魔 導 学 院 物 語
〜氷と呼ばれた暗殺者〜

第八章 知らされる事実


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 アーバンから悩みを打ち明けられた翌日、アーシアは早朝から学院の図書館にいた。

 まだ夏休暇が終わる前ではあるが、そこにはまばらに人の姿を見ることが出来た。元々人気は多い場所だ。しかし夏休暇中であるに加えて、朝方であるのが、その数を圧倒的に減らしていた。

 実際、アーシアも普段ならばこんな場所に来ようとは思わなかっただろう。

「それにしても、あんた、本当にここ好きよね」

 木製の机の上に頬杖をつきながら、珍しいものを見るような目で、アーシアは目の前にいる眼鏡の少女を見つめた。アーシアが図書館に来たのも、部屋の同居人である彼女の付き添いだ。

「私、読書好きですから」

 少女はそれまで読んでいた本を机の上に置くと、視線をアーシアに向け、そんな一言を返す。

 彼女の名はシェーラ=ヴァルギリス。魔導学院の学院長ベルーナ=ヴァルギリスの娘である。深い赤色の瞳も、その長く伸ばされた黒髪も、アーシア達赤珠族の特徴であり、彼女が母親から受け継いだものだ。

 シェーラとの付き合いは意外に長い。彼女とは又従姉妹にあたり、王宮で紹介されたのが出会いだった。それはまだアーシアがガルシア教室にいた頃の話だ。

 あの頃とはお互い色々と変わってしまったが、それでも変わらないものもある。彼女と続けてきた関係、それもその中の一つだ。

 もちろん、それは全く変わっていないわけではない。だが、変わり行くものの中にある変わらないもの。それが感じられることが、アーシアにはひどく嬉しかった。

(だから、何とかしてあげたい)

 そして、それはアーバンに対しても同じだった。

 学院が正式運用された当初、彼がクリフに惹かれ始めていると気付いた頃から、徐々に彼とは疎遠になっていった。それどころか、クリフ、ミーシア両教室自体を巻き込んで、険悪な状況まで作り出した程だ。

 しかし、変わらなかったものに気付いたのは、夏休暇前に行われたクリフとの試合の後だった。実際、解っていなかった訳ではないだろうが、続いていたアーバンとの絆を認めることが出来たのは、あの試合がきっかけだったのだろう。

 親友、自分とシェーラのように姉妹のような関係でもなく、自分とクレノフのように師弟の関係でもない。お互いに相手のことを知り、認めあった存在。それがアーバンとの関係だった。

(でも、私に何が出来るの?)

 アーシアはアーバンの事情を知っている。恐らく、アーバンの性格上、彼の故郷で起こった事件の話を、彼自身の口から聞いたのはアーシアだけだろう。それほど二人の距離は近かった事を意味するのだが、それはともかく、事情が事情だけにアーシアが簡単に口を出すわけにはいかない。しかも、それが彼が魔導学院に入った理由だとすれば尚更である。

「悩んでるんですか?」

 考え込んでいたアーシアに、不意に声が掛けられる。その一言はシェーラのものだ。彼女は表情を曇らせながら、心配そうにアーシアに視線を向けていた。

 シェーラは人の心情の変化に聡い。そのために気苦労を背負うことが多いのだが、それが彼女の魅力の大きな要因の一つでもある。

 アーシアは僅かに苦笑を浮かべると、彼女に尋ねた。

「シェーラは、好きな人と一緒にいれなくなったら、どうする?」

 質問としては唐突なものだっただろう。現に、問われたシェーラも初めは目を丸くしていた。だが彼女はすぐに言葉の意味を理解すると、白いその頬を真っ赤に染め、言葉を返した。

「ど、どうしてそんな事を子供の私に聞くんです。そう言うことはアーシアの方が経験あるんじゃないですか?」

 照れながらそっぽを向いたシェーラに、アーシアは溜息をついて答える。

「そんな暇なんて無かったわよ。ガルシア教室元生徒ってだけで相手も引くし」

「それなら、私だって……」

 それだけを理由にするのならば、両親が学院の最重要者であるシェーラも同じだ。しかしアーシアは彼女の台詞は無視する。

「でも、気になってる男子がいるんでしょ?」

「なっ!」

 何気なく口にしたアーシアの言葉に、紅潮していたシェーラの頬は更に赤く染まる。アーシアは何を今更といったような表情で彼女を見ると、呆れたように言葉を続けた。

「もしかして、気付かれてないと思ってたわけ? 同じ部屋の住人なんだし、あんたとの付き合い、どれだけだと思ってるのよ」

 別に彼女の変化はそう大きなものだったわけではない。だが一緒に生活をしているアーシアにはそれで十分だったし、シェーラも自分が気付いていることに気付いていると思っていたのである。

