魔 導 学 院 物 語
〜氷と呼ばれた暗殺者〜

第五章 目覚めつつあるもの


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 会議室の中は、異様な空気に覆われていた。

 そこにあったのは強い威圧感だった。それは多くの熟練した戦士が持つような重圧的なものではなく、まるで冷たい光を放つ刃物のような、研ぎ澄まされたものだ。それが一人の男の変化によるものであることは、その場にいた皆が気付いていた。

 クリフォード=エーヴンリュムス、会議に参加している者の多くは、運だけの男オンリーラックの別称をとる彼の名すら知らない。だが一同は大きな違和感だけは明確に理解していた。先程まで気だるそうにクリームの横にいたその男が、突然纏っていた雰囲気を変貌させたのだ。違和感を感じないはずはない。

 そして理解できないその変化は、一同に恐怖という感情を彷彿とさせた。

「どうしてそう思う?」

 だが、さすがは龍帝の反乱の英雄といったところだろう。サヴェスはその威圧に気圧される訳でもなく、にやりと大胆な笑みを浮かべていた。

 しかしクリフはゆっくりとそれを一瞥すると、静かに言葉を返した。

「俺の解答を掘り下げることに、何か意味があるのでしょうか?」

 それはゆったりとした声だった。まるで彼が放つ気質とは全く異なる、暖かいともとれる声……。それを聞いた皆が、呆気にとられたのは言うまでもない。そして同時に彼を中心にして渦巻いていた冷気のような空間も、その場から消失していた。

 だが確実に彼は変わっていた。少なくとも、学院の人間が今の彼れば、クリフであるとは理解できても、納得することは出来なかっただろう。何もかもが同じ人間なのに完全に異なる人間がそこにいたのだ。

「なぁに、組合ギルドが出した答えと同じだったんでな。参考までに君の推論を聞いてみたいだけだ。会議とは意見を言い合う場だと思うが」

 サヴェスは目の前の青年を見て、先程よりも笑みを深めていた。それはそれまでのように周囲の者を安心させるためのものではなく、自らが楽しんでいるものだ。食えない男だな、と心中で毒づいて、クリフは言葉を続けた。

「解りました。ですが、少し長くなります。構いませんね?」

「ああ」

 そこからは、クリフの独壇場だった。

「まず、総本部を置くための絶対条件。それは、大国の干渉を受けにくい場所であることです。ですから当然の事ながら、大陸のほとんどの国家はその資格がありません。大陸のほとんどの土地はいずれかの大国の派閥に属していますからね」

 それは考えれば当然のことだった。古くから大陸に存在する三大国、龍帝の反乱という戦乱があるまでは、その三つの大国は緊張状態にあったのだ。そのために大国は長い歴史の中で、周囲の国家を従属させながら、来るべき大国同士の勢力争いに備えていたのである。

 もっともその緊張は、龍帝の反乱が勃発し、それを平定するために大国同士が協定を結んだことで消滅したのだが、それでも大国と諸国家の従属関係は暗黙の内に続いているのが現状だった。

 あくまで大国とは別の勢力として存在しなければならない魔物狩人組合は、その環の中に入るには適さないということなのだ。

「これを省くだけで、大陸中で組合ギルドの本部を置ける場所はそれこそ両手で数える程度に限定されますから、あとはしらみつぶしに適当な場所を探せばいい」

「それが、どうしてラインティナなんだい?」

 その疑問を投げかけたのはクリームだった。

「それだけで選ぶのなら、ラーバーンやジェチナ、レイオスなんかも挙げられるだろう?」

 クリームが挙げた都市の名は、どれも独立都市と呼ばれる種の地名だ。独立都市とは街そのものが国家として機能している土地の俗称であり、魔導同盟がある赤珠国ディレファリアもそれに属する。

