魔 導 学 院 物 語
〜氷と呼ばれた暗殺者〜

第四章 変化する事象の前触れ


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「フレッドが、学院を出ました」

 学院の渡り廊下に、澄んだ声が響きわたる。

 それを発したのは、若い金髪の男だった。アーバン=エーフィス、人形のような恒常的な表情をし、無機質な美しさを持つ青年だ。現にそう言い放った時の彼も全く表情を変えず、ただ、目の前にいる男を静かに見据えていた。

「ああ。クレノフから聞いている」

 男は抑揚のない声でそう返すと、青年を無視するかのように彼の横を通り過ぎる。だが、青年の次の台詞が彼の足を止めた。

「やはり、貴方はガルシア先生の後任には相応しくなかった」

 その言葉に、男はゆっくりと後ろを振り返った。アーバンの青い瞳には、もう一度、伊達眼鏡を掛けたその男の姿が映る。

 クリフォード=エーヴンリュムス、それが男の名だ。特級魔導師ガルシアに選定されたバーグ教室の後任であり、かつて機国大戦に大陸義勇軍の一員として参加した男だと聞いている。しかし――

「貴方には力がない。私達を導く力も、私達を強くする力もだ。フレッドが学院を出たのが何よりの証明だ」

 そして彼は一息ついて言葉を続ける。

「私は強くならなければならない。そのために、貴方の存在は邪魔なのだ」

 彼の言い分もクリフには解った。クリフがいる限り、彼らが他の教師の師事を受けることは出来ないだろう。ガルシア=バーグが彼を選定した以上、アーバン達の教師は彼以外では有り得ないのだ。

 天才と呼ばれたアルフレッド=グロリアスが学院から去ったのも、おそらくはクリフを認めることができなかったためだろう。

 アーバンは冷たい光をその瞳に込め、クリフに更に言葉を投げかける。

「今すぐ学院から消えろ。そうすれば、命までは取らない。だが、それを拒めば――」

「断る」

 しかしアーバンが言い終わるよりも先に、クリフはそう断言した。仮面のようだったアーバンの表情が僅かに歪む。しかしそんな彼には構わずに、今度はクリフが言葉を続けた。

「一度引き受けた仕事は、なるべくこなしようにしている。それにそれはガルシア=バーグの、彼の遺言だ。途中で下りることは、絶対にない」

 普段のクリフとは異なった、はっきりとしたその返答に、アーバンはゆっくりと口を開いた。それは、死神が放つ一言だった。

「ならば、死ね」

 刹那、アーバンの姿が朧のようにぶれる。そして彼の姿はその場から消えた。

 それがアーバンの技能であることをクリフは知っている。特殊な体術と闘気法により、残像を残すことで相手の死角に入り込む。殺気の持たずに攻撃を仕掛けることが出来るアーバンにはこれ以上ないと言えるほど有効な暗殺技術である。

 事実、彼はこの技によって、ガルシア=バーグを襲った数人の悪漢達を、一瞬のうちに葬り去ったことがあるのだ。少なくとも、クリフの技能では見切れるはずがなかった。

 クリフの死角に入ったアーバンは、躊躇うことなく、その右手の人差し指と中指の二指に闘気を込め、彼の首を切り裂こうとした。だがそれが叶うことはなった。

 気付いたとき、アーバンは強力な一撃によって腹部を突き上げられていたのだ。足は宙に浮き、痛みよりも激しい嘔吐感が身体を襲う。そして次の瞬間、アーバンは右頬に激しい痛みを感じ、一気に地面に叩きつけられた。

「がはっ」

 何が起こったのか、彼には理解できなかった。見切られるはずがないのだ。確実にアーバンはクリフの首を捉えていたはずだった。しかし、彼はアーバンが攻撃をしかけた時には既にアーバンの位置を把握していたのである。

「無様だな」

 アーバンを静かに見つめながら、クリフは小さくそう言った。

 アーバンはくっと呻きながら、クリフの顔に視線を移す。しかし、そこで彼は意外な物を目にした。クリフの瞳からは、一筋の涙が流れていたのである。

 クリフは涙を拭うこともなく、声の抑揚を抑えながら話を続けた。

「確かにお前は強い。俺が今の攻撃を知っていなければ、お前の攻撃は俺を仕留めていただろう。だが、それではお前は兄の仇には勝てない」

 クリフが口にした言葉に、アーバンは明確に反応する。その瞳には瞬時に怒りが籠もり、再び彼には闘志が籠もる。しかしクリフは倒れている彼の胸ぐらを掴み、吐き出すように叫んだ。