「べ、別に隠していたとか、そういうのじゃないんです。ただ、自分の気持ちがもっとはっきりしてから相談した方がいいかなって」

 シェーラは慌てながらそう弁解する。アーシアとの関係を裏切ったようにも感じているのだろう。そんな彼女を見て、アーシアはくすりと小さく笑うと、優しい眼差しで言葉を返した。

「解ってるわよ。大体、隠してると思ってたなら、意地でも吐かせてるわよ。私の性格知ってるでしょ」

 何故か自信満々で言うアーシアに、安心したのだろう。シェーラも可笑しそうに笑顔を浮かべると、彼女はゆっくりと口を開いた。

「アーシアがどういう状況のことを言っているのかは解らないし、私自身、恋愛の経験なんて無いから何とも言えないです。でも私は出来るだけ足掻きたいとは思います。もちろん、それは恋愛に限ったことじゃないけれど、私は往生際が悪いですから」

 突然返ってきた言葉に、アーシアはきょとんとする。しかし彼女はすぐに微笑むと、何かを決意したかのように口を開いた。

「そうね。私も、足掻いてみようかな」

 確かに足掻くことしか出来ないのかもしれない。シェーラに礼を言い終え、アーシアは不意にそう思った。結局は決断するのはアーバンなのだ。だが周りにいる自分とて、それに関係していないわけではない。自分が足掻いたとことで何が変わるのかは解らない。だが――

(足掻くからには、中途半端には足掻かないわよ、私は)

 それがアーシアの決意だった。それはただのお節介なのかもしれない。だがこのままアーバンが学院を去ることがいいことだとは、彼女にはどうしても思えなかったのである。

「シェーラ、ありがとね」

 アーシアはそう言って立ち上がると、堰を切ったように図書館を飛び出した。そして、場にはシェーラ一人が残される。

 しかし、しばらくして図書館に入ってくる女の姿があった。シェーラに似た、彼女を大人にしたような女性である。

 その女性はシェーラの姿を見つけると、不思議そうに彼女に尋ねてきた。

「アーシア、何か急いでいたみたいだけれど、何かあったの?」

 その質問に、シェーラは少し困ったような苦笑を浮かべ、女の質問に答えた。

「実は私も良く解っていないんですけど、取りあえず何かに吹っ切れたみたいです」

「そうなの?」

 さすがにそれだけでは意味が解らなかったのだろう。女は相変わらずきょとんとしていたが、その程度で戸惑っていては彼女が就く役職の業務を遂行できるわけがない。それに、彼女にはもっと気になっていることがあった。

「嬉しそうね、シェーラ」

 女には楽しそうに微笑んでいるシェーラの方が興味が持てたのだ。決して笑わないというわけではないが、少女がこんなにもあからさまに笑顔を見せるのは珍しいことだった。それに加え、女にとってはこの少女はかけがえのない存在である。気にならないわけがない。

 少女は、女の問に更に笑みを強めると、彼女の手を取り、ぎゅっと握りしめてそれに答えた。

「憧れなんです。ああやって自分の思った事に突き進めるアーシアが。だから、身勝手かも知れないですけど、アーシアにはいつでも強くあって欲しいんです」

 子供らしくない台詞を吐くシェーラに、女は苦笑いに近いものを浮かべるが、抵抗を感じる反面で嬉しくもあった。

「強くなれるといいわね。貴女も」

「はい。御母様」

 母が優しく掛けてくれたその言葉に、娘は力強く頷く。

(本当に、強く育って欲しいわね)

 そんなことを思いながら、女――魔導学院学院長ベルーナは娘の手を引き、図書館を出た。

☆★☆

「先生、お話があります」

 図書館を出たアーシアは、クリフの部屋に来ていた。朝早いこともあって、部屋の主は寝ていたようであるが、そんなことは意を決したアーシアの前には何の意味もなさなかった。

