことはなく、セレモニー等に引き出されることがある程度である。
 だからその技を実際に見られる機会は少ないし、見られたとしても技の型や講義のみだ。
 そのことから、彼の実力を疑い、あるいは初めからデマだと相手にせずに化けの皮を剥いでやる、と道場にやってくる武術家がよくいる。
 その結果はいつも同じ、次の二つのうちのどちらかである。
 誰かにかつがれながら門を出るか、あるいは道場に入門するか。

 こうして、ブロスナンにまつわる逸話は増えていくのである。


「しかたがないでしょうに。
 あいつには、あいつがやりたい事があるというのですから。」

「ふふん。」
 意地の悪そうな、それでいてどこか憎めない表情を浮かべながら、トニーが笑う。こんな表情を浮かべられるからこそ、この老人は始末が悪い。
「そんなことは、前から分かっていることじゃろうに。
 それでも、何度も口説き落とそうとしておるのは、どういうことだろうになあ?」

 サラの形のいい眉が、更に危険な方向へとつり上がる。しかし、そんなことを気にも止めぬ様子で、カラカラと笑いながら老人は続ける。

「ほらほら、そんな怖い顔をしているようだから、若者一人も口説き落とせんのじゃ。
 もちっと色気のある笑顔の一つもしてみい。
 ワシももう歳じゃて、死ぬ前に曾孫の顔をみてゆきたいもんじゃ。」

「普通は、”孫の顔を”でしょうに」
 あきらめたようにため息を吐きつつ、彼の”孫娘”は答えた。
「ともかく、イツキも、私も、そんなつもりはありませんから。」そのはず、である。

「そうかなあ。そりゃあ、残念。」

 その顔は本当に残念そうに見えた。
 いつものからかい顔で返されると思っていたサラは、少し驚いて祖父を見つめる。

「さっきも言ったが、ワシももう歳じゃ。
 ワシが作り上げた技を、出来る限り後進に伝えたいのだよ。」

「父さんがいるじゃないですか。」
 サラの父、ジャック・ブロスナンはトニーの娘婿で、道場の主席師範を任されている。王国の武術大会でも優勝も含め常に上位3人には入る剣技の持ち主であり、その実力は誰もが認めるところだ。
 しかし……

「ああ、ジャックは強いよ。残りのワシの寿命を全てつぎ込んでも、ヤツを越える剣士はもう作れんじゃろう。」

「なら……。」
 それで何が不満だ、サラはそう言いたい。

「やつは生まれながらに、神から与えられた恵まれた体格を持っている。
 それを存分に生かし、今の強さを得た。ワシもヤツをそのように育てた。それがヤツにとて、もっとも適した強さだからなあ。」

 だかな、とトニーは言った。

「ワシが求めた剣技は、それとは違う物だったのだよ。
 そしてワシが求めた物を、そのまま託したい、託せるとしたら……。」
 サラの瞳を正面から見つめる。
「おまえと、イツキ、そう思うておる。」


 ……言うだけ言って、トニーは廊下の奥の方へと歩み去ってしまった。

 そして残されたサラは一人その場にたたずみ、祖父の言葉の意味を考え続けたのだった。


第二話へ   御伽の間へ




 ……と、いうわけで「王都青嵐伝」スタートとなります。
 この作品、私にとって人様に読んでいただくために書いた初の小説となりますが、いかがだったでしょうか?
 まだ読み直してはに書き直して、といった感じでノロノロ書いていますが、今後は迫力の感じられるような格闘シーンなども書いていきたいと思っています。
 ともあれ、みなさんに読んでいただき、更にできれば楽しいと感じていただければ、一番嬉しいです。
 では今後とも宜しくお願いします。   藤井 貴文(ふじい たかふみ)

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