「それがガルシアがお前に教えたことなのか? それがお前がガルシアから習ったことなのか? 復讐、それに関しては否定はしない。だが、お前は師父の何を見ていた? ただの人形として戦うことを師父は教えたのか? 違うだろう!」

 そしてクリフはアーバンを突き飛ばした。

「所詮、人形の動きは決まっている。人形として戦うのならば、お前は絶対に兄の仇には勝てない。人形としての精度ならば、奴の方が完成度は上だからな」

「どういう、意味だ」

 ゆっくりと立ち上がりながら、アーバンはかろうじてそう口にした。クリフを覆っている雰囲気が、それ以上の発言をアーバンにさせてはくれなかったのだ。

 彼の質問に、クリフは頬を伝っていた涙を拭い、力強い口調で台詞を吐いた。

「それを知りたいのなら、少なくとも俺を倒せるだけの技能を手に入れろ。それがヴァイス=セルクロードの情報を教える最低の条件だ」

 そしてクリフはアーバンに背を向けると、去り際にこんな言葉を残した。

「戦うに値すると思ったのなら、いつでも相手になってやる。お前達は、ガルシア=バーグが命を削ってまで育てた戦士なんだ。頼むから、師父の死を無駄にしないでくれ」

 去っていくクリフの背中を、アーバンは言い表すことの出来ない、不快な思いで見つめていた。何に対して不快なのかも、その時の彼には解らなかった。だが一番気に入らなかったものが何なのか、それだけは彼にも理解することが出来た。

 彼の言葉に、心を動かされ、動揺している自分がいることに、彼は最も嫌悪を感じていたもである。

 それは魔導学院が正式に運用されて三ヶ月が経った頃の、ガルシア=バーグがその生涯を閉じた三日後の出来事だった。

 そして、その翌日に、アーバンはゾーン教室のネルス=パッカードとの試合を控えていた。

☆★☆

 目を開けると、そこには赤い瞳の少女の姿があった。見慣れた顔だ。姉に良く似ている娘ではあるが、雰囲気もかなり異なる。いくら人の顔を見分けるのに疎いとはいえ、彼女の顔を忘れるはずもない。

 アーシア=サハリン、それが彼女の名だ。

 そんな事を考えていると、突然強い風が吹き、金色の髪が青年の視界に入る。僅かに鬱陶しく思って、青年は髪をすくい上げると、寝そべっていた上体をゆっくりと起こした。

「珍しいわね、アーバン。あんたがこんなところで寝てるなんて」

 赤い瞳の少女は、意外な発見に嬉しそうにそう言うと、彼女も髪を整えながらアーバンと呼ばれた青年の横に腰を下ろす。

 二人は第一修練場の裏側にいた。そこは丁度芝生になっており、座るには調度良い。

 元々、その場所はあまり人が寄りつかない場所だ。更に第一修練場は修理が終わったばかりで夏休暇の間は運用されていない。そのため、そこに彼ら以外の人の姿を見ることはできなかった。でなければ、警戒心の強いアーバンがこんな屋外で昼寝をすることなど有り得ないことだ。

 アーバンはアーシアの質問には答えずに、静かに空を見上げていた。元々、あまり口数が多い方ではないが、特に人を無視する人間でもない。アーシアが訝しげに思っていると、彼は突然口を開いた。

「昔の夢を見ていた」

 予想をしていなかった彼の答えに、アーシアはきょとんとした表情で目をしばたたかせた。だが話を理解していないアーシアを余所に、アーバンは話を続ける。

「ガルシア先生が亡くなった頃の夢だ。あの後、一度だけ、先生と戦いを交えたことがある」

 戦い。その言葉を心中で繰り返し、アーバンは自分に対し嘲る。あれは戦いなどと言えるものではなかった。一方的に攻撃を仕掛け、一方的に敗北した。その程度のものだ。

 一方、アーシアは彼の発言にしばらく驚いたような表情を見せたが、すぐに表情を戻し、それに答えた。

「そう言えば、あの頃はあんたもクリフ先生に対して刺々しかったものね」

 昔を懐かしんだのか、アーシアは楽しそうに笑うと、ごろんと芝生の上に寝転がった。初秋も近いこともあって、枯れた芝の匂いが鼻をくすぐる。

 そんな情緒に身を任せながら、アーシアはゆっくりと言葉を続けた。

「それで、何を迷っているわけ?」

 アーシアのその一言に、アーバンはぴくりと反応する。彼にとって、その返答は意外だったのだろう。だがアーバンの反応に、アーシアは小さく溜息をつきながら答えた。

「あんたって表情変えない割には、動作とか行動に感情が出るのよね。まぁ、それに気付く人間なんてそうそうはいないと思うけど、私や、あんたの大好きな先生にはばればれよ」