 初めは無視しようと思ったものの、さすがに十分もドアを叩き続けられると、クリフも諦めざるを得なく、ひどく虚ろな目でドアを開けると、彼女を部屋に招き入れた。

「それで、俺の眠りを妨げてまで、何の用だ?」

 着替えのため、アーシアをしばらく待たせ、洗顔を終えたところでクリフはそう尋ねた。彼女が唐突な性格をしているのは以前から知っていることではある。だがそれは彼女が夢中になっている時だけであって、普段は常識の通じる娘なのだ。つまりそれは、現状がそれなりの事態だと言うことを示していた。

 出来ることならば厄介事に首を突っ込みたくはないが、尋ねて来られて無視できるほど非情でもない。クリフは諦めて彼女の話を聞くことにした。

 アーシアは初め発言を躊躇っていたが、覚悟を決めていたのも手伝って、彼女はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「先生はアーバンのこと、知っているんですよね」

 それはひどく曖昧な台詞だった。だが、最悪クリフがアーバンの秘密を知らないという事も無いとは限らない。アーシアは慎重を喫してクリフにそう尋ねた。

 しかしそれは余計な配慮だったらしい。クリフはそれまでとは変わって、真剣な表情で「ああ」と言葉を返した。アーシアはそれに手応えを確かめると、言葉を続けた。

「アーバン、今、迷っているみたいなんです。ここを卒業した後に、ここを出るかどうかで」

「ここを出る?」

 初めて聞く話に、クリフは怪訝そうな表情を見せる。アーシアはクリフの疑問に首を縦に振る。

「先生は、ガルシア先生から貰っていた薬のことは?」

「聞いている。女としての成長を抑えるために服用していた薬のことだろう?」

「はい。アーバン、今もあれを使い続けていたみたいで……」

「俺に迷惑をかけたくないから、ここを出ようと考えている……か」

 言い終わるよりも先に、クリフは彼女が言おうとしていた結論を導き出していた。

 アーシアはクリフが事態を把握しきっていることに驚きながら、一方でありがたいとも思っていた。アーバンの不安を、自分がどのようにして伝えればいいか彼女は把握していなかったのである。大体、アーシア自身、彼女の想いを十分に理解している自信がなかった。それほど、アーバンを取り巻く状況は複雑なのだ。

「アーバンを、説得してもらえないでしょうか」

 下手に自分が口出しをしても、何の解決にもならない。そう感じたアーシアの思いついた策が、クリフに彼女を導いてもらうというものだったのである。

 悔しいことではあるが、今のアーバンを見守ってきたのは紛れもなくクリフなのだ。彼以上にアーバンを説得するのに適任な人物はいない。そして、クリフにとってもアーバンは大切な教え子のはずだ。クリフならば何とかしてくれると思ったのである。

 しかし、彼の口から返ってきたのは、意外な台詞だった。

「悪いが、それを決めるのはあいつ自身だ。俺が口を出すわけにはいかない」

 一瞬、アーシアはクリフが口にした言葉の意味を理解することが出来なかった。予想さえしなかった言葉が返ってきたのだ。それは仕方がなかったことなのかもしれない。そして、そのすぐ後に彼女が怒鳴り声をあげたのも、また仕方がないことだったのだろう。

「どうしてですか! 先生の教え子じゃないですか! アーバン、凄く苦しんでるんですよ!!」

 クリフならば、何とかしてくれると思っていた。そしてクリフにしかどうにも出来ないと思っていた。アーバンが藻掻いているのを知っていて、出来ることをしない。それがアーシアには理解できなかったのだ。

 しかしクリフはアーシアの問に答えることはなかった。

「――っ!」

 何も答えないクリフにアーシアは絶句する。裏切られた気分だった。それがどんなに自分勝手な言い分かも、アーシア自身理解していた。何もかも、勝手に思いこんだのはアーシア自身なのだ。

