魔 導 学 院 物 語
〜氷と呼ばれた暗殺者〜

第二章 過去と想いと現在


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 男の対面には、一人の老人が座っていた。

 老人といってもまだ初老を迎えたばかりといったところだ。所々に白髪が見られるものの、その金髪は健在であり、面立ちも、その眼光の鋭さも、過去に男が見た昔の彼とそれほど大きな変貌は見せていなかった。だが、それも当然かも知れない。

 四年――

 そう、まだ四年なのだ。彼の顔を最後に見たのが四年前の彼女の墓標の前だ。それは丁度自分が学院に来てからの年月を意味する。不思議と、ずっと続いてきた生活のような気がしていた。それだけこの空間が心地よかったのかも知れない。だが、流れた時間はまだ四年なのだ。

「すまないな。突然押し掛けて」

 静寂に包まれた部屋に、低い男の声が響いた。それは老人――キースの声だった。彼は独特の穏和な表情を浮かべながら突然の訪問をクリフに詫びた。

「いえ、それは構いませんが、突然というのは貴方らしくない。どうしたのです?」

 声色に僅かな疑問をのせ、クリフは戸惑った様子で彼にそう返した。キースはこれ以上ないというほど律儀な男だ。クリフの周りの連中とは違って、約束もせずにいきなり尋ねてくるような男ではない。

 すると、キースは苦笑混じりでクリフの疑問に答えた。

「実は二日ほど前に来ていてな。遣いを寄越そうとは思っていたのだが、総合組合長ジェネラルギルドマスターの護衛を任されて、指示を出す時間がなかったのだ」

「ジェネラルギルドマスターが来ているのですか?」

 問題にしていたことよりも、キースの口から出た人物を聞いて、クリフは驚いた。龍帝の反乱以後、魔物狩人組合ハンターズギルドの名の下統括された魔物狩人。その頂点に立つのがジェネラルギルドマスター、サヴェス=カジバールという男だ。

 彼は龍帝の反乱の功績により、魔導同盟盟主クリーム=ヴァルギリスと同様に五皇士と称さるようになった戦士である。そして魔導同盟設立の際にも重要な位置を占めた男でもある。だがそれ故に、大国からは危険視されている人間でもあった。だからクリフは驚いたのだ。

「大丈夫なのですか? そんなにあからさまに同盟と組合の接触を見せて」

 危惧していることはそれだ。大国は徐々に勢力を付けている同盟と組合を危険視しているはずなのだ。今までは、ある要因によってその反発を防いできた。だがそれはもう無いのだ。最悪、この接触が大国に付け入る隙を与えることにもなりかねない。

 しかし、それは余計な心配に終わった。

「気にすることはない。今回の訪問は大国も了承している。サヴェス様の孫娘達がこの学院に入学するにあたっての視察ということでな」

「ここに、入学するんですか……」

 極端に顔をしかめながら、クリフは不満そうにそう呟いた。サヴェスの娘、ゼルフィア=カジバールは機国大戦で同じ部隊に所属していた仲間だ。そして、自分と一番衝突していた人間でもあった。その娘となると、何となくではあるが嫌な予感を覚えざるを得ない。

 しかしそれを知らないキースは、あまり気にした様子もなく、その問に淡々と答えた。

「ああ。何でも特別入学ということで、来年度から入学するという話だ。担当教師との顔合わせのためにゼルフィア嬢もこちらに来ている」

「うわっ」

 あからさまに顔をしかめながらクリフは呻いた。それを怪訝に思ったようで、キースは言葉を続ける。

「彼女とは知り合いなのだろう? そう嫌がることもあるまい」

「同じ部隊だったからですよ。彼女は、苦手なんです」

「なるほどな」

 クリフのその返答を聞き、キースは可笑しそうに微笑んだ。キースが知るヴァイス=セルクロードからは考えられないような反応だ。彼にはそれがひどく滑稽に見えたらしかった。

 そんなクリフに、キースは目を細め、小さく微笑んだ。

「安心したよ。ここに君がいることは聞いていたが、確かに私が最後にあったときよりも、今の君はいい顔をしている」

 優しい、落ち着いた声色で掛けられたそんな言葉に、クリフは戸惑う。半分は突然だったためだろう。だがそれよりも、キースがそんな言葉を口にするとはクリフは考えていなかったのである。

 そんな困惑を見せているクリフに構わず、キースは台詞を付け加えた。

「やはり、君の側には彼女がいた方がいいのだろうな」

「ミーシアに、会ったのですか?」

 不意に出た彼女という単語に、クリフは敏感に反応した。普段の彼ならば、こうも明確な反応を見せることは少ないだろう。運だけの男オンリーラッククリフォード=エーヴンリュムスはそんな人間だ。しかし今の一瞬、彼はそれではなかった。