 大好きな先生……、その単語に、アーバンは僅かに頬を染めた。昔の彼――いや、彼女には有り得なかったことだ。ガルシア=バーグの死後、いくらか時間が経った頃から、彼女は変わり始めた。

 それが一時のアーシアとの対立の原因になったのだが、それはともかく、今の彼女もアーシアは気に入っていた。こうして馬鹿をやれる現状に、彼女は満足していたのである。しかし、だからこそアーバンの悩みというものが気になったのである。

「その様子じゃクリフ先生にも話してないみたいだし、相談相手くらいにはなってあげるわよ。あんたは、私の親友なんだからね」

 親友……。確かにバーグ教室時代、アーシアはアーバンが唯一友として話を交わしていた相手だった。もちろん、アーバンが女であることも、アーバンが何故男としてこの魔導学院に来たのかも、アーシアはその大部分を知っている。そしてアーシアもまた、自分の事をアーバンに話していたのである。

「そうだな」

 アーバンは、親友という言葉に心地よいものを感じながら、心に留めていた自分の決意を、親友と呼んでくれる娘に話しはじめた。

☆★☆

 クリフとキースが再会した日の午後、丁度アーシアとアーバンが会話を交わしていた頃、クリフは学院中央棟にある第三会議室にいた。

 魔導同盟と魔物狩人組合が共同で行う会議に、何故かクリフも参加させられていたのである。参加者の数は各々十名前後、同盟本部からの参加者もいるために、同盟の中にもクリフの知らない顔もあった。

 会議に出席するように言われたのは、当日の午前中、ミーシアがまだ部屋にいたときのことだ。突然の話ではあるが、珍しいわけではない。重要な用件が直前に入るのはいつものことなのだ。それはクリフを逃がさないための学院側の手段なのだが、その日はいつもとは勝手が少し異なっていた。

「お前も参加するのか?」

 それは学院の副学院長であるクレノフの言葉だった。会議の前、愚痴を言ってやろうと彼に話しかけたのだが、今回の件にはクレノフは関わっていないと言うのだ。彼の性格上、真面目な顔で冗談を言うなどとは考えられない。

(となると、動いたのは元学院長か)

 単純な話である。学院長であるベルーナが関わっているのならば、クレノフがそれを知らないはずはない。彼女の性格がそれをできないためだ。となると、クレノフの了承もなくクリフをこの会議に召喚できるのは、彼ら以上の権限を持つクリームしかいない。

(まぁ、いつもの気まぐれなんだろうけど、何もこんな面子の時に召喚しなくてもなぁ……)

 呼び出さることは、もはや諦めていることだ。クリームの道楽にまともに付き合っていては身が持たないことは、彼女がこの学院長だった時に既に経験済みなのである。

 そのために逃げ出すための手段を駆使し始めたのが当日召喚の発端となったのだが、それはともかく、問題はこの会議が魔導学院の会議ではなく、魔導同盟の会議であることだ。

 しかも魔物狩人組合すら交えたひどく規模の大きい会議だと言うのだから、いつもの会議にも増して、クリフには自分がここにいることが場違いのように思えた。

「それで、名目まで作ってこの会議を開いた意図っていうのは何なんだい、サヴェス」

 しかしクリフのそんな心中の愚痴に構うことはなく、会議は始まりを迎えていた。時期を見計らって、巨大な円形のテーブルの対面にいる男に向かって放ったクリームの言葉が、始まりの合図だった。

 円卓と呼ばれるこのテーブルの対面に座っているのは、金髪の大柄の男だった。飄々とした雰囲気を発している割には眼光が鋭く、それは彼が熟練した戦士であることを物語っている。

 それもそのはずだろう。彼の名はサヴェス=カジバール。かつて技能修得者スキルマスターと呼ばれた戦士であり、クリームとともに龍帝の反乱を戦い抜いた五皇士の一人なのである。龍帝の反乱で右腕を無くしながらも、華麗な剣技を見せつけたことから、隻腕の鷹とも称された男だ。

