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「なぜクリフを会議の議員に選んだのですか?」 会議が終わり、人気の無くなった会議室の中に、男の声が響きわたった。 声の主はクレノフ=エンディーノ。この魔導学院の副学院長である男で、灼熱の魔神の別称を持つ男である。そして、彼と今、話を交わしているのは、魔導同盟の長クリーム=ヴァルギリスだった。
クリームは、彼女達赤珠族 「あいつが持つ心の傷は、貴女も知っているでしょう」 クレノフの口から漏れたのは、重い、感情を押し殺した声だった。要職に就いているという責任からだろう。普段はひどく落ち着いた様子を見せるものの、彼の本来の気質は激情的なものだ。目の前にいるのが敬意を抱くクリームでなかったなら、彼はその声を荒げていただろう。 「あいつは、決して強い人間じゃない。過去を振り返る度に、あいつが傷ついていることは解っているはずだ!」
それでも、クレノフの声は次第に感情的になっていく。それはひどく珍しいものだった。運だけの男 だがクレノフはそれほどクリフを気にかけていたのである。 クリームはそんな彼を見て、静かに瞼を閉じる。しかし彼女はすぐにそれを見開き、厳しい眼差しでクレノフに言葉を返した。 「だけど、あんただってこのままでいいと思っているわけじゃないだろ?」 そう言い返されて、クレノフは言葉を詰まらせた。確かに現状は心地よいものだ。そしてクリフもそれに満足していることも知っている。だがこのままではいけないことも、彼は理解していた。 クリームは言葉を続ける。 「色々とこちら側の都合もあって、クリフには今の立場に落ち着いてもらったのは確かだよ。もちろん、当時のあの子の状態も考慮してね。結果的には良い方向に進んでいるんだろうね。だけど……」 「だが、現状が続くわけではない、ですか」 クリームの言葉を続けるように、クレノフは口を開いた。現状がこのままであったらと思うのは、彼らも同じなのである。だが時は確実に進んでいる。変わらないものなどあるはずがないのだ。 そして現に、彼らを護る基盤となる魔導同盟とて、いつまで現状を保てるかは解ったものではない。今回のような会議が開かれたのもそのためだ。 「今はミーシアが支えてやってるからいいさ。だけど、ミーシアだって心に傷を持っている。同じようにあの娘もクリフに支えられているんだよ。片方が潰れちまったら、もう片方も潰れちまう。そんな状況なのさ、あの子らはね」 そう言い終えて、クリームは小さく笑った。
「なんてね。格好の良いことを言ったものの、実際のところ、私はクリフの力をあてにしてるのさ。氷の閃光 「解る気がします」 クリームの悪戯っぽい笑顔に、クレノフも僅かに微笑みを浮かべた。そして同時に、クリームが自分以上にクリフを気にかけていることにクレノフは気付いていた。 (結局の所、何も解っていなかったのは俺の方だということか) 内心、自嘲混じりの言葉を吐きながら、クレノフはふっと鼻で笑った。そんな彼の肩に、クリームはぽんと手を乗せると、彼女独特の穏和な笑いを見せた。 「伊達に年をくっている訳じゃないさね。それに、あんたはそれでいいのさ。あんたみないなのがいるから、私は安心して突っ走れる。頼りにしてるんだよ、婿殿」 頼りにしている、彼女からその言葉を言われることが、どんなにクレノフの自信に繋がっているか知れなかった。 クレノフは胸に沸き上がる、高揚感のようなものを抑えつつ、クリームとともに会議室を出た。
☆★☆ 魔導同盟と魔物狩人組合の合同会議が終了した後、クリフは会議室の側にある休憩室でテーブルに伏せていた。疲れた、というのが率直な感想である。クリフが議題の引き合いに出されたのは、組合の移転の議題の時だけだ。その後は同盟や組合の現状報告を聞いていただけなのだが、初めの議題で引き合いに出された疲労というものは大きいものだった。 意識の覚醒、それが疲労の原因だ。議題の最中、確かにクリフは普段の彼ではなかった。だが間違いなく、クリフォード=エーヴンリュムスではあったのだ。その大きなギャップが、彼を疲労させていた。 だが、それはクリフの意図したものだ。 あの会議の中、意識をそのまま覚醒させることはできた。むしろその方が彼にとっては容易だっただろう。