 言い終えてから、自分が当たり前の質問をしたことにクリフは気付いた。界隈――この大陸の大国、魔導同盟、魔物狩人組合を中心とする界隈――の中で、バーグ教室の存在は、一介の教師である自分よりも大きい物であるのは周知のことだ。

 そんなことすら気付けなかった自分に、クリフは心中で呻く。

「まだ、気にしているのか? レイシャのことを」

 そして、キースが出したその名前が決定的だった。クリフの表情が苦痛に歪む。その名は、忘れることの出来ない……、いや、忘れてはいけない名なのだ。

 レイシャ=レイモンド、ジェチナ魔物狩人組合の組合長、キース=レイモンドの娘。そして、ヴァイス=セルクロードの妻として機国大戦に参加した戦士の名だ。

 しかし彼女は機国大戦の最中、旧機国帝国軍の襲撃によって命を落としたと言われている。ゴーレムという生命を持たない機兵の襲撃によって……。

「確かに君ならば、連中の手から娘を護れたかも知れない。だが、あれは戦争だ。そしてあの子は望んで戦士として戦ったのだ。死は……、覚悟していたはずだ」

「解って……、います」

 そんなことは、キースに言われなくてもクリフには解っている。出会った時、既に彼女は戦士だった。そして彼女の覚悟は、共に戦った者として解っていたのだ。

「だが俺は、彼女を助けられなかった……」

 だが理解と納得は違う。しかもそれは自分の勝手な判断が無ければ、回避することができた事態だったのだから尚更だ。出来ることが出来なかったこと、それがクリフの後悔だった。

「しかし、君は娘を愛してくれたのだろう?」

 唇を噛みしめているクリフに、そんなキースの言葉が掛けられる。見ると、キースは微笑んでいた。彼女との結婚は政略的なものだった。ジェチナ魔物狩人同盟の設立際、一つの象徴として彼らは選ばれたのだ。だが……。

「あれが愛情という感情なのかは、俺には解らない。けれど、彼女を護りたいと思った想いだけは、偽りはないつもりです」

 機国大戦の最中、精神的に不安定だったヴァイスを支えてくれたのは彼女だった。そして彼女が与えてくれたその空間を心地よいと感じたのも事実だった。だから、護りたかった。自分の腕の中で、体温を失っていく彼女を、クリフは未だ忘れてはいない。

 キースはそんな彼を見て、小さく微笑みながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「その想いだけで充分だよ」

 と。そして、続ける。

「大戦中、送られてくる手紙には君のことばかり書かれていた。あれには、女らしいことなどさせてやれなかったからな。きっと幸せだったのだろう。証拠に、レイシャは笑って逝ったのだろう?」

 そう。レイシャも、そして彼も、思い残すことはあったはずなのに、満足そうに笑みを浮かべていた。しかし、だからこそ、それがクリフを戒めるのだ。

 まだ過去の戒めは、彼を縛り付けていた。

☆★☆

 クリフがキースと会話を交わしていた頃、学院の第二診療所でも、二人の女が会話を交わしていた。

 一人はこの第二診療所の主であるジェシカ=コーレンという女だ。褐色の民、魔族の女で、同種の他の女に違わず、束ねられた髪も、瞳も、漆黒の色を帯びている。

 もう一人は、学院の専門担当教師のミーシア=サハリンだった。彼女の方は黒髪に赤い瞳、彼女達赤珠族の特徴である。赤珠族の瞳は、赤色であるにもかかわらず、まるで人の心を吸い込むかのように澄んだ物であるのだが、その時のミーシアの瞳には、深い陰りを見ることができた。

「いつまでそこでそうしてるの?」

 診療所のベッドの上で落ち込んだように座っている彼女に、呆れたように口を開いたのはジェシカだった。

 ジェシカとミーシアは、とあるきっかけで知り合った仲であり、ミーシアの最も親しい友人の一人だ。そして彼女が弱い自分を見せることの出来る、数の少ない人間の一人でもあった。

「いいじゃない。夏休暇中で誰も来ないんでしょ」

 まるでふてくされた子供のようにそう返すミーシアに、ジェシカは呆れたように溜息をついた。

「あのねぇ。キース師が来る度にそうやってそこでうずくまってるわけ?」

 そのジェシカの言葉に、ミーシアはぴくりと反応したが、恨めしそうにジェシカを見るだけで、何も言い返しては来なかった。それを見てジェシカはもう一度小さく溜息をついた。