 初対面であることも要因の一つなのだろうが、こうして対面に座っているだけでも相当な重圧感をクリフは感じていた。

 彼はにぃっと悪戯っぽい表情を浮かべると、クリフの方に視線を向け、クリームに言葉を返した。

「その前に、お前の左にいるのは初顔だよな。お前の横に座っているってことは、ベルーナの代理なんだろう? 紹介くらいあっても良いんじゃないか?」

 サヴェスの一言に、その場の視線がクリフに集中する。ベルーナの代理、それが大きな意味を持っていることを、この場にいる全員が解っているのだ。

 ベルーナはいずれは魔導同盟の盟主となるであろうと言われている人間だ。如何に代役と言えども、それに含まれる意味はとてつもなく大きい物であることは想像に難くない。

 怪訝、疑惑、身内と言える同盟側の人間からまで、様々な種類の視線を一身に受けながらも、何とか作り笑いを浮かべて、クリフはその視線をクリームに向ける。抗議を急かすためにだ。いくら第一級魔導師の権限が高いとはいえ、それはあくまで魔導学院内での話だ。確立された組織の中でそれが通じるはずはない。

 クリフの視線に気付いたのだろう。クリームは小さく溜息をつくと、そのままサヴェスに言葉を返した。

「代理は代理でも、これはあんたの孫娘を受け持つ教師の代理だよ。都合は聞いたんだけど、ちょっと用事があってね。代わりに来てもらったのさ。元々名目はその件なんだ。さすがにそれらしいのは置いておかないとまずいだろ?」

「確かにな」

 クリームの返答に、サヴェスは納得したように頷いた。

 要は数合わせだ。適当な人間がいなかったので、クリフを召喚したのだろう。確かに同盟と組合の会議の場に参加するとしては適当ではないが、学院の教師という意味では、学院有数の第一級魔導師である彼は適役と言えた。

 もっとも、他の人間の都合は聞いてもクリフ自身の都合は聞かないクリームに、彼は酷く理不尽な物を感じたが、取りあえずそれを口にする事は止めた。第一、彼女にそれをしても無意味であることは重々承知している。

 それはともかく――

「それじゃ私の質問にも答えてもらえないかしらね。あんただけならまだしも、クライヴまでここにいるんだ。ただ事とは言わせないよ」

 クライヴ、その名前に一同の視線は再び一箇所に集中する。今度は組合側の、サヴェスの横に座っている金髪の男に対してだ。身長が低く、目元の細い優男、それがクリフの彼に対する印象だ。どことなく弱々しい印象を受ける男だ

「それについては私が代わりにお話しします。クリーム様」

 だが意外にも、彼ははきはきとクリームにそう言葉を返した彼はその場に起立し、細い目元を更に細めると、にっこりと微笑む。

 クライヴ=カジバール。サヴェスの養女、ゼルフィアの夫で、クリフも何度か名前は耳にしたことがあった。

 横に座っているサヴェスがあまりに威圧的すぎるためだろう。ただでさえ痩せているクライヴは、ひどく存在感がないようにも思える。だが彼が魔物狩人組合の中で、大きな役割を果たしているのは周知のことだ。

 彼は魔物狩人組合の事務を一手に引き受けているのだ。それ故に、彼が本部を離れるなどということは普段なら有り得ない。つまり彼がここにいるという事実が今回の会議の重要性を意味していた。

 それが場に緊迫した雰囲気を作り出しているのだが、それを気にすることもなく、彼はゆっくりと話を始めた。

「単刀直入に今回の会議を開いていただいた理由を申しますと、組合の本部の移転に伴い、場所についての相談をするために、こうして皆様に集まっていただいたのです」

「本部の移転?」

 クライヴの台詞が終わると同時に、彼の言葉を繰り返すように尋ねたのはクリームの隣の席についていたクレノフだった。その話は彼の耳にも入ってはいなかったのだろう。その表情はひどく堅いものになっていた。

 クレノフは続ける。

「何故この時期なのだ? ミカエル様が亡くなってまだ三年、今下手に動くことは、大国の警戒を強めるだけだと思うが?」

 クレノフの怪訝は同盟の他の重役達も抱いていたのだろう。周りで何人かの人間が頷いているのをクリフは見逃さなかった。場の雰囲気は、更に重苦しいものに変わる。

「今だからだよ、クレノフ」

 だが、クライヴは動揺する素振りも見せず、すっと言葉を返した。

「ミカエル様が亡くなって三年、組合は虎国の勢力の下で、間接的ではあるけれど圧力を受けてきた。それは徐々にではあるけれど、年々強いものになっているんだ。組合の本部は今、虎国の帝都にあるからね」