 また略奪街ラーバーン、暗黒街ジェチナ、戦闘街レイオス、どれもかつては最悪の治安の悪さを誇った都市ではあるが、今ではそれも復興され、組合とも縁の深い場所もある。

「逆に組合ギルドとの交流がないラインティナを挙げるのは、良策とは思えないけど」

 当然と言えば当然の疑問ではある。だがクリフはそれがクリームの疑問でないことを理解していた。ラインティナの有効性について、彼女が知らないはずはないのだ。

 だが、それは場にいる一同が抱いていた疑問だ。彼女はただ、他の者が抱くであろう意見を代弁しているに過ぎない。組合の長に説明をしているこの場で、話を折ることが出来る人間など、そうそういるわけがないためだ。

 それを踏まえた上でクリフは言葉を返す。

「もちろん、それには幾つか理由があります。その中でも、もっとも大きな理由であるのが、ラインティナが神の裁きに焼かれた都市だと言うことです」

 神の裁き、その単語はその場にいた人間の中に僅かなざわめきを起こした。

 龍帝の反乱、二十七年前に平定されたその戦いにおいて、最大の被害を被ったと言われるのがラインティナという都市だった。

 その都市は虎国の交易都市として栄えた都市であったのだが、古代遺跡ノーザンキャッスルから放たれた神の裁きという光によって、都市の大半が焼かれたのである。

「だが、ラインティナはそんな中から復興しました。大国などの、勢力的な支援を受けずにです。結果、魔物狩人組合ハンターズギルドとの繋がりは薄い街ですが、街自体が再生を示すという意味では、ミカエル様に代わる象徴として相応しいと思っています。それが最大の理由です」

 言い終わると、クリフは小さく息を吐いた。強い虚脱感が感じられる。無機質になっていく自分を抑えながら、眠っていた自分を呼び起こしたことに対しての反動……、その影響であるのは彼自身解っていた。

 だがまだ会議は終わっていない。クリフがゆっくりとサヴェスの方に瞳を移すと、彼は納得したように首を縦に振っていた。

「君の読みは、組合ギルドが出した結論と大体同じだ。だな、クライヴ」

「はい」

 促されるように言葉を掛けられ、クライヴは僅かに慌てながら頷く。それを確かめると、サヴェスは再び笑みを浮かべ、今度はクリームに視線を移した。

「まぁ、ってな訳で、そんな感じで話は進んでいる」

「ですが、ラインティナは長く中立を保っていた街です。彼らが組合ギルドを受け容れるでしょうか? それに、そんなことを大国がそうそう認めるとは思えません」

 今度の疑問はクレノフのものだった。

 実際、それが実現すれば、クリフが言うように絶好の象徴となることは間違いない。だが、それがそう安々と上手くはずがなかった。それに対しての主な理由は三つだ。

 まず、確かにラインティナは龍帝の反乱以後二十七年間、どの大国の手も借りずに独立を保ってきた都市である。だがそんな街だからこそ、今になって他の勢力との交流を好むのかというのが一つ。

 そして大国がただでさえ目障りだと感じているであろう組合が、更にその独立性を高めるような行為を許すのだろうかというのが一つである。

 最後に、いくら魔導同盟や魔物狩人組合の立場が高くなったと言っても、あくまで二つの勢力を形成しているのは、魔導師という資格を持つ人間と、魔物狩人という半ば傭兵に近い戦士なのだ。

 当然、彼らは大国の戸籍を持つ人間であることもあり、場合によっては敵となることも有り得る。

「大国の件は、問題はないだろう」

 しかしクレノフの疑問に答えたのは、またもクリフだった。

「どういうことだ?」

 訝しげに尋ねるクレノフに、クリフは僅かに疲れたような口調で言葉を返した。

組合ギルドも同盟も、結局の所は決定的となる戦力は少ない。だが裏を返せば、それだけ大陸中にその根があるということだ。虎国の選帝公グレイザー公、聖国の司教ランフォード、魔国の王妹ラミリア殿下、魔物狩人として活躍した人間は大国の要人を摘んで挙げるだけでもこれだけの人物がいる」