 ミーシアが突然第二診療所にやってきたのは、少しばかり前のことだ。それからずっと彼女はこうしてベッドの上で座り込んでいるのである。

 理由はすぐに解った。キース=レイモンドが来ている。それをジェシカも聞いたのだ。ジェシカは、キースが組合長を務めるジェチナの出身だ。彼とは面識がある。

 そして、ミーシアがこうしている理由は、キースがどうこうと言うわけではなく、問題はその娘なのである。

「死人に嫉妬してるわけ? あの馬鹿がずっとレイシャのことを気にしてるから? 貴女らしくもない」

 わざと吐き捨てるように言ったその言葉に、思った通りミーシアは食らいついてきた。

「レイシャは、私の知らないクリフをいっぱい知ってるのよ。嫉妬くらいしても、いいじゃない」

 そして、彼女は再びうずくまるようにして、呟く。

「それに、もういないからこそ、入り込むことができるわけないじゃない」

 入り込めば、傷つくのはクリフだ。そして自分も『もし、彼女が生きていれば』などという考えを巡らせてしまう。そんな醜い気持ちを抱きたくないと思うのに、それを止めることは彼女にはできなかった。レイシャが大切な仲間だったことが、さらに自己嫌悪を深める。

 ミーシアがそうやって沈んでいると、つかつかとジェシカが彼女の側に寄ってきた。そして彼女の横に座ると、すっと二本の腕を差しだし、いきなりミーシアの両頬を引っ張る。

「いひゃい。いひゃい、ひぇひか」

 突然頬を捻られ、ミーシアは発音のままならない口調でジェシカに痛みを訴える。するとジェシカはそれをすぐに離す。そして、引っ張られた頬をさすっているミーシアに対し、怒ったような口調で彼女に言った。

「確かにレイシャはあの馬鹿と大きな時間を共有したわ。亡くなった人間に対する想いが強いのも事実、過去があるから人が生きれるのも事実よ。でも、過去は変えられないの。振り返るのが大切なときもあるけれど、縛られちゃ駄目」

 そして今度は腕を彼女の背中に回し、ジェシカは妹のように可愛がっている娘を強く抱きしめた。その双眸を閉じながら、宥めるように言葉を続ける。

「それに、貴女は生きてるじゃない。今、あの馬鹿と時間を共有できるのは、貴女なのよ。昔の貴女には、それが出来たじゃない」

「子供のままじゃ、いられないわよ」

 ジェシカの胸の鼓動を聞き、安堵を覚えながらも、胸に詰まっている物を吐き出すかのようにミーシアはそう言った。すると、ジェシカは彼女の頭を撫で、それに答えた。

「子供のままでいろって言ってるんじゃないわよ。想いも、立場も、昔とは違うんだから。けど、大切な物まで忘れないでって言ってるの。レイシャも、きっとそれを願ってる」

「レイシャも?」

 ジェシカの胸から顔を起こし、ミーシアは不思議そうに尋ねた。それを見て、ジェシカは彼女の赤い瞳を見つめて小さく微笑んだ。

「あの子だって、貴女や、あの馬鹿が不幸になるのは望んでないってことよ。それだけは、絶対に変わることはない真実よ」

 そう言って、ジェシカはすっと立ち上がった。そしてにやりと不敵な笑みを浮かべると、一変して冷やかすように彼女に言葉を投げかけた。

「大体、貴女とあの馬鹿の関係だって、昔と一緒じゃないでしょ。仲良くやってるくせに、そんなことを言われてものろけにしか聞こえないわよ」

 ジェシカの言葉に、ミーシアはぼっと顔を赤く染めると、もう一度恨めしそうにジェシカを睨み付けた。意地の悪い友人に、ミーシアは口を尖らせながら言葉を返す。

「どうでもいいけど、クリフのこと馬鹿っていうのやめてよね」

「いいのよ。昔のことばっかに引きずられてる馬鹿なんだから。だけど、だから貴女がしっかりしてやりなさい」

「うん」

 そんな会話の後、二人は何となく可笑しそうに笑い出す。二人の馬鹿笑いが収まったのは、しばらくして診療所の扉が開かれた後だった。

「どうしたの二人とも。笑い声が外まで聞こえてるよ」

 入ってきたのは、褐色の肌の少女だった。ジェシカの娘、サーシャである。面立ちなどは母親に似ているのだが、髪は金色で、瞳は青い。それはミーシアに、彼女の父親を彷彿とさせた。

「何でもないわよ。それより、挨拶くらいちゃんとしなさい」

「はーい。こんにちは、ミーシアおばちゃん」

「せめて、お姉ちゃんにして……」

 サーシャの言葉に、僅かな衝撃を受けつつ、ミーシアは自分の反応に大笑いしているこの親子の姿を、暖かい眼差しで見ていた。

(ジェシカだって、サーシャがいたから頑張れて来れたのよね)

 そんな事を思いながら、ふっと小さく微笑むと、彼女はゆっくりと立ち上がり、二人に別れを言って診療所を出ていった。

 何となく、彼女の足はクリフのいる彼の部屋へと向かっていた。


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