「だから動きを完全に押さえられる前に手を打とうっていうのかい?」

「そうです、クリーム様。今のままでは虎国だけの影響を受け、組合はその存在理由である個人の独立性という趣旨を失ってしまいます。それを防ぐためにも、転移が必要だと考えているのです」

 クライヴはそう言い終えると、ゆっくりと息を吐き、そのまま椅子に腰掛けた。

 そんなクライヴを見ながら、クリフは小さく溜息をついた。発言その物は終始落ち着いたものだったが、幾分か動揺していたのだろう。その額には珠のような汗が浮かんでいたのだ。

(彼も俺みたいに引っぱり出されてきたんだろうなぁ……)

 彼の話は、戦友であるベルーナから聞いていた。その時はこういう会議などの場には最も適さない人間だと思ったものだが、場慣れしているのだろう。完璧に近い彼の発言に、逆にクリフは彼がこれまで歩んできた苦労を思い浮かべた。それだけで他人事ではないような気さえしてくる。更には、彼はあのゼルフィアの夫なのだ。

 クリフは哀れみを込めた溜息を、もう一度ゆっくりと吐いた。

「何だい、何か言いたいことでもあるのかい?」

 隣に座っていたクリフの溜息を、異なる意味で理解したのだろう。そう尋ねてくるクリームに、クリフは顔を引きつらせた。先程の紹介のこともあり、一同の視線は再びクリフに注目する。

 最悪の事態だ。ここで考えていた事をありのまま話そうものならば、同盟、組合、両方から大顰蹙をかうのは目に見えている。しかもこの真摯な視線の中では、誤魔化すなどということも酷く困難だ。

 魔導学院の会議ならば、ここで失態を見せるのも構わないだろう。あくまで彼は運だけの男オンリーラックという存在であるからだ。だがこの場でそれを知る者はほんの一握りしかいない。つまり、運だけの男オンリーラックだからという理論はここでは通じない。

 更にはクリフは魔導同盟盟主クリーム=ヴァルギリスのお気に入りとしてここにいるのだ。半ば冗談混じりのものといえど、それが持つ意味をとぼけられる程、彼は愚者を演じることは出来なかった。大袈裟ではあるが、下手をすれば同盟と組合の信頼関係に傷がつくことすら考えられるのだ。

 仕方なくクリフは心中で諦めると、場慣れしない空気に戸惑いながらも言葉をゆっくりと吐き出した。

「いえ、聞く限りでは帝都から移転するのは効果はあると思いますが、その場所はどこにするんです? 大国の影響を受けない場所なんて極限られてはいますが、その分、大国の警戒は強まることは間違いありませんよ」

 それはこの場に対しては適当な話だっただろう。確かにクリフが言うように、この大陸の中で虎国、聖国、魔国の派閥に属さない場所は至極珍しい。魔導同盟の置かれている赤珠国とて、厳密に言えば聖国の色を強く受けているのだ。

 取りあえずありきたりな問題を取り上げることで、クリフはその立場を維持することに成功した。だが――

「君は、俺達が何処を選んだと思う? クリフォード君」

 口元に笑みを浮かべてサヴェスが出したその言葉に、クリフの表情は先程までとは違う意味で強ばる。

(それはそうだろうな)

 サヴェスの放った言葉に納得したように心中でクリフは呟いた。自分の中で、運だけの男オンリーラックではない自分が目覚めていくのをクリフは明確に感じていた。

 いや、引き出されたと言った方が正しいだろう。サヴェスは気付いていたのだ。自分の目の前にいる男が何者かということを。でなければ、クリフの名を知っていたのに、それを一々尋ねたりすることなど有り得ない。

「どうなんだい、クリフ」

 そして彼を後押しするかのように、クリームの言葉が会議室に響いた。響くような大きな声ではなかったが、クリフにはそう感じられた。五感が酷く敏感になっている証拠である。その感覚から、クレノフの感情が強く乱れるのを感じたが、それは取りあえず無視することにした。

「ラインティナですね」

 クリフはそれまでとは変わった静かな口調でその街の名を口にした。それは明らかに運だけの男オンリーラックとしての彼ではなく、学院では一部の人間しか知らない、それまで深い眠りについていた本当の彼の言葉だった。

 クリフの変貌に、会議室はその雰囲気を変えていった。


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