「まさか……」

「彼が言うように、もう大国の方には接触を行っています」

 クレノフの予測を確信に変えたのはクライヴの言葉だった。そして同盟の人間の驚愕の表情を眺めながら、クライヴは続けた。

「この計画は発案だけを言うならば、三年前にミカエル様がお亡くなりになられた時に提唱されていたものです。もちろん場所についての明確な案が出されたのはつい最近のことですが、この三年の間に場所についての調査も行い、元魔物狩人達を通じて大国にも根回しを行ったのです」

「それで、今更同盟に何だって言うんだい」

 突然、クリームは静かにクライヴに尋ねた。今までの話はただの報告に過ぎない。魔物狩人組合がその本部を移転するという判断と、それについてのこれまでの経緯。それだけだ。問題はここからなのだ。

「そこまで話を進めているのなら、同盟に相談なんて無いんじゃないのかい?」

 それは淡々とした口調だったが、彼女の瞳には明らかに怒気が込められていた。

 もっとも彼女も役者だ。あからさまにそれを態度には出さなかったため、気付いた人間は極僅かしかいなかっただろうが、その怒りの矛先であるサヴェスは明かにそれに気付いていた。彼は小さな苦笑いを浮かべていた。

 そしてクライヴもまたそれに気付いているらしく、それまでの彼とはうって変わって、弱々しく怯えた様な表情を浮かべる。彼らは知っているのだ。こういった時のクリームには下手に口を出さない方がいいことに。

「ラインティナとの交渉が上手くいっていないのでしょう」

 しかしこのままでも話が進まない。クリフはそう思い、もう一度だけ会話に参加した。もっともそれには、こんな茶番まがいの遅々とした会話に耐えることができないという意図も含まれていたのだが、クリフが変わらない口調で会話を進めていたこともあり、それに気付いた人間はいなかった。

 それを周囲の雰囲気で確かめながら、クリフは話を続ける。

「俺が聞いた話によると、ラインティナの領主の座は一年前に先代の死によって、その息子によって継承されています。今の領主は切れ者だと聞いていますから、彼との駆け引きで組合ギルドも手を焼いているのでしょう」

「そ、そうなんだよ」

 一方でクリフの助言を好機だと感じたのだろう。サヴェスはわざとらしく笑顔を作りながら、うんうんと頷き、クリフの言葉を肯定する。それでもクリームの瞳の怒気は引くことはなかったが、サヴェスは半ば強引に話を進めた。

「だが、ラインティナは確かガルシアが復興を手伝った街だろ。だったら同盟にちょっと手を貸してもらえれば、少しは優勢に話が進められると思わないか?」

「確かに、ね」

 クリームは未だ不満げながらもサヴェスの言い分を認める。今は亡き特級魔導師ガルシアがラインティナにいたというのは、意外に有名な話だ。

 クリームの心境の揺らぎを確かめ、サヴェスは更に言葉を加える。

「それに組合ギルドの基盤が固められることは、同盟にとっても悪い話じゃないだろう?」

「そうだね」

 サヴェスの言葉に、彼女は意を決したように口を開いた。そして彼女はサヴェスを見据える。

「同盟の議題にはあげてみるさ。だが、話が通るかどうかは解らないよ。同盟は組合ギルドよりも組織的な構成は強いからね」

「ああ。それで充分だ」

 会議の決定事項のやりとりは、ほとんどサヴェスとクリームの個人的な対話だった。そしてそれは、間違いなく、同盟と組合、二つの組織の現状を表しているものだった。

(結局は、同盟と組合ギルドを支えているのはこの二人だと言うことか)

 クレノフ、そしてクライヴと言った両組織のトップクラスの人間がいるというのに、結論に対しては二人任せになっていることに、クリフは危惧を覚える。そして彼のそんな心境を余所に、会議の議題は他のものへと移っていった。