しかしそれはクリフが望むところではなかったのだ。 しかし、そうは言っても、それを抑えるということは容易ではなかった。それが疲労となっているのだから、当然といえば当然である。 (このままでいられたのは、午前中にキース師に会っていたからだな) 目を閉じながら、クリフはキースとの対談を思い出す。彼の言葉で吹っ切れていなかったら、こうも精神的に余裕を持つことはできなかっただろう。 クリフは内心感謝をしながら、部屋に戻るべく、ゆっくりと身体を起こした。そしてその彼の瞳に、一人の女の姿が写る。 それは見覚えがある顔だった。長く、半ば乱雑に伸ばされた金髪、僅かにきつそうな目元、そして日に焼けた健康的な肌。それが誰であるか理解しようとするよりも早く、女はその表情を歪め、大きく口を開いた。 「ああっ! 何でお前がここにいるんだよっ!!」 出来るなら、会いたくなかった相手だった。彼女が学院に来ていることは知っていたのだ。気を付けるべきだったとクリフは後悔する。 「ひ、人違いでしょう」 もはや無駄だとは解っていたが、何とか彼女との対話を逃れようと、クリフはにっこりと作り笑いを浮かべて、そう言葉を返した。しかし、当然の事ながらそんな事で騙すことができるはずもなく、彼女の視線は更に鋭くなる。 「何を考えてやがるのかはしらねぇけど、俺をたばかるなんて良い度胸じゃねぇか」 そう言って彼女は先程までクリフが寝そべっていた机を強く叩いた。同時にバンという強い音が辺りに響くが、幸い周囲には誰もおらず、それを気にする者はいなかった。 「まったく、お前は変わらないな」 彼女から逃れることは諦めて、クリフは半ば呆れながらそう言葉を発した。そして、すっと目の前の女性を見据える。 一言で言えば、野性的な感じがする女である。あまり手入れがされていない長髪や、日に焼けた肌はもちろん、彼女が纏う雰囲気そのものが、獣のように荒々しいものだったのだ。それは昔見た彼女と同じものだった。
ゼルフィア=カジバール。それが女の名だ。かつて機国大戦において紅華隊に所属した戦士であり、技能修得者 呆れながら返したクリフの返答に、彼女は何か言葉を返そうと口を開ける。だが、それは突然横から掛けられた声によって遮られた。 「ちょーっと待てい」 「親父!」 声がした方を見ると、そこにはサヴェスとクライヴが立っていた。二人ともゼルフィアの様子を見ると、疲れたようにはぁっと大きく溜息をつく。 「おいおい、お前が喧嘩っ早いのはもう何も言わんが、こんな所まで来て騒ぐなよゼル」 そうは言うものの、娘のその行動が改善されることなど全く期待していないのだろう。サヴェスの表情は明らかに曇っていた。それでも一応という感じで、クライヴが追い打ちをかける。 「ゼル、いい加減にしてよ。子供達にまでその喧嘩癖が伝染したらどうするのさ」 そう言った時のクライヴには、会議の時のような落ち着いた雰囲気はなく、クリフは彼から理不尽な行動に付き合わされる不幸な青年というような印象を受けた。 実際、彼がゼルフィアの夫であることを考えれば、その比喩はあながち的を外してはいないだろう。それに、彼が元々は気弱な人間だというのも、ベルーナから聞いていた話だ。 「どういう意味だよ、クライヴ」 それを証明するかのように、クライヴの言い分に不満の声を漏らしたゼルフィアに、クライヴはううっと呻きながら、逃げるようにサヴェスの後ろに回り込んだ。サヴェスはその光景を見ながら、やれやれと呆れながら左手で頭を掻く。 「なぁに漫才をやってんだい。あんた達は」 ただでさえややこしくなりつつある場に、更なる連中が加わったのは、そんな中でのことだった。先程まで会議室に残っていたクリームとクレノフが出てきたのだ。 「あ、クリームおばさん、久しぶり!」 クリームの登場に、最初に声をあげたのはゼルフィアだった。彼女がクリームを尊敬しているという話もベルーナから聞いたものだ。 クリームもまたまんざらでもない様子で、「久しぶり、ゼル」と言葉を返す。そして彼女特有の悪戯っぽい笑みを浮かべて、言葉を続けた。 「で、ゼル。うちのクリフがどうかしたのかい?」 「え? クリフ?」 聞き慣れない名前に、ゼルフィアは戸惑いを見せる。ぱっとクリフの方に視線を移すが、状況を理解できない様子で、彼女は明らかに混乱をしていた。 