 それでも、アーシアは我慢が出来なかった。彼女は机をバンと叩くとそのまま部屋を飛び出していった。

「ごめんなさい、クリフ」

 アーシアが部屋を出て、すぐにクリフに若い女の声が掛けられた。それが誰であるかは解っている。彼女の声を聞き間違えることなど、あるはずがない。

「気にするな、ミーシア。俺にも、アーシアの気持ちが良く解る」

 クリフが言うように、ドアの前にいたのはアーシアの姉、ミーシアだった。ミーシアはクリフがそれを引き受けなかった理由を知っている。だからこそ、妹がとった行動にひどく罪悪感を感じていたのである。

「俺も止めれるものなら止めてやりたい。だが、俺以上にその資格がない人間もいないだろうからな」

 そう言ったクリフに、ミーシアは掛ける言葉を見つけることが出来なかった。それが罪だとは思わない。だが確かにそれは事実なのだ。

 それでも何とか言葉を見つけだし、それをクリフに掛けようとしたときに、彼は現れた。

「先生、よろしいでしょうか?」

 声の主はアーバンだった。しかし彼もまた、いつもの彼とは違った。ひどく冷たい表情をしているのだ。でなければ、感情が高ぶっているとはいえ、ミーシアが接近を気付かないはずはなかった。

「どうした、アーバン」

 それをクリフも訝しげに思ったのだろう。そう尋ねる彼に、アーバンは静かに、短く答えた。

「約束を覚えておられるでしょうか」

 約束……。アーバンと交わした約束はたった一つしかない。その言葉に、クリフだけでなく、ミーシアも強く反応した。

「私との、手合わせを御願いしたいのです」

 それがクリフがアーバンと交わした、たった一つの約束だった。

☆★☆

 クリフの部屋を出たアーシアは、ひどく苛立ちながら、学院の渡り廊下を歩いていた。

 何処に行こうというわけでもない。取りあえず気持ちを静めるために、こうやって歩いているのだが、それは一向に収まる気配を見せなかった。

「ん? あ、いたいた」

 そんな彼女に、身の程知らずにも声を掛けたのはラーシェルだった。彼は嬉しそうにアーシアに歩み寄って行くが、彼女の一瞥を受け、自分の失敗に気付く。今の状態のアーシアに近づかない方がいいことは、彼も良く知っていたためだ。

 しかしラーシェルには朗報がある。恐怖に引きつりながらも、何とか作り笑いを作り出し、それをアーシアに伝えた。

「そ、そうぷりぷりするなよ。折角、ヴァイス=セルクロードの情報を手に入れてきたんだからさ」

「え?」

 ラーシェルのその言葉に、ほんの今し方まで殺気立っていたアーシアから、一気に怒気が抜ける。そして彼女はそれまでとは違う興奮をしながら、ラーシェルに言葉を促した。

「実はな、ランフォード姉の話を聞いてぴーんときたんだよ。それでヴァイス=セルクロードの顔を知っている人間に、とある人物の写真を見せたら、思った通り、その人がヴァイスだったんだよ」

「私達が、知っている人なの?」

 正直、嫌な予感がした。ラーシェルの回りくどい言い方。そして、運命とすら感じられる、状況の展開。アーシアはそれを感じながらも、ラーシェルにそう尋ねた。

 ラーシェルが得意そうに言ったその男の名は、アーシアの予感を裏切らなかった。

「クリフ先生だよ。あの人が、氷の閃光アイシィライトニングヴァイス=セルクロードだ」

 アーシアの中で、何かが繋がった。ガルシアがクリフを選んだ理由。クリフがガルシア教室生徒を気にかけていた理由。そして、クリフがアーバンを止められなかった理由。背筋が凍るような思いだった。

「それ、他の連中に漏らしちゃ駄目よ!!」

 特に、アーバンにだけは知らせてはいけない。アーシアは直感的にそう思った。だが――

「え? アーバンはいいよな? 元々はあいつが知りたかった情報なんだろ? さっきそこで会ったから話しちゃったぜ?」

 考えるよりも先に、手が飛んでいた。ラーシェルが顔面を殴られ、吹き飛ばされる姿が目に入ったが、そんなことはどうでも良かった。止めなければいけない。そんな声がアーシアの頭の中を何度も反芻していたのだ。アーシアは、既に駆け出していた。

「な、なんで?」

 アーシアが立ち去った後、ラーシェルは訳が解らない様子で、殴られた左頬をさする。だが彼にその理由が解るわけもなく、彼に事情が知らされるのは、全てが終わった後のことだった。



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