☆★☆

「学院を出るってどう言うことよ!!」

 それはアーシアの怒鳴り声だった。それを浴びせた相手は、当然の事ながら、それまで彼女と話を交わしていたアーバンだ。

 アーシアが突然立ち上がったため、彼は彼女を見上げる形になっていた。現状を維持するには多少辛い体勢ではあったが、そんなことはどうでもよく、彼は彼女の怒鳴り声に臆する様子もなく、いつもと変わらない表情をしていた。

「だから、それは学院を卒業した後のことだと言っている」

「聞いたわよ! だけどあんた、教師になるんじゃなかったの? だから教員課程を受けているんでしょ?」

 酷く興奮しているアーシアを呆れるように眺めながら、アーバンは小さく溜息をつき、言葉を続けた。

「元々それは上級魔導師を育成するためのものだ。課程を修了させたからといって、教師にならなければならないという理屈にはならない」

 的確な返答に、アーシアは思わず言葉を詰まらせた。

 教員課程、それは魔導学院の人材育成課程の一つだ。本来の名称は上級魔導師育成課程である。

 普通、魔導学院は第一期から第四期の一般課程、第五期、第六期の専門課程を経て卒業となる。だが魔導学院の教員となることを希望する者は、それから更に二期の教育課程を受けることができるのである。

 それは教育者としての指導云々という話ではなく、単純に学院の教師になるには第三級魔導師以上、すなわち上級魔導師でなければならないという理屈からであるのだが、普通に学院の教育課程を経ただけでは上級魔導師にはなれないから、というのがその教育課程が作られた理由であった。

「それはそうだけど、何で突然。あんた、教師になりたがっていたじゃない」

 正論を返され、アーシアは論点をずらす。

 アーバンが教師になることを希望しているのは、同じ教員課程を受けている者として知っていた。そしてアーシアは彼女がそれになりたがっていた理由を知っている。

「先生の側にいたいんでしょう?」

 今度はアーバンが言葉を詰まらせる番だった。明らかにアーバンの顔には陰りが生じる。だが彼はすぐに平静な表情を取り戻すと、ぽつりと呟くように口を開いた。

「薬が効果を示さなくなってきた」

「は?」

 返ってきた返答に、アーシアは間抜けな声をあげた。アーバンが何を言おうとしているのか一瞬、理解できなかったのだ。だが、その言葉を理解していくと同時に、次第にアーシアの表情は険しくなっていく。

「薬、まだ使ってたの?」

 信じられないといった表情でそう呻いたアーシアに、アーバンはゆっくりと頷いた。

 アーバンは、ガルシア教室の生徒であった頃から、ある薬を服用していた。それは先天的に闘気能力者としての素質がなかったアーバンが、師であるガルシアから渡されたものだ。

 闘気能力者――俗に闘気使いと呼ばれる能力者への覚醒は、それほど難しいものではない。闘気を練ることを覚えるだけ、それだけさえ済ませれば、後の過程はそれ程難しいことではない。魔導という技法もそれと同じだ。

 だが問題は、闘気という力に大陸の人間が慣れていないと言うことだ。そしてある年齢を超えると、闘気を修得するのはひどく困難になる。もちろん先天的に闘気能力に順応している者もいるが、アーバンにはそれがなかった。だから――

「私は女として成長するわけにはいかなかった」

 ある程度の成長を遂げた人間が、闘気能力として覚醒するためには、それ相応に肉体を酷使する必要があった。だが女性としての身体の成長は、それの妨げになるとガルシアは言ったのである。

 それがガルシアがアーバンにその薬を渡した理由だった。

「解ってる、わよ……」

 アーシアにはそれ以上何も言えなかった。成長を抑制するような危険な薬を使っていた彼女に対して、怒鳴ってやりたがったが、彼の覚悟を知っている人間として、それができなかったのである。

 今のアーシアには、女に戻りつつある彼女を見守ることしか出来なかった。


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