「おばさん、何言ってるんだよ。こいつはヴァ……」 そこまで言ったところで、ゼルフィアの口はクライヴの手によって塞がれる。ゼルフィアは訳が解らず藻掻くが、彼女の扱いに慣れているのだろう。クライヴの戒めは破られることはなかった。 「で、あんたの方は私に言うことはないのかい?」 取りあえずその二人は無視して、クリームは視線をサヴェスに移した。瞬間、彼女を取り巻いていた雰囲気に怒気が混じる。 「組合の移転の話、私は聞いてなかったよ」 彼女は笑っていた。だがそれが彼女の本心と異なることは、その場にいる誰もが気付いていた。それまでじたばたと暴れていたゼルフィアでさえ、その笑みに凍り付いたように動かなくなる。 「ほ、ほら、これは組合の問題だし、最重要秘密事項を話すわけにはいかないだろ?」 「同盟にそれを隠す意図が見付からない。どうせ、驚かせてやろうっていうあんたの独断なんだろう?」 「は、はは」 図星だったらしく、サヴェスの表情からはさぁっと血の気が引いていく。 「で、でも、敵を騙すにはまず味方からとも言うし」 挙げ句の果ては、話の噛み合わないそんな言葉さえ、サヴェスは口にしていた。それを聞いてクリームはにっこりとあからさまに微笑むと、ひどく重い声色で台詞を返す。 「そういうことは、相手を考えてやるんだねぇ」 その一言が決定的だったのだろう。サヴェスはぐったりと項垂れると、「もうしません」とまるで子供のように謝る。しかし突然、何かを思いついたらしく、ばっと顔をあげると、クリフの方を見て声をあげた。 「そういや、そう言うお前だってこんな切り札を用意してやがったじゃないかっ! 俺だって彼の話を聞いていないぞっ!!」
彼、というのはもちろんクリフのことだ。かつて氷の閃光 「何だい、クリフはうちの教師だよっ! ちゃんと名簿にも載ってるしね。もっとも、この子の過去については、私は何も知らないけどねぇ」 その返答に、サヴェスは「ひでぇ」と呻きをあげるが、クリームはそれをまともに取り合うことはなかった。代わりに、彼女はゼルフィアの方を振り向くと小さく微笑んだ。 「まぁ、そういうことさね。少なくともこの魔導学院では、この子はクリフォード=エーヴンリュムスという第一級魔導師なんだよ。解ってもらえたかい?」 急に話を振られ、ゼルフィアは理解できていない様子だったが、しばらくして何かを思いついたのだろう。ぽん、と手を叩くと、突然驚きの声をあげた。 「ええっ!! こいつが教師?」 それは彼女にとってあまりにも意外な事実だったのだろう。目を丸くしながら、彼女はじっとクリフの顔を見つめた。 「俺が教師で悪いかよ」 クリフは以前、戦友の一人にその事で冷やかされたのを思い出しつつ、半ば諦めたようにそう言葉を吐いた。返ってくる言葉を、彼は既に予測していたのだ。驚きと侮蔑、予測していた答えはそれだ。実際に、教師になる際、彼自身が酷く抵抗を覚えたのだ。昔の彼を知る人間ならば、誰もがそれを意外だと思っただろう。 しかしゼルフィアから返ってきた言葉は違った。 「ふーん、意外に似合ってんじゃないのか?」 彼女のその台詞に、クリフの思考は一瞬停止する。 ゼルフィア=カジバール、彼女との想い出といえば、激しい口論を交わしたことくらいだ。大戦中、彼女と意見があったことなど本当に極稀で、そんな相手からそんな言葉が返されるとはクリフは思っていなかったのである。 そんなクリフの困惑を解いたのは、やはりゼルフィア本人だった。 「確かに昔のお前なら、凄ぇ無愛想で信じられなかっただろうけど、今は結構良い顔してるじゃねぇか。そう言うの、嫌いじゃないぜ」 言われて、クリフはその時初めて気付いた。確かに彼女とは大戦中、激しく対立した間柄だった。だが思い返してみると、そこまで本音でぶつかり合えた人間は彼女だけだったのである。 (紅華隊が解散したのは、もうずっと前のことだぞ) そんなことを今更ながら気付く自分がひどくおかしかった。
突然苦笑いを浮かべたクリフを、一同は不思議そうに見ていたが、それはどうでも良かった。その時、クリフは本当の意味で覚醒を始めていたのかもしれない。氷の閃光
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